11 はぁ!?
――これだから、春の舞踏会なんてきたくなかったのよ。
ずっと同じ断りのセリフを言いながら、令嬢らしい楚々とした笑みを作り続けたスフィアの顔面は痙攣し始めていた。明日の顔面筋肉痛は決定である。
親しい者だけを集めて行われるちょっとしたパーティーと違って、春の舞踏会は公的行事ということで、国中から多くの貴族が押し寄せる。
――ジークハルト兄様からの命令じゃなければ、絶対に出なかったのに。
「せめて、アルティナお姉様がいたら良かったのに」
スフィアは寂しげにホールへと視線を向けた。
ホールにはアルティナの学友令嬢の姿があった。しかし、アルティナの姿はどこにも見当たらない。あのゴージャスが擬人化したような彼女がホールにいれば、すぐ見つけられるはずだというのに。スフィアのアルティナセンサーもまるで反応しない。
「まだ来られてないのかしら……体調を崩されたとかじゃないと良いけれど」
頭の中をアルティナでいっぱいにしつつ、スフィアはとめどなくダンスを申し込んでくる男達を「ごめんあそばせ」で一蹴し続けた。
そんな折り、突如中央の方の空気が変わった。動揺がホールの端にいるスフィア達まで伝わってくる。
ざわりと空気が揺らぐ。
「やあ、スフィア」
モーセの海割りの如く、動揺と人だかりを割りながら近づいてくる眉目秀麗な男に、スフィアは笑みを貼り付けたまま「げ」と声を漏らしてしまった。
スフィアの周囲に張り付いていた男達は、近づいてきた男――グレイを見ると、蜘蛛の子を散らすようにいそいそといなくなってしまう。
これは大変ありがたいが、現れた男は、蜘蛛の子達が束になっても敵わないほど厄介な相手なのだから、どちらの方が良かったのか悩むところだ。
「ご挨拶申し上げます、グレイ殿下」
公的な場ということで、一線を引いた丁寧な挨拶をするスフィア。
「私と君の仲だ、楽にしてくれ。いつも通り呼んでくれていいよ」
「……感謝いたします、グレイ様」
しかし、せっかく引いた線をさらりとなかったことにされた。しかも、スフィアとグレイの幼馴染みという関係性を知らない者が聞いたら、勘違いしそうなことまで言う始末。
相変わらず、この王子は一筋縄ではいかない。
「ああ、そうです。グレイ様、アルティナお姉様のお姿が見えませんが、何かご存じありませんか?」
「アルティナ? 欠席するという報せは来てないから、単純に遅れているだけじゃないか。どうせ新しくおろすドレスで迷ってるんだろう」
「はぅあッ!」
「どうした、スフィア!?」
突如、胸を押さえて苦しみだしたスフィアを、切迫した顔で抱き留めるグレイ。
胸を鷲掴むように押さえ、浅い息を吐いて腰を折るスフィアは、どこからどう見ても苦しそうだ。
「――ッ……ス……」
「なんだ!?」
「ッアルティナお姉様の……新作ドレス……ッ!」
「……どんな時でも君はブレないな」
安心したような呆れたような微妙な面持ちでスフィアを眺めるグレイであった。
しかしすぐに気を取り直すと、グレイは王子の名に恥じぬ煌めかしい笑みで、スフィアに手を差し出す。
「さて、それではスフィア嬢。どうか私と一曲踊って――」
「申し訳ありませんが」
グレイの言葉を遮ったのは、スフィアではなく男の声。
「ここは私に先を譲ってくくださいませんか、殿下」
背後からスフィアの肩をぐいと引き寄せたガルツに、スフィアは目を丸くして見上げる。
「彼女の恋人なんですよ、私」
朗らかに笑んでいるが、目の奥には明らかに朗らかさとはかけ離れた感情が見え隠れしている。
「まあ、来てたんですか、ガルツ。お久しぶりです」
「恋人というわりには、彼女さんの挨拶が随分と素っ気ないが? ガルツ卿」
「長年一緒の時間を過ごしてきたので、今更歯が浮くような挨拶はしないのですよ。私達は」
「はは、そうかそうか」
スフィアを間に挟んだまま、頭上で繰り広げられる威圧合戦。
正統派イケメンと、やんちゃ系イケメンに奪い合われるというのは、どこの令嬢でも喉から手が出るほどに羨ましい光景だろう。
つい『私を巡って争わないで!』と酔ったセリフを吐きたくなるこの場面。しかし、当然スフィアは酔うわけもなく。
――うん。めんどくさいわね。
何やらまだ頭上で、慇懃無礼な言い合いが続いている。
――私はアルティナお姉様を見に来たのであって、こういった面倒なことが起きるのは勘弁なのよね。
スフィアはそろりとガルツとグレイの間から抜け出すと、二人を置いて密かにホールを出た。
ホールの東西には広めのバルコニーが設えてある。ソファや小さなテーブルなども置かれ、ちょっと休憩するにはちょうど良い場所だ。
その中で、スフィアは人気の少なさそうな西側へと向かう。
ホールは香水や人の熱気で暑くなっていたようで、外に出ると一気に肌がすーっと冷める。春とは言え、肌を撫でる風はまだ冷たさが滲んでいる。
「しまった。ショールでも持ってくれば良かったわ。馬車に乗せてなかったかしら」
一緒に来たマミアリアに聞いてみようかと思ったが、そういえば彼女は今、狩りの途中だったことを思い出す。
「狩りの邪魔はすべきじゃないわよね」
いつものメイド服ではなくドレスを纏った彼女は、きっとテンション高めに狩りを楽しんでいることだろう。
彼女の纏うドレスはスフィアと比べると大分質素なのだが、それでも初めて着るドレスは余程嬉しかったのか、何度も鏡を覗き込んでは頬を緩めていた。
「でも、熱くなった肌にはちょうど良いかもね」
スフィアはバルコニーの手すりに手をかけ、「んん」と頭をそらし伸びる。
バルコニーに来て正解だった。
皆、ホールでの社交という出会いに夢中で、こんな寂しげな場所に目すら向けようとしない。
せいぜい出てくるのは、酒を飲み過ぎた者が酔い覚ましに、という程度だ。
「ちょうどいいわ。お姉様が来るまでここに隠れていましょ」
昼とも夕方ともつかない合間の時間は、一息吐くのにちょうど良いゆったりとした空気が流れている。
「そういえば、兄様はなんで今回は出るように言ったのかしら?」
舞踏会には父のローレイとジークハルトも一緒に来ているが、二人は自分とは違いしっかりとレイランド家のための社交をこなしていた。
貴上院生になったことだし、てっきりそういった相手に紹介も含めた挨拶を手伝わされるのかと思いきやそういったことはない。二人とも、自由に楽しんでおいでとスフィアを早々に解放した。
ありがたくはあるが、目的がさっぱり分からない。
「まずは社交慣れしておきなさいってことかしらね」
スフィアはくるりと身を反転させ、手すりに背中を預けた。
「どうやらお姉様も来るみたいだし、お姉様のドレスを堪能してしっかりと脳内に焼き付けたら帰ろうかしら。それまでは、ここでこうしてのんびりと……」
穏やかな風に身も心もすっかりと緊張を解いたときだった。
「ああ、赤髪なら俺が抱いたよ」
耳を疑いたくなるよな会話が聞こえてきたのは。
――っっっっっはぁ!?




