39.××子爵
「随分と街も賑やかになったものですね」
屋敷の窓から街を眺めるゼノン伯爵の背に、男は声を掛けた。伯爵が街を見て何を思っているのか、悦に浸った口元を見れば誰にでも分かる。
案の定、気分を良くした伯爵は肩を揺らして笑った。
「ああ、君に言われたとおり娼館を増やして良かったよ。下手な商売よりも上がりが多い。おかげで納税も……私の懐もここ半年で随分と膨らんだものだよ。感謝している」
「いえ、私は伯爵を補佐することが務めですから。伯爵の喜びは私の喜びでもあります」
「謙遜するな。君を補佐に雇い入れて良かったよ、子爵」
肩越しに向けられた伯爵の視線に、男――子爵は恭しく腰を折った。
伯爵の屋敷は緩やかな丘の上にあり、街を一望できる。
子爵から目を街へと戻した伯爵は、街の一所に人集りが出来て賑わっていることに気付いた。
「あれは何だ? 娼館の場所からは外れているが……踊り、か? 芸人でも来ているのか」
「近頃は娼館の噂もあり、外から多くの人がやって来ていますからね。賑わいに乗じて、街の者達が何か催しでもやっているのか、呼んだのでしょう」
そうか、と伯爵はそれ以上気に掛ける様子はなかった。
代わりに、伯爵は指先をクイクイと曲げて、子爵に隣へ来るように促す。そして、隣にやって来た子爵に、した手から出るように窺いの目を向けた。
「……それで、本当に金さえ握らせれば、融通を利かせて貰えるのだろうな」
声を落として呟かれた言葉に、子爵は小さく笑んで頷く。
「お任せください。王宮には知り合いの高官もいますので。彼らはしっかりと受け取った分の働きは見せてくれますよ」
「それなら良かった。こんな田舎領とは早くおさらばして東へ行きたいものだよ。代々の土地だが、こんな……地味で面白味もない場所に愛着なんざないからな」
伯爵は領地替えを望んでいた。
領地替えはそうそう行われるものではない。
不祥事を起こした場合に辺境の不人気な領に替えられるか、一定の功績を挙げた者に直轄地を幾分か恩賞として分け与えられるかである。望んだからと言って叶うことの方が少ない。しかし、まれに前者の事とタイミングが合えば、有能な者を空いた領へと替える事もある。
今回、一つ領地が空くという話があり、どうしたら良いものかと悩んでいる伯爵に、子爵が助言したのだ。
領地収入を上げ納税を増やし、有能な者の選定時に鼻薬を嗅がせれば良いと。
「それにしても、娼館とはこんなにも手っ取り早く儲かるのだな。領地収入を上げろと君に言われた時は無理だと思ったが。なにせ、この街も賑やかに見えて所詮は平民の街。大金が動くわけでもなし、何か施策を講じたところで間に合わないのが普通だ」
セヴィオは要所という場所でもない。
ごく普通の民が生活する場であり、ここ中心地こそ人出は多いものの、やはり他領からの流入は期待できなかった。
「今回は特別ですよ。『赤髪の美女』という、とびきりの宣伝文句があったからこそです。ただの娼館ではこうはいきませんよ」
「その赤髪が領内にいたのも、ツキが私に回ってきているとい事なのだろうなあ」
「それと、伯爵自ら宣伝するという努力の賜物でしょうね」
伯爵は誰かがパーティと開くたびに足を運び、その度に赤髪の美女がいる娼館のことを貴族達に触れてまわった。その努力もあり客には貴族も多い。
「ああ、楽しみだ。これで私も、あの煌びやかな世界に行けるのだ!」
伯爵の高揚した横顔を、子爵は口元にだけ微笑みを浮かべて眺めていた。
しかし、目は恐ろしい程に冷え切っている。
子爵にとって、伯爵の夢が叶おうが叶わなかろうが、どちらでもいいことだった。どちらに転んでも自分に痛手はない。
貧富関係無く、人は特別なものへと手を伸ばしたがる生き物なのだろうか。
生まれた時から分家筋であり、常に『影』という存在に徹してきた子爵には分からない事だった。
ただ面白ければそれでいい。
泰然と構えているようで、漫然として変わらないこの国の平和にも飽き飽きしていたところだ。国を蝕もうとした前当主も面白かったが、唯一人に執着を見せる今度の当主もまた一興だ。
子爵はクツと喉を鳴らすと、目元に弧を描いて言った。
「伯爵、楽しみましょうね」
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マミアリアが飲み屋に怒鳴り込んできた日から三日後だった。
「ごきげんよう、ゼノン伯爵様」
伯爵の屋敷に、身なりの綺麗な二人の少年と一人の少女がやってきたのは。




