捕虜2
前回のあらすじ: なんと、ニルファルとイゾルテは女だったのだ! ……あれ? 要約しすぎ?
「「女ぁぁあ!?」」
美青年――改め美女ニルファルは、どうやって鎧の中に隠していたのか、引き締まっていながらもメリハリのある、実に美味しそうな――ではなく、うらやましい体をしていた。イゾルテは慌てて取り繕った。
「そう、私、女。だから、大丈夫。背中、洗う」
私はアナタが女だと知っていましたよという振りを装ったのだ、「女ぁぁあ!?」って驚いちゃったばかりなのに。ニルファルもなんだか釈然としない顔をしていたが、イゾルテが女であることだけは納得して警戒を解き、その豊満な(というほどではないのだが、この時は半径10ミルム{10km}以内に比較対象がイゾルテしかいなかった)美乳を彼女の前に晒した。イゾルテは思わずゴクリと喉をならした。
「ありがとう、たのむ、背中、洗って」
そう言ってニルファルが背中を向けると、イゾルテは海綿を濡らして石鹸を泡立て、その背中にやさしく擦りつけた。するとニルファルの背筋に何とも言えない快感が走った。
「あっ……」
彼女は5日もの間体を拭くことも着替えることもできなかったのだ。それでもずっと緊張を強いられてきたのでそれほど気にならなかったが、今こうしてその汗と垢をお湯と石鹸で優しく洗い流されると、その心地の良さに身体の芯まで蕩けてしまいそうだった。
「んっ……そこっ、あっ……」
気持ち良さそうな声を必死に我慢しようとして、それでもちょっと漏れちゃってるニルファルに、イゾルテはゾクゾクした。鎧姿から一転、あられもない姿で喘ぎ声を漏らすニルファルに、イゾルテは萌えてしまったのだ。彼女は思わずその手に力を込めた。
「あっ、ああん……だめ、んっ……!」
敏感に反応して身を捩るニルファルに、イゾルテはますます興奮してはぁはぁと息を荒らげた。
――こ、これは堪らない……って、あれ? 私が萌えてどうするんだ! しかも結局女だし!
だがそう思いながらも、凛々しくも色っぽいニルファルがイゾルテの手によって気持ちよさそうな喘ぎ声を上げているのである。イゾルテはもっと彼女の声を聞きたいと思うことを止められず、右手の海綿を彼女の背中に擦りつけながらも、泡まみれの左手を直にその肌へと差し伸べ――
――はっ、私は何をしているのだ! いかん、いかん!
ニルファルの背中に触れる寸前に我に返り、彼女は激しく頭を振った。
――このままではますます深みにハマってしまう……!
危機感を持ったイゾルテは、ニルファルを尋問することにした。
――こういう場合にはまずは身許を確認するものだけど、既に可汗の娘だって既に聞いたしなぁ。かと言っていきなり軍の事は教えてくれないだろうし……
イゾルテはふと気になったことを聞いてみた。
「ニルファルは、女、なぜ、戦う?」
するとニルファルは不思議そうな顔をして振り返った。
「イゾルテも、女、なぜ、戦う?」
二人は暫く見つめ合うと、どちらからともなくぷっと吹き出した。
「あははは、そりゃそうだ。私に言われたら心外だよなぁ!」
「#$%|~%|~=$―!」
お互いに何を言っているのか分からなかったが、二人は楽しそうに笑い転げた。
「ニルファルと、私は、敵。だけど、仲良く、望む。捕虜、違う、客」
ニルファルはこの少女がなぜこれほど好意的なのか不思議に思った。この少女が敵なのは間違いないし、この馬車の外にはその敵に倒されたハサール騎兵が万を下らぬ屍を晒していることだろう。だが不思議なことに、彼女にはこの少女を恨むことが出来なかった。
「良い、のか?」
「良い、ニルファル、綺麗。好き」
片言で話しているとどうしても相手の知的レベルも低く見えてしまうものだ。だからニルファルは、イゾルテが見た目通りに純情可憐で人畜無害な少女であると思い込んでしまった。女であると分かった以上、彼女はプレセンティナの皇女であり、そして皇女といえば魔女であった。だがここでもまたニルファルは、エフメトの言葉を忘れてしまっていたのだ。だから彼女はイゾルテの言葉を純粋な好意だと思ってしまった。……まあ、好意であることは間違いないのだが、これを純粋と呼ぶかどうかは意見の別れるところだろう。
「あははは、イゾルテも、綺麗。好き。でも、私、夫、持つ」
「えーっ!?」
イゾルテはその衝撃的な――事はよく考えると全然ないのだけど、ともかくその言葉の内容に衝撃を受けていた。
――くっ、この体を好き放題にする男か……羨ましい! あれ? でも、私が夫ならニルファルを戦場に出したりしないぞ。こんなにいい女が敵に捕まったら大変なことになっちゃうからなぁ。
イゾルテは他人事のようにそう思ったが、ニルファルは今まさに敵に捕まって大変なことになっている最中であった。
――まさか……夫と一緒に来ていたのか!?
その想像にイゾルテは血の気が引いた。生き残っていたのはニルファル一人なのだから、もしそうなら夫は彼女の目の前で死んだことになるだろう。
「……何故、戦場、いる? 夫、死んだ?」
彼女が深刻な顔をしていたので、ニルファルはその見当違いな心配が可笑しくなった。
「あははは、ちがう。エフメト、ハサール、違う。騎兵、違う」
イゾルテはすっと表情を消した。彼女はドルクのエフメト皇子がハサールの姫を娶ったという情報を聞き知っていたのだ。
「エフメト……?」
イゾルテの変化に、ニルファルは失言を悟った。
――しまった。ドルクの縁者だということは内緒にしてたんだった!
「エフメト、は、ドルク、皇子?」
ニルファルの恐れた通り、イゾルテはエフメトの名を知っていたようだった。誤魔化すこともできず、ニルファルは黙ってコクリと頷いた。するとイゾルテは烈火のごとく怒った。……エフメトに。
「エフメト! ムカつく! ニルファル、綺麗! 何故、私に、結婚、頼む!?」
イゾルテの怒りはつまるところ「こんないい女が居ながら、他の女に結婚を申し込んだのか!? 贅沢すぎなんじゃ、このボケぇ~!」と言う妬みであった。
「は? 頼む、待て。エフメト、イゾルテに、結婚、頼む?」
イゾルテは憤懣やるかたないといった様子でコクリと頷いた。そしてそれを見たニルファルもすっと表情を消した。そしてワナワナと震えだすと、突如として怒髪天をついた。……エフメトに。
「浮気者めぇぇえぇ!」
二人の怒りは時系列の誤解によるものだったのだが、ある意味では誤解でもなかった。ヒシャームとエフメトが結婚の申し込みに対する返答がないことに怒ってペルセポリスを攻めた(事になっている)のは一昨年の末であり、ニルファルとの婚約が決まったのはその半年ほど前である。つまりこの時点で二股をかけていたことになる。ドルクもタイトンもハサールも、王族ともなれば複数の妻を迎えるのは普通のことだが、プレセンティナの皇女とハサールの公主(可汗の娘)に対して同時期に、しかももう一方の事を黙って婚姻を申し込むのは明らかにルール違反だ。なぜなら、当然正妻扱いだと思って嫁いでみたら同じクラスの女がひょっこり湧いて出て側室扱いになっちゃうかもしれないのである。それにこの後ペルセポリスを陥落させたら、エフメトはイゾルテをハーレムに入れるつもりだったから、純粋な意味でも浮気未遂であったのだ。
巡り合わせが少し違えば、彼女たちはドルクの宮殿でエフメトを挟んでイチャイチャする関係になっていたかもしれなかった。そして間違いなくイゾルテは、エフメトを挟まなくてもニルファルとイチャイチャしていたことだろう。それはそれで彼女としては幸せだったかもしれないが、そうはならなかったのだ。
「くそー、エフメトめ! 愛しているとか、私だけだとか言ってたのにぃ! だからあんなこともこんなことも喜んで受け入れたのにぃー!」
ハサール語で叫んだニルファルの言葉は、ドルク語にも不自由するイゾルテにはよく分からなかった。だが何を言っているのかは分からなくても、エフメトに怒っていることだけは分かった。だからイゾルテは、ここぞとばかりに彼女の腕を取った。
「離婚、薦める! 私、一緒、宮殿、暮らす、薦める!」
それはハサールとドルクを分断しようとする離間の計であった。決して手元においてセクハラしようとかいうのではない。……たぶん。
だがニルファルはイゾルテに微笑みかけると静かに首を振った。
「それでも、私は、エフメト、好き。一緒、違うと、生きる、無理」
しんみりと語られたニルファルの言葉に、イゾルテは聞き返した。
「エフメト、どんな、男?」
「好色」
即答だった。一瞬イゾルテは単語を聞き間違えたのかと思った。
「はあ?」
ニルファルはどう説明しようかと頭を悩ませた。あんな行為をさせられたとか、こんなプレイをしたとか、そういう具体的な行動を暴露するのは避けたかったので、一番恥ずかしくない具体例を選んだ。……つもりだった。
「エフメト、私、言わせる。『ねぇ、お願い! 私の●●●を●●●して!』とか」
「ゴホッ、ゴホッゴホッ!」
幸いイゾルテは●●●に該当するドルク語を知らなかった。わざわざ敵国語でそんな会話をするなんて今の今まで考えたこともなかったし、誰もそんな単語を教えようとしなかったからだ。だが雰囲気で何とな~く想像がついた。ちなみにタイトン語で●●●に入りそうな言葉も最近まで全然知らなかったのだが、最近やたらと語彙が豊富になっていた。すべて検閲作業で得た知識である。タイトン文学の神髄はどうやらそのあたりにあるらしい。そして彼女は、ニルファルが言わされた部分だけやたら流暢に話したことにも気付いていた。
――これは本物だ。本当にやってるんだ、そういうプレイを……
確かにちょっと恥ずかしそうに目を逸らすニルファルは異常に可愛かった。凛々しいニルファルが裸で恥ずかしがるシーンを想像し(というか、まさに目の前で再現されているのだが)そのギャップにイゾルテは密かに興奮してしまった。
――エフメトめ……良い趣味をしているな!
イゾルテは初めてエフメトに興味を持った。性的な意味で。というか、性的嗜好の意味で。
ニルファルのエフメト推し(?)はまだ続いていた。
「それに、エフメト、賢い。魔女、罠、見破る。だから、私、間に合った」
少し自慢げな彼女の顔を見て、イゾルテはわずかに目を見開いた。
――間に合った? そうか、大陸側からの侵入者はニルファル達だったのか!
イゾルテは遠くと話す箱{無線機}でニルファルたちの接近も、封鎖線の突破もリアルタイムで報告を受けていた。一個小隊を割いて迎撃を命じたのもイゾルテ自身であった。ニルファルが言うとおり、敵が早々に撤退に移ったのは彼女たちの侵入に気付いて封鎖線に穴があると洞察したからかも知れなかった。もしそうなら彼女は同胞2万を救ったことになるだろう。まだ分からないが、ひょっとすると彼女の父である可汗さえも。
だがイゾルテには些か信じがたかった。
――しかし、私の策を見破った? あっさり壊走して海峡から逃げていったあのエフメトが?
確かにアムゾン海を迂回するという壮大な大戦略を考えたのは見事ではある。だがその情報が敵に漏れては幾らでも手の打ちようがあるではないか。確かにアプルンとバネィティアの陰謀から目を逸らさせるという意味はあったかもしれないが、実際にクレミア半島を無防備なまま放り出して行ったのも実に頂けなかった。この戦勝でスラム人の独立の機運は大いに高まり、反乱は全ハサールに飛び火することだろう。もはやホールイ3国に攻めかかってる場合ではない。旧アルテムス王国領で食料が手に入らなかった以上、かれらの糧道はハサールに、正確にはハサール国内のスラム人に頼らざるをえないのだ。
――だいたい海峡で負けたのはつい1年半前だ。それなのにこんな準備不足で……あれ?
イゾルテははたと気付いた。スラム人達はドルクの脱走兵は警戒していたが食糧不足を訴えたりしなかったし、商人達からもプレセンティナが買い付けるまでは穀物相場も安定していたと言っていた。50万ものドルク兵を受け入れながらハサールの穀物相場が高騰しなかったのは何故だろうか?
「エフメト、食料、持って来た?」
ニルファルは何でそんな事を聞くのかと不思議そうな顔で首を振った。
――そうだよな、そんなはずがない。まさかエフメトが――
「前の年、船、積む、来た」
「……!」
イゾルテは絶句した。それはつまり、彼等が海峡に現れた時には、既にハサールに向かう準備が出来ていたということである。プレセンティナ海軍も別にドルク沿岸を封鎖している訳ではないので、ハサールとの間を商船が行き来しても当時はそれほど気にしていなかったのだろう。そんな準備を着々と整えながら、それでも敢えてエフメトは正面から海峡を渡ろうとして「見せた」のだ。誰に? もちろんプレセンティナ帝国にだ!
――なんて事だ……! ベルケルの件は陽動だと分かっていたが、その前のエフメト達の攻撃ですら我々の目を逸らすための陽動だったのか!
本当はベルケルの方は陽動でもなんでもないのだが、結果的にはそういう効果があったのは否めない。北アフルークからのリーク情報がなければ、プレセンティナがエフメトの大戦略に気づいたのはもっとずっと後のことだっただろう。
――いや、ヒシャームが死んだことはさすがに計算外だったろう。つまりは痛み分けか……?
だが何れにせよ、イゾルテは初めてエフメトに興味を持った。今度は性的でない意味で。戦略的な嗜好の意味で。そして何より政略的な意味でも。
――ニルファルほどの女をここまで誑し込んだのも、ドルクとハサールの友好関係を築くためか。食料も十分に用意することで問題の発生を極力抑えたのだろう。水と油に見えるドルクとハサールを、これまで共存させてきたのだ。それ以外にも様々な手配りがあったことだろうな……。
文化を共有するタイトンという一つの民族(注1)ではなく、ドルクとハサールという全く異なる文化を持った2つの民族を共存させた彼の手腕、それはタイトンの平和的統一を目指すイゾルテにとってとても興味深いものだった。
――ならば返って共存の道もあるかもしれないな。もう一つの策までも破られたと知れば講和の席に着くだろう。
この時、彼女の顎がハサール軍を食い破ったように、エフメトの仕掛けた(と彼女は思っていた)巨大な顎もプレセンティナ帝国を噛み砕かんとして閉じられようとしていた。だが、ブラヌが這々の体で彼女の顎から逃げ出したのと対照的に、イゾルテはペルセポリスに迫るエフメトの下顎を、逆に罠にかけようとしていたのだ。
注1 ここでは広義の意味のタイトン人です。狭義のタイトン人とタイトン化したゲルム人も含んでいます。だからイゾルテも含みます。
ニルファルは全裸のままですが、真面目(?)な会話をすることでイゾルテも冷静さを取り戻したようですね。なんでお風呂を上がってから話そうとしないのかは謎ですが。ええ、本当に謎ですが。




