政変
ドルク海軍が突出し、北アフルークの航路を脅かしているという情報が入ったのは、イゾルテがクレミアへと旅立つ直前だった。
「なるほど、こうやって海兵を誘い出すつもりか」
ダングヴァルトの報告が無ければうっかり艦隊を出動させてしまったかもしれないが、今は彼女も裏の事情を把握している。だから彼女はうっかり出動させたりしないで、確信的に出動させたのだ。些か過剰なほどに、ただし空の帆船を多めに。そして彼女自身はコルネリオとムルクスに後事を託し、別の艦隊を率いてクレミアへと旅立った。
託されたムルクスはまずバネティアとの航路上に哨戒網を張らせた。そしてバネィティア船団接近の連絡が入ると、港を封鎖して民間船の出港を禁じ、海兵を武装させて停泊中の商船に乗り込ませた。
コルネリオは陸軍を率いて港湾部を封鎖し、第二大隊の残り二個中隊50両を要所要所に配置した上に、万一の場合にも一兵足りとも通さないようにバリケードを構築した。勿論皇宮は近衛ががっちりと門を固めていた。そして迎撃の準備が万端整えられた所に、何も知らないバネティア船団がのこのことやって来たのである。
アプルン兵5500を載せたバネティア船団20隻は、元首ダンドロに率いられて意気揚々と海峡に入ってきた。ダンドロもアプルン側の責任者であるシャンポーニュ伯ティムボーももちろん緊張していたが、もはや計画の成功を疑ってはいなかった。海軍が出払っていることはプレセンティナからバネィティアに帰る商船から聞き出していたし、疑われもせずに海峡に入ることにも成功したのだ。
「イゾルテ皇女がキメイラを載せてアムゾン海に向かったとも言うし、ドルクもなかなか上手くやるではないか!」
「ですが近衛と衛士隊(警察)は丸ごと残っているはずです。気を引き締め、努努油断なされぬように」
「分かっている。ジョブロワはいちいち五月蝿い奴だな」
武装を固めたティムボーとジョブロワの主従が甲板で会話していると、丸腰のダングヴァルがふらりと現れた。
「そうですよね~、もう戦いは終ったも同然なのになぁ」
「ふふっ、ダングヴァルト卿は自信満々だな。卿には十分に報いるつもりだ。残念ながらイゾルテ皇女は留守のようだがな」
「そちらの方は追々お願いしますよー」
ティムボーとダングヴァルトは「はっはっは」と笑い合ったが、ジョブロワはダングヴァルトを鋭く睨みつけた。唯でさえ厳しい戦いを前にしているのに、気を引き締めるどころか油断しまくったその様子が彼の癇に障ったのだ。ダングヴァルは「おっかねー」と呟きながら肩を竦めたが、ジョブロワにはそれにもムカついた。
だが、確かにダングヴァルトの働きは眼を見張るものがあった。プレセンティナは北方に備えるためにキメイラ大隊の増設と常備兵の増強を行ったが、彼がいち早くその兵力配置を掴んできたお陰でペルセポリスの防備自体は返って手薄になっている事が分かった。軍機に触れるような情報を彼がさらっと集めて来たことをジョブロワは訝しく思ったが、バネィティア側の情報網からも彼の情報を裏付ける報告があるので、それ自体は信じて良いだろう。それにイゾルテ皇女がキメイラを率いて出征したのも彼からの情報通りであったのだ。
ダンドロは彼等から少し離れたところで船団を指揮していたが、彼の胸中もティムボーと似たようなものであった。というか、自分の仕事を全しつつある彼の方が、より具体的な達成感を伴っていた。。
――これで東メダストラも我らのものだ。アムゾン海をドルクにくれてやらねばならんのは残念だが、どのみち沿岸のほとんどがドルクとハサールになるのだから仕方がない。だがメダストラを制覇した男として、俺の名はバネィティアの歴史に燦然と輝くだろう!
彼は晴々とした笑みを浮かべていた。
だがペルセポリスの港の目前にして、予想していない事態が待ち構えていた。双胴の巨船と見窄らしい老朽艦が海峡のど真ん中に居座っていたのだ。
「元首閣下、停船を求める信号旗です」
「停船だと? 海峡のど真ん中で?」
細い海峡の中で停船を求めることは通常無いし、ましてや20隻もの船団の足を止めたら海峡の交通が大混乱に陥ってしまうだろう。
――我々の陰謀を察知しているのか? いやいや、それなら艦隊を出したりしないはず。恐らくはドルクを警戒してのことだろうな。
だとすればドルク船でないと分かればすぐに通すだろうし、いざとなれば素通りして上陸してしまえばいいと彼は考えた。いくら狭い海峡とはいえたった二隻で20隻もの船団を足止めできる訳ではないのだ。
「よろしい、停船しろ。我々は船室に戻るから、あくまで商船団として振る舞え」
ダンドロは船長にそう命じると、ワイワイと話している3人を促して共に船室に入った。
巨船から降ろされたカッター(小舟)が海軍士官を乗せて船団に近づいてくると、旗艦に乗船を求めて来た。それには船長が対応したが、すぐに伝令がダンドロを呼びに来た。
「元首、プレセンティナの海軍士官があなたに話があると言っております」
「……名指しでか?」
「はい。元首とは言わずにダンドロ卿と言っておりますが……」
ダンドロは首を傾げた。
――どういうことだ? なぜ私が乗っているとどうして分かったのだ? 密かに船に乗るところをプレセンティナ行きの船の船員に見られたのか……?
船団はプレセンティナ海軍が出払うのを待っていたので、途中で何隻もの船に追い越されていた。だから彼がどこかに向かったことは伝わっていた可能性はあった。しかし船団自体はアプルンから直接来ているので、彼との関係は分からないはずであった。ティムボーとジョブロワが不安そうな顔をしていることに気付いたダンドロは彼等を宥めた。
「恐らく、私が沖に出る所を見られたのでしょう。この船団を見て私が乗っていると思ったのかも知れません」
「だがダンドロ卿は連絡艇で船団に合流されたはず。この船団に乗っているとは分からないはずでは?」
「鎌をかけられて船長がうっかり漏らしたのでしょう。なに、極秘会談に来たとでも言えばひとまず上陸はできるはずです。そして接岸さえしてしまえばこちらのもの」
「……確かにそうですな」
ジョブロワはまだ不審げな顔をしていたが、ダンドロは余裕があるように装って伝令に付いて行った。
だが行き先は船長室かと思いきや、彼は甲板に連れて行かれた。そして水夫たちが遠巻きに見守る中で彼がプレセンティナの海軍士官と顔を合わせると、船室に置いてきたダングヴァルトまでがのこのことやって来た。ダンドロは一瞬焦ったが、よく考えればダングヴァルトはプレセンティナの商人である。商船に同乗していても不思議ではないし、緊張感のない彼の存在はこの船団の素性を誤魔化す上で有効かもしれなかった。
「よく私が乗船しているとご存知でしたな。極秘会談に来たのに困ったものだ。ドルクでないと分かったのなら、速やかに通して頂けますな?」
皮肉げなダンドロの言葉を聞いても、その士官は動揺しなかった。
「ダンドロ卿がお越しだということは事前に伺っておりました。積み荷のこともです。荷揚げの準備も整っておりますよ」
ダンドロは虚を突かれた。
「積み荷? 荷揚げ?」
「ええ、アプルンの歩兵だと伺っております。陸海軍が荷揚げの準備を終えております。それにほら、皆さんを歓迎するために艦隊も戻ってきました」
士官が南を指差すと、その先にはドルク軍に誘き出されたはずのプレセンティナ艦隊が海峡を塞いで北上して来ていた。愕然とするダンドロをよそに、今度は港から鬨の声が上がった。
「「「ウゥゥー! ヤァアー! ウゥゥー! ヤァアー! ウゥゥゥ!」」」
見れば大勢の水兵が曲刀を振りかざして鬨の声を上げているではないか! はっとして海峡の北を見ると、そちらからもガレー船の艦隊が向かってきていた。
――罠だと!? しかしこんな混みあったところで海戦などしたら……
そこまで考えて、海峡に入る前から一隻も南に下ってくる船を見かけていないことに気付き、彼は再び愕然とした。
「……そうか、全てを知った上で我らを罠にかけたのか。お前か? ダングヴァルト卿!」
鋭く睨みつけられたダングヴァルトは肩を竦めたが、その顔は全然悪びれていなかった。
「いやぁ、私はここまで悪どい事まで考えてないですよ。私は報告しただけです」
「誰に!?」
「もちろん、イゾルテ皇女殿下です」
いけしゃあしゃあとダングヴァルトは言い放ったが、それを聞いたダンドロは開いた口が塞がらなかった。ダングヴァルトは彼の前でイゾルテの名前が出る度に「クソ●ッチ」とか「ど貧●」とか「ぜってーいつか●す」とか口を開けば言っていたのだ。その上、「イゾルテを捕まえたら、最初に俺に●●せてくれよ、げへへへへ」とまで言っていたのだ。さらにさらに彼は(以下略)
「……クソっ! だがこのまま入港してしまえば陸兵を擁する我らの勝ちだ!」
ダンドロはそう叫んだが、士官がさらりと忠告した。
「港湾地区は陸軍がバリケード作って包囲しています。もちろんキメイラも出して。イゾルテ殿下はこのためにキメイラ二個中隊を残して行かれました」
「……!」
もはや彼らに勝算は残されていなかった。
ダンドロは絶望のあまりその場に崩れ落ち、甲板に両手をついた。ドルクとアプルンに乗せられた挙句一方的に罠に嵌められて、プレセンティナ海軍にバネィティアを攻める口実を与えてしまったのだ。プレセンティナが艦隊を差し向ければ、バネィティアと犬猿の仲のゼノーヴァーも嵩にかかって攻めてくるだろう。アプルンが味方についたとしても、半ば海に浮かんでいるようなバネィティアの街は、船に乗れない連中に守り切れるような街ではないのだ。
「なんてことだ! これでヘメタル滅亡以来綿々と続いてきたバネィティアが、伝統ある共和国が、こんなことで滅んでしまうのか!?」
ダンドロが悲痛な叫びを上げると、ティムボーとジョブロワが船内から飛び出してきた。鬨の声を聞いて慌てた彼等は、階段まで来て耳を澄ませていたのだ。
「ダンドロ卿、これはいったいどうしたことだ!?」
「…………」
ティムボーの問にも、彼は虚ろな視線を返すことしか出来なかった。だがダングヴァルトが彼を慰めた。
「大丈夫ですよ、閣下。バネィティアは滅びません。ついでに言うと、恐らく閣下はもう閣下ではありません。あなたなら、これを受け取った議会がどう反応するか想像がつくでしょう?」
そう言って彼が差し出したのは一通の書状だった。ただし本文は印刷されていてサインだけが直筆だった。
「プレセンティナ帝国皇帝ルキウス……だと! お前、これをどこで!? いや、いつからこれを!?」
その質問には意味がなかった。彼はバネィティアからずっと一緒の船に乗っている上に、船団は情報漏洩を防ぐために一度も寄港していないのだ。ならば乗船前から持っていたことになるではないか、船内でこれを印刷することは不可能なのだから!
ダンドロは冒頭を飛ばして本文を斜め読みした。
『長年友好関係にあった我が国とバネィティアが、このような陰謀に巻き込まれたのは甚だ遺憾である。この陰謀の背後にドルクが居ることは明らかであるが、かといってそれにやすやすと操られる国家を信用することは、帝国とタイトンの安寧に責任を持つ余には到底出来ることではない。帝国とヘメタル同盟の総力を以って、タイトンの敵となったバネィティアを滅ぼす覚悟である。
ただし、幸いバネィティア共和国は議会によって運営される国家である。ただ一人の元首が裏切り者であったとしても、議会が正しい判断を下すというのであれば、国家としての罪をならすことはないだろう。
ただしそれは、我が臣民に刃が向けられる前でなくてはならない』
ダンドロはわなわなと手を震わせた。
――こんな物を見たら、きっと議会は真っ二つだ。いや、私が留守にしているから、我々に勝ち目は薄いだろう。いや、それすら関係ない! 我々の企みが露見しているということが明らかなのだから、騙し討ちが成功するなどと思うものは一人も居ないだろう。今頃は既に次の元首が公邸に入って、プレセンティナの大使と厳しい交渉を強いられていることだろう……。
彼の動揺ぶりを見て遅ればせながらダングヴァルトの裏切りを悟ったティムボーとジョブロワは、顔を強ばらせながら腰の剣に手を添えた。だがダングヴァルトは相変わらず緊張感の欠けた様子でへらへらとした笑みを返した。
「まぁまぁ、こちらも御覧下さいよ。きっとご理解頂けると思いますよ?」
そう言って彼が渡したのもやはり印刷された紙だった。ただしダンドロに渡したものよりも紙質がだいぶ劣る物だ。印刷されていることも鑑みれば、大量に刷られた物なのだろう。
『ドルクの陰謀と元首の野望
報酬は一時の栄光と永遠の侮蔑、掛け金はバネィティアの独立と国民の生命、そしてなによりも財産!
元首ダンドロをはじめとする政府首脳部が、アプルン王国と組んでプレセンティナをだまし討にせんとする企てが発覚した! 裏で糸をひくのはもちろんドルクである。彼らはハサールと組んでウロパ北東部からの侵攻を企てる一方で、タイトン統一の動きを疎ましく思うアプルンと元首ダンドロを扇動したのである。
彼らは大義名分を得るために、10年前に他界したプレセンティナ帝国のイサキオス皇子の落とし胤を名乗るアルクシウスなる者を呼び寄せ、皇位継承権を要求するとしている。ただしこの者の母は当時色街においてその他多数の男と関係を持っていたばかりか、政府から一時金を受け取って和解しているのである。つまり法に照らせば、仮に本当に皇室の血を引いていたとしても、この時点で皇位継承権もその請求権まで喪失しているのである。
更に父であるイサキオス皇子にしても、ご落胤との噂がある子どもはアルクシウスなる者1人ではない。仮にこの企てが成功し、このアルクシウスを皇太子に据えることが出来たとしても、ドルクが保護している彼の兄が登場することになるのだ! ドルクはそこまで準備した上で、アプルンとバネィテイアを露払いとして利用しているのである。
こうしてやすやすとプレセンティナがドルクに下り、その海軍までまるごとドルクの影響下に下るのだ。ドルクはその余勢をかってディオニソスにまで手を延ばすだろう。アプルンはハイエナのようにその西半分をかすめ取るのかもしれない。だがその後は? 国力と兵力において10倍に達するドルクに対して、さてさてあの大アプルン王国は何ヶ月持つことだろうか?
では海ではどうだろう? アムゾン海とメダストラ海の東半分を手に入れたドルクは、プレセンティナの海軍と連合を組んで西メダストラにも進撃するだろう。さて、タイトンを窮地に追いやった我々に味方する者が居るだろうか? 我々は圧倒的な戦力差に押しつぶされ、ドルク軍に略奪されるしかないのだろうか? あるいは国を見捨てて逃げ出した我々を受け入れてくれる国があるだろうか? タイトンが制圧されれば、次は北アフルークであるのは火を見るよりも明らかだと言うのに!
だがプレセンティナの太陽の姫、ヘメタル同盟の旗手、白い妖精、奇跡の美少女イゾルテ皇女殿下は、それではタイトンの民の未来があまりにも哀れであると、そのお優しいお心から和解の道をお示し下された。
殿下が仰るには、この陰謀が実行される前に元首ダンドロを罷免し、バネィティア市民の正しい意見に従う政権が発足するのであれば、全ては不問に伏すとの事である。この布告は既にホールイ3国をはじめ、ディオニソス、アプルンなどのタイトン諸国、そして北アフルーク各国でも明らかにされている。世界は我々の行動を固唾を呑んで見守っているのだ。
次は我々がその意志を明らかにする番である』
顔を寄せあってそれを読んだティムボーとジョブロワの主従は真っ青になっていた。陰謀の内容が筒抜けなのはダングヴァルトが裏切っていた以上は当然だが、問題なのはそこではなかった。陰謀の首魁である彼らですら知らない部分が問題なのである。
「ド、ドルクに騙されていたと言うのか!? まさか!」
ジョブロワの叫びに、ダングヴァルトは首を傾げた。
「なぜです? それくらい居ても全然不思議じゃないでしょう。イサキオス皇子の愛人だと名乗り出た女は89人、既に子を産んでいた女は42人、孕んでいた女も21名いたそうです。既に生まれていたのは男子27名、女子29名、ちなみにアルクシウス自称皇子は20男くらいだそうですよ、正確にはよく分かりませんけど」
「「「……!」」」
色んな意味でとんでもない数字に彼等は愕然とした。どうせイサキオス皇子は全ての女に「僕には君だけだよマイハニー!」とか言っていたのに違いないが、女の側からは分からなくても、金を払った皇室の方には当然ながら記録が残っていたのだ。
「10歳で既に色街に出入りしていたくらいですから、最年長は20歳を越えています。みんな和解金を受け取っちゃったから黙ってますけど、アルクシウス皇子が名乗り出たら我も我もと押し寄せて来るでしょうねぇ」
「し、しかし、その身柄をドルクが抑えているとは限らないではないか!」
ジョブロワの主張は、逆にドルクが抑えている可能性もあることを自ら認めるものだったが、ダングヴァルトはそこにはツッコまずに敢えて真正面から応じてみせた。
「十分な金を貰って娼婦から足を洗った女が、その街に留まることは稀ですよ。アルクシウス自称皇子の母親がアプルンに身を寄せたように、ディオニソスや北アフルークに居を移して一から出直そうとするのは自然なことです。でも、身体以外を売った経験がないのですから、一時金を元手に商売を始めてみても上手くいく訳がないですよねぇ。身を持ち崩して借金をして、結局は再び娼婦になる嵌めに。でもイサキオス皇子が見初めた美貌だ、女に惚れ込んだドルク商人が大枚を叩いて身請けして、子供ごとドルクへ連れ帰る……な~んて、ありそうですよねぇ?
もちろん今のは想像に過ぎませんが、長男……らしき男子を産んでいた女が北アフルークに渡ったことは確かなようです。私の報告を聞いて慌てて追跡調査したそうですが、杳として所在は掴めなかったそうですよ。いったいどこに行ったんでしょうねぇ?」
「「「…………」」」
それは確かにダングヴァルトの想像でしかなかった。だが、確かにあり得た。アルクシウスの母親がまさしくそんな感じで身請けされたのだから。色街のことを全て分かったように話す彼の言葉も、自身がイサキオス皇子の再来のような遊び人であるダングヴァルトだからこそ説得力があった。そして何より、この陰謀のためにわざわざ北方で戦線を広げ、海軍を突出させたドルクの力の入れようが、大きな説得力を持っていた。密約通りアムゾン海を手に入れるためだけに、50万もの兵を遥々ハサールを横断させて派兵するだろうか? 安心して兵を出せたのは、ペルセポリスを無血開城させて補給路を確保できると見越していたからではないのか!?
もはや彼等にはダングヴァルトに反駁する言葉は残っていなかった。自分たちがピエロに過ぎなかったのだと思い知らされたのだ。そしていつの間にか、ダングヴァルトやイゾルテに対する敵愾心も霧散していた。なぜなら最初に彼等を騙したのはドルクであり、彼等を弄んだのはドルクであり、彼等が憎むべきはドルクだったからだ!
一連のやりとりを傍らで見守っていたプレセンティナの海軍士官は、内心で舌を巻いていた。話を合わせられるように彼にはある程度事情を知らされていたのだが、北アフルークとか追跡調査云々の下りはまるっきりデマだったのだ。どうせ分かりっこないのだからと、ダングヴァルトがでっち上げたのである。イサキオス皇子の子供の数もだいぶ(といってもせいぜい2倍くらい)水増していたし、そもそもプレセンティナの女なら死んでもドルクにだけは行きたくないものだ。借金で身動きが取れなかったとしても、確実に子供だけは置いていくだろう。
だがダングヴァルトは事実と嘘を織り交ぜて、全く無いとも言い切れない「真実」を彼等の中に植え込んだのだ。これほど悪どい騙し打ちを――というか、騙し打ち返しをしながら、その恨みを見事にドルクへと向けさせたのである!
ちなみに、ダングヴァルトがこの方針をイゾルテに提案した時、彼女は顔を強ばらせながらも「お前を選んだ私の目に狂いは無かった」と絶賛(?)し、その後ひそかに「あいつだけはペルセポリスに置いておけない。特に私の留守中など以ての外だ。バネィティア船団の監視をしろとか言って、上陸させずに追い返せ!」と言ったそうである。だからこの士官にはダングヴァルトへの新たな辞令まで持たされていた。とはいえ、その前にこの事態をちゃんと収拾しなくてはいけなかった。
「武装解除して頂けませんか?」
彼がそう言うと、アプルン人二人は渋い顔をした。彼らとてここで暴れてどうにかなるとは思えなかったし、そもそも暴れる意味自体を見失ってしまっていた。だが、それはすべての事情を聞かされた彼らだからこそである。
「しかし、他の船の者達が納得するかどうか……」
ジョブロワは言葉を濁したが、士官は自信を持って大きく頷いた。
「大丈夫です」
そして彼が手を上げて合図を送ると、即座に双胴の大型船から何かの音が響いた。
バッババババッババッ
その直後にポツンと浮いていた老朽船から無数の炎が上がった。
「イゾルテ・カクテル……!?」
その射撃はそのまま「これでもか、これでもか」とばかりに止むこともなく連射され、わずか1分あまりの間に数百発のイゾルテ・カクテルが着弾していた。その狂ったような連射っぷりと、あまりのオーバーキルっぷりにバネィティア船団の者達はドン引きしていた。それは「あらかじめ油が撒いてあったのではないか?」などという邪推の遥か上をぶっ飛んだデモンストレーションで、飛ばしたのがただの岩だったとしたら逆に今頃穴だらけになって海の藻屑になっていたであろうと思われたほどだった。岩ではなく火炎壺だからこそまだ辛うじて水に浮いているのだ。
彼らは新型ガレー船の存在自体は聞き知っていたものの、ベルケルの攻撃の際には出番が無かったため、その性能も、威力も、初めて目にしたのだ。一昨年の年末の攻撃の際の噂は聞いていたものの、海を燃やすとか一隻で何万人も焼いたとかいう信じがたい内容だったし、ベルケルの際の巨大紙袋{天灯}がハッタリだったこともあって、それが本当のことだとは思っていなかった。
呆然とする3人を尻目に、ダングヴァルトは誰とはなしに呟いた。
「できれば戦って欲しくはないですねぇ。私と彼が死んじゃいますから」
そう言ってダングヴァルトは目で士官を示した。つまりはプレセンティナ側にそれ以上の被害は生じないと言いたいのだろう。そしてそれがあながち嘘ではないことは誰の目にも明らかだった。
「武装さえ解除してくだされば、このまま帰って頂いて結構です。ただし、アルクシウス殿下には下船して頂きます。それと元ムルス騎士12名も亡命を希望していますから、彼らも下船します」
「ムルス騎士たちが……? まさか!?」
「ええ、内通していました。今まで粛々とあなた方に従っていたのは、そうするようにという殿下の内意を伝えたからに過ぎません。なんでしたらダンドロ卿も亡命しますか? 国に帰っても石を投げられるだけですよ?」
ダンドロは思わず頷きそうになったが、溜息を吐くと静かに首を振った。市民に殺されるなら殺されるで、そこまでが陰謀の後始末だ。ここで逃げれば一族の身まで危うくするだろう。
「分かった、武装解除に応じよう。いかがですかな、シャンポーニュ伯」
「やむを得ん。ここで争ってもドルクを利するだけだ……」
「提督、どうやら片付いたようです」
海峡のど真ん中に停泊した新型ガレー船3番艦リーヴィアに乗ったムルクスは、望遠鏡でダングヴァルト達の様子を見ていた部下から報告を受けた。
「そうですか。では武装解除の監視員を送り込みましょう。皇太子殿下にも連絡しなさい」
「はい、畏まりました」
部下が走り去るのを横目で見ながら、彼の胸中は満足感でいっぱいだった。
――流石はイゾルテ殿下です。これほどの陰謀を事前に察知し、一滴の血も流さないで防いでしまわれるとは!
ムルクスはいつもの笑顔のまま、自慢気に胸を反らした。
「提督」
後ろから押し殺した声をかけてきたのは、先ほど艦隊司令室へ向かったはずの部下だった。
「どうしました?」
「……すいません、司令室に来ていただけますか」
変事を察したムルクスは声をひそめた。
「何事ですか」
「しかとは分かりません。ですが陸軍の方で何か騒ぎがあったようです」
「分かりました」
ムルクスは足を司令室へと向けながら大声を上げた。
「私は艦隊司令室に戻ります! 作戦はこのまま粛々と続行しなさい!」
逸る心を抑えながら、ムルクスは笑顔が強ばるのを感じていた。
サブタイトルの「政変」は、プレセンティナの政変と見せかけてバネィティアの政変な訳ですが、バネィティアの騒ぎには一切触れていない上に既に「工作員D」でネタがバレまくっているのでインパクトがまるで無いですね。
バレまくってるネタをそのまま粛々と実行しても芸がないので、ダンさんにはここぞとばかりに悪どい扇動――というか洗脳をしてもらいました。どう考えても「裏切り者め! 天誅!」と言って切られちゃいそうなシチュエーションと配役(しかも、「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」)でありながら、敵意を骨抜きにして飄々と生き残りつつ、ドルクに対する反感を植え付けて潜在的なシンパにするという離れ業です。
恐らく女達に色んな言い訳を考えている内に身についた技術なのでしょう。つまり彼はこの技術によって幾度と無く死線をくぐり抜けてきた訳です。まさに戦闘証明済、本領発揮ですね!




