30.赤髪のウワサ
「――ねえ、スフィアさん。週末とか、セヴィオに行ってたりする?」
つい最近目にした言葉と同じ事を聞かれ、スフィアは思わず口に含んでいた紅茶を噴き出した。幸いにも向かい側に座るフィオーナにはかからず、自分の口元を汚しただけだった。
「……それ、つい最近も別の方に聞かれたんですが、何かのゲームですか?」
口元をハンカチで拭いながらフィオーナに目をやると、彼女はあからさまに安堵の息を吐いていた。
今日は以前リシュリーが言っていた、交換視察会メンバーでの久しぶりの茶話会である。
王都で美味しいと評判の喫茶店で、近況報告という名のフィオーナのノロケを肴に、スイーツとお茶を楽しむ会だ。どうやらストーゼンとはちゃんと続いているらしい。それどころか彼女の話を聞く限り、ストーゼンの女遊びもパタリとなくなり、今やどこへ行くにも何をするでもフィオーナフィオーナとうるさいようだ。
今日の茶話会も、一緒についてこようとしていたらしい。メンバーを伝えたら、音速で掌を返したというが。
久々に会ったフィオーナは、とても幸せそうだった。
彼女の髪色は赤からすっかり元の金色に戻り、巻き髪ツインテールも顕在だ。
どうやらストーゼンに「赤だけはやめてくれ」と言われたらしい。「赤髪が好みって言っていたはずなのに不思議ね」とフィオーナは首を傾げていたが、スフィアとリシュリーは「そうね」としれっと答え、ケーキを口に運んでいた。
やはり顔で選んだ相手より、自分を本気で愛してくれている者と結ばれた方が幸せだと、彼も気付いたのだろう。
是非二人には、幸せな家庭を築いてほしいものだ。
「それで、セヴィオですっけ。西の……どこら辺か知ってます?」
スフィアの問い掛けに、隣のリシュリーがテーブルにコップの水で地図を描く。
「確か、セヴィオは王都と西方国境領との中間地点くらいじゃなかったかしら」
「あーうんうん、その辺りだったかも。誰の領地だったかは忘れちゃったけど……」
リシュリーが描いた地図を覗き込み、フィオーナも頷いていた。
王都から馬車で二、三日程度の距離だろう。
「どう考えても、週末にセヴィオに私が行くのは無理ですね。だって、学院がありますから」
「確かに。考えたらそれもそうだわ」
フィオーナはテーブルの上に突き出していた顔を引っ込め、ソファにどっかと身体を預けた。
「それで、一体私とそのセヴィオとがどのように関係してるんです?」
ロクシアンからの手紙にも、質問の意味は書かれていなかった。
ただ時候の挨拶と質問だけの、封筒と同じく質素な内容の手紙。
女性の扱いに慣れた彼ならば、普通そのように簡素な手紙は送ってこないと思うのだが。一体どうしたことか。
一応、返事は『行ったことありません』との回答と一緒に、こちらの近況報告も伝えておいた。何かあればまた手紙を寄越すだろう。
「あのね、怒らないで聞いてね、スフィアさん」
ごくり、とスフィアとリシュリーは固唾をのむ。
フィオーナは声を落とし、秘密話の定番ポーズ――口元に手を添えて言った。
「美しい赤髪の女の人が、セヴィオの男の人達を誘惑して遊びまくってるんだって」
「…………」
「…………」
スフィアとリシュリーは無言で天を仰いだ。
「も、もちろん私は信じてないわよ!?」とフィオーナは両手を振って否定するが、こちらとしては微妙に否定し辛い。
めくるめく学院生活の記憶を辿れば、誘惑したようなしなかったような記憶がほいほいと……
「……スフィアじゃないの」
「違います。セヴィオでそんな事しません」
「じゃあ学院では?」
「私は男達を誘惑しているわけではなく、困惑させているだけです」
「間違ってないのが不思議よね」
はたして、男を困惑させまくる美女という概念が存在するのかと、リシュリーは疑問に思ったが、実体をもって真隣に存在しているのだから認めざるを得ない。
「きっと別の女性の方でしょう。私のこの赤髪は珍しいとは聞きますが、私以外にいないというわけでもないですし」
「確かに赤髪はそうだけど、『赤髪の美女』っていうと、やっぱりスフィアさんくらいしか思い浮かばなくて……」
「このくらいそこら辺にいますよ。あ、このアーモンドケーキ、中にレモンカスタードが入ってて美味しっ!」
「スフィアさん、あなた鏡は毎日見てる? それか鏡が錆びてるんじゃない? え、それ美味しそう。ちょっと一口ちょうだいな」
「まさか! あの金髪碧眼のド級美女をご存じない!? 見ると幸せになれるという……あ、どうぞどうぞ」
「神像か何かかしら……」
怪訝顔で首を傾げつつも、スフィアのケーキにフォークを刺すフィオーナ。それを口に運べばあっという間に表情も晴れる。
「まっ、実害があるわけでもないし、人の噂なんてあっという間に流れていくんだから、変に騒がず静観していたら良いんじゃない? あたしもソレ貰っていいかしら」
「そうですよね。あ、どうぞどうぞ」
「噂なんてその程度だものね。あ、こっちのも食べて食べて」
三人はお互いのケーキを口に運んでは「美味しー!」と顔を輝かせ、久しぶりの茶話会を満足して終えた。ケーキの持ち帰りを頼む頃には、三人ともすっかり噂話など忘れて。
しかし、三人の予想に反して、その噂は中々消えることはなかった。




