22.二人の距離
アイザック=レーン。
アルティナと同年の伯爵家令息であり、温厚な人柄、誰にでも分け隔てなく接する素直さ、特に女性には紳士的と、ゲームの中でもオーソドックスな優良キャラ。見た目も中身を模したかのような柔らかな猫っ毛の灰色髪と、まろやかな蜂蜜色と美しい。
アクがなく、どこかの王子よりもよっぽど王子らしい人物である。
アルティナはこのような彼の優しさに惹かれたのだろうが、万人に向けられた優しさというものは時として人を傷つけたりもする。
「――まあ、そんなことが。アイザック様ったらおかしいっ」
「本当、あの時は参っちゃったよ。皆急にいなくなるんだから」
やはり貴上院生ともなると、二つしか変わらないのに、纏う空気は大人のそれとほぼ変わらなかった。
かつてブリックが言っていたように、貴幼院の中の二歳差と貴上院を挟んでの二歳差では、大きな隔たりがあるのだろう。
スフィアとアイザックは雑談に盛り上がりながら、聖ルシアードの中を歩き回る。
歴史が感じられる教室や廊下の高い天井、柱廊の横にはいくつも中庭や噴水が造られ、小さな王宮という様子だ。それこそ、貴族オブ貴族の学院と呼ばれるに相応しい。
メインである校舎の中も見回り、スフィア達は外へと出ていた。
「アイザック様、次はどちらへ案内してくださるんですか?」
「次は図書館にでも行ってみようか」
「まあっ、楽しみです! 私、図書館の古い紙の匂いや、あの静かさが好きなんです」
「だったら気に入ってえると思うよ。うちの図書館は、全貴上院の中でも特に大きいから」
図書館や温室など付属する施設も、貴幼院のそれとは比べ物にならないくらいに本格的なものになっているらしい。
二人は和やかな会話を挟みながら、校舎脇に建っている図書館へと足を向けた。
「それにしても、リシュリー嬢は本当に大丈夫だったのかい? 一人で見て回りたいからって……うちの学院は結構広いけど」
「ええ、彼女なら大丈夫ですわ。優秀ですし、元々一人で色々見て回るのが好きらしくて。きっと今頃この美しい学院を堪能して――――っきゃあ!」
突然、スフィアの鼻先を掠めるようにして何かが飛来した。それはすぐ横の壁にぶつかり、パンッとうるさい音を立て足元へと落ちる。
「大丈夫かい、スフィア嬢!?」
慌てたアイザックが、驚きで地面でへたりこんだスフィアの肩を抱く。
「怪我は!? 一体何が……」
「だ、大丈夫です。急に何か飛んできたと思ったら横の壁にぶつかって……」
アイザックが地面に目を向ければ、そこにはこぶし大のボールが転がっていた。
「……ボール? どこかのクラブか?」
危ないなあ、とアイザックは眉をひそめた。
「ひとまず、スフィア嬢に怪我がなくて良かった。あとで生徒会に報告しておくよ。まったく……」
アイザックはスフィアの手を取り、引き上げるようにして立たせる。無理矢理引き起こすのではなく、しっかりと腰に手を添え痛くない力で引く彼は、想像以上に優しい。
「どこか痛いところはないかい?」
スフィアはスカートの汚れを払い、大丈夫だとしっかり立ってみせる。
しかし、すぐに顔を曇らせた。
「あの……アイザック様はお怪我とか……」
キョトンとして首を傾げるアイザック。
「僕は平気だよ。スフィア嬢より先に歩いていたからね。何か、僕に気になるところでもあったかい?」
アイザックは、背中やら足やらとキョロキョロと自分の身体を見回す。
「あっ、いえいえ何もないようでしたら良いんです!」
スフィアは焦ったように何でもないと両手を振った。笑う顔はやや引きつっていたが、アイザックが彼女の微妙な変化に気付く前に、スフィアは質問で話題を逸らす。
「あの、それより先程仰ってましたクラブって何ですか?」
「ああ、貴幼院にはなかったね。貴上院にはクラブって言って、課外活動のようなものがあるんだ。うちには剣闘クラブや植物学クラブ、社交クラブとかって文武問わず様々なクラブがあるんだけど、授業と違って生徒主体で行われるものだから、気軽だし自分の研究したいものに好きなように取り組めるから楽しいよ」
「まあ、貴上院はとても楽しそうですね。アイザック様は、何かクラブに入ってらっしゃるんですか?」
「残念ながら僕は入ってないんだよ。今は勉学に集中したくてね」
「そう、なんですね……」
スフィアの残念そうな反応に、アイザックが曖昧な苦笑を漏らす。
「……やっぱり男は活動的な方が良かったかい?」
「ち、違います……っ!」
アイザックの自嘲とも取れる発言に、スフィアは慌ててアイザックの手をぎゅうと握った。真剣な目でアイザックを見上げるスフィアの顔は、頬を染めて切に訴える。
「勘違いなさらないでください。その……もし私が学院に入ったとしてもアイザック様とは学年が違いますし、でしたらクラブだけでも……ご一緒できたらと……」
揺れる水面のように、スフィアのエメラルド色の瞳が揺らいだ。
アイザックの喉が硬い音を鳴らす。
「……ッスフィア嬢」
スフィアの名を呼ぶ声は先程までとは異なったものだった。熱っぽく、やっとのことで紡いだような掠れ声。
自然とアイザックの足は、向かい合うスフィアとの距離をより縮めようと一歩踏み出す。
しかし、サクッと草を踏む音で、距離が縮まる前にスフィアがハッと我に返った。同時にアイザックも我を取り戻し、いつの間にか握り返していた手を離す。
「すすすすみません! 私ったらいきなり……っはしたなかったです……」
「い……っいや、そんな事はないよ」
二人の間に面映ゆくもギクシャクとした空気が流れる。
「さ、さあ、図書館へ案内しよう」
「お、お願いします」
互いに「はは」とかたい笑みを交わし、再び図書館へと足を向けた。




