24.粉砕!玉砕!大団円!
ただならぬ雰囲気に、自ずとアイザックも前のめりになって耳を傾ける。
躊躇いながらもスフィアが口を開いた。
「とっても不運なんです!」
「ふ、不運……?」
拍子抜けしたばかりとのアイザックの声。
「不運なんて、誰にでも悪いことが重なるときくらいあるさ」
慰めようとしているのだろう、アイザックはスフィアの手を優しく握る。
彼のスフィアへ向ける目は、完全に死を前にして最期の言葉を伝える恋人のそれだ。
「むしろ、僕が降り掛かる不運から君を守――」
「私、自分で言うのもなんですが、この見た目でしょう? 色んな男性に様々な好意を向けられてきたんですが、どうやら中には怨念と化して纏わり付いているものもあるようで……」
少女漫画のヒーローのような台詞を言おうとしたアイザックに、問答無用で言葉を被せるスフィア。しかも被せた内容は、場の雰囲気にそぐわない怨念などという陰鬱としたもの。
「へぇ」
さすがのアイザックも口数が減る。
「私に近付く者があると、どうやらその方も不運の巻き添えになるようで……」
「……ほぉ」
「なので、皆さん何も知らない最初のうちは私と一緒にいてくれるんですが、いつの間にか距離を置くようになってしまうのです」
「…………ふ、ふぅん」
平静を装ったアイザックの脳内では、スフィアと出会ってからの怒濤のトラブルが駆け巡った。こめかみに汗が滲む。
「で……でも不運って言っても、少し本が落ちてくる程度や、滑って転んだりと大したことな――」
突然スコンッ、とアイザックが頭の上に剣が突き立った。
「――――っ!?!?」
剣闘場の方から「ごめーん、そっちに剣が飛んでこなかったー?」と呑気な声が聞こえる。
サーッとアイザックの顔から血の気が失せた。
口を固く結びぷるぷると震えている。
しかし、彼のすぐ頭上に突き立った剣など見えないとばかりに、スフィアはお構いなしに目を輝かせ「でも!」と語気を強め嬉々とした声を出す。
「アイザック様はこんな姿になってまで私の傍にいてくださいますのね! しかも『この程度』と男気まで見せてくださって……やはりアイザック様はとてもお優しいのですね! ああ……っ良かった。一生一人でこの不運と付き合っていかなければと思っていたんです。ですがこれからはずぅぅぅぅぅぅぅっと! アイザック様が一緒に不運を背負ってくれるんですね! 良かったです。中には危うく池で溺れて魚に食べられそうになった方もいましたのに、アイザック様はそれでも、ずぅぅぅぅぅっと一緒にいてくださるんですね!!」
「……………………」
なぜ『ずっと』をそこまで強調するのか。二回も念押しされ、アイザックの口端も引きつる。
スフィアの期待を込めたキラキラしい瞳が、アイザックを見つめた。引きつっていたアイザックの口が開く。
「あ、あー……実は僕ってそこまで優しくないんだよね」
「ですが、初対面の私にもとっても優しくしてくださいましたし、何よりとても紳士的で、挙措も丁寧で、物腰も柔らかく、とてつもなく素敵でしたわ」
「そんなことないよ!? 脱いだ靴下は裏返しにして投げる雑さだし、風呂場でタップダンスして全裸で転ける品のなさだし、猫を見たら上から目線で威嚇する喧嘩っ早さだし、何なら皿をフリスビーにするよ!」
「あら、素敵。雄々しいですわ。一緒に屋敷のお皿が尽きるまでフリスビーしましょう」
「まだあるぞ――!」
アイザックは今までの彼からは想像できないような事ばかりを懇切丁寧、熱意たっぷりにならべたてた。
そして、先程まで死にかけていたとは思えない俊敏な動きで立ち上がると、スフィアに背を向けた。
「こんな僕……スフィア嬢の望む男とはほど遠いと思うんだ。ごめんね、僕じゃ君につりあわない……っ! どうかこんな男の事は忘れてくれ!」
背に悲壮感を漂わせ、涙を袖で拭うふりをしながらアイザックは走り去っていった。
「待ってください!」と伸ばしたスフィアの手は、彼の背が見えなくなると、あっさりと下ろされる。
クスッとスフィアが口元を歪めたときだった。
背後でサクッと落ち葉を踏む音がしたのは。
「彼、結構粘ったわね」
剣闘場の方からやってきたのはリシュリーだった。
「ご苦労様です、リシュリー」
今し方、やっとスフィアと再会したばかりだというのに、訳知り顔でリシュリーは頷いた。
「スフィアの役に立てて光栄だわ。最初、スフィアとアイザック様を怪我をしない程度に全力で攻撃しろ、って言われた時はどうするつもりかなって思ったけど……こんな未来を予想してただなんて。さすがだわ」
アイザックに言った不運など全て嘘だ。全て人為的に起こされたエセ不運。
池で溺れて魚に食べられそうになったガルツという男の話は本当だが。
「今回はリシュリーがいてくれたからですよ。私一人じゃ、ここまで手際よくできませんでしたから」
そういえば、分担作業をしていたと言っても、いやにリシュリーは手際が良かったなと思う。特に舞踏室に入って足を滑らせるのなんて、舞踏室に先回りしている必要がある。
「リシュリー、もしかして分身の術とか使えたりします? 見事な手際でしたが。特に最後の投擲なんか、やはり騎士団統括相の娘だけありますね」
「あははっ! 使えたら今頃全員でスフィアを取り囲んでるわよ」
それはやめていただきたい。
「実は、ちょこちょこ手伝ってもらっていたのよ」
「あら、見ず知らずの方まで巻き込んでしまって申し訳ないです」
「大丈夫よ、あたしの知り合いだから。もちろんスフィアの事は話してないから安心して。あっちは謎の作業くらいにしか思ってないから、気にしないで」
家の関係でリシュリーは顔が広いのだろう、学院に知人がいても不思議ではない。
スフィアはどこの誰かは分からないが、取り敢えず感謝の念を込めて、南無南無と空に向かって手を合わせておいた。
そこでちょうど、授業終了を継げるチャイムが鳴り響いた。
どうやら間に合ったようだ。
「八方美人の優しさは時として悪なんですよ。その優しさは、しっかりとお姉様にだけ向けてくださいね」
後日、アルティナから聞いた話だと、優しすぎる彼には少し陰ができたらしい。おかげで、陰のある男が好きな女子生徒達まで滾らせる結果となったという。
――――アルティナの想い人・アイザック=レーン 改変完了
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「それにしたって、本当にアルティナ様が好きなのね。合宿の夜に嫌っていうほど聞かされてたけど、目の当たりにすると熱量が違うわ」
「もちろんです! お姉様が私の全てですし、生きる意味ですからね。リシュリーもアルティナ教に入りませんか?」
「入信を勧めないで。それに私はもうスフィア教に入ってるから。二心は抱かないわ」
「それ神じゃないんで。神だとしても邪神なんで、やっぱりアルティナ教に改宗するのをオススメしますね」
スフィアの洞穴の底のような真っ黒な瞳がリシュリーに迫る。純真無垢とはほど遠い、人を洗脳しようとする者の目だ。
「圧が強いわ」
リシュリーはスフィアの顔に手を被せ、視線から逃れる。覗いてはいけない深淵を見せられそうだ。
「あーそうだ、スフィア! あれよあれ……グレイ殿下から手紙は返ってきたの?」
話題を変えたことで、迫っていたスフィアの顔がピタリと止まった。近付けていた顔がゆるゆると遠ざかる。
「それが……返事がないんです」




