17.女子二人、夜
顔に何か温かいものが触れ、意識が浮上する。
目を開けると、薄闇の中に人影が浮かんでいた。金色の髪が月明かりに静謐に輝く姿の彼女は――
「……おね……さま?」
頬に触れていたのは彼女の手だった。
「あら、起こしてしまったかしら、ごめんなさいね。まだ夜だからゆっくり寝ていて大丈夫よ」
アルティナの微笑みに、夢の映像がフラッシュバックする。
たちまち、ぶわっと全身の熱が目に集まり、溶けたようにホロホロと流れていく。
「おね……っさま、どうか……笑っていてください……っ、どうか……ずっと」
「どうしたのスフィア、怖い夢でも見たのかしら」
枕を濡らす涙をアルティナの指が掬っていく。その優しさがまたスフィアの心を締め付ける。
「お姉様の幸せが私の希望なんです……っ、だからどうか……諦めないでください」
「よくは分からないけれど、私が簡単に諦める女だと思って?」
ズビッとスフィアは鼻をすする。
「……思いません」
諦めないからこそ、彼女に憧れたのだから。
「あの、お姉様はどうしてそんなに惚れっぽいんですか?」
アルティナは一瞬目をキョトンとさせ、そしてクスリと笑って肩をすくめた。
「まあ失礼ね。でもそうね……確かに周りから見れば、私はよく好意を示しすぎているように見えるのかしら」
アルティナが身体の傾きを変えればベッドが軋む。それが合図となったように、アルティナの声音が一段落ちたものになった。
「この大公家って肩書きは、老若男女問わず様々なものが群がってくるのよ。ウェスターリ家の子は私しかいないから当然私が家督を継ぐのだけれど、そうすると、私の意思はウェスターリ家の意思と受け取られるの。だから私には曖昧な態度は許されないわ。好きなものは好きと、嫌なことは嫌と意思をはっきりさせないといけない。曖昧にしていると、都合の良いようにとられてしまうから」
スフィアから見えるアルティナの横顔は眉が下げられ、口角は緩く上がっているものの笑みとは別の感情が浮かんでいた。
恐らく、都合の良いようにとられてしまったことが幾度となくあったのだろう。
「お姉様、私はお姉様の肩書きなんか見てませんからね」
「ええ、分かっているわよ。あなたの好意が純粋なものだって……未だにその好意の出所が謎で恐怖だけど……」
「前世から愛してます!」
「重いわね」と言いつつ、アルティナは笑っていた。
きっと冗談だと思われている。しかしそれで構わない。どう思われようと、彼女を守る決意に変わりはないのだから。
すると、スフィアがアルティナを見つめていれば額を指で弾かれる。
「だから、スフィアも言いたいことははっきりと伝えなさいね、グレイ様に」
「なっ、なんでそこでグレイ様が!?」
思わず勢いよく布団を捲ってしまった。
「先日グレイ様も来られたって言ったでしょ。彼の様子もあなたみたいにおかしかったもの」
「ししし信じてください! グレイ様と恋仲とかそのような関係には……!」
手元に捲るものがなく、今度は上体を起こそうとしたスフィアを、アルティナがなだめ寝かせる。
「落ち着きなさい、熱が上がるわよ」
捲った布団もきっちりと首元までかけられ、動くことを封じられてしまった。
「分かってるわよ。大方、グレイ様の片想いってところでしょうし。もしくは、お互いの父親同士がノリで将来は結婚させようとか何とか言ったんでしょ」
「さすがお姉様。ご明察」
「まあ、一国の王子が無闇矢鱈に一人の令嬢に付き纏うなんて、それくらいしか理由がないものね」
しかも、グレイの行動は付き纏いだと正確に認識してくれているとは、大変助かる。
布団から手先だけだし、控え目な拍手を送れば、フフンと誇らしげな声が聞こえた。
「でも……実は、許嫁は解消されたんです」
「あら、とうとうハッキリと振ったのね。やるわね、王子相手に」
「いえ、ずっとハッキリと振り続けてはいたんですけどね……全く伝わらなかっただけで」
そう、今まで余程手酷く振ってきたというのに、なぜ今更。
正直、悲しい云々よりも『なぜ』という釈然としない思いでモヤモヤが晴れないのだ。
「グレイ様の方から解消しようと言われたんです。好きな人でも出来たんでしょう、金髪碧眼の大公家美令嬢とか」
「私を巻き込まないでちょうだい」
「ちぇ」
そこがくっついてしまえば、一番の大団円だというのに。
「なるほど。もしかすると、風邪ってよりモヤモヤと考えすぎての知恵熱だったのかしらね」
「そうなんです。昨日もお風呂に入ってる間も考えてしまって、気が付いたらお湯が水になってました」
「馬鹿ね。風邪よ」
グイ、と首元まであった布団を今度は口元まで引き上げられた。優しい。
「取り敢えず、分からなければ聞けば良いでしょう? グレイ様の様子からするに、きっと理由はあるのだから」
「うぅ……仰る通りです」
全くの正論に、スフィアは頭の先まで布団にすっぽりと隠れる。布団の向こうからクスクスと笑う声が聞こえた。
今日の事はアルティナに迷惑を掛けてしまっただろうが、少しだけ倒れて良かったと思ったのは内緒だ。
「はやく治しなさい。そうしたら、一緒に街へ行きましょう」
「いっ、行きます行きます!! お姉様と一緒にお出掛けします!」
ガバッ、と布団を捲れば、既にアルティナはベッドから腰を上げていた。夜半の月明かりに薄らと光る彼女はまるで女神のように美しい。
「私、今まで色んなもの貰ってきたけれど、手作りのものを貰ったのは初めてだったのよ…………嬉しかったわ」
とても、と言いながら背を向けた彼女の頬が、薄らと赤く染まっていたのは見間違いだろうか。
「それじゃあ、おやすみなさい。スフィア」
アルティナは足音を立てないように部屋を出て行った。
スフィアの耳の奥で、今先程言われたアルティナの言葉が反芻すれば、勝手に口がニヤけてしまう。一人布団の中でバタバタと暴れるスフィア。
しばらく喜びに悶え終わると、途端に眠気が襲ってくる。窓の外はまだまだ夜の気配が濃い。
きっと今なら良い夢が見れるはずだ。
「あ、そうだ。グレイ様と……会わないと……」
帰ったら手紙でも送ってみるとしよう。




