40.乙女の人生の値段
マミアリアが飲み屋に怒鳴り込んできた日から三日後だった。
「ごきげんよう、ゼノン伯爵様」
伯爵の屋敷に、身なりの綺麗な二人の少年と一人の少女がやってきたのは。
伯爵は最初、来訪者が貴上院生くらいの子供だと使用人から聞いて、相手をするのを躊躇った。しかし次に、来訪者の一人がアントーニオ公爵家の令息だと聞き、顔色を変えて三人を応接室へと案内させた。
さすがに三大公爵の名を出されれば、無視できるはずもなかった。
伯爵は人の良さそうな笑みと作り、三人に歓迎の意を伝えた。
一つのソファに三人が座っていたが、恐らく真ん中の少年がアントーニオ公爵の令息だろう。顔立ちに公爵の面影がある。両隣二人の名は聞いてはいないが、彼が連れているという事は同じく貴族なのだろう。
「それにしても、今日は一体どのようなご用で? わざわざこのような辺鄙な領に来るとは珍しい」
取り立てて観光するものもなく、子供が楽しむようなものはないはずだが。
「もしかして、お父様方も来られているとか……!」
ハッとして、伯爵は部屋の入り口に控えていた使用人へと目を向けた。しかし使用人は首を横に振る。合せて公爵令息も手を振って否定に苦笑していた。
「いえ、こちらに来たのは私達だけで……実は近頃流れている噂に興味がありまして……とても素敵な女性がこの街にはいると伺いましてね」
素敵な女性が誰を指すのか、伯爵は瞬時に察した。同時に、困ったと笑みを歪める。
「まあ……そうですね……あの、失礼ですがガルツ卿は今お幾つで」
「十四です。今度貴上院に上がります」
「……そうですか」
彼が言う女性が、娼婦のマミアリアであることは分かっている。しかし、未成年に娼婦の話題をだすのもどうだろうか。
恐らく三人は娼婦という噂ではなく、単に赤髪の美女という噂しか聞いていないのだろう。年頃の少年だ、友人と共に珍しい者を見に来たというとこか。
「あの、どうされました伯爵様。顔色が……」
金髪の少年が心配そうにこちらを窺っていた。視線を向けると、少年は失礼しましたと丁寧に頭を下げた。
「私はラウロフ伯爵家のブリックと申します。実は私の父が、伯爵からセヴィオには赤髪の美女がいるという話を持ち帰ってきたのですよ。それで友人に話したらこの通りの次第でして……まあ、私達もまだまだ好奇心旺盛な子供ですから」
「ああ、ラウロフ伯爵の……!」
とは言ったものの、ゼノン伯爵はラウロフ伯爵の記憶を思い出せなかった。
もしかすると同じ伯爵家だし、どこかのパーティでいたかもしれない。手当たり次第に声を掛けていたものだから、誰に話をしたのかまでは覚えていない。
「伯爵様への挨拶なしに街をうろつくのも失礼かと思い、こうしてご挨拶に伺った次第です」
「なるほど」
「それで伯爵様、ぜひその赤髪の美女に会いたいのですが、ご紹介いただけますか?」
ブリックの純真無垢な願い事に、伯爵は視線を宙へと飛ばし逡巡する。
そうして、「実は」と言いにくそうに口を開いた。
「その女性は娼婦でして……さすがに皆さんに引き合わせるのは、少々難しいと言いますか……」
「え、でしたら伯爵様は、娼婦の方の事を赤髪の美女と、他の貴族の方々に言って回っていたのですか!?」
「もしかして、伯爵様は赤髪のご令嬢をご存知ないので?」
ブリックが口と目を丸くして驚きの声を上げれば、呼応してガルツも疑るような目で伯爵を見遣る。
その口ぶりがまた、知っていて当然だと言わんばかりのもので、まるで田舎者と揶揄されているように感じられ、つい伯爵はムッとして対抗するように言ってしまう。
「当然そのくらい知っていますよ。確かレイランド侯爵家のご令嬢でしょう。いくら王都から遠くとも私もそれなりの貴族ですから、侮られては困ります」
顔は一応笑みを保ちつつ、爵位も持たぬ子供の分際で、との苛立ちは腹の中で消化した。
とにもかくにも、彼らが訪ねてきた理由も分かったし、それが叶えられない願い事だとも伝えた。これ以上相手する必要もないだろう。
伯爵が「では仕事がありますので」と席を立とうとしたとき、今まで端でニコニコと、人形のように座っているだけだった少女が口を開いた。
「へえ……伯爵様は、当然ご存知だったのですね?」
公爵令息ばかりに気をとられて彼女に注目していなかったが、よくよく見てみると、少女はとても美しい顔貌をしていた。
なぜか彼女の髪は、全て頭上で巻いた布に覆われいるのだが、もしやそれが王都の流行りなのだろうか。セヴィオの女がやっていても変としか思わないが、彼女だと不思議と異国の王女が冠を被っているように見えてしまう。
少女とは思えないあふれ出る気品に、思わず伯爵の喉も鳴った。
「伯爵様は、赤髪の令嬢が貴族界にいるという事をご存知だったのですよね」
「え、ええ」
少女の歌うような繊細な声は耳に心地良い。
「では、赤髪の美女と聞いた貴族の皆様が、まず誰を思い浮かべるのかも容易に想像できますわよね」
伯爵は、耳に入ってきた言葉の意味を理解するのに時間を要した。柔らかな声音で言われたものだったが、言葉の裏側は批難めいている。
「……どういう意味ですかな?」
伯爵の背中に冷たいものが流れる。
「王都近辺で私達が耳にした噂は、赤髪の美女が男を取っ替え引っ替えしているというもの……さて、私達がこの噂を聞いて、セヴィオのその娼婦の方を思い浮かべたと思いますか?」
「……っ!」
核心に触れてこない言い回しだが、言わんとしていることは伯爵にも分かっていた。
元より、そのような勘違いがあってこその、今回の噂の広まりようなのだ。
これも子爵の助言であったが、わざと人の興味を掻き立てるような、曖昧な伝え方しかしていない。最初から『赤髪の娼婦』と言っていればここまでは効果はなかっただろう。
現にこうして噂に釣られ、子供達ですら遠くこの地までやって来ているというのだから、噂というのは侮れない。
しかし、分かっていてやったなどとは、口が裂けても言えない。
伯爵は、ここは下手にしらを切るより一旦受け入れた方が得策だと瞬時にはじき出す。
「故意ではないとはいえ、確かにそれは私の落ち度でしょうね。では後日、レイランド侯爵家にはお詫びの言葉を送っておきましょう」
こう言っておけば、この子供らも満足して帰ってくれるだろう。
本人から苦情が来ていないのに、詫びる必要もない。もしレイランド家が噂を知らなければ、藪蛇になってしまう。
しかし、そうして伯爵は穏やかに話を閉じようとしたのだが、少女はまだ食いついてきた。
「では、今ここで謝っていただきますわ」
これには今まで柔和に対応していた伯爵も、さすがに苛立ちを声に出してしまった。
「は? なぜあなたに。失礼ですが、たとえあなたがレイランド侯爵ご令嬢のご友人だとしても、あなたに謝る理由はありませんよ。それにこうして、噂を聞いて野次馬にきたあなた達も、噂を吹聴していた者達と同罪ですから」
「いいえ、謝ってもらいます」
少女は立ち上がると一緒に、布の王冠を脱ぎ去った。
たちまち、伯爵の視界が美しく色付く。
彼の目に飛び込んできたのは、燃えるような赤。
「この、スフィア=レイランドと、レイランド家の者達すべてへ!」
「その赤髪……レイランド……っだと……いや、まさか…………!?」
驚愕に上手く立てず、伯爵は椅子をガタガタと揺らし、眦が裂けんばかりに目を剥いて赤髪の少女を凝視した。
「それなりの貴族である伯爵様が、自分の領地へ人を招く為に使った噂……それで誰に迷惑がかかるか、分からなかったわけではありませんよね」
にこりと笑う少女に、伯爵は一瞬怯んだものの、そこはやはり貴族。すぐに表情を取り繕う。
「い、いやぁお人が悪い。最初に言って下さればすぐにお詫びしたものを……」
伯爵はすぐに頭を下げ、少女に詫びた。そして、今度こそ「仕事がありますので」と逃げるように席を立った。
しかしそこで突然、ドタバタと屋敷の外が騒がしくなる。
ああ、と少女はぼそりと呟いた。
「待ち遠しかったです、ベレッタ姐さん」
次の瞬間、屋敷の玄関扉が、蝶番を壊さん勢いで開けられた。
「乙女の人生は、謝罪一つで済むほど安くないんですよ」
スフィアは綺麗に笑った。




