14 やはりダンスは楽しいですね
「ほら見てよ、スフィア。あの二人、鬼の形相でこっちを見てるって。舞踏会でしていい顔じゃないよ、あれ……」
「ふふ、彼氏と王子を差し置いて、私と踊れることを光栄に思ってくださいね」
のびやかで優雅な音楽が流れるホールで、スフィアとブリックは手を重ね、くるくると軽やかに踊る。
「あーあ、これでまた、僕に彼女ができるのが遠ざかったわけか……」
先ほどまで申し込み全てを拒絶していた令嬢が、突然一人の青年の手を引いて踊り始めたものだから、男女問わず周囲の視線をいやというほど集めていた。
その中でも特異なものが二つ。
人目が無ければ、今にでも飛びかかってきそうなグレイとガルツのジリジリとした視線に、ブリックは深いため息を吐く。
ブリックは、ダンスが終わった後の自分の命運が不憫でならないと、うっすら目尻に涙をにじませていた。それでもステップを乱さないのは、さすがは伯爵家令息といったところか。
「で、僕は何をすればいいのかな?」
ダンスの最中に交わすものとしては、いささか不自然な言葉。だが、スフィアは「あらっ」と、至極嬉しそうに相好を崩した。
「ただのダンスの申し込みではご不満でした?」
「君とは浅い付き合いじゃないんだ。単純な理由で誘われたなんて思ってないよ」
スフィアはクスクスと笑いながら、ブリックに手を取られ大きくターンして再び彼の腕の中に収まる。
「それと、本当にただのダンスの申し込みだった場合、僕は今すぐに逃げる。二匹の鬼に八つ裂きにされたくはないからね」
「まあ、私にパートナーに逃げられたという恥をかかせるのですか。それはそれは……」
「わあ、三匹だった」
吐血しそう、とブリックは青ざめた顔で笑っていた。
「大丈夫ですよ、ただの申し込みではありませんから」
良かったという安堵と、やっぱりという呆れ半々の表情でスフィアを見下ろすブリックであったが、次にスフィアが「西部子爵家、次男、カラント」と合い言葉のようなことを言えば、途端に表情を引き締める。
しばらく目線を落とし、思案に潜るブリック。
その間もそつなくダンスは続けら、スフィアは踊りながら彼の口が開くのを待った。
そうして周囲を見渡し、彼の姿を見つけるとようやくブリックの口が開く。
「カラント=デュラス。西部にある小都市カスラの領主デュラス子爵家の次男。長男のネーゼ=デュラスは温厚で控えめな性格、既に結婚して後継問題もない。領地管理も上手く、よそからはデュラス家は安泰だなんて言われてるけど、そのデュラス家はカラントに頭を抱えている状況なんだ」
「大言壮語の癖があるとか……」
「まあ、そんな感じ。よくある次男っていう立場に鬱屈して育って、性格がひねくれたみたい」
「次男はたいていの場合、家督は継げませんからね」
しかも、長男がそれほど評判が良かったら、次男のカラントを後継にという声はまず上がらないだろう。
「今、彼は十八で、去年社交界デビューしたんだけど、そこでも少しやらかしてしまったらしく……。きっとデュラス子爵とネーゼ卿は、今回の舞踏会に出すのも嫌だったと思うよ」
そのような重要な場で一体何をしたかと聞けば、カラントはアルティナのように、家の跡継ぎとなる令嬢達に声を掛けまくっていたのだとか。確かに、女性へは男性から声を掛けるものである。一種のマナーですらある。
しかし、そこで顰しゅくをかうということは、よほど節操なしに声を掛けたのだろう。
「しかも、上位貴族ばっかりだったとか」
「あぁ」と、スフィアは納得の声を漏らした。
アルティナを狙おうとする男だ。まあ、そのくらいは想定内である。
それにしても、余程権力がほしいようだ。しかも上位貴族ということは、実家より上でないと気が済まないということか。まあ、彼のプライドの高さを考えると頷ける話ではある。
「あと、女癖が悪いっていう話」
「これだからクソイケメン様は……」とブリックが荒んでいた。闇が深い。
「だ、大丈夫ですよ。ブリックもイケメンですよ」
「はは、ありがとう」
お世辞と思ったのか、ブリックは力のない笑みを寄越した。
――本当にイケメンなのに……同じ《《攻略対象》》なんだし。
そう、カラント=デュラスは間違いなく攻略対象だった。
最初一目見たくらいでは思い出せなかったが、話している内に確信した。あの女を下に見るような、でも一応は紳士然とした話し方。ゲームの中でヒロインが出会った当初の彼がこんな感じだった。
――アルティナお姉様のスチルがほしくて、その他のなんざ倍速だったもの。確か、『100恋Ⅲ』あたりで出てきたキャラよね。
本来のストーリーだと、ヒロインとの交流を通して性格もイケメンにして結ばれる、という流れなのだが。
――残念ながら性格矯正はしてあげないわよ。
むしろ存分に利用していく方向で。
「それにしてもさすがブリックですね。地方の貴族のしかも次男のことを聞かれて、これほど詳細な情報をすぐに出せるだなんて」
ブリックは、誇らしげにふんと鼻を鳴らすと胸を張ってみせる。
「貴上院に入って、僕の交流範囲も格段に広がったからね。それに――」
「貧乏貴族は情報が命」――と、ブリックの声にスフィアが重ねれば、ブリックは「そうだよ」と眉を垂らして、おかしくて堪らないといった様子で笑った。
◆
一旦外に出てホールへと戻ってくれば、入り口でガルツが待っていた。
「外に行ってたのか?」
「ええ、少し肌寒くなってきたので。マミアリアさんにショールを貰いに」
「……本当に侍女にしたんだな」
過去の記憶が蘇ったのだろう。ガルツの眉間に深い溝ができる。
「あら、とても良い方ですよ。あと、気も合いますし」
「今の一言で、すっごい不安になったわ」
ガルツは顔を覆い、空に向かってわざとらしく大きなため息を吐いた。そんなに憂慮することだろうか。
「生き方をそれしか知らなかっただけで、他に方法を与えれば、彼女は真面目に取り組みますし、色々な人と関わってきたからか、とても察しが良いんですよ」
「別に嫌ってるわけじゃないけどよ……ただ、お前に妙な入れ知恵をしないかが心配なんだよ」
「…………」
手遅れである。
しれっと視線を水平移動させれば、気付いたガルツの瞼が重くなる。しかし、ガルツは湿った目を向けただけで何も言わなかった。いや、目は煩かったが。
「まあ、お前の無茶は、もう承知の上だよ」
ガルツは言いたいことを頭から追い出すようにくしゃりと前髪を乱すと、スフィアへと手を差し出した。スフィアがブリックに差し出したときとは反対に、掌を上向けて。
「ブリックとは踊って、俺と踊らないってことはないだろう?」
「当然ですよ」
スフィアがガルツの手に自分の手を重ねれば、たちまち彼は顔を輝かせ、満足だとばかりに顎を上向け意気揚々となる。
「ちなみに、その後はグレイ様とも踊る予定です」
が、一瞬にしてガルツのテンションは地に落ちた。
「……お前、今度は何を企んでんだよ」
「いやですねぇ。別に、企んでなんかいませんよ」
「はぁ……もう何でもいいわ」
ガルツに手を引かれ、スフィアは再びホールへと戻った。
「ああ、そうそう。ブリックはどうしました? 鬼に八つ裂きにされるとか言ってましたが」
ガルツが「ん」と顎先でホールの一角を示す。そこにはグレイとブリックの姿が。
「それで、ブリック卿。君はスフィアの何なのかな?」
「ひぃぃッ、ででで、ですからただの友人でぇ……っふぇ……」
詰められていた。
スフィアはブリックに向かって静かに掌を立てた。




