扇動
ヘメタル歴1524年が明けた。マヌエルとヘレネーが生まれてはじめて迎える新年であり、恐らくはドルク・ハサール同盟軍が動き出す年でもある。ペルセポリスの人々はモラトリアルの最後の一時を大いに楽しみ、浮かれ騒いでいた。
だが年末だろうと新年だろうと何処にでも商売に行くのがプレセンティナ人である。一方で新年に浮かれるのは何もプレセンティナに限ったことではない。新年を本国で迎えられなかったプレセンティナ人は、現地の騒ぎに便乗して楽しむのだ。だから商人である父親にくっついてクレミア半島の地峡近くの港町にやって来た一人の少女が、父親に連れられてスラム人の集まるパーティーに参加するのもおかしな話ではなかった。
逆におかしなのはそのパーティーの他の参加者たちだった。大半が強面の男で、その他には神経質そうな学者風の男や恰幅の良い商人風の男、そして数人の老人がいるだけだけなのだ。彼女が町で見かけた金髪色白のスラム人美女たちは残念ながらそこには一人も居なかった。
――む、むさ苦しい……
その代わり、たった一人だけの女性参加者である彼女がドアをくぐった途端、その圧倒的な存在感にすべての参加者の目が釘付けとなった。何故なら彼女は――
「殿下、そろそろ面覆い{顔面サンバイザー}を取らないと」
「おっと、そうだった」
その異様な風体の娘――イゾルテが面覆い{顔面サンバイザー}を取ると男たちからほうっという溜め息が漏れた。スラム人のような金髪色白の容貌が共感を呼んだのだろうか。
「集まって頂きありがとうございます、私がプレセンティナ帝国の皇女イゾルテです。今回はお忍びなので、このアエミリウス議員の娘ということになっておりますの。町で会ったらそういうことにしておいて下さいね」
なんとか上流階級ってくらいのお嬢様を装った彼女は、社会的には3ランクぐらい落としているにもかかわらず、普段より全然淑女っぽかった。だが小さく御辞儀をした彼女に、参加者たちの無言の非難が届いた。
――全然親子に見えねぇよ!
学者肌の男が彼女に声をかけた。
「ちなみに、その設定ではどんな偽名を使われているのですか?」
「偽名? え、えーと……イロルテ?」(注1)
彼女がとっさに思いついた名前を口にすると、その男を含めて十人程の男がぶっと吹き出した。彼女には理由が良く分からなかったが、アエミリウスとアントニオも吹き出していたので、スラム人にしか分からないネタではないようだった。
――まあ、後で聞けばいいや
そこに集まった男たちはクレミア半島の反ハサール組織の面々だった。より正確に言えば、その中でも割と話の通じる連中である。全国的な組織もなければ組織間の連絡会みたいな物もないらしいので、内陸部の農村の青年団みたいなローカル組織までは連絡の取りようがなく、ここに呼んだのはプレセンティナ商人と何らかのコネクションがあり、商用にかこつけて此処に集まる事が出来、かつタイトン語に不自由しない選ばれたテロリ……運動家たちなのだ。闘士なのだ。文字通り話が通じるのだ、タイトン語で。
「今回は我々の計画に賛同していただいてありがとうございます。今日は皆さんの体制づくりと、独立後の青写真についてお話ししたいと思い罷り越しました」
彼女がそう言うと老人の一人が声を上げた。
「待って下され、ワシらはまだ賛同してはおりませんぞ」
「えーと、あなた方はどなたですか?」
「ワシらは内陸部の町の者です。若い者が五月蠅いので代表して話を聞きに来ましたが、危ない話に乗りたいとは欠片も思っとりません。まずは勝算を見せてほしいですわい」
皇女だと明かしたのに随分とぞんざいな物言いに、彼女はちょっとムカっとした。唐突な申し出に不信感を持っているのは分かるが、身分を明かした以上はそれなりに対応して貰わないと他の者達に示しがつかないのだ。それにスラム人側に組織力がない以上プレセンティナが統括せざるをえないので、ハッタリを効かせておく必要もあった。だがここで叱りつけても反感を煽るだけなので、彼女は歯牙にもかけない素振りを見せた。
「良いでしょう。でも作戦は詳しく言えません。去就はクレミアを奪った時に決めていただければ結構ですわ」
「……は? あっさりと仰いますが、いつの話ですかの? ワシは見ての通りジジイですので、あと何年生きておれるか分かりませんぞ」
「いつと言われましても、ドルクとハサール次第ですので、多分夏頃だとしかお答えできませんわ」
「夏? 今年の夏だと仰られるのか!?」
「私は見ての通り小娘ですので、せっかちなんですの」
イゾルテはやりなれないウィンクをばちこーんと不器用に決めた。それでも彼女があまりに堂々としていたので、彼等はプレセンティナではそういうものなのかと思ったほどだった。
「皆さんのご協力により、北アフルークからの情報通りドルク軍が50万近い大軍であることが確認できました。この軍をハサール国内に長く残すとは思えませんから、春にはタイトンに攻め入るでしょう。この時ハサールも大軍を動員するはずです。ドルク軍50万に見合うだけの大軍を、です」
「つまり、ハサール国内がガラ空きになるって事ですかい?」
そう言ったのはスキンヘッドの男だった。ムキムキの腕を組んだままニヤリと笑うその姿は、どう見ても真っ当な職業には見えなかった。
――あれはきっとテロリ……運動家だったな、うん。ちょっとタカ派なだけだ。
「そういうことです。その隙をついて一斉に蜂起するのです。戻って来るまで少なくとも十数日稼げますから、その間に迎撃体制を整えられますわ」
学者風の男が眉を顰めた。
「十数日? それでは余りにも短すぎませんか?」
「いえ、十分ですわ。ハサール騎兵を止めるだけですから濠と土塁で十分です。しかもたったの6kmですから、6000人居れば一人あたり幅1mですわ」
それを聞いてスキンヘッドが笑い出した。
「はっはっはっ、なるほど地峡か! それなら分かりますぜ。で、俺らにはその人数を集めろって言うんですかい?」
「そうです。最低で6000人、できれば10000人を集めて下さい。武器に工事用具に天幕に食料、全て私達が運び込みます。ですから、着の身着のまま来て頂ければ結構です」
商人風の男が訝しむように眉をひそめた。
「プレセンティナはあくまで兵を出さないとおっしゃるのですか?」
「もちろん出しますわ。でも、どういう形で出すのかは今は言えません。我々を信じて欲しいとは言いませんが、あなた方が勝つことが我々の利益となることだけは信じていただけるでしょう? そして、利益を得るためならプレセンティナが何処にでも投資するということも」
そう言って彼女は、今度はニヤリと口を歪めた。彼らはその姿に、算盤(注2)片手にニヤリと笑う知り合いのプレセンティナ商人を重ね合わせていた。
「そして、内輪もめなんかされたら迷惑だって事も、分かりますわよね?」
口許とは違い全く笑っていない彼女の目は「そんなことになったら容赦しないぞ」という続きの言葉を明確に物語っていた。
その後、独立後は各都市の代表による合議制を取ることに決まった。それは事実上何も決まっていないのと等しかったが、どのみち戦いを経ずしては誰も納得しないだろうし、この場にいない者たちの意見を聞いていない以上はそれが一番現実的な結論だった。
その代わり新しい国――クレミア連邦(仮)の軍はこの場に居る者たちが中心になることになった。これについては、彼らが独立戦争の中心戦力となる以上は当然の事だろう。だがイゾルテとしては、彼らに与えた力が内部に向かって振るわれないよう監視する必要がある。防衛線を確立して余裕ができた途端に内部分裂して泥沼の内戦に突入されてはたまったものではない、せめて各都市に防衛力を持たせたいところだった。
一通り話が終わった後、細かいことはアエミリウスに任せて、イゾルテはスラム人の街を堪能していた。というかスラム人を堪能していた。彼女の身の回りにいる金髪なんてアドラーくらいしかいなかったので、彼女は自分好みの――ではなく自分に似た美少女たちに興奮を覚えずにはいられなかったのだ。
「どうだ、アントニオ。あの娘も可愛くないか? 金髪色白だぞ! うちのメイドに欲しいなぁ。そしたら毎日イタズラできるのに……!」
「殿下、おっさん臭い事言わないで下さい。せめて声を小さくして下さい」
イゾルテは声を潜めてアントニオに耳打ちした。
「アントニオ、あの娘をナンパして来い。いい仕事があるけど興味はありませんかって!」
「ええっ!? ナンパですかぁ!?」
「しっ! 声が高い。これは命令だ、男らしいところを見せてみろ!」
目をギラギラと輝かすイゾルテを見て、アントニオはしぶしぶ頷いた。
――せめてスカウトと言って欲しいなぁ……
イゾルテの見守る中アントニオが声をかけると、その美少女は案外あっさりと立ち止まって笑顔を返した。だがタイトン語が通じなかったので、彼が担いでいた分厚い辞書を捲りながらなんとか意志の疎通を図ると、彼女も仕事に興味を示した。
「雇い主、誰?」
辞書の単語を示されたアントニオは、イゾルテを指差した。
イゾルテは 美少女と目が合うとにっこり笑って手を振ったが、その美少女は顔を強ばらせるとアントニオに向き直り、思いっきりひっぱたいた。
パシーン!
そして彼女はドスドス足を怒らせて去って行ってしまった。
がっくりして帰ってきたアントニオをイゾルテは激しく詰った。
「何やってるんだ! もう少しだったのに!」
「それはこっちのセリフです! 殿下が 面覆い{顔面サンバイザー}を外さないから誤解されちゃったんですよ! 」
「誤解?」
「たぶん、特殊な職業だとでも思われたんだと思いますけど……」
「スラム人社会ではメイドって特殊なのか?」
「殿下のメイドはタイトンでも特殊ですよ」とは、彼は言わなかった。言いたかったけど。
「そうじゃなくて、裏通りにある特殊なお店の仕事だとでも思ったんですよ、きっと」
彼は口に出した直後に失言を悟ったが、後の祭りだった。
「アントニオもこの街に来たのは初めてだろう? 何でそんな特殊な店が裏通りにあると知っているんだ?」
「えっ? えーと、どこの街にもあるものだと聞いていたので……」
イゾルテとともにエウノメアー王国や旧アルテムス王国領を歴訪していた一月ほどの間、彼は兵士たちと同じ天幕で寝起きしていた。あまり危険もない暇な夜が続き、兵士達は夜な夜なカードゲームやチェス、武勇伝に怪談、そしてやっぱりコイバナ(18禁)に興じていたのだ。(そのあたりは海でも陸でも同じらしいが、ローダス島防衛戦では彼等の上司であるアントニオの父親が同乗していたので18禁の話は出来なかった)そして色っぽい話を聞く度に真っ赤になる彼の反応はイゾルテでなくても面白いらしく、兵士たちは彼に色々なことを教え込んでいたのだ。どこの街にも大人のサービスを提供する特殊なお店が裏通りにあるものだと言うことも。
「へぇ、裏通りにはそんな特殊なお店があるのか。よし、見に行こう!」
「ええっ!? そんな、殿下が行くようなお店じゃないですよ!」
「今の私は皇女ではないぞ、商人の娘イロルテだ!」
――そういう問題じゃない! ……けど、今ならちょっとありかも?
彼は「イゾルテを色街に連れて行って恥ずかしがらせる」という逆逆セクハラの誘惑に刈られたが、酔漢にでも絡まれたら大変である。もっとも周囲に紛れ込んでいる護衛たちが速やかに処理してくれるとは思うのだが、その時はついでに彼まで殴り倒されかねなかった。
――ここは適当にごまかさないと……
彼は地図を思い出しつつ、色街ではなく下町の方へと彼女を導いた。
商業区画から下町に入ったあたりで二人は数人の男たちに取り囲まれ、 片言のドルク語で話し掛けられた。
「お前、兵隊、ドルク、か?」
ドルク語が分からなくてきょとんとするアントニオの代わりにイゾルテが、これまた片言のドルク語で答えた。
「違う、プレセンティナ人」
その金髪からスラム人だと思い込んでたイゾルテがドルク語で答えたので、今度は彼らがきょとんとした。そして別の男が幾分流暢なタイトン語で話し掛けて来た。
「2人ともプレセンティナ人なのか?」
「ええ、そうです。始めてハサールに来たので、でん……お嬢様と街を見て回っているんです」
「そうか、悪かったな。俺達は自警団でな、外国人が悪さしないように見張ってるんだ。行っていいぞ」
だがイゾルテは、彼らの言動に興味を刺激されていた。
「どうしてドルク人だと思ったんですの?」
「大陸の町じゃたまにドルク兵が脱走してくるらしいんだ。こっちじゃまだ見かけてないが、いつか来るんじゃないかとピリピリしてるんだよ」
「プレセンティナ人は見張らなくていいんですの?」
「もちろん見張るぞ。でもプレセンティナ人がする悪さは盗みや乱暴なんかじゃなくて、たいていは女関係だ。でも流石に女連れでナンパしたりしないだろ?」
アントニオは頬を引き攣らせた。彼はイゾルテの命令でナンパをさせられたばかりなのだ。しかもイタズラ目的である。
「まぁ、最初はその、お嬢さんが自宅で商売してるのかと思っちまった訳だが」
そう言って肩をすくめるその姿は程々に情けなく、見栄と暴力の世界の人間には思えなかった。少なくともパーティーの面子より遥かに平和的な人種のようであり、おそらくは本人の主張する通りこの下町の普通の住人なのだろうと思われた。
こうして話は丸く収まったのだが、イゾルテが余計な事を言い出してしまった。
「商売? そうだ、ちょうどいいですわ。裏通りの特殊なお店に案内して頂けませんこと?」
その言葉に場が凍りつき、アントニオはだらだらと冷や汗を流した。だが、事態は彼の想像の更に斜め上に進んで行った。
「……なぜあの店のことを知っている!?」
「ええっ!?」
「どこの街にでもあるものなんでしょう?」
アントニオが動揺する一方で、堂々と言い放ったイゾルテの様子はついさっき聞きかじったばかりだとはまるで思えなかった。
「……そうか、プレセンティナ人だったな。女の身で大した度胸だ」
「どういたしまして」
「…………」
彼女たちは男たちに囲まれたまま裏路地へと案内されることになった。
――どどどどうしようっ! はっ、護衛の人たちは!?
アントニオが振り向いた先で、護衛達が別の男たちに呼び止められていた。
「お前、兵隊、ドルク、か?」
イゾルテ達が連れて行かれたのは、裏通りの普通の一軒家……に見える建物の地下室だった。地上の建物の割に広々としていて、その半分はごちゃっと積まれた剣やら槍やらが占領していた。明らかにまともではない……はずなのだが、二人きりになるとイゾルテは壁をつついたり叩いたりしながらしきりに感心していた。
「海辺なのに水が湧いてこないんだなあ。土壌が粘土質なのかな?」
悠長なイゾルテに向ってアントニオが耳打ちした。
「何を脳天気なことを言ってるんですか! 絶体絶命なんですよ!?」
「何でだ? 買い物に来ただけだろう?」
「何の店だか分かった物じゃありませんよ!」
「は? 何だと? お前が案内したんだぞ!」
「殿下がさっきの人達に案内させたんでしょ!」
「お前が言った通りに頼んだだけだ!」
二人がヒソヒソと言い争っていると、一人の男が現れた。なかなかに強面の中年男だったのだが、迫力とむさ苦しさではさっきのパーティーには遠く及ばなかった。
「お待たせしました。で、お嬢さんは何を売って下さるんで?」
イゾルテは様子を見るため、とりあえず相手に話を合わせることにした。
「……なぜ売るのだと分かったのですか?」
「そりゃあ、プレセンティナ人がわざわざクレミアまで来て買う訳がありませんからなぁ。それに買う方はそんな風に顔を隠したりしない」
彼女は面覆い{顔面サンバイザー}を付けたままだった。
「……何が欲しいのです?」
「弩ですなぁ。弓矢は素人には難しいですから。それと鏃や槍の穂先も。そして短剣も少し。市民が護身用に持ち歩くことが増えているんですよ」
――なるほど、武器商人だったのか。城壁さえ作れないハサール国内では武器の所持も非合法なのだろうな。自警団を通して一般市民ともつながりがあるのなら……悪くない。
イゾルテはいつもの直截的な口調に改めた。
「短剣より弩が優先だということは、ハサールへの備えなのか?」
「ええ。実際に使うことは無くても、 手許に武器が欲しいものなんですよ。プレセンティナの方には分からないでしょうが」
少し皮肉げな男の言葉に、イゾルテも皮肉で返した。
「確かに分からないな。我々は実際に散々使い倒しているからな」
「…………」
その痛烈な皮肉に男は黙り込んだ。
「弩なら幾らでも用意してやろう。だがハサール相手ならもっと良いものも扱っているぞ」
「……ほぉ」
「ただし一人で使うものじゃない。大勢で、町中総出で町そのものを守る武器だ。興味があるか?」
「……ええ、是非ともお聞かせ下さい。ですが、自警団の連中を呼んでも良いですかな?」
「ああ、勿論だ。ところで自己紹介が遅れたが……」
彼女はそう言いながら面覆い{顔面サンバイザー}を取ると、右手を差し出した。
「プレセンティナ帝国第二皇女イゾルテだ。今は商人の娘のイロルテを名乗っている」
武器商人は頬を引きつらせ、アントニオは手のひらで顔を覆った。本名を名乗った事もイロルテという偽名を名乗った事も、平然としていられたのは本人だけだった。
「そうだ、護衛たちが自警団に囲まれている筈だから、彼らも通してもらえるかな?」
イゾルテの要求はすぐに受け入れられたが、護衛たちは自警団に追い払われた後に物陰に隠れてイゾルテ達を捜索していたので、自警団の面々は「イロルテさんの護衛さぁーん、お嬢様がお呼びですよぉー」と町中を大声で呼び回ることとなった。
船に帰った後、「イロルテ」が誰の名前なのかをアントニオから聞き出した彼女は、頭を抱えて床をごろごろと転げまわった。
注1 擬似官能小説『黄昏姉妹』に登場する(イゾルテをモデルにしたと思われる)キャラです。イゾルテの文芸(?)輸出振興策も着々と効果を現しているようです。たぶん、海賊版だけど。
イゾルテがイロルテを名乗るということは、有名タレントが自分のそっくりさん系のAV女優の名前を名乗っちゃった、みたいな感じでしょうか。
注2 ローマでも「かるきゅらす(calculus)」という算盤っぽいものがあったそうです。イメージ的には串のない算盤、もしくはおもちゃのロンボスみたいな感じですが。




