神像
年末の話、三本立てです。
12月半ば、ヘメタル同盟発効後初めての元老院総会が開かれると、イゾルテはわざわざやって来たホールイ3国の王たちの案内も兼ねて初めてちゃんと総会に出席していた。昨年はサボってたところをムルクスの緊急動議を聞いて軍服のまま駆けつけて登壇してしまったが、今回はトーガを着ていた。ヘメタル以来の慣例として議員は皆トーガを着ることになっているのだ。だから3王も着慣れないトーガを身につけ、お互いにその時代錯誤な衣装を冷やかし合っていたのだが、議場に入って実際にトーガを来た議員たちが犇めき合っているのを見ると積み重ねられた年月の重みを感じさせられ、彼らは静かな興奮を覚えていた。なにせ1500年の伝統であるのだから。
「殿下、席は決まっているのですか?」
「えーと、どうでしょう? 私も初めてなので……。でも、たぶん決まってないと思います、サボる人が多いので。私も含めて」
「そういえばアエミリウス議員はご一緒ではないのですか?」
「あー、たぶん選挙でそれどころではないのかと。落選すると1年間ほとんど無職ですから」
「ところで、お手洗いはどちらですか?」
「うーん、男性用はどこにあるんだろう……?」
結局イゾルテは全然案内できなかった。こうなることは予期できたのだが、彼女がムルクスを同行させようとしたら彼は真っ青になってどこかへ逃走してしまったので仕方なく一人で案内しているのだ。彼は昨年の騒動のお陰で元老院恐怖症(?)に陥っていたのだ。
だがイゾルテがキョロキョロしていると気を利かせた議員たちが最前列を空けてくれたので、彼女達はそこに並んで座る事は出来た。
「ところで皆さんは国を空けて大丈夫なんですか?」
「我々にはこの同盟の絆こそが命綱です。それに臣下の議員たちは全て国に残しました。元老院への出席を阻むのはへメタルの精神からは望ましくないとは思いますが」
「互いが頼りなのはお互い様です。それに今年ばかりは仕方がないでしょう。へメタルだって、戦争中で元老院議員が半分くらい出征してても元老院を開いたりしてましたし。ところで難民は既に避難して来ているんですか」
「ボチボチですね。まだ15万ほどです。村ごと避難して来ていますから、それで足が遅いのでしょう」
「やむを得ませんね。それに村ごとならキャンプの割り振りも治安維持も楽でしょう。村の構造をそのまま使えばいいのですから。わが国も準備をしていますから、こちらに案内していただいても結構なんですよ」
「10年前に廃村になってしまった村が多くありますから、まとめてそこに案内しています。一から開墾するよりは楽ですし、来年には作付けも出来るでしょう。そちらが全て埋まったらプレセンティナに誘導するつもりです」
彼女達がそんな事を話していると、議長が演壇に登って毎年恒例の文句を口にした。
「元老院定期総会の開会を宣言いたします」
そしてその言葉には昨年に続いて例年にない言葉が続いた。ただし言ったのはムルクスでも他の議員でもなく、議長自身だった。
「本日はエウノメアー、ルィケー、エイレーナーの3国の国王陛下が元老院議員として初登庁されました。議員諸君、盛大な拍手をお願いします」
ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち
3王は戸惑いながらも立ち上がり、振り返えると拍手に応えるように片手を挙げた。そしてなぜかルィケー王とエイレーナー王に腕を取られて、イゾルテまで立ち上がらされてしまった。
おおおおぉぉぉぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち
イゾルテも微笑みを浮かべながら手を振って拍手に応えた。やがて席についたイゾルテは、ようやく案内らしい事を言った。
「次に十人委員会の立候補者の演説が始まります。話を聞いて気に入った人を10人選んで下さいね」
そう言いつつも、演説を聞くのも投票するのも彼女にとっても初めての経験だった。
彼らがアエミリウスを選んだかどうかは、イゾルテには分からなかった。誰が誰に投票したかを秘密にして権力者に報復させないことは元老院制度を守るためにも重要なことである。でも後日、イゾルテの名前が書かれた無効票が3票見つかったと聞いた時、彼女はちょっと嬉しかった。
それから数日後、イゾルテは一軒の酒場を訪れた。それは今は亡きフルウィウスとダングヴァルトと出会った、新神殿建立委員会御用達の酒場であった。(片方は死んでないけど)
「やあ、店主。繁盛しているか?」
「これはこれは、イゾルテ殿下! お久しぶりです。ひょっとして『ねくてー』をお持ち下さったので?」
「神酒? 何の話だ?」
「ええっ!? お忘れですか? 新年の宴会でお持ち下さった、皇室秘蔵のお酒ですよ!」
彼女は首をひねった。神酒などという酒にも皇室秘蔵の酒にも、全く心当たりがなかったのだ。
「……そんなのがあるのか?」
店主は愕然とした。
「そ、そんな……! タダで飲ませてくれた、あの太っ腹な殿下は何処に行ってしまわれたのですか!?」
「……私の腹は太くないが、お前に飲ませた樽酒{ブランデー}ならちゃんと持ってきたぞ?」
すると店主は大げさに胸をなでおろした。
「なんだ、お人が悪いですなぁ。殿下のお腹は太いんじゃなくて黒い方でしたかな?」
「……私の腹は黒くもないぞ。むしろ白い。何なら見てみるか?」
イゾルテが軍服のボタンを外し始めたのを見て、隣にいたアドラーがゴツンとげんこつを落とした。
「痛っ! な、何をするんだアドラー。私はただ身の潔白を証明しようとしただけだぞ!」
「殿下の肌が白いのは見れば分かりますし、腹黒いのも周知の事実です。さっさと話を進めて下さいよ」
イゾルテは頭をさすりながら不満げに言った。
「店主、この乱暴者のクソジジイが樽酒{ブランデー}の製造責任者だ。今後はこいつと相談してくれ。今日は3樽持ってきたが、全部今年の初めに樽に詰めたものだ。おそらく1月単位でだいぶ味が変わるだろう。それに樽の材質でも味が変わるだろうし、いろいろ相談に乗ってくれ」
「そうですか、よろしくお願いします。えーと、アドラーさんでよろしいですか?」
そう言って店主はにこやかに手を差し出した。
「ああ、どうも。最近は樽ばかり作らされていますが、本職は船大工です」
アドラーに握り返されながら、店主は低い声を出した。
「……酒造りは専門ではないのですか?」
「専門も何も、放っておいたら勝手に出来ていただけなので」
アドラーの答えに店主は凍りついた。そしてぷるぷると震えだした。
「……ゆ、許せんっ! 殿下、このゴツイ金髪クソジジイをお借りしてよろしいですかっ!? 酒の道というものを教え込んでやります!」
豹変した店主の様子に二人は戸惑ったが、イゾルテは防衛本能の命じるまま即座に頷いた。
「あ、ああ、自由にしてくれ。アドラー、師匠に失礼のないようにな! じゃあ!」
そう言い捨てると彼女は一目散に退散した。呆気にとられたまま彼女を見送ったアドラーは、にこやかに怒気を放ち続ける店主に恐る恐る目を向けた。
――ムルクス提督みたいな人だな……
「さて、まずはどういう管理をしているのか教えていただきましょう。温度は? 湿度は? 動かさないで寝かしているのですか? それとも定期的に撹拌したりしているのですか?」
「は、ははははは……知りません」
「それで製造責任者が務まるかぁぁあぁ!」
「ひぇえぇぇ、すみません、すみません!」
「今後は私が指示します! 言う通りに作って下さい!」
こうしてイゾルテは無能な製造責任者を犠牲にして有能な醸造責任者を手に入れた。
年末になると、イゾルテ達新神殿建立委員会は揃って新神殿を視察した。忙しさにかまけて書類チェックしかしていなかった彼女にとっては4ヶ月ぶりの視察である。まず外周をぐるりと回ってみると、城壁はすでに10mを越えており、間近で見るとなかなかの威圧感を醸し出していた。海峡でドルク軍を防いでいる現状では些かやり過ぎの感もあったが、ホールイ3国を通って北からドルク・ハサール連合軍が迫って来ればここが死地となることは間違いなかった。
「最悪の場合、来年の秋口には包囲される可能性もある。城門を優先させて、幾らか兵舎も作っておいた方が良いかもしれないな」
イゾルテがそう言うと新任のネポース委員が応えた。
「分かりました。城門を優先させましょう。兵舎の方は作業員が寝泊まりする仮設の小屋がたくさん建ってますから、それを流用すればいいでしょう」
ネポースは官僚出身の元老院議員で、死んだクィントゥスの穴を埋める形で委員となった男だった。もはや設計は終わっているので、工程管理には役人上がりの彼のような男の方が都合が良かったのだ。今では忙しいコルネリオに代わって事実上の副委員長として建設作業を監督していた。
「しかし、仮設小屋なんて何で作ったんだ? ペルセポリスのすぐ近くなのに家に帰らないのか?」
「城門はすぐ近くですが、自宅がそこから10ミルムくらい離れている連中もざらに居ます。彼らは一々帰るのが面倒なんです」
「……さもありなん」
往復20kmも歩いていたら半日潰れてしまうし、往復の乗合馬車の代金を考えればここで寝泊まりした方が安いのかもしれなかった。
城門(ただし扉はまだ無い)から中に入ると、そこはさながら貧民街のようであった。雨さえ完全には防げないのではないかという無数のボロ小屋が無秩序に並んでいたのだ。といっても年末なので流石にみんな家に帰っていて人っ子一人居なかったので、まるでゴーストタウンのようでもあった。もっとも、普段なら周囲はドンドンガンガンと活気に満ち満ちているし、ボロを着た子供も居なければ道端に座り込む乞食も居ないので、貧民街のような悲壮感は全然ないだろう。
「うわぁ……こりゃダメだろ。火矢でも射ち込まれたら大変だぞ」
「半分間引けば大丈夫です」
「……そうかも。しかしこれじゃ風呂も入れないだろう? 肉体労働後に風呂なしはキツイぞ、どうしてるんだ?」
「地下道のペルセポリス側の出口近くに公衆浴場があります。もとからあった物ですが、今ではほとんどここの労働者専用になってますね。ここの小屋は天幕みたいなものだとお考え下さい」
「なるほど、その方が合理的だな」
ふと見回すと、大神殿の予定地らしき空き地のすぐ脇に、石造りの小さな建物が先んじて建てられつつあった。しかもなぜかその周りにだけ人が群れていた。
「あれは何だ? 大神殿より先に作っているのか?」
「ああ、あれはアテヌイ神殿ですよ。ムルス神の主神殿の他に、主要な神様の脇神殿も作るんです」
イゾルテの疑問に答えたのはベルトランだった。城壁の中の建物についてはムルス騎士団の領分ということになっていたからだ。……仮設小屋は別のようだが。
「それは分かるが……なんでアテヌイ神殿からなんだ?」
「ええっと……ご神体が先に出来ちゃったから……?」
「へぇ、神像か。ついでに見てこよう」
イゾルテがそう言うとベルトランと他のムルス騎士達が慌て出した。
「あ、いや、建設中なので危ないですよ。ホント、いろんな意味で危ないんです」
「何だとっ! 既にあんなに参拝客が居るではないか。危険なら早く退去させないと! ド・ヴィルパン卿、急ぐぞ!」
イゾルテはそう言うと即座に駆け出した。
「ああっ、待って下さい、殿下ぁ~!」
ベルトラン達も慌てて追いかけたが、彼らが足でイゾルテに敵う訳がなかった。というか、彼らが遅いだけなんだけど。
アテヌイ神殿に詰めかけていた参拝客(といっても労働者風の男ばかり)は、走ってきたイゾルテの顔を見ると驚きつつもバツの悪そうな顔でそそくさと散ってしまった。何も言わないうちに退去した人々を不審に思いながらも彼女は神像に近づき、そして驚愕した。
「こ、これは!」
それは実に見事な彫刻であった。まるで生きているかのように毛の一本一本まで再現されていた。……上下ともに!
――なんて斬新なアテヌイ像なんだろう! 私と身長が同じくらいに小さくて、私の髪と同じようにストレートロングで、私と同じように胸がちい……謙虚で、しかもしかも、一糸まとわぬ真っ裸だとは!
「あり得~ん! 何だこれは! つーか、神様を裸に剥くな! 今すぐ破壊しろ!」
ようやく追い付いてきたベルトランに、彼女は大声で喚き散らした。
「ええっ~? 既に広く信仰を集めてるんですよ。我々の唯一の収入源です」
「知った事か! てゆーか、こんなアテヌイ像初めて見たぞ! こ、こんな、こんな、こんな、貧乳の女神なんて!」
イゾルテのその叫びを聞いて全員が顔を青くした。彼女に対してその言葉は禁句だった。というか逆鱗だった。それをまさか彼女本人が口にするとは……彼らには恐ろしい未来図しか想像できなかった。
だがコルネリオがススッと進み出て、身につけていた真紅のマントをアテヌイ像にかぶせた。一応公務なので、皇太子らしくそんな物まで身につけていたのだ。
「流石に神像を壊す訳にも参りませんし、これは私が責任をもって封印しておきましょう。ベルトラン、予算は出すからちゃんと普通の神像を作り直せよ」
「ううぅ、分かった。いや、分かりました……」
悄然とするベルトランに対し、コルネリオは実に満足気だった。
アテヌイ神像を丁寧に梱包して馬車に積み、壊れないようにゆっくりゆっくり運んで帰ったコルネリオは、一人だけ帰宅がすっかり遅くなってしまった。
「ドーラ、今日はお土産を持ってきたぞ!」
「まあ、どうしたの? 今日は建設中の新神殿に行って来ただけでしょう?」
「思わぬ収穫があったんだ! さあ、こっちこっち」
テオドーラの手を引いて連れて行ったのは二人の寝室だった。そしてその薄暗い寝室には先客があった。
「あら、イゾルテ、来ていたの?」
だがイゾルテからは何の応えもなかった。
「ふっふっふ、ドーラ、よく見てご覧。それは彫刻だ!」
「ええっ!?」
コルネリオが燭台に火を灯すと、それは白大理石の等身大彫刻だった。いくらイゾルテでもここまで白くはないが、顔の作りもスタイルもそっくりだった。テオドーラは震える指先で彫刻に触れた。
「ま、まさかこのトーガの下は……ああ、素敵♪ ありがとう、コルネリオ。最高のプレゼントよ。結婚指輪よりも嬉しいわ!」
「……そ、そうかい。喜んでもらえて嬉しいよ。じゃあ、ここに置いても良いかな?」
「いえ、それはダメよ。ちゃんと運んで頂戴」
「えっ……物置に?」
「何を言っているの? ベッドに決っているでしょう!」
「……!」
コルネリオは衝撃を受けて口を押さえた。さすがの彼もそこまでは考えていなかったのだ。イゾルテの見ている前で夫婦の営みを行うというプレイが、彼の想像の限界だった。
「トーガは脱がさないでね。……私が脱がすから♪」
馬乗りになってイゾルテを脱がせるテオドーラ――その光景は想像するだけで彼を熱くさせ、口を押さえた彼の掌からポタポタと鮮血が溢れだした。そしてその光景はすぐに現実のものとなった……もちろん片方は彫刻だけど。その晩、ちょうど一年前のように彼らのベッドは赤く血に汚れた。
その日から朝晩およそ110kgの神像(注1)を一人で立たせたり寝かせたりするのが彼の日課になった。ついでに神像に色んな服を着せたり脱がしたりするのもテオドーラの日課になった。
「義兄上、最近また腕が太くなってませんか?」
「……鍛えてますから」
「でもちょっと顔色が悪いですよ。げっそりしてませんか?」
「……励んでますから」
「筋トレも程々にして下さいね」
「…………」
テオドーラが二人目を身籠ったことが分かるのは、しばらく先のことである。
注1 大理石の密度は2.68だそうです。人体はほぼ 1 ですから、イゾルテの体重が 40kg とすると神像の重さは 40kg x 2.68 = 107.2kg となります。結構大変ですが、コルネリオならやれるでしょう。




