20 外道には外道をぶつけんだよ
「……あなたは気付いているかしら、スフィア」
アルティナの言葉に、スフィアは素直に首をひねった。
すると、彼女は言い淀んだように、開いた口を何も発せぬまま閉じて開いてを繰り返す。視線も右へ左へと、どことなく落ち着きがない。
「お姉様? どうしたんですか?」
スフィアがさらに首の角度を深め怪訝な声で聞けば、彼女はようやく声を出す。
「サリューナ=チェスターという女子生徒を知っているかしら」
スフィアの斜めになっていた首が真っ直ぐになった。
「その反応、あなたも知っているのね」
「まあ、本当に名前を知っているというだけですが。あとは一度ぶつかった程度で……」
「そう……じゃあ、直接的な関わりはないのね」
それだけ言うと、アルティナはまた視線を落とした。腕を抱え、右手を顎に添えて眉根を寄せる姿は、どう考えても苦慮という表情だ。
スフィアは一歩進み出て、「お姉様」と至極真面目な顔でアルティナを呼ぶ。
「言いたいことは言ってください。お姉様になら、私は何を言われても平気ですから」
「スフィア」
「何なら罵詈雑言でも! さあっ! 腹の底からどうぞ!!」
「スフィア……」
二度名前を呼ばれたが、前後で温度差があったように感じた。
何か残念な生き物を見るような目で見られている気もするが、気のせいだろう。
アルティナは、考えるのも馬鹿らしいとばかりに溜息をつくと、前髪を掻き上げる。
「あなたと私が、サリューナ嬢に嫌がらせをしているらしいのよ」
「ほあっ!?」
スフィアは全く平気とは言いがたい声を上げた。
――私とお姉様が、彼女に嫌がらせ!?
むしろ、嫌がらせをしたというか、こちらが悪意を向けられた方なのだが。
「やっぱり知らなかったのね。二年生の一部ではよく噂されているらしいんだけど」
「正味、お姉様以外の噂とかどうでも良いので」
しかも二年生ならばほぼ会話はない。まだアルティナがいる三年生との方が幾分か喋る。
アルティナは、スフィアの相変わらずな愛に「あなたねぇ」と嘆息していた。
しかし、これであの気持ち悪い視線の正体はわかった。
なるほど。個人的に彼女達が自分に悪意を向けているわけでなかったから、あのような不気味な視線になっていたのか。せいぜい、汚い手を使う女だと軽蔑した、といったころだろう。
「ちなみに、具体的な噂はご存知です?」
「確か、私とあなたが結託して、サリューナ嬢の意中の男性を全て奪っていくって話よ」
「結託!? お姉様と私が結託!? そんな夢のような徒党があります!? いつも全力で追い払われているのに!」
「遺憾ながら、よく一緒にいるから周囲にはそう見えているみたいね。誠に遺憾ながら」
「なんで二回言いました?」
そんなに遺憾なのか。だが、今後も突撃をやめるつもりはない。
「私は家格でサリューナ嬢を脅して彼女の意中の男性を奪っていて、あなたは、女の武器で奪っていくんですって」
――うーん、大正解!
本来ならば、悪役令嬢であるアルティナは、家格を鼻に掛けてスフィアに意地悪をして男を奪取しようとするし、ヒロインであるスフィアは、その美貌とか弱くとも一途な健気さ――まあ、女の武器とも言えなくないもの――を使って、男達を虜にしていく。
「全く、誰が家格を引き合いに出して男性を釣るってのよ。心外だわ!」
「…………」
シナリオ改変しなかったら、あなたが辿っていた未来そのままですよ、とは言えない。
少なくとも彼女の中に、そういった行動を起こす片鱗はあるということでもある。現時点では、アルティナは噂のようなことをする性格ではないが、下手に刺激して悪役令嬢の花を芽吹かせたくない。
――そう。このまま行けば、お姉様の悪役令嬢化は阻止できそうなのよね。
幼い頃より積極的に彼女と関わって、愛を吐露してきたおかげで、『突然現れた鼻持ちならない女』という部分は回避できている。
「そのサリューナ嬢は、今は?」
「ショックで学院を休んでいるらしいの」
――ああ、どうりであれ以降会わなかったのね。
さて、どうしたものか。
正直、攻略キャラでもないし、単純に嫌われているだけであれば、サリューナとは積極的に関わるつもりはなかったのだが。
――お姉様まで巻き込まれたら……ねえ……?
彼女がなぜアルティナまで噂の種にしたのかは分からない。
だが、もし正統な理由があろうと、彼女を貶めるような虚偽の噂を流す時点で有罪である。彼女の顔を曇らせる者は、もれなく速やかに処理しなければならない。
「お姉様は、この噂をどうなさるおつもりですか」
「……昔から、こういった手の噂には慣れているの……でも、下手にことを荒立てるつもりはないわ。否定すれば否定するほど、燃え広がる場合もあるのよ」
慣れている、と言った時、アルティナの眇められた目に諦念のような寂しさが見えた。
そういえば彼女は以前、意思表示をしなければ好きなように取られてしまうと言っていた。その中で、こういった状況もいくらかあったのだろう。
今の口ぶりからすると、きっとそのたびに否定して回って、でも上手くいかなかった。それどころか、火に油という状況を招いたこともあったのかもしれない。
「こちらが卑屈になる必要はないわ。ただ堂々としているだけで、そのうち噂は消えるものだから」
「……そうですね」
噂は流れ、消え去っても、心に残った疵は消えないというのに。それでも彼女は、そうして耐えてきたのだろう。
しかし、その耐えがいつまでももたないことを、スフィアは知っている。素直さ故に、限度を超えた時、彼女は直情的に相手を罵ってしまう。
――『この、ブススフィア!』だものね。
今の彼女からは想像もできないような台詞を思い出し、スフィアは口元を手で隠した。
思い出した彼女からの嫌がらせは、どれもこれも隠す気のない正々堂々としたものばかりだった。おおよそ悪役令嬢とは名ばかりで、悪役にはほど遠い、まるで幼子が悔しくて地団駄を踏んでいるような。
――つまり、お姉様が静観している内に、この噂を片付けないとならないのよね。
ここ最近で感じた気持ち悪い視線の数から考えると、一刻も早く対処していく必要があるだろう。これ以上噂を広めてはならない。
「いいこと? あなたも何もしないことよ。静かにしていれば、いつの間にか忘れられるから」
それで話は終わりだというように、アルティナはスフィアの横を通り過ぎる。
彼女が揺らした空気に、薔薇の香りが溶け込みスフィアの鼻腔をくすぐった。
甘く、それでいて彼女には珍しい、ほろ苦い香り。
スフィアは、通り過ぎるアルティナを呼び止めた。視線だけで振り返る彼女に、スフィアは真剣な顔で尋ねる。
「どうしてお姉様は、今回のことを私に確認したんですか」
既に対処法を決めていたのなら、ひとりでそうすることもできたはずだ。別に自分に話して許可が必要、という話でも無かったのだし。
アルティナは、高貴な猫のように目尻が跳ね上がった目端でスフィアを捉え続ける。
「だってあなたって……一見強そうに見えて」
クールともとれるその目元が、不意にフッと笑みを湛えた。
「少し、弱いでしょう?」
スフィアの目が、じわりと見開いた。
その表情が愉快だとばかりに、アルティナはさらに目元の笑みを濃くする。
「もし噂を知って、ひとりで何かしようとしていたら危ないと思って。あなた、こういった手合いには慣れていなさそうだし。暴走して……昔の私みたいなことがあっては……」
「お姉様?」
彼女の視線が下がると一緒に、声までもが尻すぼみしていき最後の方はよく聞き取れなかった。
しかし、彼女はすぐにいつもの気丈さと、目尻の鋭角さを取り戻す。
「分かったわね、スフィア。無視しておきなさい」
「はぁい、お姉様」
ビッと、細く美しい指先を鼻先に向けられ、スフィアは猫なで声で了承を口にした。それはアルティナの満足いく返事だったのか、教室から出て行く背には安堵が滲んでいた。
しかし、白い制服の裾がドアの影から完全に見えなくなって、スフィアは口端を歪めた。
「お姉様、違いますよ」
これはどちらかが耐えて、大人になった方が勝つというものではない。
「より上手く、周囲をだませた方が勝つんですよ」
そこには正義も正攻法も何もない。
いかに笑みを絶やさず、水面下で下段蹴りを繰り出せるかの無法地帯が広がるのみ。
この噂は自然発生したものではなく、人為的に広められた匂いがする。
そしてスフィアには、サリューナという令嬢が、思い人を奪われたショックで寝込むような控えめな性格には見えなかった。
ぶつかったときに向けられた悪意こそ、彼女の本質。
であれば、その差は彼女の計算以外にほかならない。
「――ッはは! よく分かるわよ、サリューナ。私も同類だもの」
目的のためには、人の目を欺き、腹の中を計算で真っ黒にする。
「簡単に言えばこの状況って、サリューナがヒロインになりたくて、私とお姉様を悪役令嬢にしたいってことよね。分かるわぁ。自分と対局の存在を置くことで、より自分を引き立たせようとしてるってことは」
――でも残念。
「私を誰だと思ってるのかしら」
このヒロインの座が、そんなに簡単に手に入ると思われては困る。
アルティナを嘘の噂で貶める外道サリューナ。外道には静観という手は通じない。増長するだけだ。
「外道には外道をぶつけるんですよ、お姉様」
さあ、どちらの腹がより黒いか勝負しよう。
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