6 結局やることは変わらないんだから
「昼間は助けていただきありがとうございました、イーロイ先輩」
放課後、スフィアとイーロイは共に図書館にいた。
食堂でのことに再び感謝を述べれば、彼はいいよいいよと手を振った。
「言っただろう。僕も完全な善意のみじゃないからね」
「私にご興味が?」
イーロイは書架から次々と本を手に取り、近くの机へと運ぶ。
分厚い革表紙の本が、ドスンと重苦しい音を立てて机に積まれる。その一番上を、イーロイはぺんぺんと手で叩きながらスフィアに目を向けた。
「僕はさ、未知なことが大好きなんだ。興味をかき立てられて仕方がない」
「私が未知なこと……というわけですか?」
クスッとスフィアが悪戯っぽく微笑めば、イーロイも同じく揶揄うように肩をすくめる。
「ただの美しい女性というのであれば、ここまで気にはならなかっただろうけど。棘の薔薇姫ってのは、あまりにも洒落がききすぎた異名だなと思ってね」
それはスフィアが貴幼院の時代に言われていた異名。
「同じ貴幼院なら分かりますが、よくご存じでしたね」
「未知なことが好きすぎて、それを探求するのが楽しすぎて、こうして他国にまで押しかけ留学しているくらいだからね。大小問わず日夜色んな噂に耳を傾けてるよ」
その大なり小なりの噂を、しっかりと記憶できるというのも中々の芸当だろう。
どうやら、本当に貴上院の生徒全員の名を覚えていそうだ。
「スフィア嬢、どうしてそのような異名をとることになったんだい?」
イーロイの目がわくわくと言っていた。
キラキラと輝き、まるでオモチャを前にした子供のような純粋さが滲む。
さて、どう答えたものか。
――つまり彼は好奇心旺盛っていうことなのよね。
だとすると、男を派手にメタクソに袖にし続けた結果の異名だと正直に言えば、余計興味を惹いてしまうかもしれない。
しかし、『男を振り続けたからです』と適当に言っても、彼は到底納得はしてくれないだろう。
スフィアはチラと詰まれた本の数々に目を向けた。
何やら小難しいタイトルの本や専門書ばかりが積まれている。
――留学生なだけあって、記憶力だけじゃなく頭自体もきっと良いのよね。
スフィアは逡巡の末、オブラートに包んだ真実を伝えることにした。
「簡単な理由ですよ。私のこの髪色が薔薇のように目立つからです」
「じゃあ棘は?」
「ありがたいことに色々な方に好意を寄せていただきまして……早い話、その全てを私が振ってきたからですよ」
イーロイは「ふぅん」と、納得したのかしてないのか分からない声で浅く頷いていた。
疑問は残るが、今は聞かないでおいてやろうといったところか。
「それにしても先輩は、実に様々な本を読まれるのですね」
「そのための留学だからね! もう自国の本は全て読み終えて、それでも探究心が尽きなくてとうとう外へ、ってね」
「えっ、自国の本全てですか!? 失礼ですが、先輩はフラウ王国の方ですよね。そんな浅い歴史ではなかったと思うのですが……」
歴史書だけでも膨大な量になると思うのだが。
「まあ、フラウもレイドラグと同じくらいには長いからね。でも、幼い頃から毎日毎日読んでればあっという間だよ」
「そう……なんですね」
予想以上のすごさに、スフィアは想わず目を瞬かせ言葉を呑んでしまった。
その後はイーロイは借りた本を読みあさり、スフィアは授業で分からない部分を彼に聞きながら課題をやるなどして、図書館で学生らしい一時を過ごした。
その中で、イーロイの探究心が並大抵のものでないことが分かった。
そして、彼がとてもいい人であることも。
正直、ただの友人としてならこのまま付き合っていたいほどである。
――でも、残念ながら彼は攻略キャラなのよねえ……。
このまま放置すれば、必ず恋愛対象として見てくるだろう。
今既に、好奇心という好意を持たれているのだから、その理由が『未知だから』から『好きだから』に変わるのも一瞬だろう。
彼のこの紳士的な性格、そして頭の良さ、なにより気品漂う風格。
――彼ならお姉様の相手としてふさわしいんだけど。
出来るのなら、自分になどではなくアルティナに興味を持ってほしかった。
――まだ恋心が芽生える前の今なら、お姉様への興味に軌道修正が出来るんじゃないかしら。
「あの、イーロイ先輩。先輩は貴上院を卒業したら本国に帰られるのですか?」
「まあ、そうだね。学生だからって猶予を与えられているようなもんだしね」
「猶予ですか?」
どういうことだろうか。
もしや容疑者なのか。犯罪者なのか。逃走中なのか。最期のカツ丼なのか。
謎の思考にスフィアが首を傾げていれば、イーロイは嬉しそうに目を細めた。
「その反応、久しぶりだな。今の二、三年の女子生徒達にはもう僕の身分は知れ渡っているからね」
新鮮だよ、とイーロイの手が、隣に座るスフィアの髪をなでた。
おっと。よくない地雷を踏んだようだ。
「実は僕、こう見えても一応王族に名を連ねてるんだよね」
「つまりは、フラウ王国の王子様ですか!?」
王子などこの国にもいるのだし、スフィアにとっては特に珍しいものではないのだが、エキゾチックなまさに『異国の王子様』というものには多少なりの興奮を覚えてしまう。
しかし、イーロイは眉を下げて少し残念そうに笑った。
「一応継承権はあるけど傍系で下位だし、王族と言ってもほぼないに近いものだよ」
「で、でも、可能性としてはあるんですよね?」
「まあ、そうだね」
即座にスフィアの脳内で会議が開かれる。
わらわらとスフィアの思念が集まる。
――お姉様にふさわしい相手と思ったのですが。いかがです?
――却下よ! 却下却下!
――お姉様が他国に行くですって!? 姿を拝めなくなるじゃないの!
――まかり間違って王妃にでもなったら……いや、王妃姿のお姉様は見たいけど! そんな立場になったら気軽に抱きつきに行けなくなるじゃないのよ!!
議長スフィアがその他思念に問いかければ、猛然と声が上がった。
「スフィア嬢は、僕が王様になってほしかった?」
「いえ、まったくそのようなことは。むしろ継承権などなしでこの国にずっといてほしかったと言いますか……」
アルティナの隣にいてほしかった。
「え……」
スフィアの脳内では未だに思念達が『なしだ、なし!』と紛糾しており、彼女自身は気がつかなかった。
イーロイのとんでもない地雷を、三段跳びで華麗に踏み抜いたことに。
――とてもお姉様には好条件で申し分ない人だけど、こればかりは仕方ないわね。
これ以上イーロイと一緒にいて好感度を上げてしまっては困ると、スフィアは席を立つ。
「それでは私はここで――」
と言い離れようとしたスフィアの手を、イーロイが掴んだ。
「スフィア嬢。もっと深く君のことを知りたくなった」
彼の瞳は変わらずにキラキラと輝いているのだが、そこには子供ではなく大人の赤い欲のようなものが混じっている。
「…………」
やってしまった、と内心でスフィアは頭を抱えた。
――でもまあ……やることは変わらないんだからいっか。
彼には卒業を待たず、この国からフェードアウトしてもらうことにしよう。




