35.ブリックの推理
やはり、マミアリアを説得して噂を消す方法は無理だった。
「どうしたらいいんだろう……あの人、これまで通りにするって言ってたし、このままじゃ、ずっと噂が流れ続けちゃうよ」
ブリックが頭を抱える。
娼館を後にした四人は、再び飲み屋の部屋に戻り難しい顔を突き合せていた。
「じゃあ、噂を『赤髪の美女』から『マミアリアって人が』に変えるとかか?」
ガルツの意見に四人は暫し黙考するが、噂の一部を操作するのは難しく、時間もかかるし何より確実ではなく無理だと諦める。
「噂ってのは、正確なものより曖昧なものの方が広まりやすいからねえ」
想像の余地がある方が、人々の興味は掻き立てられる。いつの時代もゴシップというものは、話題の中心一番地なのだ。
「……最後のマミアリアさんの言葉が気になります」
ポツリとこぼしたスフィアの言葉に、ガルツとブリックは首を傾げた。どうやら彼らのいたところまでは彼女の声は聞こえなかったようだ。
しかし、スフィアと同じ場所にいたベレッタには、彼女の呟きが聞こえていた。
「妙な事を言ってたねえ。『あの人の言った通りにして良かった』――だったかしら? この言い方じゃあ、マミアリアは誰かの指示を受けてるって事になるねえ」
「そんな事言ってたんですね。でもそうか……だとしたら、マミアリアさんの何を言われようと、金を積まれようとって言葉も頷ける。誰かの命令なら、勝手にやめるなんてできないもん」
腕を抱え、ブリックは口元を押さえた手の下でブツブツと独り言を繰り返す。
床の一点を見つめる目は真剣で、今までの情報から思考を纏めているのだろう。
「……それに彼女、夢があるって言ってたよね。夢のために娼館で働くって言ったら、普通金銭目的だと思うんだよ。でも、金を積まれても辞めないってのは矛盾するよね」
スフィアも、マミアリアが夢があると言った時、金のためだと思った。
しかし本当に金のためなら、目の前に交渉できそうな貴族がいる状況をみすみす拒否するとは考えにくい。彼女は浅慮な人間ではないはずだ。考えが及ばなかったわけではないだろう。
「……娼館の一番になる事が夢? いや違う。既に彼女は一番だと言っていた。他に何て彼女は言った? 思い出せ……表情も、彼女の言ったことも一言一句全て……」
ブリックの思考がどんどんと深度を増しているのが伝わってくる。
彼を中心に部屋の空気が張り詰めていく。息をするのも憚られるほどの集中力。さすがは、勤勉な生徒が集う貴幼院で常に一番に立ち続けてきた者だ。
瞬き一つのエネルギーすら惜しいとばかりに、ブリックは瞼を閉じ視界情報もシャットアウトする。
スフィア達はブリックの邪魔をしないよう一切の言葉を呑み込み、彼の瞼が再び開くのを待った。
そうして口の中が乾き始めた頃、ようやくブリックの瞼が上がる。
「……噂を広めるのが目的だ」
ブリックのまさかの結論に、三人は反応するのが一瞬遅れた。
「夢が何かまでは分からないけど、噂を広めたその先がきっと彼女の夢に繋がってるんだ。そして、その為の手段である派手な仕事こそ、誰かに指示されたことだったんだよ」
「私達が思っていた原因と結果が逆だったって事ですか」
「そう。僕達は彼女の仕事が原因で噂が広まったって思ってたけど、彼女は噂を広める為に仕事をしていたんだよ」
「正直……こんな噂を流すのが目的だなんて信じらんねえけどよ、でも……確かに彼女の言葉や反応を思い出すと、ブリックの言う通りだわ」
ガルツが賛同したことで、ブリックの推論の厚みが増す。
スフィアもブリックの推論を念頭に記憶を振り返れば、彼女の妙な言動は確かに腑に落ちるものばかりだった。
「マミアリアの行動の動機は分かった。だが分かったとしても、噂を広める為にマミアリアが仕事を続けるんじゃ、やっぱり噂を消すのは難しそうだねえ」
そうだ。動機が分かったとしても、スフィア達の最終目的は噂を消すことなのだ。噂を流すことを目的とされていたのでは、こちらの目的とは相克してしまう。
しかし、一難去って一難と暗くなりかけた空気を、ブリックが明るい声で打ち消す。
「噂されるのが目的なら、より強い噂を流してやれば良いんだよ! マミアリアさんなんか霞んじゃうくらいの派手な噂を! そうすれば、少なくとも彼女は今みたいな仕事の仕方は続けられない」
そうか、とガルツが手を打った。
「続けても効果がないって分かりゃ、指示してた奴も別の方法を考えるだろうしな! やるな、ブリック!」
「えへへ、それ程でも~」
ガルツがブリックの頭を、犬でも撫でるかのようにワシャワシャと乱しながら、嬉しそうに掻き混ぜる。ブリックの柔らかいくせっ毛が、よりあちらこちらに跳ねるが、ブリックも嬉しそうにされるがままだ。
「で、そのより強い噂ってどういったものでしょうか?」
スフィアの言葉に、はたとガルツもブリックも動きを止めた。
「それは……」
「その……だな……」
赤髪という珍しい女性の男遊びに勝る噂が、はたしてあるだろうか。
喜んでいたガルツとブリックも、その答えは持っていなかったようで、一度明るくなった雰囲気も急速に冷めていく。
しかし、そこでベレッタが自信満々に胸を叩いた。ばるるんと胸が揺れる。ちくしょう。
「そういう事ならこのベレッタ姐さんに任せな! 派手な噂を流せば良いのなら、アタシの出番さ!」
「え、待ってください! そんな、ベレッタ姐さんまさか、マミアリアさんと同じ舞台に上がろうとしてませんよね!? もしそうなら、絶対に」
「安心しなって。マミアリアと同じ手を使おうなんて思っちゃいないさ。人を虜にする術はマミアリアより知ってんだから。だてに、男のベッドを渡り歩いてないよ」
ベレッタの大人な事情を察したガルツとブリックは、はわわと頬を染めて目を白黒させていた。中身アラサー超えのスフィアにとっては大した刺激にもならないのだが、やはり思春期の彼らにはこの程度でも充分な破壊力なのだろう。
ベレッタは玩具を見つけたとばかりに、おかしそうに喉の奥で笑うと、わざと胸を強調させ二人にウインクを投げた。
「坊ちゃん方も、大人になって人肌恋しくなったら相手してあげるよ。特別に安くしといてあげる」
ボンッと、二人は一瞬で湯だった。見ていて面白い。
「ぉおおおぉ俺には、ス、スフィアが、いぃいいますんで……っ!」
「ぼぼぼ僕も、その、あの……っひゃあぁぁ」
スフィアの髪色よりもっと赤くなった顔を覆って、二人とも椅子の上で小さくなって撃沈していた。
「あはははは! 久しぶりにそんな初々しい反応を見たよ。やっぱり子供はこうでなくっちゃね」
ベレッタはガルツとブリックの頭に手をのしっと置くと、少しだけ雑に撫で回す。
「貴族の子が、子供でいられる時間が短いってことは分かってる」
うってかわって、ベレッタは穏やかな声音を出した。彼らを見つめる瞳は、温めのミルクティーのように甘やかで優しい。
「でもね、無理に焦って大人になる必要はないんだよ。子供らしく自分の事だけ考えてりゃ良いんだ。家だとか、親だとか……そんなものは、後でいくらでものし掛かってくるんだから、今は目一杯子供でいておくれ」
それは二人に向けて言われた言葉だったのだろうか。
「もちろん、スフィア姫もね」
向けられたベレッタの表情は、優しさの裏に後悔を抱いているようにも見えた。
スフィア達三人に向けられた優しさ。そして、裏側の後悔は誰へのものだったのか。




