16.スフィアという令嬢
客間の扉がキィと物寂しい音を立てて開く。
中で寝ている人物を起こさないようにと、足音を消して近付く夜着姿の女性はアルティナである。
アルティナがベッドを覗き込むと、中には顔を赤くして短い呼吸を繰り返すスフィアが寝ていた。
「まったく……」
ベッドの縁に腰掛ければ、ギッとベッドが軋みをあげた。
「体調が悪いのなら、無理してまで来なくてもよろしいのに……」
スフィアの額に貼り付いた髪の毛を指先で丁寧に払うアルティナ。
「本当、変な子ね」
変と言いつつも、そう呟いたアルティナの口元は穏やかに緩んでいた。
「もう……五年になるのね。あなたと出会って」
第一印象は最悪だった。
レイランド侯爵と国王の仲の良さは、グレイ達王子や国王自身から聞いて知っていた。だからその娘であるスフィアが現れた時は、親のコネを使って王子に取り入ろうとしている令嬢の一人くらいにしか見ていなかった。
レイランド侯爵以外にも、親の縁で子供を王子に会わせるというのはよくよく見てきた。かくいうアルティナ自身も大公家という王家に次ぐ家格から、両親を介して様々な人に会わされてきた口だ。
最初は単純に友達が増える事を喜んでいた。
しかし、色々と見えてくるようになると、彼ら彼女らの後ろに滲んだあけすけな欲まで見えるようになった。自分を特別扱いするのは優しさからではなく、全て下心。
もしかしたら、中には本当に優しさだけで接してくれていた者もいたかもしれない。しかし、一人一人考えて見抜いて接していくというのは不可能だった。
段々人付き合いに疲れ、自分の顔色を窺う必要のない王子達と過ごす事が多くなっていった。
そんな中に現れたのがスフィアだ。
彼女は最初から自分に異様な好意を見せていた。
「あんなにグイグイ来られたのはあなたが初めてよ……ちょっと怖かったわ」
押しの強い好意に少しほだされた感じは否めないが、それでも彼女も『大公家のアルティナ』と近付きたい一人だと思っていた。
「なのに、あなたったら全然離れていかないんだもの」
月に一回は来る様子伺いの分厚い手紙に、グレイを伴っての来訪。最近ではグレイ無しでも訪ねてくるのだが、いつの間にかそれを嫌だとは思わなくなった自分がいた。
手紙の上でも現実でも、彼女の好意はいつも熱烈だった。もしかして恋愛対象として見ているのかと考えたこともあったが、好きな人が出来た話も嬉々として聞いていたりもするから、よく分からない。
「あなたみたいな令嬢、どこにも居ないわよ」
髪の色も目の色も、身に纏うドレスの色だとて全く似たところはない。むしろ正反対と言ってもいいほど、彼女との共通点などないというのに、どうしてかスフィアを近しく感じる。まるで妹のようだとも。
「お姉様お姉様ってうるさく呼ぶせいかしらね」
正直、彼女の謎の好意をどのように受け止めれば良いか迷ってもいる。
貴上院にも友人はいる。もちろん下心無しの友人も。だが、その友人達と比較してもスフィアはどこか違うのだ。
「でも、もし今みたいな関係がこのまま続けば、私達良き友人になれるかもしれないわね」
アルティナはスフィアの頬に撫でた。
◆
アルティナが画面の向こうに映っていたから、夢を見ていたのだと思う。
アルティナ=ウェスターリは『100☆恋』の悪役令嬢である。
必ず主人公のライバルとして立ちはだかるように設定されている彼女の最後は、決まって追放だった。
好きな人を奪われて嫉妬で主人公にきつく当たるようになるアルティナ。最初はアルティナに同情的だった彼女の友人達も、次第にヒロインに味方するようになり、最後は断罪の舞台に一人で立たされるのだ。
全員が敵視する中、ヒロインを苛めたことにより好きな男には罵声を浴びせられ、誰にも手を差し伸べられることなく、引きずられるようにして退場させられる。
何度も「話を聞いて」と叫びながら、涙で顔をグチャグチャにして消えていくシーンには、目を背けたくなったものだ。
きっとそこがプレイヤーが一番スカッとする見せ場なのだろう。おかげで、妙に作画に力が入ったフルボイスアニメーションを何度も何度も見せられる羽目になった。
《話を聞いてくださいませ……っ! お願いします! 私はただ……っ、あなた様の事が――!》
叫んでも喚いても誰にも届かない彼女の声を、アルティナの声では決して聞きたくはなかった。




