9 え、舞踏会ですか?
さて、早速攻略キャラ一人対処できたし、このアルティナとのハッピースクールライフも良い滑り出しだ。
「ってことで、お姉様。褒めてください」
「何を?」
左腕に絡みつくタコをそのままに、アルティナは次の授業へと向かっていた。
「すみません、アルティナ様」
「もう諦めたわ。あなたも大変ね」
強制的にスフィアに付き合うことになったリシュリーが申し訳なそうに謝れば、アルティナが同情の目を向ける。なぜだ。というかなぜリシュリーは謝ったのか。この状況に何も間違いはないというのに。
「そういえばお姉様。お姉様の学年にいた留学生が学園を去ったのはご存じでしたか?」
「あら、そうなの?」
周囲の学友に「本当?」と目を向けるアルティナ。
失礼な。
「私、お姉様には本当のことしか言いませんよ! 地の果てまでゾッコンラヴです、お姉様!」
「嘘を吐いていてほしかったわ」
「冷たいところがまた素敵です、氷の女皇様!」
「勝手に祭り上げるのが好きね、あなた……」
「すみません、アルティナ様」とリシュリーがまたも頭を下げれば、分かったようにアルティナも「大変ね」とだけ彼女の肩を叩いていた。
近頃、アルティナはスフィアの突拍子ない行動にも溜め息をつくただけで、「何をしてるの!」などと声を荒げることもなくなってきた。
毎日毎日遭遇する度に絡みつかれ告白されていれば、今更どやす気にもなれないのだろう。
――ハッ! もしかするとその玉声を奏でる声帯を守っているとか!
「意識が高くて尊敬します、お姉様」
「また脳内飛躍したのね」
周囲の学友達ももうスフィアの突撃には慣れたのか、以前のように狼狽えるようなことはしない。
いや、恐らくアルティナの『気にしたら負け』という言葉を忠実に守っているのだろう。彼女達にとってスフィアは、気にしだしたら不眠症になるレベルで謎の生物であろうし。
「ええっと、アルティナ嬢。確か先週くらいに、フラウ王国からの留学生であるイーロイ様が学園をやめられたとか」
「ああ、そうそう。それでとても教師の方々が惜しんでいましたよね。彼、とても優秀な方でしたから」
「イーロイ様……って、ああ! あの褐色肌がエキゾチックな!」
学友達からの情報で、どの留学生が分かったのだろう。
学友達と彼についてあーだこーだと会話を弾ませている。よくある令嬢達の井戸端会議なのだが、しかし、「エキゾチックな」と言った時、アルティナの声音がオクターブ上がったのを、スフィアは聞き逃さなかった。
「……アルティナお姉様……まさか、イーロイ先輩のことを好きだとか……」
じっとりとした目で見るスフィア。
「……まあ確かに……ちょっと、か、格好いい方だなとか……思わなかったことも……」
――こーの! 恋多き女め!!
だがそこが良い。
――それにしても良かったわ。完全に惚れ込む前に引き離せて。
彼女が盲目的に恋をしていれば、今頃フラウ王国に行く算段をつけていただろうし。なんとか間に合った。
「それはそうと、今度の王宮舞踏会だけど、あなた達は行くの?」
アルティナの言う今度の王宮舞踏会とは、春に行われる規模の大きい社交パーティのことだ。
数年前に、どこぞの第三王子からの招待状を即火中した例のパーティである。
「私達は来年にデビュタントを控えているから、こういった儀礼的なのは行くようにしてるのだけれど、スフィアは春の舞踏会には一度も来たことがなかったでしょう?」
私達というアルティナの言葉に、学友達が楽しみねと会話に花を咲かせ始める。
「ええ、まあ……だって面倒臭いですし……」
第三王子も面倒だが、問題はその他のたかってくる虫だ。
小さなパーティの席でも、必ず好奇と好意の目を向けられてきたのだ。それが大規模になると思うと気が滅入ってくる。
「あたしはその日、家の用事がありまして残念ながら行けないんですよね」
「え、リシュリーずるいです」
「ずるいって……スフィアも出なきゃ良いじゃないの」
「それはそうなんですが……」
実は、ジークハルトから今度の舞踏会には出るようにと言われていた。
――あの狂気的シスコンが、どうして急に……。
こんなことは初めてだ。
今まではアルティナ会いたさに、スフィアから頼んで連れて行ってもらうことはあったが、彼から男に群がられることが容易に想像される舞踏会へ行けと言われるのは初めてだった。
――何か変なものでも食べたのかしら? それとも、貴上院に上がったしシスコンも卒業なのかしら?
はたして、シスターコンプレックスに卒業するという概念が当てはまるのかは知らないが。
あと、マミアリアが舞踏会に連れて行け連れて行けとうるさいのだ。
メイドなのだから舞踏会に出ることはできないと言っても、それでも行きたいという。
『そんなの、王宮に入ってしまえばこっちのものなんですよ。そこら辺を歩いてるウブな貴族の坊ちゃんを落とすのなんて、朝飯前……いいえ、起床前なんですよ』
言いたいことは分かるが、それまだ寝てる。何も行動できない。
「まあ、お姉様も行かれるのなら私も行きますが」
「不安だわ」
「不安ですよね」
アルティナとリシュリーに続き、学友達も控えめながら頷いていた。
「なにおう! 私もいっぱしの貴族令嬢なんですから、そつなく難なく舞踏会を完遂できますよ!」
全員に『不安』の太鼓判を押され、スフィアの中のしょうもない矜持に火が付いた。
「見ていてください! 当日はお姉様にも抱きつきませんし、鼻息荒くしませんし、変な声もあげません! レイランドの名のもと、おしとやかな侯爵令嬢としてすごしますから!」
「言ってることが当たり前のことなのよねえ」
「……頑張ってね、スフィア」
こうして、スフィアの王宮舞踏会へのかつてない意欲的参加が決定した。
◆◆◆
ウェスターリ大公家の庭にはたくさんの薔薇が植えてある。それは屋敷のご令嬢が愛してやまない花。
その屋敷のご令嬢ことアルティナが、色づき始めた蕾をそれぞれ愛おしそうに見つめていると、屋敷の方から呼ばれた。
「お嬢様、やはりこちらにおられたんですね」
アルティナを呼びながら小走りでやってきた青年は、使用人として入って日が浅いエノリアだ。
アルティナの胸の辺りまである薔薇の木々の中でも、彼の長身はひょろっと飛び出していて目立つ。
今のところ雇ってみて不満はない。
仕事の覚えも良いし、他の使用人達とも上手く溶け込んでいる。きっと彼の醸し出す朗らかな雰囲気のおかげだろう。
「どうしたの、エノリア?」
走ってきたからだろう、長めの紺色の髪が風でぐしゃりと乱れている。
アルティナがエノリアの前髪に手を伸ばし、さっさと手早く整えてやれば、彼は猫背気味の背中をさらに丸めて小さく会釈する。
「あの、メイドのリィアさんが、今度の王宮舞踏会で着ていくドレスを決めたいから戻ってきてほしいと探してまして」
「ああ、そうね。そういえば今日決めるって話だったわ。薔薇園にいるとうっかり時間を忘れちゃうのよね」
屋敷の方へ向かいだしたアルティナについて、エノリアも一歩後ろを歩く。
「ありがとう、知らせてくれて。エノリア」
「いえいえ。このお屋敷とお嬢様にお仕えするのが私の役目なので」
肩越しに振り返れば、いつも緩やかな笑みを描いている目元が、さらに弧を深くした。
「お嬢様、その王宮舞踏会というのは、どのような方々が来られるのですか? すみません、私ども平民にとってはまったく想像も付かない世界でして」
「あ、ああ。そうだったわね」
使用人服をきっちりと身に纏った今、見た目だけで言えばどこかの貴族令息といわれても納得してしまいそうな品の良さが彼にはあった。
だからこういったことを時折口にしないと、うっかり彼が平民だと言うことを忘れてしまいそうになる。
「今回のは儀礼的なのだから結構色々とくると思うわよ。王都周辺はもちろん、西や南からも来るから随分と華やかになるのよ」
「この間来られていた、ご友人のご令嬢もですか?」
ご友人、という言葉に『誰だっけ』と思ったと彼女が知ったら、きっとうるさいだろう。
仕方ない。なんだかんだ友人ではあるのだが、最近では彼女、第三者相手にも『妹です』と強調しているものだから、彼女の立ち位置に混乱をきたしているのだ。
正直に言えば、彼女の立ち位置は『未知』なのだ。
「レイランド侯爵令嬢ね。今までは出たことなかったけれど、今回は来るって話よ」
「そうですか」
「……なあに、あなた。スフィアに恋でもしたの?」
「あ、いえ……あの、特にそのようなことは……その……」
彼女の美貌はアルティナも認めるところだ。
学院でも彼女の噂はよく聞く。誰が声を掛けに行っただの、誰をふっただのと。
「やめときなさいな。彼女に近づくのなんて、蟻が戸棚のガラス戸を自力で開けるのより難しいわよ」
アルティナもスフィアに負けず劣らずに、声を掛けられてきた部類だ。
しかもアルティナの場合、スフィアと違って老若男女問わず。
だから、思ってもない多数に意識を向けられる苦労は、誰よりも分かるつもりだ。
「あなたにはうちで長く働いてもらいたいし、私の友人とどうかなって気まずくなるなんてやめてほしいもの」
「はは、分かってますよ。大丈夫です、そのような感情はありませんので」
「そう、それは良かったわ。じゃあ、呼びに来てくれてありがとう」
「恐れ入ります」
アルティナは微笑で礼を伝えると、ホールでエノリアと別れ自室へと入っていった。




