15 見事、一本釣り~!
宣言通りガルツとのダンスを終えると、スフィアは次にグレイとホール中央で踊る。
「王子を三番手にする令嬢なんて、この世に君くらいだろうね、スフィア」
「踊れるだけで僥倖だと思ってください」
「はは! 僥倖ときたか」
「無駄口を叩かず、全力で踊ってくださいませ、グレイ様」
ブリックと踊ったときよりも周囲の視線は多かった。やはり、相手がグレイというところが大きいのだろう。
「もしかして、他の令嬢方に自慢したいのかな? 俺に愛されてるって」
グレイの手が、グッとスフィアの腰を引き寄せれば、スフィアの上体は弓なりになり、グレイが沿うように覆い被さる。
思わず目をパチパチと瞬かせたスフィアだが、すぐに口元に深い弧を描き艶然と笑う。
「ええ、羨まれるくらい見せつけてください。私があなたの特別だって」
今度はグレイの方が顔をキョトンとさせ、苦笑と共にスフィアを引き戻した。
「本当……君は悪い顔がよく似合うもんだ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
「まあ、愛しい人のお願い事なら仕方ないか。それに役得だ」
グレイは肩を揺らして笑い、スフィアの要望通り一段と距離を近くし、スフィアにだけ視線を注いだ。
――ねえ、見てるかしら?
スフィアは、人だかりの中から目的の人物を探す。金髪を背中で一つに結ったどこぞのボンクラ子息。
多くの者たちが今、王子と目を惹く赤髪の令嬢とのダンスに夢中になっていた。そこには、まるでロマンス小説の挿絵のような完璧な美しさがあり、誰もが二人の関係性に興味の会話を交わしていた。
その多くの中から、スフィアはお目当ての人物の視線を拾う。
――ねえ、気になるでしょう? カラント。
カラントから向けられた視線は、バルコニーで向けられた無関心なものではなく、意外だとばかりの驚きに満ちたものだった。
端的に言うならば、スフィアに向ける目の色が変わった。
しかし、まだ熱烈とまではいかない。
「……もう少しかしら」
「何が少しなんだい」
ぼそりと独り言を呟いたつもりだったが、どうやら普段よりも距離が近いせいでグレイの耳にまで届いてしまったようだ。しかし、ここで今更慌てる間柄でもない。彼は既にパンサスでの件や、恐らくその他のことも知られているのだろうし。
スフィアはニンマリと笑み、グレイを試すことにした。
「グレイ様、一つ問題です。家格も権力も財力も美貌も私より上のアルティナお姉様ですが」
「正直、俺は美貌についてはスフィアのほうが――」
「お黙り」とスフィアは間髪容れずグレイの発現を即断する。
「私よりも全て上のお姉様ですが、一つだけ、私のほうが有利なものがあります」
「ええ……? 美貌じゃないとなると……環境はやはりアルティナのほうが上だろうし……学院の成績もアルティナのほうが上みたいだし」
「なぜ学院の成績をグレイ様が知っているんです」
何を調べているのか。もっと有意義なことを調べてほしいものである。
「ふふ、レイランド家に生まれて良かったですわ」
カラントのほしいものを考えれば、最適解はアルティナではなく自分のはずだ。
スフィアは、まだ難しい顔をして考えているグレイに「顔」と表情を指摘する。
「最後まで存分に王子様らしくいてくださいな」
グレイは小さく噴き出した後、「お任せください、姫」と顔に外交用の仮面をかぶる。
「それとグレイ様。ダンスが終わったら――」
耳打ちした内容に、グレイは「穏便に……いけば御の字だな」と宙空を見つめ、表情を引きつらせていた。
ダンスが終わりグレイと離れたところで、スフィアは背中に視線を感じた。
視線の主を見やれば、カラントがこちらを見ていた。
仲間内で何か話しているようだが、チラチラとスフィアを気にしている。さすがに節操なしに声をかける男でも、一度袖にした女性に声をかけるのは憚られるのだろう。
――いいわよ、カラント。チャンスをあげる。
スフィアは、よそ行きの極上の笑みをカラントに送った。
離れてはいたが、カラントの生唾を飲む様子がはっきりと見て取れた。音まで聞こえてきそうなほどだ。
――欲しいわよね、王子とも三大公爵家令息とも繋がる人脈が。気になるわよね、彼らととても親密そうな私が。権力が大好きなあなたですもの、これは放っておけないわよね。
カラントのつま先がスフィアの方を向く。そのまま彼は、スフィアの目配せに引き寄せられるようにしてやってきた。
「やはり君は目立つね。ホールでも一際皆の目を奪っていたよ」
「まあ、お上手。カラント様ったら」
スフィアは頬に手を添え、柔らかい声でカラントにしなを作る。
「それにしても、錚々たる御仁と親交があるんだな。田舎者の私でも相手が誰だか分かったよ」
カラントはその『相手』を探すように、周囲をぐるりと見回していた。しかしあいにくだが、彼の探している者達は今ホールにはいない。
「ええ、昔からの知り合いでとても良くしていただいてます。それに、私自身今後のためにも、彼らのような方々とは、しっかりとお付き合いを重ねませんと」
「今後のため?」
頬に添えた手をそのままに、スフィアは表情を一変させ気鬱なため息を吐いた。大輪の花がしおれる様は、それだけでも色気に通じるものがある。
「もしかすると、私が家を継ぐ可能性もありますから。家のためにも、社交はしておくべきですものね」
「え」と声こそ出てはいなかったものの、口はその形に開き、カラントの目の輝きは増した。
美貌と金、そして権力。条件ではカラントが声をかける女性に合致した。
だが、まだまだだ。
条件面が同じでも、大公家と侯爵家という爵位の差がある。カラントには、アルティナよりも自分を欲しいと思わせる必要があるのだ。
「スフィア嬢は確か、お兄さんがいたと伺っていたが……」
「それが、兄にはやりたいことがあるようで。家督は継げないと近頃言うようになりまして」
「へぇ……ではスフィア嬢がレイランド侯爵位を継ぐと……」
『侯爵家』ではなく『侯爵位』と言うあたり、大した欲が滲み出ているが、まだ値踏みされている感は否めない。
だから、スフィアはとっておきを投下する。
「いえいえ、爵位は私ではなく、私の伴侶となる方に継いでいただくつもりですわ」
「え……」
今度は口の形に伴って声が出たようだ。
さすがにこれは、驚きを留めておけなかったのだろう。
「は、伴侶に爵位? いや、そんなことはできないはずだが……」
「普通は、です。でも私の家は守護爵家。他の守護爵家も同じかは分かりませんが、うちは爵位を血外にも移譲できるのですよ。なんでも、戦時の指揮系統の混乱を防ぐためだとか。ほら、守護爵家は他の領地と違って、そのような可能性が高いですから。女の私は戦場にはいけませんし、でしたら侯爵がもつ権力は夫へと移した方が効率的ということらしいです。事実、父は入り婿ですが侯爵ですし」
唯一、スフィアがアルティナを上回るもの。
それは、『スフィアと結婚すれば爵位を継げる』ということ。
アルティナと結婚しても、カラントに与えられるのは『ウェスターリ大公の夫君』という肩書き。大公家には入れても、爵位に基づく権力を彼が一人で動かすにははばかりが多い。
それに対し、スフィアと結婚すれば『侯爵位』が手に入るのだ。
――ことさら実家よりも上を狙っていたあなたよ。どちらの方が重要か、考えるまでもないわよね。
かくして、スフィアの狙いは見事的中。
「スフィア嬢、よければこの後話さないか。二人きりで」
カラントの瞳には、かつてないほどの熱が宿っていた。これがバルコニーで『さっさと戻れ』と言わんばかりの態度をしていた男と同一人物なのか。あまりの露骨な態度の変化に、思わずスフィアも笑ってしまう。
それを好意の笑みと捉えたのか。
カラントがズイとスフィアとの距離を縮めた瞬間。
「まあ! お久しぶりですわ、カント様!」
よく通るカナリヤの声は、ホール中の視線をかっさらった。




