工作員D その2
2回連続でDのお仕事ですみません。次回こそはペルセポリスに戻ります。
アプルンからダングヴァルトへのアプローチは意外に早く訪れた。チェチーリアに仲介を頼んだわずか数日後、彼が一仕事終えて商館の自室に戻ると、チェチーリアから呼び出しの手紙が届いていたのだ。初めての事に少々訝しみながらも彼女の許を訪ねてみると、彼女は客も取らずに――それでいてきっちりと身だしなみを整えて――彼を待ち構えていた。
「アプルンの騎士様が贔屓にしてる娘から、あなたに会いたいって返事が来たわよ」
彼女が嬉しそうに微笑むと、彼は驚いて彼女を見つめた。こんなに早く反応があるとは期待していなかったのだ。
――きっと色々と無理をしてくれたんだろうなぁ
彼は彼女の可憐しさに胸が詰まった。
彼女にとって自分が特別な存在になりつつあるのではないかと思ったことは確かにあった。だが単に彼女が好色なだけなんじゃないだろうかという疑いもあった。だってプロだし。それに底なしだし。だが今、彼女の愛が自分の許にあると確信して彼は心の底から喜びを感じていた。そしてはたと気付いた。イゾルテの代わりでしかなかったはずの彼女が、いつの間にか彼にとっても掛け替えの無い存在になりつつあったのだ。だがひねくれ者の彼はその喜びを素直に表さなかった。
「へー、それってどんな娘? いくつ? 可愛いの?」
「会いたがってるのは騎士の方よ!」
チェチーリアが怒鳴ると、彼はニヤニヤと笑った。
「分かってるって。やだなー、その騎士の好みを聞いただけなのになー」
彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
――これでじゃあ、まるで私が嫉妬したみたいじゃない
「騎士様が贔屓にしてるのよ、もちろん可愛い子に決まってるでしょ。アンタなんか相手にされないわよ!」
「そっか、じゃあ俺にはちーちゃんだけだね」
彼がそう言っても彼女はそっぽを向いたままだったが、その頬はうっすらと赤くなっていた。
「とにかく、その騎士様があんたに興味があるんだって!」
「困ったなー、俺は男に興味はないんだけどなー」
この上さらに冗談を続けるダングヴァルトに、彼女はギロリと鋭い目を向けた。
「悪かったよ。ありがとな、ちーちゃん。これで道が開けた」
軽く頭を下げたダングヴァルトは、もうニヤニヤ笑いを引っ込めていた。チェチーリアも真顔に戻ると、密かな期待を込めて質問した。
「……仕官するつもりなの?」
だが彼は首を振った。
「いや、仕官は割に合わない。一事雇い……傭兵みたいなもんだな。先方もその方が都合が良いだろうしね」
仕官してチェチーリアを身請けするつもり(と言っても彼女は借金なんか遠い昔に完済しているが)なのか、という彼女の期待はあっさり裏切られたが、バネィティアは陸戦には傭兵を雇うのが一般的だから、彼が傭兵を志すというのはこのバネィティアに残りたいという思いがあるのかもしれなかった。もちろん、彼女と共にあるために、だ。
――ダメよ、ダメ。この人を信じてはいけないわ。
チェチーリアは小さく溜息を吐いた。
「そういえば、彼女から妙な話を聞いたわ」
「妙な話?」
「プレセンティナの皇族を名乗る人が来たんですって」
「はぁ? ……まさか、皇女殿下が!?」
ダングヴァルトは驚きのあまり立ち上がった。
「そんな訳ないでしょ、皇子殿下よ、皇子殿下。自称だけど」
彼は再び椅子に腰を下ろしたが、やっぱり納得できなくて首を捻った。
「じゃあ、コルネリオか? でも皇太子がバネィティアに来る理由がないし、あいつは色街に行くタイプでもないよ。万が一来たとしても名乗る訳がない、皇女殿下がおっかないから」
テオドーラがおっかないかどうか彼は知らなかったが、イゾルテが激怒することは確信できた。訳知り顔なダングヴァルトに、チェチーリアは本気で驚いた。
「驚いたわ、皇太子と知り合いなの?」
「軍では同期だったからね。あいつばっかり出世しやがったけど」
ダングヴァルトは不満げに言ったが、今回ばかりは本音だった。彼はフルウィウスの方が上だと思っていたのだ。
「ふーん、でも皇太子殿下じゃないわよ。アルクシオスって名乗ったって」
「あ、アルクシオス皇子だって……!?」
「知ってるの?」
「知らん」
チェチーリアはガクッとした。そしてやはり彼を信じてはいけないと思った。
「そんな名前聞いたこともないよ、騙りだね。皇位継承権者が3人の皇女しか居ないからって、コルネリオが養子に入って皇太子になったんだよ? 皇子がいたらそもそもそんな無茶はしなかったよ。あ、でも、ひょっとしてそういうプレイ? 良いではないか、良いではないか、余は皇子様なるぞぉ、って」
「でも、アプルンの騎士は丁重に扱っていたっていう話よ? それに、12、13くらいの子供だったって」
「何ぃ!? 俺だって色街に通いだしたのは15になってからだぞ? ガキのくせに羨ましいなっ、畜生! それじゃまるで――」
――イサキオス皇子みたいじゃねぇか!
口を開いたまま固まったダングヴァルトを、チェチーリアは訝しんだ。
「どうしたの?」
彼は、その思いつきを彼女に話すべきかどうか躊躇した。
――この話がどう転ぶか分からないから全部は話せないけど……ちーちゃんの協力が得られればどれだけ助けになるか分からない。ある程度は俺の考えを教えておいた方が良いよな。完全に騙してると後々怖いし、そもそも騙しにくいんだよね、どこまで話したか分からなくなっちゃうから。
結局彼はその推理を彼女に聞かせることにした。
「本物かもしれないよ、そのアルクシオス殿下」
「えっ? そんな人いないって言ったじゃない」
「ああ、公式には認められていないけど、いても不思議じゃないんだよ」
「……ご落胤ってこと? 皇帝陛下の?」
「いやいや、10年前に戦死したイサキオス皇子の、だよ。先帝の第三皇子で、伝説の放蕩者だよ。いや、遊び人? スケコマシ?」
イサキオスはルキウスとグナエウスの弟で、ダングヴァルトの言うとおりの放蕩者だった。真面目でそこそこ有能な兄が二人も居たおかげで、彼は早くから色街に通い、複数の女の許をふらふらと飛び回っていたのだ。要するに、ダングヴァルトの偉大なる先達であった。
「そんな人がいたんだ」
「そんな人がいたの。結婚もせずに花街をふらふらしてたの。俺もしょっちゅう見かけたよ、もちろん色街で」
チェチーリアは「どっちもどっちね」と呆れた様子だった。
「軍や宮廷ではすげぇー評判悪かったんだけど、最後に国を守って戦死しちゃったから悪くも言えなくて、でも褒めるのもどうかってことで、あんまり口の端に上らないんだ。
まあそんな人だったから、殿下が戦死した後にご落胤を名乗る赤ん坊がわんさか湧いて出たそうだよ。皇子が死んじゃえばお手当も貰えないだろうから、女がそう言うのは仕方ないっちゃあ仕方ないとは思うけど、なんせ皇室には姫しか居なかったからね。うっかり男の子を皇子の子だと認めちゃったら、将来その子が皇帝になりかねなかったんだ。だから女には手切れ金だけ渡して、子供のことは全部黙殺したって話だよ。色街でトップクラスの綺麗どころが、何人も金をもらって足を洗ったって聞いたな」
彼の話は説得力があった。だから彼女は、この男にもご落胤がいっぱいいそうだなと思った。
「でもそれじゃあ、なんで今頃出てきたのかしら。継承権を主張したりするには今更だし、微妙な年齢よね。成人するまで待った方がまだいいわ」
ダングヴァルトに合わせて軽い口を聞いているものの、こういう受け答えができるのはさすがは教養のあるトップクラスの娼婦である。確かに皇帝として即位できるだけの風格を備えてから名乗りを上げた方がマシに思える。だが一方で、年端も行かぬ子供だからこそアプルンも操りやすいと考えたのだろう。
「アプルンが匿ってたんだろうな。皇子が入れ込んだのなら母親の方も相当の美人だろうし、だれか有力者の後妻か愛妾にでもなっていたのかもしれない」
「それでアプルンが担ぎ出して来たってこと?」
「そうだろうね。女をあてがうためだけにバネィティアまで来た訳じゃないだろう。まあ、確かにバネィティアにはいい女が揃ってるけどさ」
ダングヴァルトは手を伸ばして彼女の尻を撫で……る振りをして、彼女が叩こうとするのを空振りさせた。チェチーリアの頬がヒクヒクと痙攣し、額の血管が少し浮き出た。
「じゃあどうしてバネィティアに連れて来たの?」
「え? 前に言ったじゃん。そりゃ戦争だよ」
「ええっ? バネィティアと戦争をする気なの!?」
「まあ、そうだろうね」
ダングヴァルトの呑気な態度に、チェチーリアは遂に立ち上がって怒鳴りつけた。
「ちょっと! それじゃ穀物相場どころじゃないでしょ! あーもう、購入権{オプション}買っちゃったわよ、どうしてくれんの!?」
だが彼は彼女の勢いに戸惑いながらも、慌てはしなかった。
「……なんか勘違いしてない? 俺はアプルン王国が、バネィティア共和国と一緒に戦争をするって言ってるんだよ。ここが戦場になる訳じゃないって」
それを聞いて彼女はほっと安心しして座り直した。
「なーんだ。それで相手は――」
が、再び立ち上がってやっぱり怒鳴った。
「――って、プレセンティナってこと? ちょっと、あんた、大変じゃない!」
だがダングヴァルトは落ち着いていた。
「確かにね。でも、何となく読めてきたぞ。ちーちゃん、ごめん。穀物相場はそんなに値上がりしないようだ。最初の数日だけドンって値上がりするけどすぐ落ち着くから、いつでも売れるように準備しといて」
「どういうこと?」
「アプルンはバネィティアの船で直接ペルセポリスの港に着けるつもりだ。商船の振りをしていきなり兵を上陸させ、港と皇宮を乗っ取るんだ。兵は多くても5000だし、戦闘はおそらく1日で決着が着くだろう」
チェチーリアは息を呑んだ。それが本当だとすれば単に歴史に残る大事件というだけではない、諸国のパワーバランスが一気に変わる事だろう。もちろん、ドルクを含めて。そして落とし胤の情報一つでそこまで具体的に予言する彼に、彼女は戦慄を禁じ得なかった。
「……なんでそんな事分かるの?」
「海戦でバネィティアがプレセンティナに勝てる訳がないんだよ。バネィティアだって馬鹿じゃない。ここで負ければ東メダストラ海から完全に追い出され、西メダストラ海の覇権だって大いに危うい。だからあんまり大船団を組むと警戒されて海戦になりかねないから、20隻が限度だろう。ローダス以来海上も穏やかだから、それくらいの船団ですら珍しくなっちゃったけどね」
妙に自慢気に語るダングヴァルトにチェチーリアは小首を傾げた。
「あなた陸軍だったんでしょ? そのわりに海軍のことを自慢気に言うのね」
「海攻陸守がプレセンティナの長年の基本戦略だったんだ。もともと力を入れてたし、ドルクから船をたんまり奪ったし、ローダス島に拠点も出来たし、新兵器もドカドカ作ってるし、今のプレセンティナ海軍は圧倒的だよ。他のタイトン諸国が束になっても勝てないんじゃないかな」
だからこそイゾルテは安心して陸軍に力を注いでいるのだろう。海はしばらく放っておいても大丈夫だから。
「さっき、『バネィティアだって馬鹿じゃない』って言ったじゃない。そんな相手に喧嘩を売るかしら?」
「だからさ、海で戦わないんだよ。商船のフリして港につけて、いきなりアプルンの陸兵を下ろすんだ。ひょっとすると、本当に運ぶだけの契約でバネィティアは海兵すら連れて行かないのかもしれない。負けても『戦争にはタッチしていません、契約に従って運んだだけですぅ』って言い訳するためにさ」
そう言いつつも、彼はイゾルテがそれで済ませるとは露ほども思っていなかった。お題目で言い抜けようとすれば、彼女もお題目を唱えてバネィティアの内政にまでざっくりとメスを入れるだろう。少なくとも「では今後もアプルンに利用されるかもしれませんね。我々がチェックしてあげましょう」とか言ってバネィティアに海軍を駐留させて(ヘメタル同盟以外の)全ての船を臨検させるくらいはしかねない。アプルン関係の積み荷を軒並み押収され、バネィティアの海上貿易は大打撃を受ける事だろう。
「でもペルセポリスは難攻不落なんでしょ? ドルクが40万で攻めても小動もしなかったって聞いたわよ」
「10年前の話か。あの時は本当に辛かったんだけど、まあ、外から見ればそうだろうな。でもそれは城門を閉ざし、予備役の兵を集めた場合の話だよ。ペルセポリスは城壁で持っているんだ。常備の陸軍はたったの5000、そのうち実際に戦う兵士は2500ってところだ。それだって非番だったり訓練で郊外に行ってたりするから、市内で勤務してるのは1000人そこそこだろう。それに彼等だって市内で戦う訓練なんて受けていない。衛士(警官)も5000人くらいいるけど、彼等はそもそも軽装だし、市内全域に分散しているし、組織だって戦う訓練を受けてない。皇宮の警備は良く分からないけど、間違っても1000人はいないだろう。だから予備役を招集する前に決着をつけられるのなら攻撃側の兵士は3000で足りる。ただし、海兵が居ない時を狙えればだけどね」
「じゃあ、アルクシオス皇子は何のために連れて来たの?」
「政治工作の為じゃないかな。『皇子がいる』って公表すれば味方が出てくる、あるいは抵抗が弱まる……と、思ってるんじゃないかな。無理だと思うけど」
「そうかしら。ご落胤の話って、結構好かれるものよ」
「でもその父親がイサキオス皇子だからな。十分な情報が行き渡れば混乱はさっと収まるよ」
「でも、それには時間がかかるでしょう?」
「プレセンティナは都市国家だよ。情報はあっという間に行き渡る。しかも最近じゃ、早刷りの布告なんて2時間で全市に撒かれるからな」
「そうね……バネィティアでも情報は風より疾く伝わるものね。でも2時間はさすがに無理でしょ。版木を作ってる間に2時間経っちゃうわよ」
「それをやるのが……プレセンティナなんだよ」
ダングヴァルトは『イゾルテ殿下』と言いかけて、慌てて『プレセンティナ』と言い直した。いろいろと正直に打ち明けるとしても、あくまで現体制に不満を持っているという設定は貫かなくてはならない。
「だから少数精鋭のムルス騎士が欲しかったのか。軍事的には納得できるけど、致命的に分かってないなぁ。余りにもアホすぎて関わるのに躊躇しちゃうよ」
「ずいぶんな言い草ね。そんなに自分の方が役に立つって言いたいの」
「そうじゃないよ。今のムルス騎士団は、イゾルテ殿下のファンクラブなんだ」
以外な言葉にチェチーリアはきょとんとした。
「ええぇっ? 嘘でしょそんなの」
「いや、マジだって。だからみんな――」
――お前の所に来るんだよ。
と言いかけて、ダングヴァルトは慌てて口を噤んだ。それを言えば、なぜダングヴァルトがチェチーリアの元に通っているのかもバレてしまう。それだけは言ってはならないと、遊び人としての本能が告げていた。
「――綺麗だって殿下を褒めてたんだろ? お前が言ったんだぞ」
「そういえば、そうね。でも、危なっかしいわねぇ。成功しても大事だけど、失敗しても只事じゃ済まないわよ」
チェチーリアの言うとおりだった。ダングヴァルトもバネィティアの動機がイマイチ納得出来ないのだ。
「元首の首一つでは済まんだろうなぁ。しかしいくらジリ貧だとしても、なんでそんな危険な賭けをするんだろう?」
確かにアプルンにもバネィティアにも動機はあった。覇権主義を掲げるアプルンは、平和的な統合を目指すヘメタル同盟が目障りだし、一方で眼前に立ちふさがるディオニソス王国をどうにかしたい。だからプレセンティナに傀儡政権を作ってディオニソスを東西から包囲する、という夢物語に取り憑かれたのだろう。
一方バネィティアは、東メダストラ海とアムゾン海を制覇したプレセンティナが、バネィティアの牙城である西メダストラ海に乗り出してくるのを警戒しているのだろう。ここで何かと仲の悪い同じイタレア半島のゼノーヴァーあたりがヘメタル同盟にでも入れば、プレセンティナはそこを拠点に西メダストラ海を制覇するだろう。実際に海戦まで発展するかどうかは微妙なところだが、どのみちゼノーヴァーを中心とした航路が整備されればバネィティアの価値は著しく低下してしまうだろう。
だからバネィティアの取るべき道は3つだった。現状を受け入れて没落するか、ダメ元で海戦に訴えてやっぱり没落するか、ヘメタル同盟に進んで参加することで、絶対的なナンバー1の下のドングリの背くらべ的なナンバー2の位置をキープするかだ。だがそこにアプルンが4つ目の道を提示した。プレセンティナに傀儡政権を作ることが出来れば、一気にメダストラ海全域とアムゾン海を手中に出来るのだ。起死回生の一撃に賭けたくなる気持ちも、分からなくはなかった。
それにプレセンティナの穀物買い付けのお陰で一番割りを食ったのは、プレセンティナ同様に食料供給を100%輸入に頼るバネィティアだっただろう。その恨みが彼等を陰謀へと誘った可能性は高かった。恐らくは籠城用の備蓄だと予想できるから、表向きプレセンティナを非難できないのが、逆に恨みを陰にこもらせるのだ。
だがそれならそれで、成功したら成功したで大きな問題が有ることには気付いているはずだ。今まさにドルクに攻められようとしている国を奪えば、今度は彼等自身がドルクから身を守らねばならないではないか。
「成功しちゃったら自分たちでドルクに対抗しなくちゃいけないのに、何でわざわざペルセポリスを占領しようなんて思うのかなぁ」
ダングヴァルトがそう漏らすと、チェチーリアがポツリと呟いた。
「……ドルクとは話が付いてるんじゃないかしら?」
「え?」
突拍子もない意見に、ダングヴァルトは耳を疑った。
「どういうこと、ちーちゃん」
「ドルクの皇帝の愛妾の中に、タイトン人が居るって聞いたことがあるわ」
「……そりゃ、ドルクにもタイトン系が大勢いるからな。俺が負けた相手もイェニチェリだったし」
「そうじゃないの、ウロパ大陸のタイトン人よ。私みたいにゲルム人の血の入った」
「金髪ってこと?」
「そこまでは聞いていないわ、興味がなかったから。でも、そういう人がいるから、その人の故郷の商品を貢物に買って行くって言ってた人がいたの。北アフルークの商人だったと思うわ」
ダングヴァルトは衝撃を受けていた。恐らくチェチーリアはその商人を通じて何らかのやりとりがあったと言いたいのだろうが、彼はさすがにそこまで都合の良い(?)話は信じられなかった。だが、例え中立の北アフルーク商人とはいえ、ドルク宮廷にコネがあることを女に自慢するということ自体に衝撃を受けたのだ。これがプレセンティナなら裸のまま叩き出されるところだが、バネィティアではそれが許されるというのだ。プレセンティナ人であるダングヴァルトの感覚ではドルクは120%敵であって、密約どころか正式に調印された条約でも信じる気にはなれないのだが、バネィティアではそうとは限らないのだ。西ウロパの彼等の目にはドルクは直接の脅威として写っていないのだろう。
――ドルクが一件に噛んでいるというのは、考えてもみなかったな。
考えてもみなかった可能性だが、考えてみれば蓋然性は高かった。陸戦は専門外とはいえ海兵が3000も4000もいたのでは港湾部で足止めされてる間に迎撃体制が整ってしまうだろう。だがドルクなら自然にプレセンティナ海軍を誘い出せる。そしてドルクとしてはプレセンティナが弱体化するのは手放しで大歓迎だろう。バネィティアとアプルンが完全に掌握できたとしても、弱体化する事だけは間違いない。イゾルテ一人始末するだけでも話は随分と変わってくるだろう。もちろんバネィティアもドルクを完全に信用している訳ではないだろう。だとすれば、信ずるに足る保証を得たか、あるいはドルクの情勢を見越してのことだろうか。
――しかしドルクの情勢は分からねーんだよなぁ。一度殿下と話して来るかぁ。
「ありがとな、ちーちゃん。参考になったわ」
「そ、そう。いいのよ、ちゃんとお礼をしてくれれば」
「お礼かぁ、何がいいかなぁ。また本を仕入れて来るよ。近いうちに本国に戻ることになりそうだし」
「…………」
「……3人分?」
「前の半分ね」
「6人分?」
「記録は破るためにあるのよ」
彼は「今日は既に1人分頑張ってきたんだよ」とも言えず、彼女の要求を受け入れた。
「7人分頑張らせていただきます」
ダングヴァルトはいつもの様に彼女を抱え上げると、その足を寝室へと向けた。
注1 メフメト二世の母親のヒュマ・ハトゥンはイタリア~フランスあたり出身の奴隷だったそうです。下ってメフメト三世の母親のサフィエ・スルタンもヴェネツィア共和国の貴族の娘だったのに、海賊にとらわれて奴隷になり、巡り巡ってオスマントルコの皇帝のハレムに入ったそうです。なろうで一本話が書けそうです。でもこういうのも逆ハーレムっていうんでしょうか? それとも普通のハーレムもの? 囲われる側ですけど。
これでこの章で争い合う、ドルク・ハサール同盟、ヘメタル同盟、アプルン・バネィティア(+ドルク)連合という3つの大きな同盟が登場したことになります。
お気付きの方も多いでしょうが、アプルン・バネィティア(+ドルク)連合の陰謀は第4回十字軍が元ネタです。十字軍とか言いながらコンスタンティノープルを攻め落とした悪名高きベネツィアの大陰謀です。
ディオニソス(=神聖ローマ)が噛んでないじゃん、とかアプルンの方が攻める気満々じゃないかというツッコミはご尤もですが、あくまでモデルですので。
そもそも聖地もクソもないメダストラ海世界で十字軍もクソも無いのですが、その点では第4回十字軍の行動にも信仰心の有無など全く関係ありませんでしたから問題ないでしょう。結局はマネーです、マネー。




