41.その顔が見たかったのよ
ドタドタと応接室に流れ込んできた者達に伯爵は言葉を失っていたが、スフィア達三人はいたって落ち着いた態度で、入り口に立つ者達を見ている。
「お約束通りきっちり三日。間に合いましたね」
「任せな。言った事は守る女だからね、アタシは」
スフィアの笑みを受け、居並んだ者達の一人――ベレッタは、誇らしげに胸を張った。
「それにしても、よく王都まで往復三日で行けたものですね」
「馬車と騎馬じゃ速さが違うし、何よりアタシは乗るのは得意だからね」
「馬も男も」と、意地悪い笑みで言うベレッタに、問いかけたガルツは赤面して沈没した。
「いやまず騎馬できる女性ってのが、もう……」とブリックが感嘆の声を漏らした時だった。
「本当そう、普通じゃないよこの人。着いていくこっちが大変だったんだから」
一人の男が、居並ぶ者達の間を抜けて、ひょっこりと姿を現したのは。
「おや、情けないねえロクシアン坊ったら」
「いい加減、その坊って呼び方やめてよベレッタ」
現れたのは、ミルクティー色の髪とヴァイオレット色の瞳が特徴的な優男。
「ロクシアン先輩!」と、ガルツとブリックの声が重なった。
「すみません、ロクシアン先輩。遠方までお呼び立てしてしまって」
「気にしないでよ、スフィア姫。元々これが僕の仕事だし……ついでにやっと職場を抜けられて、ありがたかったって言うか……」
力なく逸らされたロクシアンの目の下には、クマが出来ていた。心なしか全体的にげっそりとしている。
謝罪を要求してきた者と、勝手に押し入ってきた者とが和やかな雰囲気を醸し出す、訳の分からない状況に、伯爵は苛立たしげに床を踏みならした。
ダンッと鳴り響いた床の音に、一同が伯爵へと注目する。
「い、一体何なんですか! 勝手に人の屋敷に入ってきて、訴えますよ!」
威嚇するような物言いのゼノン伯爵。
しかし、ロクシアンはおくびも怯んだ様子を見せることなく、堂々と一歩踏み出す。
「失礼、ゼノン伯爵。情報省より監査に参りました」
「――っじょ、情報省だと!?」
伯爵の顔から、波の引く音が聞こえるかのようにあっという間に血の気が失せる。伯爵は何か思い当たることでもあったのか、裾を翻し応接室を飛び出し、奥へと消えようとすた。
しかしそれは、一発の銃声と共に、伯爵の足元の床が被弾したことにより、強制的に待ったを掛けられる。
「はぁい、伯爵様。そこで止まっていておくれよ。じゃないとアタシの手元が狂って、今度は間違えてあんたの、頭や、喉や、胸や……大事なトコロを撃ち抜いちまうからねえ?」
銃口で上から順に示していくベレッタに、もう引く血もないと、代わりに伯爵は全身から力を抜いた。へなへなとその場にしゃがみ込んだ伯爵を、騎士服を着た数人の男達が取り押さえに走る。
「……ベレッタ、もう少し穏便にやってよ。言っとくけど、貴族の屋敷で発砲だなんて洒落にならないからね」
「そこは坊の事だ。当然見逃してくれるんだろ?」
ロクシアンは盛大な溜め息をついて、首を横に振った。
「僕って本当、レディには甘いよね……」
良い男だよ、とベレッタは闊達な笑い声を上げていた。
「最近セヴィオの羽振りは随分と良いらしいですね。何でも娼館を増やしたんだとか……確かに納税もここ半年でぐんと増えてます」
伯爵へと近寄り、膝を折って正面から顔を見据えるロクシアン。
「ただ……計算が合わない」
伯爵は唇を噛み、顔を逸らした。
「わ、私は何も……知らない」
「しらを切るのは心象がよろしくない。もうこちらは外堀は埋めてますので、素直に認められた方がよろしいですよ」
「ちっ! 違う! それは私の判断ではない……っ! 子爵が……っ、エノリア子爵がそうすれば良いと……他の貴族達もやってることだと!」
スフィアは、伯爵が叫んだ言葉にぴくりと耳を揺らした。
――エノリア……?
どこかで聞いた気がする。しかもそれ程遠くない過去に。
「他がやってれば良いというものではありませんよ、不正経理は。後は王都で聞かせていただきます。良かったですね、憧れの王都ですよ」
「それならば子爵も連れて行け! 私は半ば彼に唆されたのだからなあ!」
「子爵はどちらに?」
「隣の来客棟だ」
すぐに残りの騎士達が駆けて行くが、暫くして戻ってきて口にした言葉に、伯爵は愕然とした。
「来客棟には誰もおりませんでした」
「そんな……まさか……っ」
もはや喉にすら力が入らないのか、伯爵の呻く声は掠れていた。
伯爵は引きずられるようにして、連れていかれた。
「この後、彼はどうなるのですか?」
「まあ、不正とは言っても一定の納税はしてたしそんなに重い罪にはならないけど……多分、領地替えはされるだろうね」
その領地は、今よりさらに王都から離れた田舎となるだろう。
男達の手によって、伯爵が駆け込もうとした部屋からは色々と運び出され、屋敷は騒然としていた。
「――にしても、伯爵の言った『エノリア子爵』だけど……本当にそんな者がいたのかな?」
「どういう意味です、ロクシアン先輩?」
「それが、さっき屋敷の使用人達に聞いたんだけど、そんな貴族は知らないって言うんだよ。来客棟を見に行った者の報告でも、人がいた気配はなかったって言うし」
「そんな……」
「もしかすると、罪を軽くしようとした伯爵のでまかせかもしれないし……ま、取り調べていけば分かるだろうけど」
ロクシアンは疲れるなあと、肩を揉みながら腕を回していた。
往時のきららかさを知っているスフィアとしては、成人したらこれ程にくたびれるのかと、未来に戦々恐々とした。
「……あの、ロクシアン先輩の職場って……どのような……」
「んー……お世話になったら駄目な部署かな」
彼は明るい声で言っていたが、絶対に明るい部署でないことはわかった。恐らく諜報部署のようなところだろう。
ロクシアンと話していると、ガルツとブリックもやって来る。
「お前は随分と落ち着いてんな。こうなるって全部分かってたのか?」
「ベレッタ姐さんと何か打ち合わせてるって思えば……宮廷官を引き出しちゃうなんて……」
「ええ。元々、ロクシアン先輩がセヴィオを調べているっていうのは知ってたんですよ」
彼からの最初の手紙は、その最中で拾った噂だったというわけだ。
スフィアがセヴィオへ行くと決心した後、ロクシアンにセヴィオについて知っている限りの事を教えてほしいと手紙を送ったのだ。
宮廷勤めで王都にいると聞いたので、会って話を聞きたいと言ったのだが、忙しすぎて抜け出せないと断られた。
その時は『そんなに?』と思ったが、今の彼の様子を見れば頷けた。
「太陽の眩しさが新鮮だ!」と、両手を広げて太陽を崇拝している。地底人か。
「最近、急にセヴィオが賑やかになったってので少し注意してたからね。調べれば赤髪の美女だもん。思わずまた何かやらかしたんじゃないかって、連絡してみたんだ。姫じゃなくて安心したのも束の間……おかげで、逆に情報寄越せって詰められるはめになったけど……ハハッ」
力なく笑うロクシアンを見て、ガルツとブリックが強く頷いていた。
「といっても、先輩からいただけた情報って、ほぼなかったですからね。せいぜい、見た目より娼館の売上げが少ないよねって世間話程度で」
「そりゃあ、捜査情報を渡すわけにはいかないさ」
「まあ私も最初は、噂は個人レベルのものだと思ってましたんで、情報も何も気にしてなかったんですが……それよりも、ベレッタ姐さんにつないで貰うことの方が重要でしたし」
「それで、頼まれたアタシが先に噂について調べてたってわけ。ついでにロクシアン坊からも、娼館の帳簿を手に入れてくれって頼まれてね」
本来、仕事に関係ない一般人を使うこと自体御法度らしいが、今回はスフィアの手伝いついでに偶然手に入れたという体にする事で、ロクシアンはすり抜けるつもりだったようだ。
相変わらず人使いが上手いというか、スルリと器用に生きているというか。きっと職場でも彼はその人懐こさで、ある程度色々と多目に見てもらっているのだろう。
「いやぁ、僕達が娼館に行っても警戒されるし、もし店主と伯爵がグルだったら改竄用帳簿出されて終わっちゃうし……」
「全店主、籠絡済みさ!」
とっても良い笑顔のベレッタであった。
どおりでマミアリアを訪ねたときも、女と子供だけで怪しいのにすんなり会えたなと思ったものだ。すでに調教済みだったのだろう。
彼女なら、本気を出せば傾国になれるような気がする。
「あとは、帳簿をロクシアン坊に届ければ、伯爵は手が後ろに回るって寸法だったのよ」
「噂の犯人が伯爵様でちょうど良かったので、今回はソレを使わせていただきました」
「宮廷官を利用するって、お前……」
「普通、そこは裁きを待つよね」
「だって、先に連れて行かれたら、謝罪してもらえないじゃないですか。……あと、捕まるときの絶望顔も見たかったですし」
信じられないものを見るような目つきで、スフィアを凝視する子分ズ。
六年一緒にいるのだからもう慣れたものだろうと言えば、規模と規格が違うと首を横に振られた。
「でも、最後はお二人も結構ノリノリだったじゃないですか」
とてもよく『できた貴族令息』の仮面を被っていたものだ。二人共口調まで変えて、器用にそれらしい嘘までついて。
すると、ガルツとブリックは顔を見合わせる。
「まあ、そりゃあ……」
「だって、ねぇ……」
二人口を揃えて「スフィアが、あんな噂のネタにされるのが許せなかったんだよ」と言ってのけた。
これにはスフィアの方が、思わず鳩が豆鉄砲をくらったような顔になる。
「おやまあ、立派な騎士をお持ちだねえ、姫」
ニヤニヤと赤い唇を上げたベレッタに肘で小突かれた。
「……ええ、本当に」
スフィアは、ふはっとたまらず笑みをもらした。
「良い子分を持ったものですわ」
本当に。
間髪容れず「俺は彼氏だろ!?」とガルツの叫びが飛んだ。その肩をブリックが「自分だけ抜け駆けずるい!」と掴む。二人して「子分ありきの彼氏でしょ!」「ベースに子分を敷くな!」といつものようにギャアギャアと騒いでいた。
その光景を、スフィアは柔らかな眼差しで眺めていた。
この光景を見ることができるも、恐らくあと僅か。
冬休みが明ければ、息つく暇なく卒業だ。




