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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第5章 同盟
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工作員D その3

 新年になるとバネィティアでも多くの新年会が催された。君主を持たない共和国だからだろうか、元首(ドージェ)公邸で行われる祝賀会はプレセンティナの皇宮で行われるほどには多くはなく、その代わり次期元首(ドージェ)を狙うような有力者があちこちで盛大な祝賀会を催していた。ダングヴァルトもチェチーリアと実家の(つて)で有力者たちの主催する祝賀会に出入りする傍ら、元首(ドージェ)とアプルンの秘密の会合にも顔を出していた。


 そこにはバネィティアの代表として元首(ドージェ)ダンドロ卿と数人の側近、それにアプルン側の代表シャンポーニュ伯ティムボー、彼の部下でありダングヴァルトに接触してきたアプルンの騎士ジョブロワの他に5人の騎士が居た。この場にアルクシウス皇子が居ないということが、彼が傀儡に過ぎないことを物語っていた……が、きっと今夜も娼館で遊んでるんだろうなと思うと、ダングヴァルトは全然同情できなかった。というか、彼はむしろ羨ましかった。

 話し合いは、ダンドロがティムボーに作戦を説明することから始まった。

「船団は20隻を予定しています。アプルンの港から直接ペルセポリスに乗り付けることになります」

「20隻というのは少なすぎないか? 倍は欲しいところだ」

「ローダス戦役以来、東メダストラ海は安定しています。プレセンティナ船をマネて投石機と投網を装備する船も増えましたから、海賊も減って民間船が船団を組むことも少なくなりました」

「なるほど。船団を疑われないためにも、ドルクの協力が必要だな。海軍を誘い出す前から不穏な行動をしてもらおう」

「ええ。ですが大船団を組むほどの名目にはなりません。そこまで不穏な事態になれば、そもそも商船が無理にプレセンティナに向かう理由がなくなりますので」

「なるほど、だから20隻規模が妥当だということか」

「はい、途中で寄港できないことも考えれば、兵は5000と少しということになります」

「キメイラとやらが居ることを考えると不安だな……。どうなのだダングヴァルト卿、そなたは直に見たことがあるのだろう?」

端っこで大人しくしていたダングヴァルトがへらへらと笑いながら答えた。

「あー、もしキメイラが道を塞いだら、ムルス騎士が100人いても突破は無理ですね。盾も甲冑も火炎放射器の前では大して役には立ちませんし、正面装甲は分厚い鉄板ですから」

「それではどうにもならんと言うのか……」

深刻そうな一同に向って、彼はパタパタと手を振った。

「いやぁ、大丈夫ですよ。キメイラは籠城戦では出番が無いんで、北方での戦闘に備えて少なくともホールイ3国にまでは出て行くと思いますよ。それに万一居残り部隊が残っていても、キメイラの練兵場は郊外にあるんで、戻ってくる前に城門を押さえるか皇宮に突入しちゃえば良いんです。だから返って市内の常備兵が減ってるんじゃないですかねぇ。それを補うためにいくらか予備役を招集するかもしれないですけど、編成も練度も常備軍には遠く及ばないですよ。城壁を守る訓練しか受けてないから、隊列の組み方も、盾の使い方も知らないんじゃないですかねぇ」

 彼の解説に一同は目を剥いた。ヘラヘラしたダングヴァルトの態度と、そんな彼を仲間に引き入れたジョブロワの思惑を不審に思っていた者も、なるほど役に立つ奴だと感心したのだ。内部情報を知っているだけでなく思考も(見た目と違って)合理的なようだし、癇に障る態度も「なるほど免職(クビ)になる訳だ」と奇妙な納得感があった。

「すると、残る問題はタイミングだな。ドルクが誘い出すとしても、海軍が出払ったタイミングを確実に捉えられねば危険な賭けになる。出撃に備えて海兵が港に集まってる所にでも突入したら、まったく目も当てられないぞ」

「そちらは大丈夫です。普通の民間船から聞き出せば良いのです」

「どういうことだ?」

「プレセンティナ-バネィティア航路は主要航路船です、ほぼ毎日商船が出入りしているのですから、バネィティアに向かう商船から状況を聞けば、プレセンティナ海軍が出払ったかどうか確実に分かります」

「鹵獲するというのか……?」

「まさか! 元首(ドージェ)である私が命じれば停泊する義務があるのですよ、全てのバネィティア船は」

「ほう、ではダンドロ卿自らが赴かれると?」

「これほどの大事ですからね」

ダンドロの説明に、アプルン側もなるほどと納得した。何より元首(ドージェ)自らが同行すると聞いて、バネィティア側も本気であることが確認できたのだ。

 話が纏まりつつある中、ダングヴァルトが提案した。

「明日、ウチの商会の船がペルセポリスに向けて出港します。北の戦線は春になるまで動かないでしょうから、今のうちに情報を集めてこようかと思います」

「情報ならバネィティアの情報網があるだろう? 何もダングヴァルト卿が自ら赴く必要はあるまい」

「そこはそれ、個人的なコネってモノがありますからね」

確かにプレセンティナ軍内部の情報は外国人であるバネィティア人にはなかなか探り辛いところではあり、一同は彼の説明に納得した。少なくとも表面上は。

「なるほど、そういうことなら是非行って貰いましょう」

そう言いながらも、元首(ドージェ)は目を細めて側近に何やら無言の命を下していた。


 こうしてダングヴァルトは船に乗った。彼の帰国の目的は表向き父の商会の仕事のためであり、裏の目的はペルセポリスの情報を集めてバネィティアに伝えることであり、裏の裏の目的はアプルンとバネィティアの陰謀の詳細をイゾルテに報告するためであった。そして、彼には更に更に秘めたる別の目的もあった。



 半月ほどの航海を経てペルセポリスの港に入港すると、彼は約半年ぶりの故郷の土を踏んだ。表の目的は「親父、あけましておめでとう。これ兄貴から。じゃあ」で終わり、その足で色街に行って馴染みの店に入ってひとしきり遊ぶと、別の服に着替えて裏口から抜け出し、イゾルテの離宮へと向かった。それは(居るかもしれない)バネィティアの密偵を撒くための策である。仕事なのだ、やむを得ないのだ、それが過酷なスパイの性なのだ。


 その頃イゾルテは新年の祝賀会に出席していた。彼女は年の初めに仮病を使って留守にしていたので、アリバイ作りも兼ねて今更やってるようなつまらない祝賀会に連日のように出席していたのだ。ちなみにこの日は材木商ギルドの祝賀会だった。難民受け入れの特需と製材所の設置による業態の改編で大忙しの業種であり、正月休みも返上して働いていたので1月末まで日程がずれ込んだのだ。そしてどちらも彼女のおかげ(あるいは彼女のせい)であり、多くの人と顔見知りになってしまったので、彼女はしつこく誘われて断りきれなかったのだ。

 プレセンティナは木材を輸入に頼っているので、普段は木こり達がアムゾン海沿岸の森林から丸太を切り出し、商品そのもので簡単な筏を組んでえっちらおっちらと運んで来る。達人になると筏を幾つも連結して海流に乗せ、1人で100本以上の丸太を運ぶ者までいるのだ。本来彼らは自分で切った丸太を自分で運ぶのだが、特需に沸く現在は旧アルテムス領のアムゾン海沿岸の村人が居残って村中総出で木を切り出し、本業の木こりはひたすら何往復も筏を運び続けるという逆転現象が起きていた。そうやってガンガン集められた丸太を製材所で統一サイズの角材や板材にガンガン加工しているので、難民用の家の方も統一規格サイズの長屋が国中にガンガン建てられていた。狭いし壁も薄いし安普請ではあるのだが、滅多に雪も降らない地方なので天幕代わりとしては十分である。隣の家が新婚家庭でも無い限りは。


 ダングヴァルトが報告に戻ったという連絡を受けたイゾルテは、その祝賀会を抜けて離宮に戻って来た。つまらない祝賀会とはいえパーティー帰りである、髪を結い上げ(胸甲入り)ドレスに身を包んだ彼女の姿はいつぞやのガルータ地区を思い起こさせた。一方であの時軍装だったダングヴァルトの身なりは著しく様変わりしていた。といっても、ふつうに遊び人風なちゃらちゃらした私服なのだが。

「久しいな、ダングヴァルト。元気そうで何よりだ」

「殿下もお変わりなく。いえ、一層美しくなられましたね」

普段ならお世辞だと分かっていても嬉しいイゾルテだが、そう言ったのがダングヴァルトとなると全然嬉しくなかった。彼が言うと余りにも薄っぺらいのだ。恐らくは娼館でも似たようなことを散々言いまくっているのだろう。

「お前は随分と個性的な変装だな。口紅も付けているのか?」

「ははは、まさか。別に女装している訳ではありませんよ?」

「しかし、実際に付いているぞ……頬に」

 パシーン

ダングヴァルトは反射的に自分の頬を掌で隠していた。

――まままま、まずい。キスマークを確認していなかった!

「は、はははは。バネィティアの蚊は性悪でして。なかなか跡が消えないんですよぉ」

ダングヴァルトはそう言いながら、手をゴシゴシと擦って必死に口紅を消そうとしていた。だが、イゾルテはボソリと低く呟いた。

「そうか、そんなに性悪か。そうだろうなぁ、公費で通っちゃうほどだもんなぁ」

彼はその動きをピタリと止めた。

「……何のことです?」

「お前の父親から領収書付きの請求書が回されてきたぞ。愛の館とか、愛の館とか、愛の館とか、愛の館とか、愛の館とかだ!」

そう怒鳴ったイゾルテは、いつの間にかジト目になっていた。

「それに見合うだけの情報はあるんだろうな?」

ダングヴァルトは内心で悲鳴を上げていた。

――親父ぃ、なんで殿下に請求するんだよ!

彼は無実だった。チェチーリアのことも今夜のことも、彼は公費で娼館に通っていたつもりはないのだ! ただ親の金で女を買っていただけなのだ! どっちにしても最低だけど!

 彼は修羅場にも慣れていたので、内心の動揺を押し殺して涼しい顔でしれっとごまかした。

「もちろんです、殿下。これもバネィティアの目を逃れるための窮余の一策。疑われずに身を隠し、それでいて広く情報を集めるため、仕方なく色街を利用したのです」

彼の長年の経験に裏打ちされたサバイバル理論によると、こういう時は話をそらす策、仕方がなかった論、ごめんもうしないの術の3つを、相手と状況に合わせて使い分ける必要があった。そして合理主義者のイゾルテには仕方がなかった論が、重大な危機の迫る現状では話を逸らす策も効果的だった。

「現状は予断を許しません。バネィティアとアプルンはペルセポリスを奇襲するつもりなのです」

 イゾルテは深々と溜息をつくと、俯いたまま眉間を揉んだ。

「あのなあ、ダングヴァルト。私はちゃんと結果を出せば文句は言わんぞ。だがそんな世迷い言を聞くためにこんな大金を払った訳ではない。というかお前、将軍だった時の給料の5倍以上娼館で使ってるだろ。こんだけ高いってどんだけ美人なんだ? 正直、私も会ってみたいぞ」

 その言葉にダングヴァルトの心は押しつぶされそうだった。彼を愛するイゾルテは、チェチーリアに嫉妬しつつもあくまで皇女たらんと無理をしているのだ。だが「そんなに高いお金を払わなくても私がいるのに!」とか「私より綺麗なはずがないでしょ! ちょっと連れて来なさいよ!」という気持ちが、その言葉の端々に現れていた。だが、彼はもう決意してしまったのだ。彼はそんないじらしいイゾルテを裏切ることに激しい罪悪感を感じつつも、ひとまずは報告を続けた。

「彼女――チェチーリアからの情報を元に、協力者として実際にアプルン側と接触して確かめた情報です。彼等は商船を装ってアプルン兵をペルセポリスの港に直接上陸させるつもりです。そのためにムルス騎士たちを引き抜き、アルクシウスと名乗る少年を呼び寄せ、さらにはどうやらドルクとも密約があるようです」

「……ドルクだと!?」

 裏にドルクが居ると聞いて、イゾルテは急にその陰謀に現実味を感じ初めていた。勘の良い彼女はドルク側の思惑を即座に見抜いていたのだ。

――なるほど、ハサール側の侵攻と呼応しているのか! ペルセポリスの兵が少なくなったタイミングを狙うのだな。例え失敗しても、我々は国元を空には出来なくなる。それにタイトン内に相互不信の芽が撒かれ、同盟を広げようとする我々には大いに痛手になる……。

 その効果を考えれば、ドルクとしてはバネィティアやアプルンに相当な譲歩をしても十分に元がとれた。もともとタイトンの武力統一に拘るアプルンはプレセンティナが東タイトンをまとめつつあるのは気に食わないだろうし、多数の国が乱立することで独立を保ってきたバネィティアは統一そのものに危機感を持っていることだろう。それにプレセンティナが穀物の一斉買い付けをしたせいで、同じく穀物輸入国であるバネィティアも相当な損害を被ったはずだった。

――あるいはイタレア半島の他の都市国家……ピレンチェやゼノーヴァーあたりがヘメタル同盟に興味を持っている可能性もあるな。バネィティアに対してやたらと対抗心があるというし。

バネィティアに押さえ込まれたままでいるよりは、ヘメタル同盟の傘の下に入ろうと彼らが考える可能性は十分にありえた。そしてそんな現状はバネィティアにとってまさにジリ貧であった。今行動を起こさなければ西メダストラの覇者から転落し、単なる海洋都市国家の一つとして埋没することになるのだ。


「ところで、アルクシウスというのは誰だ?」

「イサキオス皇子のご落胤だと自称しています。侵攻の大義名分のために担ぎ出したのだと思われます」

「イサキオス……!?」

イゾルテは鋭く目を細めた。そしてしばらくして唐突にぽんっと手を打った。

「おお、叔父上か。イサキオス皇子なんて言うから誰の事かと思ったぞ」

イサキオス皇子はいっつもふらふら女の元を遊び歩いていたので、幼女に過ぎなかったイゾルテの近くにはほとんど近寄らなかったのだ。だから彼女はもう一人の叔父であるグナエウスに比べて、イサキオスの事はほとんど印象が残っていなかった。


「なるほどな。そして少数精鋭ってことでムルス騎士か。ド・ヴィルパン卿、いや、ムルス騎士団の団長に書簡でも書いてもらおう。彼等はこういう陰謀は好かんだろうしな」

「いえ、彼等は既に我らに内通しております。殿下から感謝のお手紙を頂ければ、彼等も一層奮起することでしょう」

彼女は一瞬ぽかんとして、それから眉根をよせて首をひねった。

「ムルス騎士が、陰謀に加担して、その上内通だと? すごーく意外だぞ、本当か?」

彼女の知るムルス騎士たち(=新神殿建立委員会の委員たち)は脳筋……じゃなくて脳天気な男たちであった。そしてそれは彼らの本質を見抜いていた。彼等は自ら進んで内通を申し出た訳ではないのだ。


 ダングヴァルトは密かに彼等に接触すると、「自分はイゾルテの命で動いている」と明かし、「アプルンとバネィティアを泳がせて、情報を流して欲しい」と要請し、ついでに「もうチェチーリアを買わない方があなたのためだ」と忠告したのだ。最後のは物凄く個人的な理由から言ったのだが、ムルス騎士たちはイゾルテ似のチェチーリアを買っていることが本人(達)にバレれば(どちらからも)軽蔑されると思い、おとなしくコクコクと頷いた。つまりは脅迫に屈したのだ。


「もちろん本当です。彼等は殿下を愛していますから」

「そ、そうか? あははは、いやぁ、まいったなぁ……って、あれか、冷たい目で死体を見下ろしてる姿がゾクゾクするんだっけ、あいつら……」

うっかり喜んだ分、イゾルテはがっかりした。

「それと、我々に協力する以上彼等はアプルンに仕え続けることは出来ません。そこで、是非プレセンティナ帝国に仕官したいと申しております。……できれば、殿下直属にして欲しいとも」

最後のはダングヴァルト的には本意ではなかった。彼を差し置いてそんな羨ましい待遇を得ようなどとは腹立たしい限りであったが、要請された以上は言うだけ言わなければならなかったのだ。だががっくりきていたイゾルテは、どうでも良さそうにあっさりと受け入れた。

「いいよ、もう。何でも書いてやるよ。よくやってくれたな、ダングヴァルト……」


 その感謝の言葉を聞いてダングヴァルトは動いた。まんまと希望を叶えられたムルス騎士たちにはちょっとムカついたが、彼の秘めたる目的を果たすのは今を措いて他になかったのだ。

「殿下、お願いがございます! 私は彼女を、チェチーリアを愛しているのです。最初は情報を得るために接近したのですが、今では彼女に嘘を付いていることが苦しくてなりません。彼女に全てを明かし、妻にする許可を頂きたいのです!」

それは懺悔だった。イゾルテの愛を裏切ることを告白し、彼女の裁きを受け入れようという、彼なりのけじめの付け方だった。


 バネィティアを出る前、彼はチェチーリアに表向きと裏の理由を告げてきた。そして、更に裏があることも。

「ごめんちーちゃん、実は君に言っていない事があるんだ」

「まあ、そうでしょうねぇ」

――ダンさんに、他に女がいない訳がないものね

「帰ってきたら、改めて話を聞いてくれないか」

「えっ?」

「だから、待っていてくれ。その……商売抜きで、一人の男と女として、待っていてくれないか?」

――私に告白するために、私に黙っていた女関係を整理してくるつもりなのね!

彼女はバネィティアの誇るトップランクの娼婦であり、彼女に入れ込んだ男がこんなことを言い出すことも何度かあった。そしてそれを柔らかくいなすのが彼女の流儀でもあったのだが、何故か今回はそれが出来なかった。

「さ、さあ、どうしようかしら。まあ、あなたはお得意様だし、少しくらいなら……待っていてもいいわよ?」

恥ずかしそうに頬を赤らめてそっぽを向く彼女は、男を知り尽くした娼婦とは思えないほど可憐だった。


 だがイゾルテはダングヴァルトの結婚を許さなかった。

「ダメだ」

にべもなく却下した彼女は、極めて不機嫌そうだった。

――完全に籠絡されてるじゃないか。商売女に入れあげてスパイが正体をバラすとか、絶対あり得ないだろ!

「お前は馬鹿か? 私が許可する訳がないだろう」

――やはりイゾルテ殿下は俺を深く愛しておられるのだ。愛が重いなぁ……。

「そう……ですよねぇ」

にへらっとすごく嬉しそうな彼の表情に、イゾルテはちょっと引いてしまった、マゾヒストなのではなかろうかと。そしていつぞやもそんな疑いを持ったことを思い出し、勘の良い彼女は全てを察した。

――ああ、あの高額料金はそういう特殊な趣味によるものなのか! そうか、ご主人様に高い料金を払うところからが既にプレイなのだな。なるほど、なるほど、奥が深い。

そんな特殊性癖の二人には他の相手を探すことはとても難しそうだった。そして何より、彼女はこのまま延々と高額料金を払い続けるのは絶対に嫌だった。

「そんな顔をするな、分かったよ。一件が片付いた後なら許してやる」

「え、あれ? 本当に?」

「何だ、自分から許可がほしいって言っておいて、要らんのか?」

彼は急に言葉を翻した彼女が本気なのか疑った。

「じゃ、じゃあ、彼女に何か許可の証の品を頂けませんか?」

「んー? まあ良いけど。ちょっと待ってろ」

そう言って彼女は応接室から出て行くと、5分ほどして戻ってきた。

「来歴は知らないが、母上のものだ。良いものだと思うぞ」

そう言って彼に渡したのは高価そうな銀の指輪だった。

「ゲルトルート様の形見……! いいんですか?」

サイズが合うかどうかは分からなかったが、鎖を買い足してネックレスにするなりなんなり方法はある。プレセンティナの皇女殿下、つまり主君筋からの下され物だと言えば言い訳も出来るだろう。まあ、全てを明かした後じゃないと渡せないけど。

「まぁ、今回の情報は確かにお手柄だからな。彼女にも報いてやれ」

――この指輪を通して自分を忘れるなと言うことか! くぅ、何ていじらしいんだ!

ダングヴァルトは指輪を握りしめると、俯いたままプルプルと震えた。だが彼には知りようのないことではあったが、それは高価なだけで全然大した指輪ではなかった。確かにゲルトルートの物ではあったのだが、どこぞの男が彼女にプレゼントして、「あ、どうも」と何の気なしに受け取ったのはいいけど、身に付けることもなく引き出しに放り込まれた数百に及ぶアクセサリーの1つに過ぎなかったのだ。ちなみに女から貰ったプレゼントは生花ですら押し花にして保存され、いつ誰から貰ったのか克明に記録されていた。

「殿下のお気持ち、確かに受け取りました。せめて粉骨砕身して働くことを誓います!」

「喜んでもらえて私も嬉しいよ。だがそれなら、もう一働きしてもらおうか」

「何なりと」

「では、そのアプルンとバネィティアの陰謀を――」


 ― 実行させろ ―


はっと顔を上げたダングヴァルトが見たのは、嫣然(えんぜん)と微笑むイゾルテだった。その姿を見て彼の背筋に稲妻が走った。

「そして罠に嵌める。彼らが国を出た後でその陰謀をバラし、バネィティアに政変を起こさせるのだ。共和国のくせに国民に黙って陰謀を企てるとか、超ムカつくからな!」

――いやぁ、殿下も今、むちゃくちゃ陰謀を企んでますけど……

そう思いつつ、彼は賢明にも黙っていた。

「そして硬軟両面から働きかけてヘメタル同盟に組み込むんだ。バネィティアが同盟に加わればメダストラ海全域はヘメタル同盟の海となる。同盟の内外で差別的な関税でもかけてやればイタレア半島の諸都市もコロリと同盟に下るぞ。ふふふ、これでタイトンの半分が同盟の傘下に入る。

 更に辺境諸侯を取り込んで裸にしたディオニソス王国を半包囲し、アプルンの喉元に刃を突きつけてやるのだ。そして事実上の経済封鎖がジリジリと彼等を締め上げる! ハサール方面の戦況次第ではディオニソス王国も同盟に取り込めるかもしれん。アプルンを悪者にしてやれば、奴らも面子を潰さんで済むからな。まあ、実際にアプルンは悪者だけど。くっくっく」

ニヤリと口を歪ませたイゾルテは、どうみても彼女こそが悪者に見えた。だがその艶やかな微笑みと陰謀を企む背徳感が露出の高いドレス姿と相まって、処女とは思えぬ色気を醸し出していた。それがなんだかとてもエロ可愛かったのでダングヴァルトは一人でゾクゾクし、彼の決意は早くも揺らぎ始めていた。

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