18 波乱の予感?
「まったく、あの子ったら。少しは大人しくできないのかしら」
アルティナは馬車に乗り込むと一緒に、溜息をこぼした。
「なにかあったのですか、お嬢様」
向かい側に座るエノリアが首を傾げる。
普段ならば入ったばかりの使用人など、舞踏会の供としては連れてこないのだが、平民の彼には滅多にない経験だろうと、父が特別に計らったのだ。
これに関して、他の使用人達からも異論は出ず、どうやら彼は、ウェスターリ家で随分と気に入られているようだ。
「いえ……スフィアがまた、ね。令嬢らしくないというか、馬鹿正直というか……毎度毎度つきまとわれて本当に疲れるわ」
気付けばそこにいる、状態だ。
何度、背後の彼女にハッとさせられたことか。もはやホラーである。
「しかし、お嬢様。お言葉のわりには、顔は笑っていらっしゃいますが……」
「えっ! そ、そんなことはなくってよ!? 見間違いでなくて!」
アルティナは両頬を手で押さえ、グイグイと頬肉を揉む。
――笑って……るわけないじゃない。
不服そうに口先を尖らせ、アルティナは口角を意識して下げた。
なぜだか妙に気恥ずかしい。
「そ、そんなことより、エノリアは舞踏会の間何をしていたの? 退屈だったでしょう?」
「いえいえ、とんでもないです。見るもの全てが驚きの連続で……あ、それにレイランド家のメイドという方とも仲良くなったんですよ。真っ赤な髪が綺麗な」
どこまであの家と縁があるのよ、とアルティナは口端を引きつらせたが、嬉しそうにほわりと頬を赤らめ微笑むエノリアを見れば、こちらの表情も柔らかくなるというもの。
「そう、良かったわね、エノリア」
「はい」
嬉しさが滲み出た満面の笑みを見せられ、アルティナははたと気付く。
「もし、そのメイドとまた会いたいのなら、私に言ってちょうだいね。スフィアに頼んで会えるよう手配してもらうわよ」
にたり、と口元だけではなく目まで弧になる。
「そそっ、そんな意味で言ったわけではありませんから……! それにその……手紙を書くと……約束はしたので……」
「あらまあ!」
恋愛談義は男女問わず楽しいものだ。自分の恋だけでなく、こうして誰かが頬を赤らめたりしているのを見るとわくわくする。
恋心だけはいつも自由だ。
人を好きになるのに理由なんかいらない。遠慮なんかいらない。好きなものでまで、自分の心に嘘をつきたくはない。
だからアルティナは、周囲に惚れっぽいと窘められても、自制することはしない。
嫌いなものならいくらでもある。でもそれらは、口に出すと必ず角が立つものばかり。誰かが傷つき、誰かが悲しむ。
嫌いなものを語る口より、好きなものを紡ぐ口の方が品があるというもの。
「エノリア、良い恋になるといいわね」
「だ、だからっ、そんなんじゃありませんから……」
こうして、それぞれの春の舞踏会はしめやかに幕を下ろした。
◆
「おはよう、スフィア。どうだった、春の舞踏会に出た感想は?」
ロッカー室で準備をしていれば、にやけた顔したリシュリーがやってきた。
「別に、普通でしたよ。ただいつもの舞踏会より人が多くて、少々めんど……人酔いしてしまいましたけど」
「今、めんどくさいって言いかけなかった?」
「かけなかったですねえ」
猜疑の視線をビシバシ横顔に感じるが、スフィアは鼻歌を歌って華麗に無視する。
「あたしは、なんだかデュラス子爵家が大変だったって風の噂で聞いたんだけどぉ? スフィア、その場にいたのなら……詳しく知らないかしらぁ?」
ねっとりと語尾を上げ、横からスフィアの顔を覗き込んでくるリシュリー。
これは間違いない。分かっていてやっている。風の噂ではきっと自分の名前も出ているに違いない。
「……ちなみに、どこから吹いた風でしょうか」
ジークハルトもリシュリーも、どうしてこうも風を捉えてくるのか。吹き流しておけばいいものを。
「父よ」
「ああ、騎士団統括相……」
やはり派手にやり過ぎたか。まさか宮廷官にまで伝わっているとは。
――まあ、お父様を使った時点で、ある程度の波及は覚悟してたけど。
「私は何もしてませんよ。勝手に相手が自爆しただけです」
嘘は言っていない。
スフィアは何もしていない。周囲の人物の肩書きが偉大すぎただけだ。
「ふぅん」とリシュリーは納得していない声を漏らしながらも、しかしそれ以上は追求しても無駄だと悟ったのか、「まあ、そういうことにしておきましょう」と心外な相槌で話をたたんだ。
「リシュリーの方は、お家の用事でしたっけ?」
「そうそう。本家分家ってのがうちの一族にはあるから、時々こうして集まらないといけないのよね」
疲れたわ、とリシュリーは後ろ髪を掻いたのだが、スフィアは彼女の手首にいつもはない腕輪を見つける。
目の前で揺れる黄色の腕輪は、白い制服の中では際だって目についた。
「リシュリー、腕のそれって……」
「あらやだ。外し忘れちゃってたわ」
リシュリーはスポッと手首から外すと、スカートのポケットへとしまい込む。
「変わったデザインの腕輪ですね」
マリーゴールドのような黄色に黒い模様が入っている、太めのバングル。華奢な彼女がするには、少々無骨なデザイン。
「元は父のだしね。先日、貰ったのよ」
「へえ、良いですね。親から何かを受け継ぐって素敵だと思いますよ」
「やっだぁ、スフィアったら可愛いこと言うじゃない! あぁん、もう! このまま持って帰って皆に自慢してやりたいわ~」
「うふふ、結構です~」
飛びつくようにして抱きついてきたリシュリーをひらりと躱し、スフィアはロッカー室を出た。
リシュリーの家に行ったら、そのまま軟禁されそうな気がする。彼女の両親のことは知らないが、少なくともどちらかにリシュリーの性格の根源があるとすれば、一人でリシュリー二人分を相手にするのは大変だ。
「あぁん、スフィアのいけず!」
叫びながら隣にやってきたリシュリーに、スフィアが苦笑を漏らしていれば、ドンッと目の前を横切る者とぶつかってしまった。
「すみません、大丈夫で――」
「うるさいのよ、尻軽女」
スフィアは「え」と固まる。
ぶつかった生徒は、アルティナとよく似ていた。一瞬、アルティナから言われたのかと勘違いしてしまうほどに。
そっくりな金色の髪と碧い瞳。違うところがあるとすれば、金髪はウェーブではなくストレートで、目尻はつり上がりではなく、垂れ下がりだということ。
スフィアが何も言えずにいると、アルティナとよく似た令嬢はそのまま歩いて行ってしまった。
「何あれ!? ぶつかったのはそりゃこっちが悪いけど、あんな言い方ある!? 何なのよ、誰なのあの女! あたしのスフィアに!!」
リシュリーが憤慨していたが、言われた当の本人であるスフィアは、ただ彼女の背中を見送るだけだった。




