12 一緒にお話しましょうね?
スフィアは聞こえてきたセリフに、石のように固まらざるを得なかった。
――き、聞き間違い……よね?
スフィアはそっと手すりから身を離し、バルコニーを伺う。すると、柱の陰になっていてよくは見えないが、奥の方に数人程度の人影が見えた。
「それ本当か!」
「大したことない女だったよ。皆が噂するからどんなものかと思えば……」
「やるなお前!」
「王都じゃ、まずお近づきになることすら難しいって令嬢だよ!?」
物音を立てないように、スフィアは男達の方へじりじりとにじり寄っていく。
男達は全員酒を手に持っており、ほてった身体を冷ましに外へと出てきた口だろう。全員頬が薄らと色づいている。
――それにしても、褒められた発言じゃないわね。
酒の席といえど、誰がいるか分からないこのような場で、女を抱いたなど口にして良いはずがない。ましてや、それが嘘ともなれば。
男達はスフィアに気付く様子もなく、内輪で楽しそうに盛り上がっている。
そのうちの一人――腰まではあるかという長い金髪を山鳥の尾のように一つに結わえた男が、先ほどの発言の主のようだ。
ソファにふんぞり返って一気にグラスをあおる姿は、実に自慢げだ。
他の男達は彼を羨望と好奇と、少しの疑いの目で見ている。まあ、それも与太話の楽しさの方が勝るのだろう。嬉々として会話を弾ませている。
――ん~~……。
柱の陰に身を潜めつつ、スフィアは男達の姿をつぶさに観察する。
しかし、やはりというかソファの男も、それを囲むように立っている男達も、誰一人としてスフィアの記憶の中にはいない。
――やっぱり、会ったことないわよね。
たとえ、会っていたとしても、このような令嬢の品格を貶めるようなホラは許されたものではないが。
今なお、ソファの男達は「赤髪」「赤髪」と繰り返している。
――まあ、幸いにもバルコニーには彼らと私しかいないし。お酒で気が大きくなって言っているだけでしょうから、このまま放置してもさして問題はないわね。
大したことない女呼ばわりされたのは正直癪だが、酒の席で、ごく僅かな友人にしか虚勢をはれない男など相手してもつまらない。
――私も大人になったものねぇ。昔の私だったら、間髪容れず喧嘩をふっかけに行ってたわよ。
間髪容れずに喧嘩を仕掛けた結果、パンサス領のとある家の資産が半分ほど灰になった。
――私が大人になったことを感謝なさい、そこの金髪虚言癖野郎。
それと、このような父や兄までいる大人数の場で騒ぎは起こしたくない。
ただでさえ、怒濤のダンス申し込みラッシュで疲れているのに、これ以上の面倒事はごめんだ。
――はあ……これ以上ここにいても不愉快なだけだし、ホールにもどりましょう。
スフィアは、音を立てないようにホールへのガラス戸をゆっくりと開く。
「――まあでも、やっぱり狙うなら大公家令嬢だよな」
ピタリとスフィアの手が止まる。
目を向ければ、発言者はやはりソファの男。
「どんなに綺麗な令嬢でも、家を継げないんじゃ意味がない」
「ははっ! 逆玉狙いってか」
あけすけな男の言い方に、面白がって他の男達も騒ぎ立てている。
「当然だろう。俺はしがない地方子爵家の次男だぜ? 先なんか見えてる。お高くとまったご令嬢をいただいても余計な金がかかるだけだ。それなら、家を継ぐ令嬢を狙って婿入りって手段が正解だろう」
「だからって、ウェスターリ大公令嬢を狙うかあ?」
「金と権力のない女に興味は無いね……遊びは別として」
「アハハ! 下っ衆いねえ!!」
バルコニーは男達の下品な笑いであふれかえっていた。
スフィアは途中まで開いていたガラス戸を、《《後ろ手》》に閉めた。
わざと、バタンと大きな音を立てて。
途端、ピタリと男達の笑い声はやんだ。全員が警戒したように口をつぐみ、一斉に闖入者へと顔を向ける。
「あら、先客がいらしたのですね」
スフィアは、今来ましたとばかりに、向けられた視線に驚きを返す。
「お話を邪魔してしまったのなら、申し訳ありませんわ」
緊張の強張っていた男達の顔から、力が抜けていくのが分かった。スフィアが今来たばかりと知って、安堵したのだろう。
さすがに、先ほどまで下世話な話の中心に置いていた令嬢に現れられては気まずいのか、男達の空気はどこかよそよそしい。
立っている男達はソファの男に目配せをしていた。
もしかしたら、『抱いた女が押しかけてきたぞ』『ここから修羅場か』などと思っているのかもしれない。
「スフィア=レイランドと申します」
ソファの男が、皆の視線に促されゆっくりとこちらを向いた。そこで初めてスフィアは男の顔をはっきりと見た。
「よろしければ、私も皆様のお話にまぜてもらっても?」
スフィアは、令嬢として完璧な身のこなしで笑みを湛えた。




