進撃
プレイアダス七都市連合の盟主マイラでは、重い空気が立ち込めていた。人々は何でこうなっちゃったのかと自問自答しては深く溜息をつくばかりだった。
そもそも事の発端は、昨年の秋に遡る。遥々遠方からプレセンティナの姫が訪ねてきたと思ったら、更に遠くのドルク軍がハサールを通って攻めてくるという荒唐無稽な警告をしてきたのだ。何の冗談だろうかと思ってヒソヒソ相談している間に、彼女は返事も待たずに去ってしまった。だから……
「若い娘の間では、こういう悪趣味な冗談が流行っているのか? けしからん! 苦労を知らない人間は碌な者にはなれんぞ!」
……と、みんなプンプンしていたのだ、暫くの間は。
雲行きが変わってきたのは、秋も深まって農民たちがやって来るようになってからだ。マイラは収穫期の後のハサールが攻めてくる可能性のある時期にはピッタリと城門を閉じて何人も通さないのだが、秋ともなれば農民の出入りを許していた。彼等は来年ハサール兵へ差し出す貨幣を得るために、農産物やその加工品を担いで自ら買い叩かれに都市へとやって来るカモなのだ、例年なら。だがその年は大きく様相が違った。
「これを買ってくれねーか」
ある商人の許を訪ねてきたある農民は、そう言って牽いてきた荷車を示した。だがそこには麦ではなく、自分たちで作ったと思われる服や篭や壺が積まれていた。
「どれもボロいな、引き取れねーよ。それより麦はどうしたんだ? 他で売ってきたのならいっしょにそこで売れば良かっただろうに」
「冗談じゃない、マイラで麦を売ってどうする。ホールイまで担いでいけば高値で買い上げてくれるんだぞ?」
「……それは初耳だが、だからってホールイまで持って行く訳にはいかんだろう。どんだけ遠いと思ってるんだ?」
「遠いことくらい知っとるわい! ハサールから逃げるんじゃ、遠くなくてどうする?」
「……国を棄てるのか?」
「国? 国なんてどこにある? ああ、ここはなんたら連合とかいう国だっけか。だが俺等には国なんか無ぇぞ」
「…………」
痛烈な皮肉に商人は黙り込んだ。
「俺らには麦と僅かな家畜の他には、買い取っても貰えねぇこんなゴミクズしか無ぇんだ。国なんて立派なもん、棄てたくても最初から持って無ぇんだよ。……まあ、戦いが終わったら作ってくれると、姫さんは言うとったけどな」
「戦い? 姫? 何のことだ?」
「……ひょっとして、姫さんはここに来とらんのか? うちの村は全部の家でまとまって避難することにしたぞ?」
「ちょっと待て、お前だけじゃなくて、村ごと国……この地を離れるのか!?」
農民は訝しげに商人を見返した。
「何言ってんだ? 隣村も、そのまた隣も、みーんなホールイなりプレセンティナなりに逃げ出すぞ? まとまってかばらばらにかは知らんけどな。姫さんは西の方にも頼みに行くと言うとったから、西の奴らは別の所に逃げ込むのかもしれんし」
愕然とする商人を尻目に、その農民は荷車を牽いて別の店へと行ってしまった。
その後に訪れる農民たちも似たり寄ったりで、僅かな家財を処分しようとするばかりで食料を売ろうとする者はほとんど居なかった。市民の中からも慌てて他国に逃げ出す者が出始めると、市長は人口流出に制限をかけた。正確には、財産の持ち出しに高額の関税をかけたのだ。この結果、農作物輸送の人足などの無産労働者が逃げ出し、より多くの財産を持つものが居残ることになった。だが下層市民が軒並み逃げ去ると、中産階級からも逃げ出す者もじわじわと増えてきた。
「3丁目の鍛冶屋が逃げたってよ。店の権利は勿論、家財道具もほとんど没取されたらしいぜ。デマにのせられて、馬鹿なことしたよなぁ」
「そう言うなよ、そういう奴らのおかげで残った俺達は大儲けだ。働きもせずにどんどん財布が膨らんでいくなんて、ありがたいじゃないか」
「そうだそうだ、ちげえねえ。鍛冶屋に感謝しながらもう一杯飲んどこうぜ」
そう言ってはしゃぐ彼らも、もしやという疑いは捨て切れなかった。それでも城壁を閉じてさえいればハサール軍同様にドルク軍もやり過ごせると信じていた。いや、信じたかったのだ。そうやって彼らは年を越した。
旧アルテムス王国領はメダストラ海からも離れているため、プレセンティナ程には温暖ではない。極寒という程でもないが、雪も降れば積りもする。もっとも歩けなくなるほど降ることはほとんどない。だがその程度の雪でもその下から青々とした麦が現れる光景は、例年人々に春の訪れを実感させてきた。だがこの年ばかりは違った。その光景を見てマイラの人々は、自分たちが孤立していることを、置いてきぼりにされてしまったことを今更ながらに実感していた。雪の下からは収穫時にこぼれ落ちた僅かな麦が自生しただけだったのだ。その麦はまるで、無人地帯に置き去りにされた彼ら自身を象徴しているようだった。
4月になると、七都市連合で一番東にあるターウグテー(注1)がハサールに襲われたらしいという連絡が届いた。正確には、連絡が途絶えたという連絡である。だがその連絡が届いた事自体が奇跡に等しく、しかも意味がなかった。その伝令が市長に伝え終わる前に、ハサール軍の先触れを発見したという報告が城壁の上の見張りから届いたのである。
「四方の城門を閉じろ! 籠城を開始する!」
市長は蒼白になっていた。この命令を聞けば全ての市民が蒼白になるだろう。例年ハサールは、収穫を邪魔しないように7月以降にやってきては村々に金銭を要求していたのだ。収穫前に襲って農地を荒らせば収穫が減り、農民から奪えるものが減るからである。なんとも狡猾なことだが、農民にしてみても農地を荒らされるよりはなんぼかマシだったので、そういう奇妙な協定が不文律として存在したのだ。だが今年は違った、何かが決定的に違ったのだ。そしてそれでも、城門さえ閉じていればどうにかなると、彼らは固く信じていた。今となっては逃げることも出来ず、もはや彼らにはそう信じるしか道はなかったのだ。
やがて表れたハサール軍はかれらがかつて見たことのない規模だった。だが平原を埋め尽くす馬の群れは彼らを無視してあっさりと通り過ぎていった。拍子抜けした市民達のもとには、ただ一通の矢文だけが残された。
『包囲する前に降伏すれば、市民の生命と自由を保証する。矢を放つ前に降伏すれば、市民の生命を保証する。兵が城壁を越える前に降伏すれば、略奪に期限を設けると保証する。その後に降伏すれば、お前たちが全てを失うことを保証する』
彼らが通り過ぎていった後には、僅かに自生していた麦は全て綺麗に食いつくされていた。
急遽議会が招集され、喧々囂々の意見が交された。
「どういうことだ、先日のが包囲じゃないのか!?」
「『兵が城壁を越える』ともある。もう一度城攻めに来るという事だろう」
「ハサールが城攻めを? この半世紀以上一度も攻めて来ていないんだぞ!」
「じゃあ、あんな大軍を見たことがあるのか!? 半世紀以上一度もないんじゃないか!?」
睨み合う二人の議員の間に、老人が割って入った。
「答えは明白だろう。半年前に教えられたではないか」
「半年前? 何のことだ」
「プレセンティナの姫が警告したではないか。ハサールがドルクと組んだと。ドルクが来る以上、都市も無事では済まないと」
「だがあの小娘は、我々に会いもしないで去ったではないか!」
「……なぜ会う必要がある?」
「そんな信じがたい話、会いもしないで信じられるか!」
「なぜ、信じさせる必要がある?」
「それは……」
冷静に考えてみれば、そんな必要は欠片もなかった。彼女は何の関係もない遠国の姫君に過ぎないのだ。彼らが「要らんお世話だ!」と思ったように、本当に彼女にはお世話する必要など無かったのである。
「農民どもは『姫さん』『姫さん』と親しげに言っておった。お前さんの言うとおり、『姫さん』は彼らに会って説得したのだろうな、彼らを助けるために」
「ではなぜ我々には会わなかったのだ?」
「別に助けたくなかったからだろう」
身も蓋もない言葉に一同は沈黙した。
「今度はハサールからも忠告された訳だ。無一文になるか、奴隷になるか、略奪に遭って殺されるか、どれでも選べるぞ。まあ、マイラを捨てて逃げてもいいが、十中八九ハサールに見つかるだろうなぁ」
「冗談じゃない! 無一文になったら奴隷になるのと同じだ! それじゃあ死んだも同じじゃないか!」
「……そうは思わんが、お前さんを説得できるとも思えん。それに我々は農民や先に逃げ出した者達から相当な恨みを買っているだろう。無一文でホールイに逃げたところで、彼らに殺されるかもしれん。ここで最期まで戦った方が気持ちよく死ねるだろうなぁ」
「「…………」」
こうして彼らは絶望感の漂う中、粛々と徹底抗戦の準備を始めたのだった。
5月になるとついにドルク軍が表れた。地平線まで埋め尽くすかのような大軍に、既に覚悟を決めたつもりだった残留民も血の気を失った。そして彼らはマイラをぐるりと取り囲むと再び同じ文面の矢文を送り付けてきたのだ。だが最初の『包囲する前に降伏すれば、市民の生命と自由を保証する』という一文は黒く塗り潰されていた。
「時間切れと言う訳か……。いや、ドルクといえば一世紀かかってもペルセポリスを落とせないへっぽこじゃないか!」
「そうだそうだ、頭数だけ揃えたって城壁は越えられないぞ!」
そう言って彼らは気勢を上げたが、それも初日だけだった。翌日からドルク軍は彼等の目の前で大型投石機や攻城櫓を作り始めたのだ。マイラに篭もる市民たちは50年に渡って戦争から目を背け続けて来た者達だった。だからそれがどういうものかは何となく分かっても、その威力までは分からなかった。実際にその身で味わうまでは。
包囲してから3日目、ドルク軍の大型投石機50あまりが一斉に攻撃を始めた。ハサールに隙を見せないようにと補修され続けてきた城壁は、辛うじてその攻撃を受け止めた。だがここは、見上げんばかりの高い城壁を誇るペルセポリス本市や、城壁内に守るべきものを持たないガルータ地区ではなかった。びっしりと立ち並ぶ住宅や商店が巨大な石に耐えられる訳もなく、壁に屋根に大穴があき、中にはガラガラと崩れ落ちる物もあった。さらには火の玉(火を付けた可燃物の玉)が投げ込まれると崩れ落ちた瓦礫に火が付いて、住民達は防戦どころか消火と避難に大わらわとなった。イゾルテが見ていれば鼻で笑うような手際の悪さである。
そしてドルク軍はそんなところに100に近い攻城櫓を押し進めてきたのだ。もちろん全方位からである。さらに4つの城門には攻城槌が向っていた。そしてその間も城内に向けての投石攻撃は止むことはなかった。マイラ側の指揮官達は何を優先すべきなのか分からず、指示を得られなかった城兵達は右往左往するばかりであった。だが彼らの全てが悟っていた、守り切れる訳がないと。もう降伏すべきだと。だが彼らは降伏しなかった、彼らは降伏する術すら用意できていなかったのだ。
降伏を決める権限を有する市長は街の真ん中にいて、そこに赴くには避難民でごった返す街をの中を通らねばならなかった。市長のもとに辿り着く前に城壁は破られているだろう。だが目前に攻城櫓が迫った時、現場指揮官のうち幾人かは自発的に服やシーツを切り裂いて白旗を上げた。だがそれは冷然と無視された。城兵達が負けたと思っていたように、ドルク兵たちも勝ったと確信していたのだ。
彼らはあまりの容易さに攻城櫓の上で笑顔さえ見せていた。本来そこは死に最も近い位置だ、相手がプレセンティナなら近づく前に火だるまになっているだろう。だが今回は突入を目前にして、彼らは後続の者達の羨望を一身に集めていた。彼らは50年間手付かず都市に今まさに一番乗りを果たそうとしているのだ。ここで攻撃が止まっては褒章がフイになる上に、略奪の順番もどうなるか分からない。略奪は何よりも一番手が美味しいのだ。金も、財宝も、女だって一番いいものを自由に選べる。城壁に最初の一歩を踏む前から、彼らは既に兵士ではなく略奪者となっていた。
「いいか、奴隷は1人につき2人までだ。子供もだぞ」
「隊長、赤ん坊はどうなんですか?」
「……お前、そんなの拾ってどうするんだ? 夜泣きでもされたらうるさいだろうが」
「女も夜鳴きがうるさいですよ」
へへへっ、と下品な笑いが漏れると反論が上がった。
「大丈夫だ、相手がお前じゃ物足りなくてあくびしか出ねえよ」
がははは、と再び笑い声が上がった。
「どっちにしても楽しめるのは10日ほどだぞ。後はまとめて奴隷商人に売り払うって話だから、せいぜい高く売れるのを選ぶんだな」
「えー、また女日照りかぁ」
「なに、どうせすぐに次の街だ。さあ行くぞ!」
既に戦が終わったこの時からが、マイラ市民にとって本当の悪夢の始まりだった。
城壁から1ミルム以上離れた本営で、ニルファルはしきりに感心していた。
「エフメト、ドルク軍はすごいな! あっという間に都市を落としてしまった。ハサール騎兵ではこうはいかないぞ! 別働隊が攻撃したターウグテーやアスタロペーもこんな感じだったんだろうか?」
「どっちもあっさり落ちたというし、恐らく似たようなものだろうな。プレイアダスの兵士はどこも弱いようだ。いや、指揮官がアホだと言うべきか」
「いや、あんなに大きな物をあっという間に作っただけでも大したものだぞ! 見直した!」
「何だ、今までは評価していなかったのか?」
揚げ足をとられたニルファルは言葉に詰まった。
「えっ? ええっと……」
「分かっているさ、平原のど真ん中ではハサール騎兵の方が100倍強いと俺も思うぞ」
「そ、そうか?」
「城に篭ったらドルクのほうが100倍強いけどな!」
ようやくドルク軍の力を証明できたエフメトも、実は何気に気を良くしていた。
「……そうかもしれないな。我らはこの街ですらずっと落とす自信がなかったのだ。それをあっさり落としたドルクは凄いと思うし、そのドルクが守る城を攻めようと思っても、兵糧攻め以外何も思い浮かばないぞ」
「つまり、我々は最高のパートナーだと言うことだ。お互いに得意なことをして相手を支えればいいんだ」
「そうだな、エフメトも最高の夫だ!」
「ファルも最高の妻だ」
「エフメト……」
「ファル……」
「ゴホンっ!」
ふと気づけば、二人の前にはハシムを始めとした将軍たちが並んでいた。
「何だハシム、邪魔をするな。今良い所だ」
エフメトはしっしと手を振ったが、ハシムはもちろん去らなかった。
「だいたい片付きましたけど、まだちゃんと終わってませんよ。本陣で何やってるんですか」
「だいたい片付いたなら良いじゃないか」
「ちゃんと戦後処理をして下さい。褒賞だって必要だし、いろいろすることはありますよ」
「計画通り行ったんだから、褒賞だって計画通り与えろよ」
「いや、そうですけど、殿下が直接与えないと恩を着せられないでしょう」
「ふむ、そういう意味ではファルに渡させた方がいいか?」
「いえ、不満があった場合に奥方の介入を邪推されます。奥方は勿論、その介入を許した殿下の信用もガタ落ちです」
ハシムが毅然として正論を唱えると、ボケェーと見ていたニルファルが歓声を上げた。
「おお、ハシム殿は凄いな! そんなこと考えた事も無かったけど、なるほどそうかもしれん! うん、私は大人しくしていよう!」
手放しで褒められてハシムも悪い気がしなかった。
「そ、そうですか? いやぁ、それほどでも……」
しきりに照れるハシムに、エフメトがボソっとささやいた。
「な、ファルに褒められると悪い気がしないだろ?」
「はっ、た、確かに……。あれ、じゃあどうすれば?」
「まあいいさ、興が削がれたから戦後処理を優先してやるよ。とはいえ、今与えれる褒章なんて略奪の順番くらいだろ。敵があんなんじゃたいして戦功もないし」
それは損害も軽微だということであり、総指揮官たる彼にとっては喜ぶべき事であった。
「エフメト、私は街に行っていていいか?」
「ダメだ。今は俺も入らない」
「何でだ?」
「……最初の連中が略奪中だ。女が立ち寄るべきじゃない」
エフメトが言葉を選んで柔らかく拒絶すると、察しの悪いニルファルは怒りだした。
「いくらエフメトでも怒るぞ、私を並みの女と一緒にするな!」
ニルファルの言葉に、エフメトは文化(?)の違いを思い出した。
――そうか、ハサールは混血を禁じていたのだったな……
ハサールは略奪で(異民族の)女を犯したりしないのだ。ただその代わり、驚くほどサクッと殺す。男を殺すのと全く変わらないのだ。ここに来るまでの道のりで、逃げ遅れてハサール軍に殺されたタイトン人の死体を幾らか見て来たが、若い娘までが"服を着たまま"殺されているのを見てドルク兵たちは悲しそうに溜息を吐いたものだった。「勿体無い……」と。
「ファル、兵たちは女に飢えている。城壁の中で何が起こっているのか知りたければ、昨晩のことを思い出せ」
ニルファルはしばらくぽかんとしていたが、すぐに真っ赤になった。
「な、な、な……」
「ふむ、他人のを見て俺達の参考にしようというのは見上げた心がけだ。さすがはファルだ、並の女ではないな」
エフメトがニヤリと笑うと、ニルファルは爆発した。
「え、エフメトの、バカぁぁぁぁ!」
彼女は泣きながら何処かへ走って行った。
「街は大変なことになってますよ」
「略奪は持ち回りだからな。1年以上女を我慢してたんだ、そりゃあ大変なことになっているだろう」
「ニルファル様を止めなくて良いんですか?」
「あんなんで恥ずかしがってるんだから、街には入らんだろう」
「いや、しかし――」「エフメト!」
ハシムの言葉の途中でニルファルが割って入ってきた。
「さっきのは、嘘だからぁ!」
そしてまた真っ赤になって逃げて行った。
「……大丈夫そうですね」
ハシムが呆れて呟くと、エフメトはようやくニヤけていた顔を改めた。
「で、食料はどれほどありそうだ?」
「……思ったほどはありませんね、予想通りとも言えますが。マイラも昨年の収穫を買い入れていないようです」
「ちっ、見事だな。だが何故だ? これほど広範囲に渡って焦土作戦を繰り広げていながら、なぜ都市はこれほど無防備なんだ? 中心都市のマイラに全てを集結させたのかと思ったが、まるで赤子の手をひねるようにあっさりと落ちてしまった。このチグハグさが不気味だ」
「ええ、そのあたり市長が気になることを言ってたんです。農民は昨年の内に既に逃げ散っていたとか」
「何っ? 市長は捕らえてあるんだな? ここへ呼べ」
引っ立てられてきた市長は、縛られている以外は捕虜には見えないほど立派な身なりで、似合わない口ヒゲまでしっかり手入れされていた。その代わりに態度だけは捕虜の鑑というべきものだった。
「す、すいません、すいません。命ばかりはお助けを!」
「お前が市長か?」
「す、すいません、すいません。市長ですいません。命ばかりはお助けを!」
「農民が昨年の内に逃げていたそうだな、何故だ?」
「す、すいません、すいません。警告されたからです、すいません。命ばかりはお助けを!」
「えーい、うるさいわ! 助けてやるから質問にだけ答えろ!」
「はい、すみません……」
市長は項垂れて大人しくなった。
「で、どんな警告だ?」
「は、ハサールとドルクが攻めてくるという警告です。だから、都市も危ないと……」
「いつの話だ」
「確か……去年の秋口です」
エフメトが部下たちを見回すと、皆固い顔をしていた。それは半年以上前に今日の日を予期して手を打っていた者がいるということなのだ。
「……警告したのは誰だ?」
「プレセンティナの、えーと、確か……」
「……イゾルテだな?」
「は、はい、そうです。イゾルテ姫が来たんです」
「来た? わざわざここまで来たのか!?」
「ここまでというか、われわれに警告文だけ渡して西に行ってしまいました」
ハシムがエフメトに囁いた。
「殿下、ではここより西の都市も……」
「同じ状況だろうな。魔女が仕組んだのなら手抜かりも無いだろう」
エフメトは市長に向き直った。
「市長、お前たちは何故ここにいる?」
「何故とは……?」
「魔女――イゾルテに警告されたのに何故ここにいる?」
「……信じられなかったからです。仮に本当だったとしても、50年守り続けた我らのマイラが落ちるとは思わなかったのです……」
悔しそうな市長の顔を見て、エフメトは思わず笑い出した。
「くくくっ、守り続けた? おいおい、本当に守ってたのか? 無茶苦茶ヘボかったぞ?」
「……!」
「まあ、お前がバカなおかげで兵士たちに略奪をさせてやれる。礼を言っておこう」
「くっ……!」
それは痛烈な皮肉だったが、半分は自虐でもあった。略奪をすれば都市の価値そのものを大きく損なうことになるので、戦後の支配者となる彼としては、本来なら無血開城が一番望ましいのだ。だが食料供給に不安のある現状では、都市市民を奴隷にしてさっさとどこぞに売り払って食い扶持を減らし、同時にその代金で食料を調達できることを喜ばざるをえないのだ。だが無人となった農地と合わせて、都市の復興も絶望的になってしまうだろう。それでも遊牧は出来るので、ハサール人にとってはどちらでも良い話かもしれないのだが。
「連れて行け。約束だ、そいつは殺すなよ。いずれ時期を見て自由にしてやる」
市長は悄然としたまま兵士に連れられて行った。
市長が去ると、エフメトはハシムに命じた。
「マイラの市民が立ち直って反抗の芽が出てきたら、市長を自由にしてやれ」
エフメトの言葉にハシムは驚いた。
「叛乱の中心になるかもしれませんよ!?」
「奴にそんな人望があるとは思えないな。恐らくは市民の八つ当たりで殺されるだろうから、ちょうどいい憂さ晴らしになる。ひょっとすると反乱分子が2派に分かれるかもしれんし、仮に糾合出来たとしても奴が指揮を執っている限りは脅威ではない。だから生かしておく」
「……なるほど」
どこまでも冷徹な考えにハシムは舌を巻いた。
「それよりも魔女だ。我々がハサールと同盟を結んだことはもともとバレる可能性が高かったが、だからといってここまでやってくるとは思わなかった。どこから確証を得たんだろうか……」
「それよりも私にはプレセンティナの地位というのがいまいち分かりません。他国の農民を土地から退去させることが出来る一方で、都市の市民には全然信じて貰えなかったっていうのはどういう事でしょう?」
「危機感の違いじゃないか? どう見ても都市部の連中は戦い慣れていない。市長が言ってただろ、ドルク軍が攻めてくるとしても守れると思ったって。アホとしか思えんが、そういう連中に危険を説くのは骨だぞ」
「うーん、確かに。敵で良かったですね」
「だとしても、わざわざ自分で出向いて来ておきながら市長にも会わないとはな」
「目的はマイラではない、と?」
「西ということはメロピーか? マイラを無視して? よく分からんな」
「更に西では? ディオニソス王国の協力を取り付けに行った可能性はありませんか?」
「ありうるな。だが、だとしてもハサールが抑えるだろう。俺達は逆侵攻に備えて一番西のメロピーに守備兵を多めに残すだけで十分だ。10日ほど籠城できればハサール騎兵が援軍に現れるだろう。メロピーの後は計画通りアムゾン海沿岸に戻って南下するぞ」
「そうですね、まとまな抵抗線はホールイまで無いでしょう。ホールイが焼かれてなければ、ですが」
ハシムの言葉にエフメトの頬は引き攣った。
「……そこまでやるか? いくら魔女とはいえ」
「しかし、ここではやっています。今はまだ焼いていないとしても、我々が進軍すればどうするか分かりませんよ?」
「確かにそうだな……。くそ、ディオニソスに赴いたのもそのためかも知れん!」
「だとすればハサールからの補給が我々の生命線になります。その辺りを注意しないといけませんね」
「ハサールは足は速いが馬車を使わない。補給線は独自に確保する必要があるだろうな。輜重隊を大幅に増やさないと」
一見順調そうな彼等の足取りは、早々に重いものへと変わりつつあった。
注1 プレイアダス七都市連合の中で一番東の都市。各都市の名前と位置関係は以下の通りです。
マイラ(=マイア) 旧アルテムス王国の王都。プレイアダス七都市連合の盟主。
メロピー(=メロペー) 一番西の都市。マイラから西に延びる街道上にある。
ターウグテー(=ターユゲテー) 一番東の都市
アスタロペー(=アステロペー) マイラの北東の都市
エレクタラー(=エーレクトラー) マイラの南西の都市
エライノー(=ケライノー) アムゾン海沿岸の都市
アルクヨネー(=アルキュオネー) アムゾン海沿岸の都市




