陰謀
諸国の歴訪からおよそ1月ぶりにペルセポリス帰ったイゾルテは、報告のためにルキウスの執務室を訪れていた。
「父上、ただ今戻りました!」
「おかえり、イゾルテ。元気そうでなによりだ」
順調に終わった交渉結果が誇らしく、またそれをルキウスに伝えられることが嬉しくて彼女はいつにもましてにこにこしていた。
「ディオニソス辺境諸侯はまだ話はついていませんが、代表として話に来てくれたそのベルマー子爵は協力してくれるとのことです」
「こちらもホールイ3国との間の同盟が正式に成立したぞ。報告では旧アルテムス領内の説得も概ね成功のようだ」
「概ね? 残った村があるのですか!?」
「1割ほどの村は承諾しなかったそうだ」
「そんな……」
イゾルテは悲しげに眉尻を下げたが、ルキウスは笑い飛ばした。
「案ずるな、他の村が避難を始めれば気持ちも変わるだろう」
「……そうですよね。まだ時間的な余裕もありますし」
彼女も気を取り直して再び笑顔になった。
「そうそう、ムルス騎士団も同盟に乗り気でな。お前の力を借りたい」
「はい、よろこん……って、ひょっとして事前交渉からですか!?」
「いや、その前からだ。彼等は同盟どころか普通の条約すらまともに結んだことがないそうでな、ホールイ3国との同盟条約すら意味不明だから丁寧に解説して欲しいのだそうだ」
「なぜ私が!? ローダスになんて行っている暇なんて全然ないですよ!」
「先方がお前をご指名だ。それに向こうは暇だからって、団長以下幹部十名ほどがこちらに出向いて来るそうだ」
「いやいやいや、学者にでも解説させましょうよ!」
「それでは身が入らないのだそうだ」
「知りませんよ、そんな事! なんで家庭教師なんかしなくちゃいけないんですか」
「違うぞ、イゾルテ。新神殿建立委員会のムルス騎士たちも参加するそうだから、家庭教師じゃなくて私塾の講師みたいな感じだ」
「そういう問題じゃなーい!」
「だが上手いこと丸め込めれば、へメタル同盟にとってどれほど大きな意味があるか分かるだろう?」
「う゛っ、ううう~」
痛いところを突かれたイゾルテは唸るしかなかった。
長年プレセンティナと諍いの絶えなかったムルス騎士団が同盟に参加することになれば、政治的、心理的、軍事的な影響は計り知れなかった。これまでプレセンティナと距離を置いてきた国でも同盟を結べるのだと示すことにもなるし、ムルス騎士団のOBネットワークを通じてプレセンティナに同盟を打診できるようになる。逆にプレセンティナ側もヘメタル同盟の内外に関わらず各国間の調停が可能になる。そして本国をプレセンティナ海軍に守られて安心していられるムルス騎士団は、ヘメタル同盟の名の下にその力を存分に振るうことが出来る。彼等は元々戦いたがりなのだ。団員が定員割れしていてヒーヒー言ってはいるのだが、騎士たちは頑丈なのでよほど酷い戦いでもなければそうそう死んだりしない。ほどほどに戦わせるくらいが団員募集の宣伝にもなって良いのだ。実際にペルセポリスの若者の中にもムルス騎士団に入団したいという者が多いのだそうだ。ただし、ほとんどが新神殿勤務希望なのだそうだが。ローダスには住民が少なく、女性も少ないので……。一方経済的には、すでに港は確保しているので同盟を結んでも影響は少ないのだが、今後港を拡張する上での交渉はやりやすくなるだろう。
ただしホールイ3国やディオニソス辺境諸侯と違って、ムルス騎士団は簡単にプレセンティナを格上と認めたりしないだろう。そのあたりの調整が最大の難関であろうから、彼等の好意を得ているイゾルテが懇切丁寧に応対することは確かに有効だった。逆に愛想の悪い学者やエリート意識丸出しの官僚なんかを派遣したら、脳筋のムルス騎士たちにその場で血祭りにあげられるかもしれなかった。
「分かりました……」
イゾルテは頬を引き攣らせながらもなんとか声を絞り出し、そしてがっくりと肩を落とした。
するとそこに焦った顔のコルネリオが飛び込んできた。
「陛下に殿下、大変です!」
「何事ですか、義兄上」
コルネリオの慌てぶりに、思わずイゾルテは立ち上がった。
「ドルクでビルジ皇子が暗殺されかけたそうです!」
「……で、何が大変なんですか?」
「どうやらベルケル皇子の影武者と思われた死体は本物のベルケル皇子だったようで、その影武者がベルケル皇子の振りをしてビルジ皇子の暗殺を企んだのです!」
「「…………」」
イゾルテはルキウスと見合ったまま10秒ほど沈黙した。そして結局理解できなかった。
「それで、どこが大変なんですか?」
「ですから……! あれ? そう言えば……」
「確かに大きなニュースだとは思いますが、我々にはあまり関係ないですよ? 」
ドルクの中では大変かもしれないが、プレセンティナにはあんまり関係がなかった。ついでに内乱でも起きてくれれば助かるのだが、ベルケルが既に死んでいるのならそれも期待できないだろう。
「いえ、確かに大変じゃなかったかも知れませんが、どうやらベルケル皇子はビルジ皇子によって暗殺されたようなのです。あの遺体の不自然さは偽装によるものではなく、暗殺によるものだったんですよ!」
それを聞いて彼女は愕然とした。
「何ですって……実の兄を!?」
「イゾルテ、それがドルクなのだ」
はっとしてルキウスを見れば、彼は少しも動揺していないようだった。驚きはしたものの、彼女も知識としては知っていたのだ、ドルクではそれが普通の事だと、そしてヘメタルとプレセンティナの長い歴史においても決して珍しい事ではないのだとも。
――だとしても、戦場ですら味方の暗殺者を怖れなければならないというのか……!?
骨肉相喰むドルクの帝位争いの凄まじさに彼女は目がくらんだ。そしてプレセンティナに生まれたことを、ルキウスの娘に、テオドーラの妹に生まれた奇跡に感謝した。
ウロパ大陸の西にはタイトン世界に覇を唱えるアプルン王国があった。広大な領土を有するアプルン王国は元より強国であったが、そのうえ南西のエベリア半島にあるルートー王国の王が継嗣を定めずに死亡すると、婚姻関係にあった当時のアプルンの王太子がそれを継ぐことになり、「アプルン王国」と「ルートー王国」は同君連合となった。それは世代を経て統合の度合いを強め「アプルン及びルートー連合王国」となり、今では省略して「アプルン王国」と呼ばれるよのが一般的になっていた。もはやルートー人ですら「ルートー? 何だっけ? あ、この国か!」という有り様であった。
イゾルテが見本にしたいほど見事な同化政策だが、やはり平等な統合と言う訳でもなかった。国の中心はアプルンとなりルートーは辺境となったのだ。そこには地勢的にアプルン地方が敵性国家との前線となり、ルートー地方が後背地となるからという理由もあった。旧ルートー王国の都も寂れて活力を失ったが、その代わりに平穏になった。ルートー地方は世間からも争いからも置き去りにされた、長閑な田園地帯となったのである。
そんなルートーの一領主が突然緊急の呼び出しを受けた。慌ててわざわざアプルンの王都まで出てきてみれば、彼はあちこちたらい回しにされた挙句に一人の男の前に案内された。
「いろいろと偽装してまで私を呼び出したのは君らしいな。一体何の用なのかね」
その田舎貴族は疲れ果てていた。挨拶もなしに用件を切り出したのも、彼の心情を思えば仕方がなかった。
「どうぞお座り下さい、プレセンティナの件でお話がございます」
立ち上がって彼を招き入れたのは細身の男であった。上品だが地味な身なりで、若いが落ち着いた振る舞いで椅子を指し示した。田舎貴族も疲れには勝てず、腰を下ろすと深くため息を吐いた。
「プレセンティナ帝国か、しばらくぶりに王都に出てきてみればその噂で持ちきりだ。ドルクに連勝して祝い事も続き、その上降って湧いた同盟の話だ。まさに旭日の勢いだな」
細身の男はすっと目を細めた。
「では、西にある我がアプルン王国は落日だと?」
「いや、東から上った太陽はやがて我らの上にやって来るんだ」
「ははは、上手いことをおっしゃる」
暗にアプルンより西にあるルートーを指しているのかとも疑ったが、田舎貴族の方はどうやらそれほどの覇気もなければ皮肉でもなかったようであった。
「なに、プレセンティナの唱えるヘメタル同盟など所詮は烏合の衆。利害が反すればすぐに露と消えるだろう。そうなれば返って相互不信に陥るさ」
「ですが東ウロパにはドルクとハサールという共通の脅威があります。アムゾン海を抑えるプレセンティナは彼等の救世主となりえます」
「まあ、東ウロパの諸国がそう思いたい気持ちは分かる。だが長く孤高を保ってきたプレセンティナが他国を救うとは思えんなぁ」
「溺れるものは藁にもすがると申します。そのうえ一昨年には、あれだけ毛嫌いしてきたローダスのムルス騎士団を救っています。それにプレセンティナは同盟に先んじて諸国に兵を送っていますが、その評判も悪くないらしいのです」
「馬鹿な、他国の兵が入って揉め事が起こらないはずがない。力で黙らされているだけだろう」
「いえ、それがそうでもないらしいのです。街道を往く商人の口までは塞げませんから確かです。あるいは率いているのが姫だからかもしれませんが」
「姫?」
「イゾルテ姫です。確か年齢は16だったかと」
「小娘ではないか。だが、まあ、そういうことなら分からんでもない。ようするに親善大使と護衛ということだろう? 実戦部隊ではないんだ」
田舎貴族の反応に細身の男は眉根を寄せた。ローダスの例を出しイゾルテの名を口にしてもまだ鈍いその反応を訝しんだのだ。一線を退いてからこの10年あまり経つとはいえ、かつてはアプルンには珍しい国際派の貴族として、各国を飛び回っていた人物とは思えない鈍さだった。
「ひょっとして、キメイラの噂はご存じないので?」
「キメイラ? 神話の?」
「いえ、イェニチェリを破った新兵器だそうです。たった5両でイェニチェリ軍団2万を蹴散らしたという話です」
田舎貴族は鼻で笑った。
「はっ、何だそれは! 田舎者と思って担ごうとしているのか? 2万! しかも言うに事欠いてイェニチェリとは! 鯖を読むにも程があろう。いったい誰がそんな事を言っているんだ?」
「カピュソン伯爵です。ル・ベーグ卿もでしたかな。プレセンティナの皇太子の結婚式に赴いた使節団の目の前で戦ったそうです。といっても海峡を挟んでの事ですが、それでもその戦火は直に見えたそうです」
その言葉を聞いて田舎貴族もようやく表情を改めた。
「……ということは、他国の使節もいたのか?」
「勿論です。商用で現地に居た商人たちも口を揃えて証言しています。少なくとも一分の真実は含んでいるのでしょう」
「本当なのか……。だとすると恐ろしい兵器だが、そのキメイラが何だというのだ?」
「ですから、そのキメイラをイゾルテ姫が率いているのです。しかも100両」
田舎貴族は目を剥いた。
「100!? じゃあ、イェニチェリ40万人に匹敵するというのか!?」
彼が最後にプレセンティナに訪れた10年前の籠城戦の直後には、ホールイ3国はもちろん、プレセンティナも見るからに疲弊しきっていた。いつの間にそれほどの力を蓄えたのであろうか?
「さすがにそうは思いませんが、たかが1000人と思うよりは、数万に匹敵すると思っていた方が良いでしょう」
「たったの1000人なのか? なるほど、それならガレー船四、五隻程度だ。プレセンティナにとっては大した負担ではないのだろう」
「しかも虎の子の常備兵です。我らの近衛のようなものですから、風紀も厳しく取り締まっているのでしょう。兵にしてみても、姫様のお供では現地の女に手を出すどころか、色街に立ち寄ることすらままならんでしょうな」
細身の男が肩をすくめてみせると、田舎貴族は苦笑した。
「ははは、それは少し哀れだな。数少ない旅の楽しみだろうに」
「ふふふ、貴殿ならそう仰られると思いました」
「うるさいわい!」
田舎貴族は女癖の悪さを揶揄されて思わず言い返してしまったが、話が逸れていることに気付いて本題に戻した。
「しかし、なぜそのような話を私にするのだ? 宮廷からも距離を置く私が、遠い東ウロパのことなんて今更興味などないぞ?」
細身の男は身を乗り出した。
「ある企てがあるのです。大きな、非常に大掛かりな企てです。そしてその鍵を貴殿が握っておられる」
田舎貴族は眉をひそめた。何のことを言っているのか皆目見当がつかなかったのだ。
「私が? 私がペルセポリスに行ったのは10年も前の話だぞ。それだって親書を届けただけだし、それ以来領地に引きこもっている。兵だって1000人すら用意できないぞ」
1000人というのは少なすぎていかにも嘘くさかったが、少なくとも彼が兵を出したくないのは明らかだった。
「出して下さるのは一人でいいのです。その一人さえ出して頂けたら、貴殿自身は領地で安穏と暮らしていて下さっても一向に構いません」
「私以外で一人? いったい誰のことを……あっ!」
田舎貴族の元にはプレセンティナに関わりのある人物が二人身を寄せていた。そしてその内の一人が非常に面倒な立場にいる人物だったのだ。そして彼を担ぎ出すということは、その企ての目的は1つしかなかった。
「お気づきになられましたか」
「しかし、あれの素性の真偽は知れたものではないぞ? 妻の連れ子とはいえ、私も息子と思って育てているんだ。今更そんな危険な真似をさせたくはない」
「されど、ご自分でも田舎貴族とお認めになられたではありませんか。しかも皇子はその家さえ継げぬ身。一方でこの企てが成功すれば、タイトンでただ一人の皇帝になれるのですぞ? 本人にとってどちらが幸せか、考えるまでもないと思いますが」
細身の男の言うことが一面の真実を突いていることは、田舎貴族も認めざるを得なかった。彼だって若い頃には多少の野心は持っていたのだ、複雑な立場にある義理の息子は、きっとこの企てに興味を示すだろう。
「しかし、もし失敗すればあの子は……」
「失敗しても外交上の切り札であることに変わりはありません、国王陛下は庇護下さるでしょう。それに万一プレセンティナの手に落ちても、おいそれと処断はできませんよ。彼等にとっても真偽は定かならざれば、ね」
「…………」
田舎貴族は遂に折れた。
「……本人の意向を聞いてみよう。あの子が私の子としてではなく血に従って生きるというのであれば、私にはそれを止めることは出来ない……」
「では、そのようにお願いします。御返事はできれば一月以内に」
「しかし、このような大事を……!」
「相手は待ってくれません。こちらが早く動き出せれば、それだけ周到に準備できます。成功の確率も上がるんですよ」
「……分かった。早速今日にでも帰国しよう。是非何れにせよ一月以内に戻って来る」
それを聞くと、細身の男は立ち上がって手を差し出した。
「では、お待ちしております、伯爵閣下。次にお会いする時には、アルクシウス皇子ともお会いしたいものですな」
田舎貴族――伯爵は苦虫を噛み潰したような顔をしながら細身の男――王の秘書官の手を握ると、足早に部屋を出て行った。
アプルン王国=フランス
ルートー王国=スペイン(+ポルトガル) がモデルです。
神の名前としては ルートー=レートー です。
レートーはアポロンとアルテミスの母ちゃんです。ヘラに虐められるかわいそうな人ですが、ゼウスに関わる女は大抵ヘラに虐められるので、いちいち同情は要りません。
アプルン王国とルートー王国の関係は、スペイン継承戦争が戦争なしで継承しちゃった感じです。しかもこちらのフランス王は(同君連合にならないように)王太子じゃない人をわざわざ立てたのに、あちらのアプルン王は(同君連合になるように)王太子に継がせちゃいました。反対? もちろんありました。なんで戦争にならなかったのか? なるはずがありません。反対するような国々とはもともと絶賛戦争中でしたので。
ただしルートー国内で多少の内乱はありました。でも大丈夫、戦争は大好きでしたから。こちらのフランス王も狂犬みたいに戦争しまくってましたが、あちらのアプルン王は更に上だったようです。




