36.ベレッタの作戦
ガルツのヴァイオリンと、ブリックのアコーディオンが同時に演奏を終えれば、魅入っていた者達は、拍手喝采を中央の女性へと向けた。
「ベレッター! 俺と付き合ってくれー!」
「ベレッタ様ぁ! 私とお茶してくださいぃ!」
広場に集まった老若男女が、中央の女性――ベレッタに向けて熱い声援や花を投げる。その熱意にベレッタがウインクを返してやれば、一段と囃し立てる声は大きくなった。
ベレッタが踵を返すと、身に纏った、肌が透けるほど薄手の生地は羽のように翻り優美な残滓を残す。金の腕飾りと腰飾りをシャランと鳴らしながら遠ざかっていくのを、観衆は惜しむような目で見送っていた。
「すごいです、ベレッタ姐さん!」
飲み屋の二階に戻った四人。すっかり飲み屋の二階が作戦会議場となっていた。
スフィアは、先程の観衆の騒ぎを思い出し興奮冷めやらぬと嬉しそうに小躍りする。
「街は、すっかりベレッタ姐さんの噂で持ちきりだな!」
「街の人の話を聞くと、どうやらよその街からも来てるみたいだよ!」
顔隠しのための帽子を脱いだガルツとブリックも、手を叩いてベレッタを褒めそやす。
「だから任せなって言っただろ」
右肩を持ち上げ、ふふんと誇らしげにウインクを飛ばすベレッタ。彼女が豊かな髪を掻き上げれば、金細工の髪飾りが涼やかに鳴る。
「それにしても、姐さんったら異国の踊りまで出来たなんて……」
マミアリアの噂に対抗するために彼女が持ち出した策とは、踊り子興行作戦だった。
異国情緒あふれる黄色や青色の衣装は、彼女のつややかな褐色肌を引き立て、軽快なつま先が地面を跳ね回れば、誰もが目を奪われ足を止めた。
ガルツがヴァイオリンをつま弾き、ブリックがアコーディオンを奏で、中央で彼女が舞う。これだけで、あっという間に踊り子一座の出来上がりだ。
何となくベレッタは器用に何でもこなす印象があったため、そこまで違和感はないが、まさかガルツとブリックが、突如「演奏やりな」というベレッタの無茶ぶりに対応できたとは。
「……このハイスペックお子様どもめ」
こちとら、飲み屋のグラスとそこら辺の砂で作った即席マラカスを、隅でシャカシャカと振り回していただけだというのに。
改めて、貴族教育というものの凄さを感じつつ、どれだけレイランド家が甘いか実感する。
「ベレッタ姐さんの踊りは、様になってるって言うより、板に付いてる感じでした!」
ブリックの言葉に、隣のガルツも深く頷いていた。
普段の彼女の服装よりも露出過多な衣装なのだが、もはや二人のベレッタを見る目には照れなどなく、尊敬の眼差しへと変わっている。
キラキラとした眼差しを向けられ、ベレッタも「光栄だよ」と面映ゆそうに眉を垂らした。
「衣装的に、南のフラウ王国の踊りですか? あの国には、確か踊り子集団がいると聞いた事がありますけど、姐さんと何か関係あるんですか」
ガルツの質問に、スフィアもそういえばと思い至る。
スフィアは、ベレッタ以外に褐色肌の者を見たことがない。出会ったのが港町で日焼けした男達も多かったから気にはならなかったが、純粋な褐色肌はいなかった。もしかして、この国では珍しいことなのだろうか。
ベレッタは「そうだねえ……」と、曖昧な笑みを足元へと落とした。
彼女の指は、肩口に流れる髪を巻き付けては流すという事を繰り返している。
「母親がね、フラウ王国の踊り子だったんだよ」
「では、姐さんはフラウ王国出身だったんですね?」
「いんや、生粋のレイドラグ生まれ。母親がこっちに興行に来た時、とある伯爵の目に留まってアタシができたってわけさ」
「まあ、姐さんったら貴族だったんですね」
両親にはスフィアも随分と自由にさせてもらっていると思うが、ベレッタの自由は次元が違う。
よく伯爵の父親がゆるしたものだ、と目を瞬かせ驚いていると、スフィアの思考を読んだのだろう。ベレッタは苦笑して首を横に振った。
「あー違う違う。いわゆるアタシは庶子なんだよ。暫くは大切にされてたんだと思う。ただ母はお妾さんってやつで、一度も伯爵はアタシ達を籍に入れることはしなかったんだ。だから貴族じゃないんだよ」
髪を指に巻き付けては流してを繰り返すベレッタ。
スフィアにはそれが、まるで過去を思い出すためにネジを巻き続けているような、儀式染みた行動に映った。
「……伯爵はとうとう母と結婚しないまま、どっかの令嬢と結婚してね。最初、アタシは伯爵の手元に置かれ、アタシの母親だけが追い出されたんだけど、それも伯爵と新しい母親に弟ができるまでだった。アタシは新しい方に子供が出来なかったときの保険だったんだろうね。弟が生まれてからは、アタシはいないものとされてね、だから折を見て家を出たんだよ。そこからはこの通りの生活さ」
たちまちスフィア達『貴族側』の三人の表情が曇る。
あまりにも彼女の境遇がいたたまれず、しかしそれで今更何か彼女にしてあげられることもなく、三人は同じ身分にいる者のした事に顔を背けて恥じ入った。
何か言葉を掛けたかったが、最適な言葉が見つからず、スフィアは口を開けては閉じてを繰り返す。そこに気付いたベレッタは、困ったように笑った。
「ああ、気にしないどくれ。貴族が嫌いってわけじゃないんだよ。そこの家の伯爵達が嫌いだっただけで、弟は遠く離れた今でも可愛く思ってるしね」
それに、とベレッタは歯を見せて濃い笑みを浮かべる。
「籍に入ってなかったおかげで、アタシはこの通り自由でいられるんだし、大人になるまでは育ててくれたから、そこには感謝してるんだよ」
ベレッタの髪を巻く指はいつの間にか止まっていた。
「ただ……家に残してきた弟だけがアタシの心残りでさ。随分と年の離れた子だったよ……アタシが家を出るときまだ五つくらいで。一緒に出ようって手を伸ばしたんだけどね……」
もしかすると、彼女が先日にみせた優しさの裏にある後悔というのは、この事ではないだろうか。もしかすると自分達に残してきた幼い弟を重ねたのではないか。
いつも明るく、後ろを振り返る暇などないとばかりに堂々としている彼女だが、そんな彼女でもやはり心の底に抱えるものがあるのだろう。
――もしかして、ロクシアン先輩と知り合いだったのも、その時の縁なのかしら。
伯爵家で生活していたのなら、他の貴族と知り合う機会もあろう。
しかし、その答えについては今は聞くべき時ではないと、スフィアは自分の心の中だけにおさめた。
そこで「ごめんごめん」と、ベレッタが手を打つ。
「つい喋りすぎて変な空気にしちまったね。アタシの事より、今は噂の事だよ。現状良い感じだし、このまま続けていこうか。よろしく頼むよ演奏隊!」
そうして踊り子を始めて五日目、とうとうスフィア達の目的は達成される。
「ちょっと! どういうつもりよ!?」
マミアリアが飲み屋に怒鳴り込んできたのだ。




