38.同じ赤色でも……
同じ色を持つスフィアが生まれた時は、レイランド家の誰もが綺麗だと褒めたものだ。
しかし、マミアリアは違った。
閉鎖的な田舎では、異なっているという事が殊更に忌避された。幼い頃から、村人達には異物を見るような目で見られ、両親には髪を隠せと目を合せる度に嘆かれたものだ。
結果、マミアリアはいつも髪を隠し、村を歩くときは背中を丸め、他の村人達に埋もれるようにして日々を過ごすようになった。
マミアリアは自分の赤髪が嫌いではなかった。綺麗とすら思う。
しかしそう思う事は許されない空気が村にはあった。異端で異質。
村に溶け込むために、マミアリアは自我を極限まで消して過ごした。そんな毎日は痛くて、悲しくて、惨めなもので、苦しい以外のなにものでもなかった。
赤髪を持ち続ける限り、ずっとこのような生活が続くのだと思ったら、マミアリアの目の前はまっくらになった。
気が付いたら、マミアリアは村から逃げ出していた。
村で生き続けることで、自分というものが少しずつなくなっていくのが恐ろしかったのだ。いつか自分が自分でなくなり死んでしまうのではと
そうして、セヴィオの街へとマミアリアはやってきた。
そこでマミアリアは初めて、自分が特異ではなく『特別』なのだという事を知った。
街を歩けば誰もが振り返った。向けられる視線は、村人とは違う羨望の目。聞こえてくるのは陰口ではなく、すごいやら綺麗やらといった賞賛の声。
次第にマミアリアは、赤髪を持つ自分こそが世界の中心だと思うようになっていった。
しかし、時が経つにつれ世界の中心は、少しずつマミアリアからズレていく。
確かに最初こそ目立っていたものの、次第に街の者達もマミアリアの赤髪になれていった。誰もマミアリアに注目しなくなった。珍しい赤髪を一瞥はするが、皆が通り過ぎていくのだ。
マミアリアはたちまち怖くなった。
『またわたしは……大勢に埋もれるの?』
一度『特別』と認識してしまったマミアリアにとって、その他大勢に埋もれることは、田舎での辛かった日々を思い起こさせた。
特別でいなければ。
何かにならなければ。
埋もれてしまえば、自分が消えてしまう。死んでしまう。
それは最早、幼い頃からの生活で染みついてしまった脅迫観念。
『死にたくない! あんな日々にはもう戻りたくない……っ!』
マミアリアは、自分が誰よりも特別だと思っていた。
しかし、街には自分以上に特別な者達がいた――『貴族』だ。
平民と絶対的に隔てられた、壁の向こう側の住人。赤髪を持たずとも、彼らは常に特別だった。
気付いてしまったのだ。
自分は赤髪をもっただけの、どこにでもいる平民にすぎないと。
『ねえ、貴族になるにはどうしたらいいの』
そう尋ねれば、決まって馬鹿にしたような笑いが返ってきた。
皆、『生まれが違うんだから無理だよ。行きたいなら、もう一度生まれ変わらなきゃ』と言った。
マミアリアはまたも絶望した。
しかし、もう逃げる場所がない。村でも街でも駄目なら、どこへ行けというのか。
そこからは何かになりたいという気持ちを抱えたまま、でも何者にもなれず、この街を埋めるただの群衆の一人として無為に生きる日々だった。
しかし、ある日マミアリアに転機が訪れる。
「ゼノン伯爵の使いって人が、わたしの元にやってきたの」
ゼノン伯爵とは、ここセヴィオの領主『ロカフ=ゼノン』の事である。
「わたしの赤髪を見て、君は特別な存在だって言ってくれたの。そこでわたし、その人に特別だと思うならわたしを貴族にしてってお願いしたの」
その伯爵の使いと名乗った男は、マミアリアの願いに対しこう言った。
『平民が貴族になりたい……か。ふむ……一つ可能性がある方法がある。売れっ子の娼婦には貴族の客もつく。そこで気に入られれば妻に娶る者もいるが……』と。
貴族も娼館を利用することは知っていた。しかし、セヴィオではたかが知れている。王都から離れた西にあるセヴィオは、貴族が少ない。せいぜい、領主とその近辺の者達くらいだ。
だが男は、鼻で笑ったマミアリアの考えを否定した。
『言っただろう、売れっ子になればと。人の噂とは侮れないものでね……良い娼婦がいると聞けば、それ目当てで訪ねる貴族もたくさんいるのだよ』
彼の言葉は、マミアリアに希望を抱かせるに充分だった。
『本当に、娼婦になれば貴族になれるの』
『貴族でも赤髪というのは今のところ一人しかいない。とても珍しいんだ。貴族というものは希少なものに価値を見出し、手元に置きたがるものさ』
『一人って……私以外にも赤髪が?』
『まだ子供だ、安心したまえ。それにだからこそ、そこが君の強みになるのだよ。赤髪の令嬢はすぐには娶れないが、君ならすぐにでも娶れる』
マミアリアの目は輝き、男の発する言葉全てに頷いていた。
『君は本当に運が良い。ちょうど領主様と、街の娼館を増やそうと話していたところだ。そこで、君には新たに開く娼館の一つで働いてもらいたい』
『……娼婦』
少し躊躇いをみせたマミアリアの手を、大丈夫だと男は強く握る。
『君が有名になればなるほど、様々な貴族が君を訪ねるだろう。どうだい、ここで膿んで生きるより、よっぽど夢があるとは思わないかい?』
膿んで生きるより――その言葉が決め手となった。二度と埋もれたくないという思いが、マミアリアを頷かせていた。
『客の多さは魅力の多さだ。派手に遊びたまえ』
男はマミアリアに『イイ女には準備も必要だろう』と金を握らせると、去って行った。
『君のその赤髪が、色んな男達を呼び寄せてくれるさ』
そんな言葉を残して。しかし、最後まで名前は告げず。
「そう言ったのよ……その男は! だから、わたしは頑張って……やっとわたしの噂が王都にも届いたっていうのに……っ、なんで邪魔するのよ……ぉ」
マミアリアの話を聞き終わった四人は、曖昧な顔をして互いに目配せしあった。
スフィアの膝に額を擦りつけ、握った拳を振るわせたマミアリアに、何と声を掛ければいいのか分からなかった。
なぜなら、彼女が夢を叶えるために選んだ、いや、選ばされた道はどこにも通じていないのだから。
「悪いですけど、貴族があなたを娶ることはないですよ」
誰もが伝えるべきか躊躇っていた中で、ガルツが口を開いた。
言い辛い真実と共に。
ガルツの言葉に、マミアリアの頭がゆるゆるとスフィアの膝から離れる。
「……え」
ガルツに顔を向けたマミアリアは、信じられないとばかりに、泣きはらした目を何度も瞬かせている。
スフィアもベレッタもブリックも、皆が顔を曇らせ視線を落とす中で、ガルツだけが正面からマミアリアを見ていた。
「俺達貴族は体面や外聞を気にする。そこを侮られれば家ごと侮られるから。確かに、その使いって人が言ったように貴族でも娼館を利用するし、お気に入りを作るでしょう。だが、あくまでそれは外でだけで、娼婦を内に迎えることはしません。少なくとも上級と呼ばれる貴族達は……」
「そ……え、冗談、でしょ?」
マミアリアは懸命に笑おうとしていたが、口端が引きつって上手く笑えていない。それでもガルツは真実を言う事をやめない。
「中には妾を持つ貴族もいますけど、それは妾であって妻ではないんです。たとえ子供が生まれても、籍をいれなければ貴族にはなりません」
「で、でも、本当に愛していれば妻にするわよね!? わたし、何人もの貴族から一番愛しているとか、娶りたいとか言われてるんだもの……だ、大丈夫でしょ、わたしは!」
ガルツの話は聞きたくないとばかりに、マミアリアはガルツから隣のブリックへと視線を移し問いかけた。
向けられたブリックは「まぁ……」と曖昧な返事で濁し、瞼を閉じる。
「その時はどうだったか分かりかねますが……ここまで大々的に男遊びだのと噂が広まったあなたを、妻に迎えようと思う貴族はいないと思いますよ」
ハッキリと告げられたガルツの言葉に、マミアリアはゆらりと倒れそうになり、慌ててスフィアが肩を抱いて支える。
「どうして……っ、じゃあわたしは……自分で自分の道を閉ざしてたっていうの……じゃあ、どうしてあの人は、わたしにこんな事をさせたの……」
夢というものは甘美だ。
掲げている間は上を向いていられる。目標に向かって歩み続けられる。
しかしいつしか、夢の高さに目眩をもよおす日が来るのだ。
この先どうやっても、あの山頂には絶対に辿り着かないと自分の歩幅を知る。
そこで初めて、人は上でなく前を見る。前を向いて現実を歩き始める。
だが、それは自分で気付くべき事で、誰かが奪っていいものではない。ましてや、手が届きそうだと嘯いて道を逸らすことなど、絶対にあってはならないのだ。
「……許せない」
スフィアは力なく胸にもたれたマミアリアを眺め、音を伴わず呟いた。
「一人の乙女の人生を狂わせた代償は、しっかりと払ってもらうわよ」




