37.何者にもなれなかったから
その日の演技が終わって飲み屋に入ったところで、息を切らしたマミアリアに捕まった。どうやら後を付けてきていたようだ。
「どうしてわたしの邪魔をするのよ!」
喚きちらすマミアリアを店の奥へと引き入れ、ベレッタは扉を閉めた。マミアリアは、まるで親の敵を見るような目で四人を見ていた。
「お貴族様は平民がそんなにお嫌いですか」
「飛躍しすぎ、主語を大きくするんじゃないよ」
ベレッタの溜め息には呆れが混じっている。
「何もアタシらは、あんたの邪魔なんかしちゃいないさ。ただ、噂のせいで迷惑被ってる令嬢を助けたくて、好き勝手にやらせて貰ってるだけだから」
「邪魔してない!? よくもヌケヌケと……っ、あんたも平民よね! どう見てもこっち側でしょ! なのに何で貴族に肩入れなんてしてんのよ!」
「平民貴族関係ないさ。困ってる子がいるから助けたいだけよ」
「だったらわたしを助けてよッ!!」
慟哭に近いマミアリアの叫びは、薄暗い飲み屋の空間にこだまして、寂しげな余韻を残した。
悔しそうに唇を噛み、次第に目を潤ませていくマミアリア。
彼女の叫びに、スフィア達は困惑に顔を見合わせた。
『助けて』という言葉はどういう意味だろうか。彼女は何に困っているというのか。
ベレッタが踊りをどれだけ踊ろうと、彼女の仕事の邪魔にはならないはずだというのに。
せいぜい噂を上塗りされた程度だ。それで、どうしてここまで――目を真っ赤にして眉をつり上げ肩を震わせるほど、怒っているのだろうか。
「マミアリアさん、あなたの夢というのは別の方法では叶わないんですか?」
刺激しないようにスフィアが優しい声音で尋ねるも、マミアリアのスフィアを見つめる目は変わらない。それどころか嘲笑に鼻を鳴らした。
「お貴族様はいいわね、別の方法ってのがいつも用意されてるんだから。……っ何も持ってない奴は、選択肢すら与えられないんだよ! せっかく……っようやく掴んだ道だったのに……ど……っどうしてくれんのよぉ……っ」
マミアリアは俯くと一緒に力なく膝を折り、床に座り込んで泣き出してしまった。
兎の目からポロポロと涙がこぼれ落ち、大きな口をあけて泣く姿は、スフィア達よりも幼く見えた。
すっかり居丈高な仮面は崩れ落ちたマミアリア。
ガルツとブリックも自分達より年上の女性がわんわんと泣く姿に、戸惑いをあらわにしていた。
化粧が取れるのも気にせず、子供のように拳にした手で目を拭うマミアリアに、スフィアも次第に悪いことをしたかなという気になってくる。
しかしやはり噂は放っておけないのだから、仕方ないというもの。
――せめて、彼女の夢っていうのの手助けができないかしら……。
マミアリアの言うとおり、貴族としての恩恵は平民より多く与えられている。こういう時に役立ててこそだろう。ノーブレスうんたらかんたらというやつだ。
スフィアは膝を折り、目線をマミアリアに合せる。
「マミアリアさん、あなたの夢というものを教えていただけませんか。もしかしたら、私達で何か力になれる事があるかもしれませんし」
「子供には無理よ」
しかし、やはりマミアリアはスフィアの提案を、いつかの如く即断したのだった。
「だって、わたしの夢は『貴族になる』ことだもの」
全員が目を丸くして唖然とした。
あれだけ『お貴族様』と蔑むような言い方をしていたというのに、まさか彼女がそのお貴族様になりたいと誰が予想し得ただろうか。
揶揄っているのか、それとも本心か。
誰もがマミアリアの真意を測りかねていた。
「あぁ……そこのお子様のどっちかがわたしと結婚してくれるんなら、話は別だけど」
急に向けられたマミアリアの視線に、ガルツとブリックは肩を揺らして明らかに動揺する。
「ほらね、無理でしょ」
落胆の滲む声で片口を上げて歪に笑う彼女は、強がっているようにしか見えなかった。
「本当に貴族になりたいんですか? てっきり私はマミアリアさんは貴族嫌いかと……」
「ええ、嫌いよ。嫌いだわ、あなた達なんか……こんな……」
マミアリアの目がスフィアを正面から見つめる。
「こんな……汚れも苦労も知らない、綺麗の中だけで生きるあなた達なんか嫌いよ」
でも、とマミアリアはスフィアの膝に置かれていた手を、震える指先で撫でた。
「――っ腹立つくらいに羨ましいのよ」
マミアリアはスフィアの膝に縋るように、身体を小さく丸め嗚咽を漏らした。
「羨ましくて仕方なかったのよ……っ」
先程の威嚇するような慟哭よりも、小さくなって声を絞るように泣く今の姿の方が、よっぽど彼女の心が伝わってきた。
スフィアの手に、優しく頬を寄せるマミアリア。
それは救いを求め、神に祈る者とも似ていた。
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マミアリアはセヴィオの片田舎で、稀色と言われる赤髪を持って生まれてきた。




