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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第5章 同盟
71/354

事前交渉

今回は贈り物でも発明でも戦争でも陰謀でも政争ですらなくて、政治の話です。なろう的には限りなく受けが悪いとは思うんですけど……

 事前交渉の初日、元ミランダの部屋の元ミランダのベットで、ミランダの香りに包まれて目覚めたイゾルテは活力に満ちていた。

「今日の私は無敵だ! とう!」

元気にベットから飛び起きると、彼女はクローゼットから軍服を取り出した。肌着もどこかにあるだろうと思って引き出しを開けると、彼女はそこに大変なものを見つけてしまった。

「ミランダの下着だーっ! 自分の肌着を探していてとんでもない物を見つけてしまった! どうしよう?」

彼女は震える手でその一つを掴むと、両手でそれを広げた。そして彼女は血走った目で、まじまじと穴が空くほどにそれを見つめた。だがそこに闖入者があらわれた。

「姫さまそろそろ……」

ノックもなしに入り込んできた若いメイドが言葉を失ったのは、もちろんイゾルテを起こしに来てとんでも無い光景を目撃してしまったからであった。イゾルテはさんざんこの部屋にノックなしで突撃していたので、ミランダ付きのメイドたちも彼女にはノック無用なのだと思い込んでいたのだ。イゾルテの血走った瞳と目が合うと、そのメイドは恐怖のあまりしゃがみこんでしまった。失禁せずに済んだのは、さっき済またばかりだったからに過ぎない。

――ああ、お母さんの恐れていた通り高貴な方の秘密を見ちゃったわ。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、先に逝く私を許して……。

絶望し涙を流す彼女に、イゾルテは両手で下着を持ったまま詰め寄った。

「いつからだ!?」

「……はい?」

「ミランダはいつからブラ(◆◆)を付けているのだ!?」

「えぇっと、去年の夏くらいでしょうか……?」

「……!」

なんだかよく分からなかったが、メイドの答えにイゾルテは大きなダメージを負ったようだった。ふらふらとニ三歩後ずさると崩れ落ちて四つ這いにり、弱々しく手に持った下着を差し出した。

「さっさと後宮に持って行ってやれ。それと、私の肌着はどこだ?」



 事前交渉前の最後の朝食を自室でもしゃもしゃと咀嚼しながら、イゾルテは今後について深刻に考え込んでいた。

――なんということだ。ミランダの身長が低いのは成長の遅れだとばかり思っていたが、単にゴールラインが義母上(リーヴィア)と同じだというだけかもしれない。そしてそれは、ミランダのサイズもやがて侮れない事になると言うことではないか! 最近お肉がついてきたと思っていたが、まさか胸まで成長していたとは……!

彼女はミランダがふくよかに成長することが不満なのではない。自分だけが置いて行かれるのが寂しいのだ。

「世の中は不条理だ。豊かさばかりに目が行くが、大切なことはそんなことじゃないんだと信じたい。せめて私の目が届く場所だけでも、生まれつき(遺伝)だけで一生が決まるようなことは避けたいものだ」

 何やら立派なことを言い出したイゾルテを見て、お相伴していたアエミリウス議員が深々と頷いた。

「そうですな。私達平民がこれほど自由に生きていられるのは、我が国とバネィティアくらいです。どちらも領土を持たぬ都市国家だからこそ、貴族と平民の差が少ないのかもしれませんな。ですがホールイ3国は王たちの評判は悪く無いですよ」

 何故か話が完全に逸れていたが、イゾルテはその話に乗った。今は胸の――ではなく、ミランダの成長を気にしている時ではなかった。

「清貧だという噂は聞いている。貧乏だという悪口の方が多いが、どちらにせよ王侯や官吏が贅沢でないことはいいことだ」

イゾルテは割りと湯水のように金を使っているが、その分国庫を潤してもいるということも最近分かってきたので、アントニオは何も言わなかった。それに彼女の生活自体はそれほど贅沢ではない。ただし風呂だけは例外だが。

「もっとも、だからこそ下っ端をVIP待遇してやった訳だがな。どんどん良い物を食わせて懐柔していこう」

「殿下もお人が悪い」

くっくっくと二人が腹黒そうに笑うのを、アントニオはドン引きしながら見つめた。ついさっきまでのいい話はどこに行ったのだろう? だが沈んでいたイゾルテはいつの間にか調子を取り戻したようだった。



 朝食後に訪ねてきた職人風の男から紙の束を受け取ると、イゾルテ達は会議室に向った。少し早かったが既に各国の使節達は席についていたので、互いに簡単な挨拶を交わすと会議を始めた。まずエウノメアー王国の正使が立ち上がると、3国を代表して要請を伝え始めた。

「我々といたしましては、ドルクからタイトン諸国を守るべく、プレセンティナ帝国の威光のもとに力を合わせようと……」

「ありがとう、だが前置きはいい。協力は拒まぬが、ドルクなら我が国一国でも防いでみせる」

ピシっと軍服を着込んでサーベルまで吊ってきたイゾルテは、昨日の淑女と同一人物とは思えないほど直裁的な口調と態度で切り込んだ。

「本当はどこが問題なんだ? ディオニソスか? ヘーパイスツスか? ヘスチアか? さすがにアプルンではないだろう。何か具体的な要求はあったのか?」

話を遮られたエウノメアーの正使をはじめ、各国の使節達は目を白黒させた。

「私は会議は好きだが、腹の探り合いというやつは好きになれないんだ。まして睡眠時間を削ってまでそんな事はしたくない。その時間はもっと建設的な話し合いに使いたいんだよ。正直に言おう、こちらに君たちを支配しようという気はない。こちらは……」

「殿下! 手の内を晒してどうするんですか! 嫌だというなら私がやりますから、殿下は少し黙っていて下さい!」

つばを飛ばして突っかかってきたアエミリウスを、彼女は手を上げて制した。そしてハンカチを取り出して顔を拭きながら話しかけた。

「どのみち腹を割らないと我々の望む条約など結べないぞ。ならば無駄な時間は省くべきだろう?」

「それはそうですが、駆け引きというものが……」

イゾルテは口を濁すアエミリウスに目もくれず、アントニオに命じた。

「アントニオ、資料を配布してくれ」

「はい」

アントニオは立ち上がると先ほど受け取った十数枚の紙からなる冊子を各人に一冊ずつ置いていった。渡された使節達は戸惑いながら手にとった。なぜかアエミリウス議員まで戸惑っていた。

「殿下、これは……?」

「史書を漁って再現させた、初期ヘメタルの同盟条約だ」

「ヘメタル? 同盟? 何故そんな物を?」

「我々はこの同盟を締結する用意がある」

「…………!」

そう言って微笑むイゾルテと項垂れて両手で顔を覆うアエミリウスに、ホールイ3国の使節たちは唖然とした。

「もちろん、時代に則さない部分も多いから、そこは話し合って変えていきたい。私はどうせならそういう話し合いをしたいんだ」

「……相談したいので、お時間を頂いてよろしいですか?」

「もちろんだ。じゃあ、私達は居ない方がいいな。部屋に戻っているから終わったら使いを寄越してくれ」

イゾルテは立ち上がるとアエミリウスの肩に手を置いて、慰めるように耳元で何かを囁いた。そして悄然とする彼の背を押して会議室を出て行った。



 パラパラと資料をめくりながら、ルィケー王国の副使が口を開いた。

「ヘメタルの同盟と言うことは、納税も貢納もありません。ただし兵力を差し出さねばなりません」

エイレーナー王国の副使がそれに応えた。

「だが、それはもともとこちらから提案するはずだった話だ。それにプレセンティナにも我々の防衛に兵を出す義務は生じるんだろう? 満額回答じゃないか」

ルィケー王国の正使が反論した。

「しかし、同盟諸国はヘメタルに飲み込まれた。我らも滅びるかもしれんぞ」

エウノメアー王国の正使が静かに応じた。

「そうだな、ヘメタルと同盟を結んだ多くの国の名が消えていった。だが飲み込まれたのでも、()してや滅ぼされたのでもない。

ユーステテア王国は滅びたのか? その名は消えたが、我らは未だに生き残っている。名を変え、形を変えただけだ。ただそれだけのことなのかもしれん」

彼は自らユーステテア王国を解体して現在のホールイ3国を形作ったエウノメアー王家の血を引いていた。それを知る他の使節達もその言葉の重みを感じて口を(つぐ)んだ。


 だがエイレーナー王国の正使は反論した。

「確かにそうかもしれんが、俺は話がうますぎると思う。落とし穴があるんじゃないか?

 例えば裁判権なんかは厄介だぞ。ヘメタル人同士の争いはヘメタルの法で裁くとあるが、誰が裁くんだ? それに同盟国市民とヘメタル市民の間に起きた争いはその土地の法に従うとあるが、実際に裁けるのか? 結局ヘメタルの――プレセンティナの圧力に屈せざるを得ないのではないか? プレセンティナ人がやって来れば騒ぎが起きないはずがないんだぞ。俺は自分の領地で騒ぎが起きても今までどおり裁ける自信がない」

「待て待て、そう急くな。イゾルテ殿下はそれを話そうと言っていたのであろう。その辺りはこれから交渉して具体的に決めていけばいい。政府ではなくアエミリウス議員に打診したのは、いざとなれば白紙に戻せるようにするためだろう。イゾルテ殿下が出て来られたのは計算外だが、非公式協議であることに変わりはない」

「それにそれは枝葉末節に過ぎんぞ。最大の問題はプレセンティナに我々を守る力があるのか、そして守る気があるのかだ。放っておけばディオニソスの属国にされるのは目に見えている」

「イゾルテ殿下が主催しているのはその気があるというメッセージだろうな」

「ローダスの事を言っているのか? 確かに、プレセンティナがローダスに援軍を出したのは、殿下御一人が強硬に主張されたからだと聞いたな」

「ああ、その上ご自分で艦隊を率いて出征され、講和までなされたというぞ」

「しかし指揮はムルクス提督が執っていたとも聞く。単に旗頭として担がれていたんじゃないのか?」

「だとしても、殿下の象徴的な意味は変わらないだろう。それに殿下はムルクス提督が擁立したのを蹴って、スキピア大公を皇太子に据えている。とても傀儡になるようには思えんぞ」

「……なんだかアエミリウス議員も、殿下に振り回されてるみたいでしたしね」

「プレセンティナ側の足並みは揃っているのか? 殿下が一人で先走っているのではないか? 我々が白紙に戻せるように、あちらも白紙に戻せるのだぞ。貴重な時間を浪費すれば、危ういのは我らの方だ」

「いや、話の進め方で揉めていたようだが、アエミリウス議員も大筋では同意していたんじゃないか?」

「確かに、こんな資料を作って来てるくらいだ。前もって意見統一はしていたのだろう。ただ議員はもう少し出し惜しみするはずだったんだろうなぁ。私でもそうするし」

「では、イゾルテ殿下の方が(くみ)(やす)いんでしょうか」

「うーん、どうだろう。どういう反応が返ってくるのか分からない怖さがあるぞ、ああ見えて元老院総会を手玉に取ったそうだし。……元老院ってアエミリウスみたいな狸が1000人以上いるんだろう?」

アエミリウスが1000人並んでいる姿を想像して、一同は「うわぁ」と嫌そうな顔をした。



 一方プレセンティナ代表団は、会議室を退室して元ミランダの部屋に戻ると密談を始めた。

「アエミリウス議員、中々の演技だったぞ。特に凹んでる演技は真に迫っていた。さすがは毎年選挙で勝っているだけはあるな」

「……あんなに最初からぶっちゃけるとは思いませんでした。ほとんど演技ではありませんぞ!」

再び唾を飛ばすアエミリウスを手で制すると、イゾルテは戸惑ったように言い訳した。

「だが、折を見て同盟を提案すると言ったろう? それにお前が"悪い衛士"で私が"良い衛士"だと打ち合わせたではないか」

アントニオは逆に、まじめに尋問をしようとする"良い衛士"と、「供述書は俺が書いといたから、お前はサインだけしろや。あ? 文句でもあんのか?」という"悪い衛士"に思えた。

「全然折を見てなかったと思いますが!? 速攻ではありませんでしたか? 要請すら最後まで聞けませんでしたよ! それくらいの言質を取ってください! それに、同盟条約の資料も事前に渡してください!」

議員も立て続けにツッコミをいれたが、イゾルテは肩を竦めただけだった。

「仕方ないだろう、原稿が届いたのは昨晩遅くだったんだから。私だって原稿をざっとチェックしただけだ」

「は? じゃあ、なんでもう印刷されてるんですか?」

「一文字版画機を持ち込んだからな。本当は世論操作用にダングヴァルトに持たせるつもりだった印刷馬車を、この離宮に運び込んでおいたんだ」

アエミリウスは目を瞑って眉間を揉んだ。

「世論操作とかダングヴァルトとか、ものすごく不穏当な言葉が聞こえた気もしますが、今はいいです。一文字版画ってあの無茶苦茶安くて早いと評判の、あの印刷屋ですか? あの店って殿下の肝入だったんですか?」

アントニオがこそこそと耳打ちした

「というか、殿下が発明して殿下が出資したんですよ。ちなみに印刷したものは全て殿下にチェックされてますから、殿下の悪口だけは印刷させない方が良いですよ」

「……では、『黄昏姉妹』も?」

その言葉を聞いてイゾルテの耳がピクリと動いた。

「はい、『トリスちゃんとイゾルテウス』もです」

彼女の頬もヒクヒクと動いた。

「まさかお前たち、あんな本を持っているのではあるまいな……?」

「そそそそんな、まさか! あんな卑猥な官能小説を持っている訳ないですよ! 母上に見つかったら捨てられちゃいます!」

「そそそそうです! 末の娘は殿下と同じ年頃なんですよ!? あんな物を家に置いていたら『お父さん不潔! 近寄らないで!』って言われてしまいます!」

イゾルテは二人をジト目で睨んだが、二人は真っ赤になりながらも口を噤んで目線をそらし、これ以上追求しても簡単には口を割りそうになかった。

「……そうか、ならいい」


 イゾルテは気持ちを切り替えた。

「ともかく我々も同盟条約を読み込まないとな」

彼女はそう言って資料をパンパンと叩いた。

「幸いこちらにはこれを整理した学者の解説文も手元にある」

「へぇ、離宮にはそんな学者さんもいたんですね」

「そんな訳ないだろう。 父上に頼んで皇宮の学者に作ってもらったんだ」

「うーん、この違約金というのは何でしょう? 兵隊を出せない時は一人あたり30デナリウスをヘメタルに払うって、これ、ボクのお小遣いより少ないですよ?」

「貨幣価値が全然違うからなぁ。プレセンティナがドルクに負けまくって領土が激減した時にメガインフレしたんだよ。古い貨幣を溶かして混ぜ物をして数を増やし、それで戦費を賄おうとしたんだ。おかげで物価が高騰して、仕方ないからまた貨幣改悪して、それ繰り返したって訳だ。馬鹿だよなぁ、当時の皇帝の親の顔を見てみたいよ」

「……子孫の顔なら毎日見てますけどね。でもそれなら何で今は落ち着いてるんですか」

「まともな貨幣を作りなおしたんだよ。でも古い粗悪な貨幣と1:1で交換なんて出来ないから、新金貨1枚=1000デナリウスってした訳だ。まあ、1デナリウス硬貨を1000枚持って交換に来た奴はあんまりいなかっただろうけどな。そこから仕切り直して、今のプレセンティナがあるんだよ」

「じゃあ当時の30デナリウスって、大金だったんですか?」

「どーかなぁ。メガインフレの前の兵士の給料は1日5デナリウスだったって、何かで聞いたことがあるけど」

「安っ! あれ? でもそれじゃあ、賠償金はたったの6日分ですか? そっちも安すぎですよ」

「いや、この条約はその1000年くらい前だから、貨幣価値だって100倍くらい違っても不思議じゃないぞ」

「なるほど、仮に100倍だとすれば年収の2倍くらいですね。戦争に連れて行かれるのとどっちがいいかと言われれば、ちょっと悩みますね」

アントニオがうーんと考えこむと、横からアエミリウス議員が口を挟んだ。

「10年前の籠城戦の後なら、悩むことなく金を払ったでしょうなぁ。戦いなんて二度と御免だと心底思いましたから。ですが、ここ最近の楽勝っぷりを見るとちょっと悩みますなぁ」

はっはっは、と彼は笑ったが、イゾルテは笑えなかった。

「……それでも1032人も死んでしまったがな」

ポツリとつぶやいた彼女の言葉に二人ははっと息を呑んだ。それに気付いた彼女は誤魔化すように突然アントニオに話を振った。

「ところで気になったんだが、小遣いって何だ。私から給料貰ってないのか?」

「……何で殿下が聞くんですか。ちゃんと家令さんに貰ってますよ、そのまま母上に渡してますけど」

「幾らだ? お前はいくら貰っているんだ?」

「……だから何で殿下が聞くんですか」

「私より多いのか少ないのか、他人の小遣いが気になるんだよ」

「……間違いなく殿下の方が多いです。安心して下さい」

「そうか、じゃあお前ならどうだ? ホールイ3国に小遣いを投資する気になるには、どんな条件が必要だ?」

「……すいません、投資なんて全然考えたこともありません」

「なんだ、役に立たないやつだな」

「…………」

アントニオは不満げに黙りこんだが、代わりにアエミリウスが口を開いた。

「殿下、子供の小遣いまで絞りとる気ですか。それに投資と言ってもいろいろありますよ」

 アエミリウスの言葉に、彼女は少し考え込んだ。

「まあ無難に荘園だろう。ホールイ3国は10年前の略奪で農村が荒廃したそうだし、もともと人手が足りなくて開墾が不完全だと聞く。交通の便の良い街道沿いこそ復興しているようだが、我が国に流れて来る小麦の量は落ち込んだままだ。恐らく廃村と化したまま復興していない農地も多いのだろう。それをまとめて買い取って植民すれば、我が国としても北アフルークから購入している小麦を減らすことが出来て輸送費が浮くぞ」

「驚きました、随分とお詳しいのですなぁ」

「今回の交渉に先んじて調べたからな。そうそう、それに高濃度酒精{アルコール}の生産でワイン価格が上げ止まりになっている。原料をエールに切り替えることも試しているが、ジャム生産も関わるから、やはりワイン価格を安定させたい。逆に言えば、ぶどう生産は金になるということだぞ? どうだアントニオ、投資してみないか?」

「……幾らくらいですか?」

「そうだな、生産規模を考えると常雇100人に、季節労働者が300人月くらいだろうか。いや、ついでにワイン醸造も現地で行った方が輸送効率がいいか……?」

「無理ですよ! なんで僕にそんな投資が出来ると思うんですか?」

「むぅ、じゃあ規模を半分くらいにしよう」

「無理ですって! 100分の1でも無理ですよ! 労働者1人分の給料しか貰ってないんですから、労働者1人分しか払えないって思いませんか!?」

「じゃあ、500人くらいで共同出資か。集めるのが面倒だなぁ」

「僕に薦めるくらいなら殿下も投資してくださいよ、499人分くらい」

「ふむ、そうだな。範を示す意味でもそうした方が良いな」

墓穴を掘ったことに気付いたアントニオはギクリとして固まった。

「え゛、ちょっと待って……」

「来月からアントニオの給料は全額投資ということで処理しておこう。まあ、戦争で焼けたりしない限りは儲かるよ。たぶん」

「いや、あの、僕らの生活費が……」

「お前の将来のためにも、この話をまとめないとな!」

彼はがっくりと肩を落とした。

「父上の恩給だけで、僕は将来まで生き残れるんでしょうか……?」

「何を言っている? セルベッティ提督の恩給は割増になっているはずだぞ? お前が結婚して子供を3人くらい作っても大丈夫なくらい払っているはずだ。お前の稼ぎを合わせれば愛人も持てるぞ?」

「ええっ! 聞いてませんよ!」

「まぁ、奥方が黙ってたんだろうな。お前が余所に愛人を作らないように」

「作りませんよ! 結婚すらしてないのに何で愛人!?」

「ダングヴァルトは結婚していないのに愛人が大勢いるそうだぞ。義兄上が言っていた」

「……そうですか」

そんなのと一緒にしないで欲しいと彼は叫びたかった。


「まあともかく、投資の条件に関わる部分を整備しないとな。免税特権が理想だが、さすがに先方もそこまでは譲歩しないだろう。だが無制限に徴税権を認めるのも論外だ」

「それについては条文に載ってませんね」

「徴税権に関しては時期や相手によってバラバラらしい。完全に免税の場合もあれば人頭税だけ認めていたり、逆に出荷量に対する関税だけを認めていたりするそうだ。だからこの点については要交渉だな。

 ホールイ3国との同盟が今後全ての同盟の手本となるだろうから、この点は非常に重要だ。プレセンティナに有利であれば同盟国市民がプレセンティナの市民権を取ろうと言うインセンティブに繋がるだろう。だが一方で、現支配者である彼等には望ましくはない。だから別の点で譲歩しても、ここは戦わねばならん。頑張るぞ!」

妙に燃えているイゾルテに、アントニオが口を挟んだ。

「裁判権はいいのですか? こちらも揉めそうですよ」

「民事はともかく刑事犯など知った事か。レイプ犯とか死ねばいいと思うし」

彼女にそう言われるとアントニオとしては容疑者を弁護しにくくなってしまう。その気もないけど。

「ええっと、被害者がプレセンティナ人の場合はどうするんですか?」

「それはプレセンティナの法に従うって書いてあるだろ。まあ、裁くのは現地の領主だが」

「無理やり無罪にされちゃったらどうするんですか?」

「ん? 戦争だよ?」

「は?」

「いや、だってヘメタルって、散々それで戦争してるし」

「……そうなんですか?」

「ああ、へメタル人を殺すと報復が恐ろしいんだよ。だいだい軍が出てった段階で裏で賠償金が決まって、現地で突き出された犯人を槍先に吊って、そのまま帰ってくるんだ。たまに話がまとまらずにそのまま都市を攻め落としたりもしたかな。我々も包囲くらいするかも知れんから、攻城戦用キメイラも作って見ようかなぁ。櫓か梯子を付けてさ。楽しみだなぁ、城攻めって何百年ぶりなんだろうな!」

「…………」

ドン引きして青くなっているアントニオに、アエミリウス議員は同情を禁じ得なかった。彼自身あんまりいい歴史とも思えないし、イゾルテのやる気満々な言葉を聞いていると、自分が詐欺の片棒を担いでるんじゃないかとさえ思えて来たのだ。

「一罰百戒、そうやってヘメタル市民の安全を図ったんだよ。まあ、全体としては、平和だったんじゃないだろうか」

「必要悪、ですか……?」

アントニオが納得出来ない顔をしていると、イゾルテが重々しく頷いた。

「ああ、その代わりプレセンティナ人に咎があれば、その場合も厳しく当たらねばないぞ。それを軽くすませば同盟自体にヒビが入るからな。だからレイプ犯とか死ねばいいと思う。

 裁判権は譲るにしても、アドバイザー的な人員を派遣した方が良いだろう。そいつにあえて厳しい刑罰を提案させるんだ。レイプ犯は死刑だとか。そうすれば領主も厳し目の判決を下しやすい。例えばレイプ犯は死刑だとか。アドバイザーには衛士隊(警察)の者かそのOBが望ましいな。特に犯罪者に厳しい奴だ、レイプ犯は死刑だとか。で、そいつらもペルセポリスを離れて汚職し放題だから、それを監視する者も必要だな」

うんうん、と独り納得して頷くイゾルテを尻目に、アエミリウス議員がアントニオにヒソヒソと耳打ちした。

「何で殿下はあんなにレイプ犯に拘泥しておられるんだ? まさかとは思うが……」

「一文字版画屋に新しい小説が届いたんです。小柄で金髪で貧に……胸の大きさが控えめな少女が乱暴される話だったそうですよ」

「……そうか」

「まあ、具体的な描写は全然なくて、本文の99%はその少女が犯人を探して復讐する話なんですけど」

「……そうか」

「で、復讐を果たした後で冤罪だったと分かるんですけどね」

「……そうか、実に救いのない話だな」



 そのまま3人は昼食を取って再び資料に目を通していると呼び出しがあり、彼らは会議室へと向った。待ち構えていた使節達を代表してエウノメアー王国の正使がイゾルテの申し入れに回答した。


「殿下のご提案を議論致しました所、大筋で同盟に同意することに決しました」

「ああ、良かった。ありがとう! 諸君の決断に感謝しよう!」


こうしてわずか一日にして交渉はまとまった――りするはずがなかった。


「ただし、いくつも気になるところがございますので、そのあたりをこれから討議致したく存じます」

「あ、やっぱり?」


こうして「死の七日間」の幕が開けた。



二日目――

「兵力を差し出すのは分かりますが、条約に従って現在の人口に当てはめれば3国あわせて12万もの兵を常時プレセンティナの指揮下に置くことになります。ですが、それはあまりにも荷が重い。せめて平時は減らして欲しいです」

「……そうだな、正直そんなにいても我々が困る。うちにも常備兵は5000しかいないんだからな。だが勘違いしないでくれ、全てをペルセポリスに集めるというのではないぞ、あなた方の国々の防衛拠点にも4カ国の連合軍を配置するんだ。そうやって互いの連携を……」



五日目――

「投資のために植民都市を建設するというのはどうも理解しかねるのですが……」

「もちろん既存の都市や農村にも投資するだろうが、どうしても仕事のやり方や税のかけ方の違いがある。だから植民都市は自治と免税を認めて欲しい」

「待って下さい、それでは事実上プレセンティナの領土です。納得しかねますな」

「まあ、喉元に剣を突きつけられたような気分になるのは分かる。だがこれは考えようだぞ。臣民が暮らす街を、我々が見捨てると思うか?」

「……!」

「つまり植民都市の建設と投資による開発は、あなた方にとっては安全保障となる訳だ。植民都市の人口が多いほど、投資金額が多いほど、我々は本気で守らねばならない。どうだ、そんなに悪い話でもないだろう?」

「……なるほど」

「それにプレセンティナの市民なら誰でも投資できるんだ。あなた方が投資したって問題はないんだぞ」

「よく意味がわかりませんが……?」

「だから、あなた方にもプレセンティナの市民権を差し上げると言っているんだ。もちろん全国民にという訳ではないが、彼らが望むのなら市民権を取得する道筋も用意しよう。爵位のある方々には元老院の議席も付けるぞ。総会は毎年12月半ばだから暇なら参加されるといいだろう。前回私はサボったけど」

「で、ですが、我々はそれぞれ王に仕える身です。二君に仕える訳には……」

「もちろん、王にも市民権と議席を差し上げるぞ?」

――そういう問題では……! って、あれ? それなら問題ないのか?

市民権はあくまでただの権利であって帰属を意味するものではない。血縁と相続の関係で1つの国の王が別の国の伯爵だったりすることも稀にあるが、2つの国が従属関係になる訳ではない。市民権や元老院の議席だって同じことではないだろうか?

――うーん、良く分からん。というか、もう個々人のポリシーとか趣味の問題なのか? 国元にお伺いを立てねばならんなぁ。

「この件に関しては国元の判断を仰がねばならないようです。次回に持ち越しましょう」



七日目――

「裁判についてですが、ヘメタル人が関わる時はヘメタルの法に従うとありますが、誰が裁くのでしょうか?」

「現地政府――つまりは王か領主だと思う。司法が独立しているのなら司法官だけど」

「では、その裁定にプレセンティナは従うと保証して頂けますか?」

「無理だなぁ」

「そうですか、では……え? 保証は頂けないと!?」

「ああ、ムカついたら戦争になるよ」

「待って下さい! それでは恐喝でしょう!」

「そういうことにしておかないと、適当に裁く奴も居るだろう? 実際に戦争しようと思ったら我々だって大変なんだ。よっぽどのことがなければ戦争なんてしないよ」

「しかし、我々にだけ枷を嵌められるのは納得できません!」

「まあ、確かにフェアじゃないなぁ。じゃあどうだろう、戦争を起こしたとしても『当該裁判に関わる利害を超えて倍賞を求めてはならない』ということにしては?」

「……つまり農地の所有権争いの裁判が発端なら、戦争しておきながら賠償としてはその農地だけだと?」

「そうだ、我々は戦争しても得にはならないと言う訳だ。だけど、積もり積もれば損を承知で戦争するかもしれない」

「……なるほど、真面目に裁くのが両者にとって一番得だと言う訳ですな。確かに、理不尽な圧力も少ないでしょう」

「刑事事件なら、要請があればこちらからアドバイザーを派遣してもいい。そいつに厳し目の刑を提案させるから、それを聞いて刑を下せば恨まれることも少ないだろう」

「それでは裁判自体をアドバイザーに乗っ取られませんか……?」

「いや、アドバイザーは刑の重さを提案するだけだ。そもそも有罪無罪の判断にも関わらないで、『有罪なら死刑が妥当だ』と提案するだけだ」

「なるほど。でも、本国よりも厳しい刑になってしまっても、国民は納得しますか?」

「他人の家では普段よりも身を慎むべきだろう。それに北アフルークなんかでは訳の分からない法律があるんだ、本国と同じ法律で裁かれるだけ遥かにマシだよ」

「なるほど。しかし、将来はともかく直近では我々には対応できないケースも多いと思います。将来においても利害関係が大きすぎると一領主には手が余ることも考えられます」

「その場合は王に任せればいいし、王も持て余したら我らに預けられると良いだろう。元老院が処理するよ」

 イゾルテの言葉に使節達は訝しげな顔を見せた。

「皇帝陛下ではないのですか?」

「へメタルの同盟は共和制時代に始まった物なのだから、当然元老院を中心にすべきだろう。それに皇帝は戦争と外交のために生まれたのだ。同盟の内、平和の(うち)のことならば、その点でも元老院が担当すべきことだと思う」

アエミリウスが慌てて彼女に耳打ちした。

「殿下、それでは我が国の国体が崩れてしまいます」

だがイゾルテは声も抑えずにそれに応えた。

「アエミリウス、言っただろう? へメタルの昔に戻すと。それはもちろん我が国も含まれているんだぞ」

「……!」

それは帝権の否定とも捉えられかねない危険な発言であった。言ったのが彼女でなければ、ルキウスやコルネリオに対する逆心ありと見做されても仕方がないところだ。

――自ら帝位を譲った方だ、権力欲から動いている訳ではないとは分かっていたが、まさか帝権を削ぐような事までおっしゃられるとは! だが、殿下のおっしゃりようを突き詰めれば皇帝ではなく執政官でも良いということになる。この方がそれを理解していないはずがないのだが……

衝撃を受けたのはアエミリウスだけではなかった。ホールイ3国の使節たちも、悲壮なまでの決意を持ってこの会談に臨んでいるのが自分たちだけでない事を悟っていた。

――本気だ。イゾルテ殿下は同盟のためなら自国の体制すら、自分が属する皇室の権威すら犠牲にされるおつもりなのだ……

イゾルテは3国の使節たちを見回した。

「これはまだ私一人の考えに過ぎないが、父上なら分かって下さると確信している。義務を知るものにとっては、大きな権力はそれだけ重荷でもあるんだ。だからこそ信頼できる者にも共に担って欲しいと思うんだ。3国の諸王も同じ気持でこの協議に諸君を送り出したはずだろう」

3国の使節達は互いに顔を見合って頷き合うと、エウレーナー王国の正使が代表して応えた。

「分かりました、殿下のご提案を受け入れましょう」


その言葉を聞いてイゾルテは大きく安堵の溜息を吐いた。

「良かった……! これで議題は全部消化したな?」

「はい、いくつか持ち越した物もありますが」

「分かっているよ。ところでどうだろう、我々はディオニソス王国より信じられるかな?」

同じように気が抜けていた使節達は、彼女の言葉を聞いて一様に顔を強ばらせた。両天秤にかけていることを見抜かれていたのだ。

「……どうでしょう、あちらとの交渉は別の者が担当していますから」

「そうだな、それはどうでもいいや。今はもっと気がかりなことがあるし」

「……何ですか?」

「もちろん、明日の朝は何時まで寝させてもらえるかということだよ」

神&国の元ネタについては……

 ヘーパイスツス=ヘーパイストス

 ヘスチア=ヘスティアー

出番はないので名前だけです。

地理的なイメージとしてはこんな感じです。(右側は現在の国です) 

 ヘーパイスツス王国=スイス 二大強国に挟まれているが、双方に傭兵団を送って生き残っている

 ヘスチア連合=ギリシャ 都市国家のゆる~い連合体。内部抗争が絶えない


ヘメタル同盟については、もともとポエニ戦争前の(つまり属州が無い頃の)同盟のイメージでした。カンネーでハンニバルにこてんぱんにやられても、同盟都市が次々に襲われても、なぜかローマを裏切らない健気な同盟です。

とはいえ、そこには分割統治という非常に合理的な策謀、というか統治技術があった訳ですし、必ずしもローマを信頼していたからと言う訳ではないでしょうが。それに同盟締結の条件はおそらく個々に違ったことでしょう。そもそも講和条件として同盟を結んだ都市も多いですし。

なので、あくまでイメージなだけで基本的にはでっち上げです。


また、何気に現地の有力者にぽんぽんと市民権や元老院の議席をあげて懐柔するのもローマっぽいです。カエサルも征服したガリア人にいっぱい議席をあげたそうですしね。

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