13 出番ですよ、子分
実に妙な空気であった。
男達は、目の前の二人を傍観しながらひそひそと囁き合う。
「なあ、これどういう状況だ?」
「スフィア嬢がカラント卿を追いかけてるって感じかねえ?」
「実は僕、ちょっとだけカラント卿の与太話かと思ってたけど、本当だったんだね。実はカラント卿って凄い奴?」
男四人に、女が一人。
しかも女はとびきりの美女で、社交界でもデビュタントを今か今かと待ち望まれている赤髪のご令嬢である。
本来ならば、彼女を取り囲んで歓談に花が咲く場面なのだろうが……。
何の縁か、いや何の罰か――その美女は今、「彼女を抱いたが大したことなかった」とのたまった男の隣で笑っているのだから、見ている側は気まずいというもの。
「ふふ、カラント様ったら……本当に面白いですわ」
「はは、喜んでもらえてなにより。それよりスフィア嬢、そろそろホールへ戻らなくて良いのかい。見応えのある花が消えてしまって、ホールにいる男達はさぞ肩を落としているだろうさ」
「まあ、そんなつれないことを仰らないで」
こちらの気も知らず、よく談笑など交わせるな、と男達は引きつった笑みを浮かべて眺めていた。
「あのスフィア嬢が嬉々として会話しているよ……さっきまで男達の申し込みを全て一蹴していた彼女が……」
「あれ? でも確かレイランドのご令嬢って、アントー」
「しっ! これだけ綺麗な花なんだから、寄ってくる蜂もさぞかしだろ。その一匹二匹に蜜を分け与えるくらい、きっと彼女にとっちゃ慈悲みたいなもんなんだよ」
三人は危ないことは言わないに限ると目でうなずきあった。
◆
――カラント……ねえ?
ふうん、とスフィアは顔には出さず、腹の中で面白くなさそうに目を眇めた。
――顔は良いのよねぇ、やっぱり。
背中に下がる艶のある金の細尾は、カラントの中性的な美しさをより引き立てている。きっと女に不自由はしないタイプだろう。こうして会話すると、彼のそつのなさがよく分かる。ただ……。
――私に興味がないってのも隠しきれてないのよね。
いや、隠す気が元からないのか。
先ほどの彼の友人達との会話を聞いていれば、女性選びにはどうやら彼なりの基準があるようだ。
――美貌と金はあっても権力がない私は、彼のお眼鏡にはかなわなかったようね……随分と強欲だこと。
確かに、金と権力を持つ女性で最上級と言えば、大公家の跡継ぎであるアルティナをおいて他にはいない。恐らく、国の大半の男達は、カラントと同じように思っているに違いない。
『アルティナ嬢と結婚すれば、全て手にできる』――と。
確かに。アルティナは全てを持っている。
黄金の麦畑が夕南風に一面を波打たせ、大海原のごとき雄大さをみせて人々に感銘を与えるように、彼女が麗しのブロンドを揺らして歩くだけで、人民は心を掴まれ地面に這いつくばって神の奇跡に感謝するし、海の底のような青い瞳を向けられた者は、彼女の虜になる。沼など甘い。トンガ海溝よりマリアナ海溝よりももっと罪深き深さのアルティナ海溝という底なしマントル直行不可避の愛の奴隷である。当然、容姿だけではない。彼女は王族血縁の他家を纏めるほど力を有した、この国唯一の大公家において、唯一の嫡子なのだから。爵位を継げば、王家に継ぐ権力を掌中に収めることとなる。
美貌も金も、そして権力にすらも、アルティナ=ウェスターリは万物に愛された女神なのだ。
――気持ちは分かるわ。とってもとっても分かるもの。アルティナお姉様とお近づきになりたいわよね! あの青い瞳に自分を映してほしいわよね! 微笑んでほしいわよね!!
カラントとの会話に、スフィアは淑やかに笑った。
――だが、お前は駄目だ。
カラントはアルティナを、アルティナに付随したものでしか見ていない。
口では柔らかい声音で「素敵ですね」と言いつつ、スフィアは腹の中で『下衆が』と舌打ちを繰り返す。
彼女の情の深さも、気高くあろうとする心も、責任感に姿勢を正す意気も読み取りもせず、表層のみを一撫でする男など、彼女に相応しくない。
もし、万が一カラントにアルティナが惚れて一緒になった後、カラントが自分ではなく環境を愛しただけだったのだと知ったら、彼女はどう思うだろうか。
自分の気持ちには素直な人だ。
きっと自分を責め、そしてカラントに怒りを叫び、でも愛は消せずに、叫ぶ度に自分の心にナイフを突き立てていくのだろう。
そうして最後は、ボロボロの姿で……。
――そんなこと……させるわけにはいかないのよ!
「では、私はそろそろホールに戻るとするよ。一応社交しないと、父達がうるさいものでね」
カラントはグラスを小さく上げ、立ち上がった。
「スフィア嬢はもうしばらくここで涼んでいくといい」
先ほどは、早くホールに戻れと言っていたのに。『お前が去らねば俺が去る』と言っているようなものだ。よほど、目的外の女に割く時間はないのだろう。
カラントが他の三人に目配せをすると、彼らも慌てたようにグラスで挨拶し、四人は足早にバルコニーから去って行った。
彼らがホールへと入っていく後ろ姿を、スフィアは身を捩ってソファの背もたれに頬杖をついて見送っていた。
ニンマリと口元に大きな弧を描いて。
「ああ、おかえり。スフィア」
ブリックは、目立つ赤色が自分の方へ向かってくるのに気付いて手を上げた。
「まったく、どこ行ってたんだよ。大変だったんだからね……あの二人。笑いながらバチバチ火花飛ばしちゃってさ。しかも二人とも公爵家令息と第三王子って身分だから、下手に誰も口を挟めなくて。ホールの端っこは火花散ってるのに極寒って意味分からない状況になってて、生きた心地しなかったよ」
問題の中心人物であるスフィアは、気付いたときにはいなくなっていたのだから堪ったものではない。彼らを止められるのは彼女しかいないというのに。
「――って、聞いてる? スフィア」と、ウンともスンとも返ってこない彼女に訝しく思い、声をあげようとした時だった。
ずいっとブリックの目の前に、白くたおやかな手が差し出された。
「えっ……なに? え……」
スフィアが差し出した手は、甲を上向け指先を垂らしたもの。それは握手でも、手を貸してくれ言っているのでもなかった。
ブリックは差し出された手とスフィアを、困惑した目で交互に見やる。
いくら女性関係が見事なほどクリーンなブリックでも、女性がこのように手を差し出す意味は知っている。
『手を取れ』だ。
ブリックの口端が引きつった。
「え……まさか、ぼ、僕と……」
しかも、舞踏会の場で『手を取れ』といったらやることは一つしかない。
「無理駄目! こんなのあの二人に見つかったら――!?」
胸の前で高速で手を振って、拒否の意思を見せるブリックだが。
「ブリック」
スフィアのその一言で、強引にねじ伏せられてしまう。
「さあ、踊りましょう」
ブリックは、『貴上院に行っても僕には拒否権がないんだな』と、我が身が目の前で艶然と微笑む彼女の子分であったことを思いだした。
「…………はい」




