16 悲しいですわーーー!(棒)
いや、声のせいだけではない。カナリヤ声の彼女は、透き通るような真っ赤な髪色をしていたのだから。
珍しいと言われる赤髪が場に二人も揃えば、誰だとて注目するだろう。
その上、三大公爵家の令息に手を引かれて登場ともなれば。
「まあ、マミアリアさん。どうしたんです?」
「お嬢様、失礼いたします。実は馬車で待ってようかと思ってましたら、こちらのアントーニオ公爵令息様とお会いしまして。それで、お嬢様の様子も気になりまして、お願いして少しだけ入らせていただいたんです」
「まあ、マミアリアさんったら。本当は私じゃなくて、ホールの様子が気になったんでしょう?」
「えへへ、お許しください、お嬢様」
ウインクと一緒に肩をすくめるマミアリアは愛らしくて憎めず、スフィアは「もう」と苦笑して受け入れた。
「ガルツ、すみませんね。彼女のお願いを聞いていただいて」
ガルツは「ハハ」とぎこちない笑みを浮かべていた。
すると、マミアリアはスフィアの方ではなく、スフィアの隣にいたカラントの方へと足を踏み出し、喜声を漏らす。
「それにしても、まさかこのような場で再びお会いできるだなんて! 覚えておいででしょうか、カント様。マミアリアです!」
トーンを高くしながら、ズイとカラントに身を寄せるマミアリアに、カラントは表情を引きつらせて身を引いた。彼の視線は定まらず、右に左にと周囲を気にするような素振りを見せている。
「ほら、わたし突然お店をやめたでしょう? ですから、最後の挨拶もできずっと心残りだったんですよ。カント様にはたくさん通っていただいたというのに……」
「ち、違……やめ……っ!」
カラントを何度も「カント」と呼ぶマミアリアに、スフィアだけではなく近くにいた者たちは皆首を傾げる。
普通ならば人違いだろうと思うところだが、カラントの明らかな動揺が皆に猜疑心を抱かせていた。
「マミアリアさん。こちらはカント様ではなくカラント様ですよ。人違いでは?」
皆の心の声を代弁してスフィアがマミアリアに質問するが、マミアリア首を横に振る。
「そんなはずありませんよ、お嬢様。わたしがお客様のお顔を間違えるはずないじゃないですか。前の仕事じゃ死活問題ですよ」
スフィアはもちろん、ガルツもマミアリアの前職を知っている。
しかし、周囲で聞き耳を立てている者たちは当然知らない。中途半端に伏せられた情報は、余計に興味をかき立てるスパイスにしかならないもの。
いつの間にか、騒がしかった歓談の声も半分程度になっていた。
カラントは居心地が悪そうに、しかし注目された状況では逃げるに逃げられず俯いている。彼の頭の中では今、このまま人違いで押し通すか、それとも適当な相づちを打ってさっさと会話を切り上げるか、どちらが得策か必死に計算されているのだろう。
――でも、残念。時間切れよ。
そこへ怖ず怖ずとした「失礼します」の声が掛けられた。
バルコニーで会った、カラントの友人達だ。
様子を窺うようにして近づいてくる彼らは、カラントを心配する素振りを見せていたが、瞳には立派に興味が滲んでいる。
貴族というものは噂好きだ。特に王都の貴族というものは、噂を娯楽の一つに数えているくらいだ。
――だから以前、赤髪が男遊びをしているって噂が広まることになったんだもの。
スフィアは「どうされました?」などと涼しい顔で聞きながら、腹の中では面白いことになったとほくそ笑む。
「スフィア嬢と同じくとても美しい赤髪のご令嬢。失礼ですが、カラント卿とお知り合いのようですが、どちらで?」
「あら、わたしは令嬢でもなんでもなくて、ただのメイドですよ」
「だったら尚更、どちらでカラントと……」
友人達は興味津々とばかりに目を丸くしており、さすがにこのままではまずいと悟ったカラントがいち早く会話を遮ろうとする。
「も、もういいだろ!? ほら、さっさと戻れ――」
が、さらにカラントの言葉も遮られてしまう。
「娼館ですよ」
マミアリアの簡潔かつ単純明快な言葉によって。
しっかりとマミアリアの声は周囲にも聞こえており、一種の空隙のあと、ざわりとした動揺が波状になって沸き起こる。
確かに、貴族の中には娼館通いしている者もいる。だがそれは、公にすべきことではなく密かに行われることであり、公の場で娼館通いをばらされるなど恥でしかない。
「え……まさか、カラント卿が言っていた『赤髪を抱いた』って……スフィア嬢じゃなくて……」
友人達の言葉に、カッ、とカラントの顔がスフィアとマミアリアの髪色に負けないくらいに赤くなった。
「え、赤髪を抱いた……? もしかして、私がカラント様とそのような行為をしたと、皆様は思われていたのですか!?」
心外だとばかりに、発言した男に詰め寄るスフィア。
「え、いや、あの……カラント卿がそう言って……」
「そんな……酷いです……っ! 婚前交渉をした女と思われていただなんて……カラント様とは今日初めてお会いした上に、私にはお付き合いしている方も別にいますのに……」
エメラルド色の大きな瞳を潤ませ、カラントの友人達に非を訴えるスフィア。声は絞り出したように震えており、華奢な身体をさらに縮こませて哀切を全身で訴える。
「とても悲しいですわーーーーーっ!」
ダメ押しに言葉でも訴えた。
わっと顔を覆ってしまったスフィアを、カラントの友人達は同情の眼差しで見つめ、そして、カラントには軽蔑の目を向けた。
真っ赤だったカラントの顔色は、今や青を通り越して白い。
――でも、まだ許してあげないわよ。
赤髪を抱いたなどという、わざと誤認させるようなことを言った上、大したことなかったという無駄な侮辱までしてくれた罪と、アルティナを下衆な思考で選ぼうとした罪。
その応報として、彼がちょっと恥をかいたくらいではまだ物足りない。
――そろそろ来るかしらね。
などと思っていれば、しかしそこへ現れたのはスフィアも予想していなかった人物。
「あら、何が悲しいのかしら?」




