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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第5章 同盟
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捕虜1

衝撃の超展開。イゾルテは不治の病かもしれません……

 後にスラム人が「ペレコーポの戦い」と呼び、ハサール人が「ペレコーポの屈辱」と呼び、イゾルテが「ペレコーポの虐殺」と自嘲するその戦いは、最終段階を迎えていた。ハサール軍が撤退に移り封鎖線の近くまで移動すると、デキムスが指揮するキメイラ第一大隊はそれを追って大陸側の封鎖線の際にまで追い詰めたのだ。そして細い抜け道に殺到して密集するハサール騎兵たちに向って、これでもかこれでもかと矢を放ち続けていた。ようやく高みに上った太陽は大地を燦々と照りつけていたが、ハサール騎兵のもとには猛雨が降り注いでいた。矢の雨と血の雨が。

「機動力を失い、矢を防ぐ術のない軽装の騎兵が密集などすれば、雨用の散弾の餌食なのにな……」

 もともと雨天用に開発した矢の散弾は、大きな盾を持つドルク歩兵に対しては間に合わせの武器に過ぎなかったが、盾を持たず柔らかいなめし革の鎧だけを身につけたハサール騎兵には面白いように効いた。今後、仮に盾を持ち重武装で身を守ったとしても、馬が丸裸である以上はどうにもならない。その上彼らの主武装である短弓は、キメイラに全く歯がたたないのだ。キメイラ唯一の弱点である馬を倒したとしても、現行機では馬を繋ぐ柱ごと内側から投棄できるように改良されている。機動力は落ちるものの、馬の死体に足を取られて動けなくなるということもない。ハサールにとっては正に天敵ともいうべき兵器だった。

 かつて海峡においてイゾルテが行った虐殺と同じように敵には細い逃げ道が用意されており、そのせいでハサール軍は破れかぶれに突撃してくることもなく、無駄と知りながら矢を射ち返し、殺される順番を待っていた。混乱のあまりもはや可汗の馬印が何処にあるのかもわからない有り様だったが、ここまで混乱してしまうと逃げ去ったのか旗手が死んだのかも分からなかったし、そもそも馬印の近くに本人がいるかどうかも怪しかった。

 イゾルテは第二大隊所属の二個中隊を直率して第一大隊の後ろを固めていたが、指揮権をデキムスに預けることにした。この機会に出来るだけ打撃を与えて、キメイラに対する恐怖をできるだけ浸透させておく必要があるのだ。

「デキムス、こちらイゾルテ。もはや後方の警戒も不要だろう。こちらの二個中隊もお前に預ける。ドウゾ」

『了解しました。指示はこちらから出します。通信終了、ドウゾ』

「ああ、そうしてくれ。通信終了」

『第二大隊指揮官、こちらデキムス。聞いていたな? これより私が指揮をとる。殿下の直掩(=護衛)小隊を除いて第一大隊の東につけ。ドウゾ』

『こちら第二大隊。待ってました、ようやく出番ですね! 通信終了、ドウゾ』

『ああ、頑張ってくれ。通信終了』

――直掩も要らないとは思うんだが……まあ、戦力的には余裕があるからいいか。


 手の空いた彼女は、キメイラを停止させると戦場全体を見回した。彼女はこれほどの数の騎兵の死体を見るのは初めてだったので、いまいち数に自信が持てなかった。馬もいっぱい死んでいるので実数以上に数えてしまいそうだし、騎手が落馬したまま馬だけ逃げ回っていたり、逆に馬を失った者が他の者の馬に相乗りしていたりするので、正確な数が想像できないのだ。だが、それらを適当に勘案すると、恐らくは既に3万近い被害が出ていることだろう。そしてその数は刻々と増えていて、もはや最終的な損害を予測するよりも、全滅するまでにいったいどれだけが脱出できるのかを考えた方が良さそうだった。恐らくはせいぜい2万といったところではないだろうか。恐ろしい程の戦果である。

 だがそれでも、敵の脱出数は当初の想定よりも遥かに多い数であった。計画では包囲の中でもっともっと散々追い回した挙句、抜け道に戻って矢の補給を受けることで脱出点があることを示して撤退に導く予定だったのだ。その場合は恐らく5千程度しか脱出できなかったことだろう。そして九死に一生を得た彼等は、プレセンティナの脅威を声高に吹聴する……というシナリオだったのだ。2万も生き残ってしまってはせいぜい三死に一生くらいだし、最重要目標である可汗も逃してしまう可能性も高かった。それもこれも、敵が撤退に移るのが想定よりも早かったせいであった。

 可汗を逃したのだとすれば痛恨事だが、そもそも可汗が来たこと自体が思ってもいなかった棚ぼたなので、それも仕方がないだろう。それに逃げたとしても、可汗自身がキメイラの恐怖を味わった事は大いに意味があった。

――ハサールは攻めても攻め切れない騎馬の民なのだから、どこかの段階で講和が必要になる。そう考えれば可汗本人に十分に力を見せつけられたのは、最良の結果かもしれないな。軽傷の捕虜の中に身分が高くて話の分かる奴が居れば、講和の仲介をして貰おう。


「ハサール軍が反転する兆しはないな。地峡の方ももはや戦闘はすべて……んん?」

ふと後方を振り返れば、地峡の一角に未だに戦っている小集団が居るようだった。とはいえ、プレセンティナ軍は封鎖線の維持をしている歩兵と海兵、そしてキメイラしか出していない。

――スラム人が勝手に出てきてしまったのか?

 彼女は贈り物の望遠鏡{双眼鏡}を彼等に向けると、スラム人の義勇兵が一人のハサール兵を取り囲んでいる様子が見えた。そのハサール人はさかんに剣を振るって彼らが近づくのを牽制していたが、多勢に無勢で良いようにあしらわれているようだった。

 計画ではスラム人達はそのまま半島側防衛線を守っているはずなのだが、勝ったと見て早々に飛び出して来たのだろう。彼等は厳密にはプレセンティナの指揮権を受け入れている訳ではないので、イゾルテには彼等を処断することも出来ないのだが、周到な計画を立てて実行している彼女としては勝手なことをされるのは気分のいいものではなかった。

「何だあいつら、周りを囲んでいたぶっているのか? まあスラム人にはハサール人に対して長年の恨みがあるのだろうが、あんまり良い趣味とは言えんなぁ」

 彼女がその蛮族の勇者の顔を拝もうと倍率を上げると、彼も疲れたのか動きを止めて四方を見回し、偶然その顔をこちらに向けた。

「……!」

その瞬間、彼女の胸に矢が突き刺さった。戦いに出る度に胸に矢を受ける彼女であったが、今回ばかりは軍服の下に着込んだ藍色のチョッキ{防刃ベスト}も彼女を守ってくれなかった。彼女の心臓に突き刺さったのは、愛の神エラウスの黄金の矢(注1)だったのだ。

 彼の切れ長のキツネ目は涼やかで凛々しく、だが左の泣きぼくろがキツい印象を和らげていた。眉目秀麗とはまさに彼のためにある言葉なのだろう。だが彼には、男からは「男にしておくのは勿体無い」と言われそうな色気まであった。そしてそれは(本人は頑なに認めないけど)イゾルテの大好物である。だから女の身であるイゾルテとしては「男で良かった」と心から言いたかった。だがこのままでは、彼女のその言葉を聞く前に彼は殺されてしまうだろう。

「デキムス、ここは頼んだ! 直掩小隊だけ付いて来い! 通信終了、ドウゾ!」

彼女は遠くと話す箱{トランシーバー}に叫ぶと返事も待たず、高鳴る胸に突き動かされるように彼の救出に向かっていた。



 ニルファルが意識を取り戻した時、一緒に死線を潜った部下たちは全滅していた。数頭の馬は生きてはいたが、走れるものは一頭もいなかった。周囲を見回せばあちこちに無数の屍が転がっていて、しかもそれは全てハサール騎兵だった。無敵のはずのハサール騎兵がこれほどの被害を被るとは、彼女はこれまで考えたこともなかった。かつて語りべから聞いた、攻城戦の悲惨さというのはこういう物だったのだろうか……?

 だが友軍主力は抜け道の存在に気づいたようで、すでに封鎖線の際に移動して順に抜け道から撤退を開始していた。あの抜け道のことを考えれば、恐らくは多大な被害を出していることだろう。そんな彼等を更に追い詰めるように例の馬車も後ろから友軍を攻撃していたが、馬を失ったニルファルは羽を失った鳥に等しく、味方が撤退し、撃ち減らされていくのを指を咥えて眺めているしか無かった。

――きっと父上だけは皆が逃してくれたはずだ。

彼女の父さえ無事なら跡目争いが起こることもなく、エフメトが孤立することもない。ならばその結果だけで満足すべきだった。だから彼女のすべきことは、もはやハサールの戦士として名誉ある死を迎えることだけだった。

 彼女は大きく息を吸い込むと、力いっぱい叫んだ。

「タイトン人ども! 私の首が欲しければ、いざ立ち会え!」

この時彼女はエフメトの忠告を忘れていた。女であることを隠すなら声を上げるなという忠告である。しばらくして彼女の声を聞きつけたプレセンティナ人達(と彼女は思っていた)がやって来ると、ニヤニヤと下卑た笑みを隠しもせず彼女の周囲をぐるりと取り囲んでしまったのだ。既に彼女も乙女ではなく、彼等が何を考えているのか想像がついた。(が、本当は彼女が想像したほどのことは誰も考えていない。彼等はエフメトではないのだ)自分の失策に対する後悔と、忠告してくれたエフメトへの申し訳のなさで彼女の心は一杯になった。

「恥知らずどもめ! お前たちの好きにされるような私ではないぞ!」

その声を聞いて彼等はますます喜び、楽しげにタイトン語(と、彼女は思っていた)で互いに何やら言い合うとゲラゲラと笑い出した。彼女にその内容は分からなかったが、どうせ碌なことではないだろう。可汗(かがん)の娘でありドルクの皇子の妻たる自分に対する無礼と、戦場で女を弄ぼうという戦士の誇りを穢す行いに、彼女はせめて一太刀浴びせねば気が済まなかった。もちろん敗れても彼等の好きにさせる気はない。

――イザとなれば舌を噛み切ってやる!

だがその覚悟が返って油断につながったのだろうか。大勢の男たちと十合二十合と切り結ぶうちに息が乱れ、突然死角から投げつけられた石がガツンと兜(と言っても帽子みたいなもの)に当たって視界が揺れると、彼女は一瞬動きを止めてしまった。そしてその隙を突いて背後に居た男が襲いかかり、彼女を羽交い締めにしたのだ。

「クソっ、離せ!」

彼女はその男を引き剥がそうと藻掻いたが、その前に周りの男たちが群がって彼女の四肢を押さえつけ、口の中に布切れを押し込んだ。彼女は必死に暴れたが、もはや声を上げることも自決することも叶わなかった。彼女は絶望的な状況に涙を流した。

――すまない、エフメト。お前の忠告を尽く無視した挙句、私はお前以外の男に穢されてしまうようだ。せめて事が終わったら、すみやかに自決しよう。だからそれで許してくれ……!

そして男の一人が彼女に馬乗りになり、彼女の胸甲に手をかけた時、突如大音声が響き渡った。



「お前たち、何をしている!?」

イゾルテは白いラッパ{拡声器}を使ってスラム人義勇兵たちを怒鳴りつけていた。それはほとんど悲鳴だった。彼女はそこに、戦場の狂気を見ていた。


――幾ら美形でも、男に欲情するな! 男に! 同性だろうが!


イゾルテはいつものように自分を棚に上げていた。二重の意味で。

 地峡に来る前に訪れたスラム人の街では、イゾルテが目立たないほど色白で金髪の者が多く、よくよく見れば碧眼も多かった。思わず母方の先祖にスラム人が居たんじゃないかと思うほど、イゾルテは街に馴染んでいた(というのは本人の主観で、面覆い{顔面サンバイザー}を付けた彼女は完全に浮きまくっていた)。そして彼らの中には眼を見張るような美女や美少女が何人もいたのだ。

――まるで鏡を見ているようだな!

イゾルテは彼女たちの胸元には極力目を向けなかったのだ。

 だが、そんな美女たちに囲まれているはずのスラム人の男たちがコレである。

――なんだろうか、あんまり美人が多すぎて普通の美人では飽きたらなくなったのか? 新しい扉を開こうと挑戦中なのか?

だがだからといって、多数のむくつけき男たちが寄ってたかって一人の美青年を慰み者にするなんて、そんな事――

「…………(ごくり、ハァハァ)」

――いやいや、ダメだから! それに私にそんな趣味はないから! サビカス伯爵夫人に洗脳されてないから! ……たぶん。

サビカス伯爵夫人とは、正しい愛の伝道師を自称するリーヴィアの茶飲み友達である。

 イゾルテがキメイラの上で激しく頭を振っていると、美青年に伸し掛かっていた男が抗議の声を――だが遠慮がちに――上げた。意外に流暢なタイトン語だった。

「……この者は、我々が捕らえたのです。我々が自由にする権利がある……と思います」

レイプ(未遂)現場を姫君に見られて彼はさすがにバツが悪かった。しかも独立運動の最大にして唯一の支援者で、無敵のはずのハサール騎兵を散々に傷めつけてみせた指揮官でもある。そして彼らの目からしても、彼女は神々しいばかりの美少女だった。金髪も白い肌も見慣れている彼らだからこそ、そういった特徴に惑わされずにイゾルテの美しさを正しく評価できるのである。だから彼の歯切れが悪くなるのは当然だった。だがイゾルテの方は遠慮なしに彼らを責め立てた。

「貴公らにあるのは身代金を要求する権利だ。自由にできるのは、身代金を請求してそれを相手が払わなかった時だぞ。その手順が何故必要かわかるか? その者の縁者の恨みを、縁者自身に負わせるためだ。『よくも私の息子を奴隷に落としたな~!』って言われても『怒るくらいなら身代金を払えばよかったじゃん。払えない額じゃなかっただろ?』って言い返せれば、相手はすごすごと帰って行くしかないだろ? その手順をすっ飛ばしてお前がその御方……じゃなくて、そいつにいろんなことをしちゃったら、その言い訳が出来ないんだ。その御方……じゃなくて、そいつの身分を確認したか? 有力者の縁者だったらだったらどうする? そのせいで話がこじれたら、お詫びにお前たちの首を差し出していいのか!?」

「…………」

 ただでさえみっともない所を見られたというのに、年若い少女に理路整然と諭され、その上最後は恐喝までされて、彼等はぐうの音も出なかった。何と言っても彼等の目の前ではキメイラの火炎照射器{ポンプ式水鉄砲}がちろちろと種火を燃やし続けているのだ。まあ、それを噴射したら問題のハサール兵も丸焦げになっちゃうのだが。

 だが彼女は叩きのめすだけで終わらせず、妥協案も提示してみせた。

「その御方……じゃなくて、そいつの身代金は私が払おう。先方には私の方から改めて身代金を請求するよ。だからその御方……じゃなくて、そいつを速やかに引き渡してくれないか?」

「……分かりました」

相手がしぶしぶ承諾すると、彼女も矛先を収めて優しい声をかけた。

「まぁ、お前たちの趣味をとやかく言わないが、悪いことは言わんから商売女でも抱いて我慢しておけ。社会復帰できなくなるぞ」

「は?」

男は意味がわからず首をひねったが、彼女は一人納得したようにうんうんと頷いた。

「とぼけなくてもいい。今日のことは私の胸にしまっておこう。誰にも話さないよ」



 鉄馬車に乗った少年が男たちと話すと、彼等はあっさりとニルファルを開放した。代わりに鉄馬車から兵士たちが降りてきて丁重にニルファルを立ち上がらせると、少年が声をかけてきた。

「ドルク語、分かるか?」

驚いたことに、その少年は片言のドルク語で話しかけてきた。白いラッパ{拡声器}を通していた時には良く分からなかったが、まだ声変わりもしていない甲高く美しい声だった。

「分かる、少し」

彼女は少しエフメトを恨んだ。彼があまりにハサール語が上手いせいで彼女のドルク語の勉強があまり進んでいないのだ。正確にはある特定分野の言葉には異常なほど習熟してしまったのだが、それはエフメトにしか聞かせられなかった。そしてベッドの上でしか聞かせられなかった。

「良かった。私、プレセンティナ、皇帝、子供、イゾルテ」

プレセンティナ帝国といえばドルクの宿敵であり、ハサール人は直接関与していないが支配下のスラム人の商売相手でもある。国土が狭いのでハサール人にはピンと来ないのだが、それなりの強国だと彼女は聞かされていた。

――驚いた。この子はそこの皇子なのか。ということは、魔女とやらの弟か?

彼女には『イゾルテ』が女性の名前だとは分からなかった。異文化交流の難しいところである。

――まぁ、私もドルクの皇子の妻なのだけど。でも、それは黙ってた方がいいのか? ドルクとプレセンティナは宿敵らしいし……

彼女は助けられた相手に嘘を付くことに気が咎めたが、黙ってるだけならぎりぎりOKだと思い直した。

「私、ハサール、可汗、子供、ニルファル」

それを聞いて少年は驚いたようだった。表情は面覆い{シールド}で見えなかったが、彼は慌てて丸兜{ヘルメット}を脱ぐと、その長く美しい金髪と白く整った素顔を露わにした。それを見てニルファルは思わず息を呑んだ。

――なんと美しい少年だろう……。すまない、エフメト。ちょっとドキドキしてしまった!

彼女は自分だけ兜をかぶっているのは礼を失すると思い、慌てて自分も兜を脱いだ。すると少年は彼女の髪を見てぽかんとし、顔を赤らめると今度はニッコリと微笑んだ。その可愛らしさにニルファルはますますドキドキとした。

――いや、違うから。ホント、違うから。エフメト、これは浮気じゃないからぁ~!

ニルファルの胸中には、少年たちに対する好意らしきものが芽生えつつあった。



 美青年が兜を脱ぐと長い髪があらわになった。イゾルテはその色っぽさにぽかんとしてしまった。

――あー、分かる。さっきの男たちの気持ちが良ーく分かる。これならもう、男でもいいやって気になっちゃうわ、うん。

彼女はうっかりアホ面を晒していることに気付き、慌ててにっこり微笑んだ。

――これは逸材だ。私がかつてこれほど男に好意を持ったことがあるだろうか? いや、無い! (反語) 私自身、ほんのちょっとだけ百合っ気があるのではないかと不安が無いこともなかったが、これで私がノンケだと証明されたのだ。この貴重な証人をなんとか離宮に連れて帰りたい。連れて帰って手篭めに――じゃなくて、親密になりたい! 私的にかつて無い意味において!

もちろん、講和の仲介役として友好関係を築くためである。……たぶん。

 彼と彼女は100%これ以上ないほどの敵同士であったが、さっきの真の愛に目覚めちゃった覚醒戦士たちのおかげで、彼は彼女に気を許してくれた様子だった。しかしそれは恩人とか貸し借りといった関係でしかない。男女が仲良くなるには、まずは異性として意識させないといけないだろう。だからイゾルテは一計を案じた。軍服姿から一転、女らしく色っぽい姿を見せることでそのギャップに萌えさせるのである。彼女はカタコトのドルク語で提案した。

「服、体、汚れる。風呂、沸かす、入れ」

彼女自身もどかしくて仕方がなかったが、事前に台本でも用意しない限り彼女のドルク語はこの程度なのだ。

「風呂? どこ?」

「あっち、沸かす、これから」


 イゾルテはドキドキしながら美青年を、半島側に放置していた移動司令部(自称)に連れ込んだ。戦場の後始末はもちろんデキムス将軍にまる投げした。彼はもともと騎兵専門の将校で、将軍になって1年しか経っていない。それなのに、キメイラと歩兵と海兵と外国の義勇兵の混成部隊の全体指揮を任せられたのだ。しかも相手は神速をもってなるハサール騎兵で、一時の油断も許されない。完全なムチャぶりである。

――いやいや、こうやって経験を積んでいくんだ。私も今、新しい経験を積もうとしているし! 父上、母上、すみません、イゾルテはふしだらな娘です。今日、私は女になるかもしれません!

講和を確かなものにするためである。そのためにその身を犠牲にしようというのである。……たぶん。



 ニルファルがその鉄馬車に乗り込むと、戦場に似合わないこざっぱりとした内装に驚かされた。決して華美ではないが、外装の無骨さとは対照的に質素で清潔な印象だった。シワ1つないシーツがかけられたベットを見た時はドキッとしたが、少年が真っ赤になって慌てて壁に折りたたんだのを見て、返って彼女は安心してしまった。そしてなぜかちょっと残念だった。

 馬車の中の風呂は大変に狭かったが、それでもこんな戦場で湯船に入れるというのは嬉しかった。遊牧生活をするハサール人にとって、湯船に入る機会はそう多くない。普段はシャワーを浴びたり、濡らした布で体を拭うくらいしか出来ないのだ。その上強行軍で5日間も着の身着のままだったのである。さっそく湯船に入りたかったが、地べたに押さえつけられたせいで、あちこち泥に塗れていた。ますは体を洗わなければお湯がすぐに汚れてしまうので、彼女は桶にお湯を汲むと頭の上からお湯をかぶった。

 ざっばぁぁぁん

「ああ、気持ちいい。戦場でこんな贅沢を味わえるとは……! ついさきほどは男どもの慰み者になるところだったのに、運命とは分からんものだな」

彼女はもう一度お湯を汲むと顔を洗い、そしてはたと気付いた。

――石鹸があるのに、体を洗う物がないぞ。タイトンの習俗は分からないけど、ここまでして湯船を用意する執念があるのに、まさか背中を洗わない訳もないだろう。

彼女は狭い風呂の中を見回したが、やはり石鹸しか見つからなかった。

「むぅ、やむを得ない。今回は手がとどくところだけ洗っておくか」

そう言って彼女が石鹸を泡立て始めた時、外から少年が声をかけてきた。

「背中、洗う、私、入る」

「えっ?」

そして風呂の扉がガチャリと開けられた。

 彼女は凍りつきながらも騙されたことを悟った。きれいな顔をして優しげに振る舞いながらも、結局この少年も彼女の体が目的だったのだ。風呂に入れたのもおそらくは行為の前に汚れを落とさせるためだったのだ! あるいはまだニルファルが教えられていないお風呂プレイを行うためかもしれない……!

「だめっ! いやっ! きゃ……あ?」

胸を隠してその場にしゃがみ込んだニルファルが見たのは、目を剥いて驚いている、肌も顕な薄衣を着た、妖精のように美しい……少女だった。

「「女ぁぁあ!?」」

二人の叫びは期せずしてハモった。

注1 エラウス=エロース エロースの金の矢で射られると最初に見た相手に(永続的に)ムラムラして、鉛の矢で射たれると最初に見た相手に対してのみ(永続的な)賢者タイムに入るとされています。彼がアポローンとダフネそれぞれ金と鉛の矢を撃ち込むと、ストーカーと化したアポローンがダフネを追い詰め「へっへっへ、もうどこにも逃げられないぜ」という状態になった時、ダフネは月桂樹に変化しちゃったそうです。……と、それがオチになってるんですけど、その後アポローンはどうしたんでしょうね。鹿を愛する少年(キュパリッソス)とかが普通にいる世界ですから、彼が月桂樹相手にムラムラしてもあんまり不思議じゃないんですけど。


イゾルテがビッチになるという衝撃の超展開でした。しかも相手が女だなんて――予想通りでしたね。なべて世は事も無し。絶賛虐殺中ですけど。

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