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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第5章 同盟
75/354

訪問1

 キメイラ大隊全100両を連ねたイゾルテの一行は、街道を行く交易商人たちの度肝を抜きながらも順調にお隣のエウノメアー王国へと向けて進んでいた。馬車に乗っていたイゾルテは、窓の外から騎兵に話しかけられた。

「殿下、そろそろ国境を越えます」

「そうか、滅多なことはないと思うが一応警戒してくれ。それと先触れも出してくれよ、いきなりキメイラを見たら腰を抜かす奴も居るかも知れないし」

「畏まりました」

「就任早々、面倒事に連れ出してすまないな、デキムス」

その騎兵――デキムス将軍はクィントゥスの主席幕僚だった男だったのだが、イゾルテはクィントゥス亡き後に彼を将軍に昇格させて後を継がせていた。だが他に2人いた幕僚達は第二大隊の編成のために本国に残っているので彼の幕僚は日の浅い新任の者ばかりだし、その上プレセンティナにとって百何十年ぶりかの海外派兵である。戦闘が目的ではないとはいえ、重責と不慣れな仕事に彼は大忙しだった。だがその一方で、彼はこの任務を誇らしくも思っていた。

「いえ、選んで頂けて光栄です。それよりキメイラ第一大隊の雄姿をクィントゥス将軍にお見せしたかったです……」

彼がそう言うと、二人の間にしんみりとした空気が流れた……イゾルテが水を差すまでは。

「屋上で昼寝してる奴らもいるけどな」

「……見えないから良いんです!」

彼は馬の腹を蹴って前方へと駆けて行った。

「ふっ、まだまだ青いな」


 デキムス将軍が去ると、イゾルテは船のように揺れる車内から外の景色を眺め、感無量に呟いた

「国を出るのは初めてだなぁ」

だが今度はアントニオが水を差した。

「僕は途中で帰されましたけど、殿下はローダスに行きましたよね? あっちの方がエウノメアーより10倍以上遠いですよね?」

「そうか、そんなに近いのならアントニオは歩いて帰るのだな、フンっ」

従順だったアントニオも、ここのところ声変わりもしてツッコミが厳しくなってきていた。もっとも彼女もセクハラを繰り返しているのでお互い様である。

「ローダスといえば船を思い出しますね。キメイラの乗り心地は馬車というより船みたいなところがありますし」

最近は普通の馬車にもコルク製柔軟車輪が採用されるようになって劇的に振動が小さくなったのだが、それでもまだガタガタとうるさい。だがキメイラは最前輪を除いて独立したバネを採用しているし、最前輪も車軸を固定した柱にバネが付けられているので、戦闘車両とは思えないほど乗り心地が良い。兵士たちの何割かは屋上で昼寝をしているほどだ。

 兵士が昼寝をする姿は正直少しみっともないのだが、徒歩や馬車に乗っている通行人には見えないので構わない。……とイゾルテは思うことにしていた。彼等の大半は大隊規模に拡大された時に編入した、搭乗時間50時間未満の新人達である。乗り物酔いだってするかもしれないのだ。特に今回は燃えてしまった試作一号機時代からのベテラン(という程でもないが)乗組員でも未経験の大遠征なのだ。それに夜には歩哨を立てる必要もある。今回は戦争に行く訳ではないのであんまり警戒する必要もないのだが、歩哨を立てて警戒するのも訓練の一つである。

 それになにより、実は彼女自身が一番快適な環境にいたので人のことを叱れなかったのだ。彼女はお払い箱になった試作機のパーツを使って貴賓用キメイラとでも言うべき馬車を作り上げていた。表面上は無骨な作りのままなので、一応は移動指揮車と銘打っているのだが、中身は壁紙を貼って絨毯を敷き詰め、ソファーがあり、文机があり、小さなかまどまであった。火炎壺に炭火が必要になるのでどの車両にも火鉢は積んであるのだが、移動指揮車(自称)のかまどは訳が違う。なんと風呂まで付いているのだ! その上入口近くには控えの間(!)もあって、今はそこでメイドのエロイーザが待機(うとうと)していた。なぜ彼女を連れて来たのかといえば、年が近くて心を許せるメイドは彼女一人だからである。他のメイドたちとは違いただ彼女一人だけが……説教をしないのだ! イゾルテが安心してだらけていられる――心を許せる唯一のメイドなのである。こんな非常識な馬車に乗せてもぐーぐーと居眠りできる図太さも得難い資質だった。ちなみにそこですら4人乗りの馬車並みの広さがあるので、居住性はそんなに悪くない。そして勿論折りたたみベッドとトイレも完備で、もはやそこらの宿よりも居心地が良いほどである。当然バネ{サスペンション}と最前輪の上げ下げ以外のギミックも武器も全て取り外されている。表面上キメイラっぽいだけで、車輪周り以外は普通に馬に牽引されて走るただの大型馬車である。ここまでしておきながら表面を綺麗に飾り付けないのは、実際にコレに乗って戦場に向かう気があるからなのだが、果たして本当に指揮車として役に立つかは微妙なところである。

 イゾルテは二人がけソファーに寝っ転がって占領していたので、アントニオは文机の椅子に座っていた。彼女も本当は屋上で昼寝をしたかったのだが、日除けもなしにそんな事をすれば彼女の肌はすぐに真っ赤になってしまうだろう。

――日除け布を結び付けられるように改良が必要だな

ここまで弄りながら、ひなたぼっこ機能を忘れていたのは痛恨の極みだった。


「今更ですけど、秘蔵のキメイラ大隊を連れてきて良かったんですか?」

「示威行動というやつだ。一度はやっておく必要がある」

「なるほど、脅して交渉を有利にしようってことですね。さすが殿下です」

彼の声は言葉ほどには彼女を褒めていなかった。というか、むしろ呆れているようだった。

「……何か引っかかるが、違うぞ。脅しているのはエウノメアーでもなければ他の2国でもない。ホールイ3国を狙う他のタイトン諸国だ」

アントニオはきょとんとした表情を見せた。

「どういうことですか?」

「我々がどれだけ速やかに援軍を出せるのかということを示しているんだ。エウノメアー王国の都エウポリアまで2日で来ると見せつければ、おいそれと攻めようとは思えんだろう? 王都を包囲している所に背後から襲われては大変だ。しかもその援軍がキメイラだぞ?」

「でもそんなの各国に伝わらないんじゃないですか?」

「大丈夫だ、商人たちが見ている。この街道は天下の大動脈だぞ? それにエウノメアーには密偵が入り込んでいるだろう。密偵とまで言わなくても、もともと交易路上にあるから、各国の息のかかった商人は山ほどいるはずだ。それに今後のプレセンティナの動向を占う重要な会議だからな」

だが彼はまだ突っかかった。

「そんなのを殿下に任せて大丈夫なんですか?」

初めて会った頃の素直で可愛いアントニオはどこに行ってしまったのだろうか。

「失敬だな。ローダスだって上手く話をまとめて来ただろう?」

「それで新神殿建立委員長を押し付けられたんですよね」

「ふっ、私とて日々成長しているのだ。今回はアエミリウス議員がいるんだから、彼に押し付ければいい。彼なら喜んで街道整備でも植民都市の建設でも何でもやってくれるだろう。きっとそうだ。そうに違いない!」

彼女は拳を握って力を込めたが、屋上で寝てる本人を起こすと藪蛇なので声は低く押さえていた。彼女のこういう小賢しいところがアントニオを変えてしまったのかもしれなかった。


「殿下、あんなところに家がありますよ!」

ふいにアントニオがはしゃいだ声を出したので彼女も窓を覗いてみれば、それは普通の農村だった。街道沿いだからだろうか、穀物よりも野菜の栽培が盛んなようだった。おそらくそれらは大消費地であるペルセポリスで売りに出されているのだろうから、イゾルテが毎日食べている物かも知れなかった。

「国境を越えたからな。このあたりの人間は農地の近くで暮らしているんだ」

知ったかぶったイゾルテも農村などローダスでしか見たことがなかった。それにその時はドルク軍が居座っていたので、こんな風に長閑ではなかった。

「へぇー、変わってますね」

変わっているのは都市人口率100%のプレセンティナの方なのだが、アントニオはそれが普通なのだと思っているようだった。

「庭が広くていいなぁ」

その農村の家々はひどく小さくてみすぼらしかったが、庭だけは大きく取られていた。団地暮らしの都会っ子にはそんな家でも羨ましいようだった。


 農村を見つめながら彼女は静かに言った。

「知っているか、アントニオ。10年前この辺り一帯は餓死者であふれたそうだ」

彼はイゾルテの言葉を聞いて眉を顰めた。

「……飢饉ですか?」

「いや、略奪だ。ペルセポリスを包囲するドルク軍が、その一部を派遣して略奪させたんだよ。自分たちの食い扶持を得る為に」

 その時ペルセポリスを包囲したのは40万近かったというから大軍である。とはいえ当時の天候自体は悪くなかったそうなので、数字の上では餓死者を出すほど重い負担ではないはずだ。だが略奪という行為が行われた結果おちおち農作業も出来ずに収穫量が激減し、食料・物資の多くが争いの中で焼失したのだ。餓死だけでなく略奪そのものによって命を落とした者も多いだろう。そして更に多くの者が農地を捨て、国を捨てて、西に向かって流出したともいう。だが彼女の目に映る沿道の農地は青々としていて手入れが行き届いていた。

「それでも着実に復興しているようだ。だが、私の一言でこの農地は再び血に染まったのかも知れないのだな……」

ドルク軍の渡河を許すということは、この農村を再び血に染めるということでもあったのだ。本来、エウノメアー王国の民の事など彼女の知ったことではない。哀れには思っても、その1万人のためにプレセンティナの臣民を1人たりとも犠牲にする謂れはなかった。だが自分がこの地に暮らす人々を守ったのだと知ることは、彼女の中に不思議な感動を生んでいた。

――同盟が正式に締結されれば、私が庇護しなくてならない人々は飛躍的に拡大するだろう。だがそれは私の手に余る。人だけでなく、国としての協力者も求めていかなければならないのだろうな。

それは単に同盟相手というだけではない、兵力を供給してくれる相手というだけでもない、タイトンの統一と安寧を守るという共通の理想のために主体的に働いてくれる同志だ。最初の同盟者であり貧乏の代名詞のようなホールイ3国に、そこまで期待するのは筋違いであるとは彼女も思っている。だが一足飛びにプレセンティナに擦り寄ってきた目端の利き方と、この青々とした農地には大きな可能性があった。


 その夜、海の上での鬱憤を晴らすかのように、一人だけ風呂(しかも海水ではない!)に入り、一人だけベッド(シーツも洗ったばかり!)で寝たイゾルテは、翌日の昼下がりにはエウノメアー王国の王都に辿り着いた。王都は長い歴史を持つ国にふさわしく――ボロかった。貧乏で修繕費用がなかなか捻出できないのだろう。だが王都そのものはプレセンティナと直結する街道上にあり、経済的には恵まれているはずである。それでも貧乏なのは農村経営で赤字を出しているからなのだろうか。そう思ってイゾルテはちょっと同情を感じてしまった。北方のプレイアデス七都市連合は、似たような境遇でありながら農村を見捨てて都市部だけで経済的繁栄を謳歌しているのだから、それに比べて立派なものである。

 キメイラ大隊がエウノメアーの騎兵に先導されながら王都に入ると、(胸甲入り)ドレス姿のイゾルテが移動指揮車(自称)の屋上に腰掛けた。無骨なキメイラの姿に凶々しさを感じた市民も、彼女の優美な姿を見て幾らか緊張を解いた。手を降った子どもたちに彼女が微笑みながら手を振り返すと、父親らしき男も鼻の下を伸ばしながら手を振り、女房らしき女にどつかれていた。イゾルテが口に手を当てて可笑しそうに笑う素振りを見せると、その女房も笑顔になって手を振ってくれた。

 やがて王宮の前に辿り着くと、移動指揮車(自称)と一個小隊5台だけが門をくぐり、残りはそのまま街道にそって王都の外に出て、円陣を組んで野営の準備を始めた。ただキメイラを外向きの円形に並べてその間に網を張っただけであったが、ただそれだけで鉄壁の防御陣が完成していた。その様子は城壁の上からも、街道を行く旅人たちからもよく見え、その存在感をアピールしていた。


 移動指揮車(自称)を降りたイゾルテは既に軍服に着替えていて、出迎えたホールイ3国の王たちは目を白黒させていた。姫君として扱えばいいのか、公人として扱えばいいのか分からないのだ。

「はじめまして、プレセンティナ帝国のイゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴスです。先程は市民を怯えさせないように軍服を脱いでおりましたが、軍を率いて来ている以上、男として扱って頂いて結構です」

と、堅苦しいのか馴れ馴れしいのか微妙な挨拶を、とびっきりの美少女がきっちり軍服を着こみつつにっこり笑って言うものだから、彼等はますます迷わされた。彼等は王ではあるものの、ドルクとがっぷり四つに戦っているプレセンティナに比べれば吹けば飛ぶような弱小国に過ぎない。それに対してイゾルテは皇位継承権のない一介の皇女にすぎないが、プレセンティナの軍と宮廷に隠然たる力を持っているという噂もあり、しかも事前交渉では驚くほど寛大な条件での同盟を提案してくれたという。どちらを格上として扱えば分からないので、姫君としてちやほやしようと考えていたらコレである。彼女が差し出した手を握ろうか、あるいはその甲にキスをしようか躊躇したエウノメアー王の手を、彼女の方からぐっと握ると、ルィケー王とエイレーナー王もなし崩しに握手をすることになった。

「大まかな事は既に合意していますし、同盟の正式な調印はまた使者をペルセポリスに派遣して頂くことになります。今回は言わば顔を見せに来たようなものですから出来れば気楽に行きたいと思いますが、如何でしょう?」

イゾルテが提案すると一番若いルィケー王が応えた。

「確かに美貌で名高いイゾルテ姫のご尊顔は拝見する価値がありますなぁ。ぜひ親しくお付き合い頂きたいものです」

彼の軽口を聞いてイゾルテは片眉を上げた。普通に美人扱いされたのは実は初めてではないだろうか?

――やはり軍服の前に(胸甲入りの)ドレス姿を見せたからだろうか? やはりあのドレスは色々と使えるな!

彼女は内心嬉しかったが、逆に言えば素のままのイゾルテを愛してくれるのはテオドーラだけだかも知れなかった。

――いやいや、フルウィウスだって軍服を着て一度会っただけなのに私に惚れたのだ。母上も(貧乳なのに)美人で有名だった訳だし、私だってかなりイケてるはずだ。姉上と並ぶことが多いから胸の大きさの違いが目立つだけだ!

「私にそんなことを言っていると、姉上に会った時に言葉が残っていませんよ?」

半分演技でツンとして見せたが、彼女の口元がにやけてしまうのは仕方がなかった。そんな二人を見て初老のエイレーナー王がルィケー王を窘めた。

「お前は私の娘と婚約しているだろう」

と、そこまでは良かったのだが、

「姫、ちなみに私は妻に先立たれて以来ずっと独身で婚約者もおりませんぞ」

と、どっちもどっちだった。


 エウノメアー王の先導で王宮内に案内されたが、王宮の中も正直それほど豪華ではなかった。というか、建物は割りと立派なのだ。もちろんかつての大帝国プレセンティナの皇宮に比べれば全然大したことはないのだが、例えばローダスのムルス神殿なんかよりはよほど金がかかっていた――痕跡が見られた。全体的にうらぶれた感じで、やはり王宮も金回りが良くないようである。

 イゾルテが周囲を見回しているのに気付いたエウノメアー王が、バツが悪そうに釈明した。

「分不相応な構えをしておりますので、些か手が回っておりません。お恥ずかしい限りです」

だが彼女は首を振って微笑んだ。

「いえ、感服しました。王宮より城門が、城門より街道が手入れされていました。その上農村が荒れ果てた様子も無かった。王都だけに予算を回せば幾らでも手入れができたでしょうに、民の生活を大切にされておられるのですね」

それは彼女の心からの賛辞だった。王宮の荒廃は、少ない税収で農村の復興と街道の整備を、つまりは民の生活を優先してきた結果なのだろう。その姿勢に彼女は深い共感を覚えていた。とはいえ、このままではエウノメアー王の面子が立たない。彼女は声をひそめた。

「それに実は、我が国も似たようなモノなのです。皇宮は国土が100倍以上あった時に建てた物ですから、人目に触れない所は酷いものなんですよ。子供の頃はよく探検に行って遭難しそうになりました」

彼女が苦笑しながら肩をすくめると、ルィケー王が笑い声を上げた。

「その点我が国は立派なものですぞ。なにせただの田舎貴族がいきなり王になりましたからな。もともと分相応の小城ですから持て余す程の余裕もない。領主たちが集まる頃にはみな(ひし)めき合っておりますよ」

それを聞いてエイレーナー王も黙っていなかった。

「何を言う。ウチの城はワシが生まれる前から塔が崩れたままだぞ! 未だに再建の目処が立っておらん」

いつの間にか貧乏自慢になり、後ろに続くアエミリウスたちは目を白黒させていた。


 その晩イゾルテ達は精一杯の歓迎を受け、翌日から詰めの交渉を行った。

「植民都市の建設とその自治に関しては了解しました。しかし周辺の農地まで自治に任せては、事実上プレセンティナの領土です。納得しかねますな」

「では免税特権だけでいい。関税をかけるのは仕方ないが、収穫高に対する租税は勘弁してほしいな。そもそも自衛するのだから領主の負担にはならないはずだ」

「それはそうですが……」

エウノメアー王が口ごもったところで、イゾルテは本題を切り出した。

「それに今は投資される立場だが、すぐに逆転するんですよ」

「どういう事ですか……?」

「同盟はすぐに拡大します。北と西に」

「旧アルテムス王国……? 無茶です! それに西というのは何処です!?」

「ディオニソスの辺境諸侯です」

平然と応える彼女に3王は愕然とした。

 それは旧アルテムス王国領をハサールから守るという宣言であり、同時にディオニソス王国の切り崩しを謀るという宣言であった。守ってもらうためにプレセンティナにすり寄った立場とは言え、他人を守るために兵を派遣したいと思えるほど今の彼らに余裕はないし、こちらからディオニソス王国に喧嘩を売るなどとても承服できることではなかった。

「ありえない! とてもじゃないが同盟の件は撤回させて頂きます!」

立ち上がってそう叫んだエウノメアー王の激昂は、彼等が事態を把握していないことを告げていた。


――いち早く自分達の危機に気付いたくらいだからスパイ網か情報通の腹心でも抱えているのかと思ったが、そうでもないみたいだなぁ。単に防衛本能に依るものだったのかな?

それは残念な結果ではあったがプレセンティナが肩代わりできる事でもある。残りの問題は彼等の意思と行動力だ。


「どうやら噂をご存じなかったようですね。一足飛びに失礼しました。

 来年にもハサール軍がドルク軍とともに旧アルテムス王国領を襲う模様です。すでにドルク軍はハサール領を北西に移動しています。その数、ドルク軍50万、ハサール騎兵は推定20万。そしてその最終目的地は我がペルセポリスです」


 彼女の淡々とした言葉は3王に静かな衝撃をもたらした。将来ディオニソス王国から圧力を受けることを予見してプレセンティナに身を寄せたというのに、よりによってドルクが、しかもこれまでの最大規模でハサール騎兵まで連れて、そのうえプレセンティナもローダスもいない北から直接ホールイ3国に攻めてくるというのだ。果たしてこれほどの悪夢があるだろうか。


 衝撃から立ち直ったルィケー王が、柄にもなくおずおずと質問した。

「……本当なのですか? 噂とおっしゃいましたが……?」

「アムゾン海とメダストラ海の両方から同じ事象を表す情報が流れて来ています、恐らく事実でしょう。少なくとも我々はそのつもりで動いています」

「…………」

イゾルテの冗談であるという一縷の希望は本人の口によってあっけなく打ち砕かれ、ルィケー王は口を閉ざした。


 しばらくの間沈黙がその場を支配した。余裕が有るのはイゾルテ1人で、3人の王は真っ青な顔を隠すことも出来なかった。十分に肝が冷えたところで、彼女は口を開いた。

「ですが、我々は十分に勝てると踏んでいるのですよ」

絶望とは違い、希望の言葉はなかなか彼等の心に届かなかった。現実離れしすぎていて意味が分からなかったのだ。ルィケー王などは、

――あれ、今何の話してたんだっけ? 確かドルクがハサールと一緒に攻めてくるって話だよな。そう、ハサールが20万にドルクが50万だ。しかもガラ空きの旧アルテムス領を通過して。だから確実にホールイ3国に攻め込んで来る。しかも70万だぞ、70万。しかも略奪部隊だけじゃなくて全軍が通過するんだ! だめだ、抵抗したって勝てるわけがないし、抵抗しなくても全てを奪われて種籾すら残らないだろう……。って、あれ、それでイゾルテちゃんが、それでも勝てるって言ったんだっけ? え、マジで? 聞き間違い……だよな?

と、さんざん回り道してからエウノメアー王とエイレーナー王の様子を伺った。他の二人も同じように互いの顔を伺っていた。


「勝てるといったのです。あなた方とディオニソス辺境諸侯と旧アルテムス王国領の人々、そしてスラム人の協力があれば」

「スラム人……?」

そう聞き返したエウノメアー王の声には戸惑いの色が強かったが、少なくとも絶望に彩られているという訳ではなかった。

「ええ、ハサール・カン国の原住民であるスラム人の蜂起を促します。もちろん武器と資金を提供し、援軍を差し向けます。これでハサールは抑えられます」

「可能なのですか……?」

今度の声は多分に希望が含まれていた。だからイゾルテは大きく頷いて見せた。

「スラム人とは長年交易をしていますから、我々には人脈も信用も十分にあります。そして彼等には独立の意欲も。ただハサール騎兵に対抗するための武力が決定的に足りていませんでした。それを我らが提供します」

「具体的な作戦がおありのようですな?」

エイレーナー王の言葉にはもはや戸惑いがなかった。

「ええ、大まかなことは。ですからまだ正式に決まっていないところもあるのですが……」

「いやいや、イゾルテ殿下。『気楽に行きたい』と仰ったのはあなたですぞ。ワシらを安心させてくだされ!」

冗談めかしたエイレーナー王の言葉に、イゾルテも苦笑した。

「分かりました。まず、旧アルテムス王国領の畑を焼きます。いや、今ならまだ間に合いますから、種籾を撒かないでおきましょう」

「……まさか全てを?」

「もちろん全てを。あればあるだけ全てはドルク兵の腹の中へ入ります。これを根こそぎ焼き尽くします」

「しかし、そんなことをしたらプレイアデダスの連中がゴネるのではないかね?」

「ええ、そうでしょう。でも、そんな事は知ったことではありません」

「えっ……?」

「彼等は農村を見捨て、王を殺し、自分たちの安寧だけを確保した者たちです。あなた方とは何もかもが決定的に違います。私は決して彼等を信用しません。私が同盟を結ぼうと考えているのは、プレイアデダス七都市連合を除く(◆◆)旧アルテムス王国領の農民たちです。無主の土地に誰の庇護もなく取り残された彼等です。彼等こそが最も守られるべき人々です」

彼女の語り口は淡々としていたが、端々には熱い思いが込められていた。それはプレイアデダス七都市連合に対する反感であり、そんな彼等とも通商している故国に対する忸怩たる思いであり、そして何より、最も守られるべき農民たちに犠牲を強いることへの罪悪感だった。

「ですが、今回は農地を焼かねばなりません。これだけは何があっても外せません。旧アルテムス王国領全土を守ることが不可能である以上、作付をしないか、焼いてしまわねばならないのです」

「…………」

「その代わり、彼等を根こそぎ避難させます。もともと多くはありません、たったの200万人くらいですから。まあ、我が国の2倍ですが」

「いやいや、200万人というのは只事ではありませんぞ! 無茶が過ぎます!」

「確かに無茶です。ですがすでに北アフルークの食料を全力で買い付けますし、籠城用の備蓄を取り崩せば我が国だけでも140万人分は供出できるでしょう。決して無理ではないはずです」

「そんな事をすれば、穀物市場は一気に高騰しますよ!」

エウノメアー王は思わず叫んだが、相手が誰なのかを思い出した。

「……こんな事をプレセンティナの方に言うのは、猿に木登り、いや、河童に水練でしたな」

プレセンティナは食料需要の殆どを輸入に頼る交易国家なのだ。海外の穀物相場に敏感なことについては、曲がりなりにも輸出国であるホールイ3国の比ではないだろう。


「大小62箇所の穀物市場で騙し打ちの一斉大量買い付けを行います。現物と先物を、現金、為替に信用も最大限に使って、価格が高騰する前に一気に買い抜けます。困るのは我々以外です、ひとまず今年は。それに避難民自身が1年分以上の食料を担いで来るはずですから、故郷に戻るなり開拓によって食料を増産するなりして2年後の収穫で彼らの食い扶持を得ることができるなら、来年の買い付けは通常通りですみます。一気に相場は落ち着くはずです」

3王はイゾルテの語る計画に舌を巻いた。自分たちの食い扶持も含めて200万人分の一斉買い付けだ。スケールの大きさに目も眩みそうだった。

しかし、市場で穀物を買い漁るだけのプレセンティナと農村経営――というか、農村復興の専門家である彼らとは目線が違った。100万人分の食糧増産がどれほど困難なのかは、彼らの方がよく知っていた。

「しかしいつ故郷に戻せるかは戦況次第ですから、1年で故郷に戻せるとは限りませんよ。ましてそれほどの食糧増産など……」

「私は転んでもタダで起きる気はありませんよ。折角労働力が増えるのですから、これまで手が届かなかった国境沿いまで耕作地を広げます。彼らが故郷に帰った後も、彼らが開墾した農地が我々の財産として残ります。10年、20年先まで考えれば、我々にとって決して損な投資ではありません」

どこまでもプレセンティナ人らしい答えに、彼は溜息を吐いた。

――なるほど、利益になるならどこまでも努力するのが商人だ。他人の善意は信じ切れなくても、欲だけは信じられる。だからプレセンティナを信じろというのか……

「我々にもそれをせよと?」

「ええ、ディオニソスの辺境諸侯にも頼みに行く予定です。そしてドルクとハサールが無人地帯(ノーマンズランド)に攻め入った後、クレミア半島を奪います」

あっさりと言い切ったイゾルテに3王は唖然とした。

「クレミアを、丸ごと? 可能なのですか?」

「ええ、容易なことです。アムゾン海はプレセンティナの裏庭。ちょっと行ってペレコーポ地峡に土嚢を積むだけで、もうハサール騎兵は越えられません。ドルクが大軍を用意したお陰でハサールも根こそぎ動員するでしょうから、クレミアに戦力は残っていないでしょう。後は要所要所に船を浮かべておけば、完全に掌握できますよ」

「……なるほど」

海が絡めばプレセンティナに敵うものはいない。ましてハサールは馬の上で生まれて馬の上で死ぬとまで言われる民族だ、攻城戦ですら苦手なのに海戦など到底出来ることではないだろう。


「ですが、ドルク軍が出てくるのではないでしょうか? やっつけの野戦築城では、ハサール騎兵は防げてもドルク軍は防げないでしょう」

「ドルク軍は遅いですからね。1000ミルムも引き返すのに軽く1月はかかります。到着する頃には土嚢どころか城壁に堀まで出来ているでしょう。だからきっとハサール騎兵だけが慌てて返ってきます。そしてこれを罠にかけます」

「罠?」

「ええ、罠です。どんな罠かは――」

イゾルテはにっこり笑って口の前に人差し指を立てた。

「――乙女の秘密です」

「いやいや、ここまで引っ張ってそれはないですぞ!」

「あら、乙女の秘密を知りたがるのは無粋ですわよ、エイレーナー王」

イゾルテがわざとらしく(しな)を作ると、ルィケー王も笑い出した。

「わははは、確かにそうですね。秘密がある女性が魅力的なのは事実ですし」

「だからお前はワシの娘と婚約しているだろうが!」

ルィケー王とエイレーナー王は、もはや冗談を言えるほどにまで調子を取り戻したようだった。

「罠を張って彼等を打ち破れば、反乱はハサール全土に飛び火するでしょう。スラム人を味方につければハサール国内の流通も麻痺します。とてもドルク軍50万人分の補給を行うことなど出来なくなるでしょう。ですから彼等は判断を強いられます。収穫が期待できるハサール国内に戻るか、ホールイ3国かディオニソス辺境諸侯領まで足を伸ばすか。もしそこも焼かれていれば彼等は餓死することになりますけど」

そう言って彼女は冗談めかして肩を竦めたが、すぐに深刻な顔に戻った。

「ですからもし彼等が迫って来たら……畑を燃やして下さい。せめてそのフリだけでも」


エウノメアー王は暫く黙ってイゾルテの言う作戦を吟味していた。そしてこう評した。

「なるほど、主旨は分かりました。直接の戦闘を出来るだけ避けた、だからこそ負けがたい作戦ですな」

「民はもちろん、兵も私が守るべき者たちであることに変わりはありませんから」

「「「…………」」」


 非力な少女に過ぎぬイゾルテが、いったいどの口で屈強な兵たちを守るなどと抜かすのかとは3王の誰も思わなかった。もし彼らが自軍の指揮を取っていれば、彼等の兵はドルクとハサールの前に全滅していたことだろう。そして国中が彼等に蹂躙されたに違いない。国自体が滅びてしまい、都市や農村の復興など何も考えずに吸い上げるだけの軍政が敷かれるのだ、その災禍は10年前の比ではないだろう。生き残った民もドルク兵やハサール兵の乱暴狼藉に耐え忍び続けねばならないだろう。

 イゾルテはこの僅かな時間の間にその絶望的な未来図を彼等に見せつけ、そして鮮やかに反転してみせたのだ。敵は圧倒的だ、だが彼らの兵は死なない、国も滅びない、それどころか侵入すらさせない。彼女は細々とつないできたホールイ3国の未来を守ると言ってくれたのだ。


 再び俯いて黙考していたエウノメアー王は、決然として顔を上げるとイゾルテに言った。

「殿下、我がエウノメアー王国はプレセンティナとの同盟を受け入れます。免税特権と、旧アルテムス領の難民たちの受け入れも含めて」

「えっ、本当ですか!?」

「あなたが我らの兵を守ると言って下さるというのに、我らが難民を見捨てることなど出来るはずがございません。籠城用の備蓄を全て放出してでも、彼等を支えて見せましょう」

「ありがとうございます!」

「それにあなたの言う通り、立場は変わるものです。我らとて貧乏に甘えてはいられない。何れ難民たちが北に帰る日が来るでしょう。我々も彼の地に投資して、彼等の生活を支えましょう。もちろん、配当を貰ってのことですが」

「はい、儲かるからこそ人は働きますし、儲かるからこそ遠くまで赴きます。そして儲からないと教えることが戦争を止めさせるコツだと、私は信じています」

「なるほど、いかにもプレセンティナの姫らしいお言葉だ。ではドルクとハサールには、我々以上にたっぷり損をさせてやりましょう」

エウノメアー王はニヤリと笑ったが、憑き物が落ちたような晴れやかな表情が、その言葉の陰険さを見事に裏切っていた。



 翌日、イゾルテは別れを惜しみながらも旅立った。

「本当はルィケー王国とエイレーナー王国にもお伺いしたかったのですが、申し訳ありません」

「なに、幾らでも機会はありますとも」

「そうですぞ、ワシの嫁になれば一生住めますぞ」

「あ、ははは。一件が片付いたらお伺いします、結婚なしで」

「その前に我々がペルセポリスに行って正式に同盟を締結しておきましょう」

「お願いします。アエミリウス議員、私が留守の間の応対は任せたぞ」

「畏まりました、殿下」

にこやかに快諾したアエミリウスを見て、3王は2人に背を向けてヒソヒソと話し合った。

「どうせなら、イゾルテ殿下が戻って来るまで待ってませんか?」

「うむ、ワシの娘の結婚を遅らせてでもそうすべきだ」

「お前たちの気持ちは分かるが……それならエウノメアー王国だけ先に同盟を締結して来るぞ? その方が好感度も高いだろうし」

「「仕方ないか……」」

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