8 種明かし
「それでどうやったのよ、スフィアったら」
すっかり声かけどころか、イーロイ自体いなくなってしまった状況に、リシュリーは首を傾げて問うた。
「私は特に何もしてませんよ。ただ一冊の本を見せただけで」
「本?」
怪訝そうに語尾を上げるリシュリー。
「何か、イーロイ先輩が興味を示すような本でも見せたんですか?」
するりと会話に入ってきたカドーレは、リシュリーの肩を叩いて「少しずれてください」と言う。
スフィアとリシュリーが会話するたびに、隣にあるカドーレのロッカーは、必然的にいつも彼女の背もたれにされてしまう。忍びないが、カドーレは慣れたものとさほど気にしていない様子だった。
幼馴染みと言っていたが、力関係がはっきりと見て取れる。
カドーレは教科書を取ると、そのままスフィアとリシュリーの会話に加わる。
「どんな内容の本なんですか? わざわざ学院をやめてまで旅に出るなんて、相当な価値のあるものだとか」
「宝の地図かしら?」
「そうですねえ……」
スフィアは顎を指でなぞりながら、視線を宙へと向ける。
リシュリーとカドーレは興味津々に、スフィアの答えを待つ。
しかし次の瞬間、スフィアが満面の笑みで返した答えは二人を落胆させた。
「内緒です」
「えぇ~! 何それ、気になるわよ~」
「秘密にされると余計に知りたくなりますね」
二人から不平の声が上がる。
――だって、言っても分からないでしょうし。
しかし、スフィアはふふと笑ってそれ以上は口を閉ざした。
――日本語なんて。
彼が未知のものに並々ならぬ興味を持っていたことは、普段読むものや会話からビンビン伝わってきた。
だから、未知のものを用意したのが。
日本語で書かれた、この世界では絶対に解読できない特級未知物を。
わざわざ真っ白な本を買い、表紙は古めかしく加工し、そして中にはびっしりと日本語で書き記した。
アルティナへの愛を。
日に日に濃くなっていたクマの原因がこれだ。
毎夜毎夜、スフィアは本っぽく見えるように、アルティナへの愛を章立てで執筆していたのだ。
――それにしても、意外と覚えてるものね。
考えついたときは、漢字などまだ書けるか不安に思ったものだが、書き始めれば筆が進む進む。アルティナへの惜しみない美辞麗句賛美賞賛を見事日本語で書き上げた。
まさかイーロイも、古めかしい本の中身が、とある女性を讃えるためだけの布教本とは思うまい。
アルティナが知ったら『何てものを作成してるのよ!』と没取されただろうが、大丈夫だ。この世界の人間には絶対読めない代物なのだから。
――あ、でもお姉様にはどのくらい私が愛おしく思っているか、少しは知ってもらっても良かったもしれないわね。
全五十二章からなる、超弩級の告白本。
イーロイは今頃、アルティナ神教本を片手に大陸を練り歩くことになるのだろう。
スフィア以外に知る者はいない文字の手がかりを探し求めて。
「まったく、スフィアったら謎ばっかりね。まあ、そこがミステリアスで素敵なんだけど!」
「はぁ、やっとこれでクマから解放されます」
スフィアは天に向かって大きく背伸びをした。
今夜はゆっくりと寝られそうだ。
毎晩遅くまで灯りが付いているのを、マミアリアとジークハルトが心配していたところだ。
恐らく、あと一日完成が遅ければ、ジークハルトが強制的に寝かしつけに部屋に飛び込んできていただろう。
今朝マミアリアに、「もうそろそろ私の押さえだけでは突破されてしまいそうです」と言われた。
突破とは……。
一体ドアの外で、どのような攻防が繰り広げられていたのか。
「それにしても、まさか先輩を学院から追い出してしまうとは……やはり棘の薔薇姫は恐ろしいですね」
「あら心外ですね、カドーレ」
彼の未知のものを追い求める瞳を見れば、誰でもこの学院にとどまっている方が不幸だと思うだろう。
「私一人を知るより、きっと彼の人生は豊かなものになりますよ」
きっと本の内容が分からずとも、彼ならばその道中で様々な未知を見つけて目を輝かせるだろう。
もしかすると、そこで誰かと恋に落ちるかもしれない。
「彼には、もっと広い世界がお似合いですから」
――――フラウ王国からの交換留学生イーロイ・ラウラ 改変完了




