受け入れ
アエミリウス議員が離宮を訪れ、ホールイ3国との交渉の予定を知らせてきた。
「ホールイ3国の交渉団は予定通り、明後日にペルセポリスに入られるそうです」
「そうか。じゃあ、交渉はその翌日からかな?」
「ええ、明後日は簡単なレセプションだけで結構です」
「そうか、わかっ……え? 結構です?」
うっかりスルーしかけたが、イゾルテはなんとか踏みとどまった。
「はい。晩餐会でも開かれれば良いでしょう。その後は彼等も打ち合わせがしたいでしょうから、部屋に籠ると思います。それに……」
止まらないアエミリウスに彼女は慌てて待ったをかけた。
「待て待て待て待てっ! ひょっとしてその晩餐会、離宮でやるのか? っていうか、彼らは離宮に泊まるのか!?」
彼はきょとんとした。
「そうですが……まさか、準備してないんですか?」
「そう言われても初耳だぞ!?」
彼女は絶叫したが彼は首を振った。
「いえ、『主催して頂きたい』と申し上げたはずです」
彼女は彼が前回訪ねてきた時のことを思い出そうと頭を捻った。
――なんか、そんな風に言われたような気もする……。
「し、しかし、会議を主催って言えば会議自体の話だろう? まさか寝泊まりする場所まで私が用意するとは思わなかったぞ」
彼女の言葉を聞いてアエミリウスは深々と溜息を付くと、イゾルテを諭した。
「殿下は甘い、甘すぎます。こと国と国との交渉においては、政府首脳が顔を合わせておきながら物別れに終わるなど、絶対にあってはならないのです。ですから事前に下っ端が、カビすら生えない程ガチガチに固まるまで、とことんとんとん煮詰めておくのです」
イゾルテは首をひねった。
「そうか? 首脳会談で物別れって歴史上結構あるぞ?」
「余所は余所、内は内! 他国は知りませんが、我が国では伝統的にそうなんです」
ウソクセーっと思いながらも、彼が本気で言っているらしいことは彼女にも分かった。
「事前協議が九時五時で終わるなどとお考えでしたら、そんな甘い考えは今のうちにお捨て下さい」
言葉の内容と声の調子に反して、やたらにこやかなアエミリウスの表情に妙な迫力を感じ、イゾルテはおずおずと彼に聞いた。
「……ひょ、ひょっとして、それが何日も続くのか?」
彼女の見当違いな想像に、彼は思わず笑い出した。
「はっはっは、そんな訳ありませんよ!」
イゾルテはほっとして笑顔を見せた。
「そ、そうだよな。そんな訳――」
「一度始まれば、まず10日は終わりません」
彼女の笑顔は凍りついた。
「いやいや、無理だろう! 食事も睡眠もトイ……花も摘みにいけないのか!?」
「もちろん、トイレ休憩と仮眠時間はあります」
「仮眠? 睡眠じゃなくて?」
「私は4時間以内の睡眠は仮眠だと思っております」
イゾルテはほっと安堵のため息を吐いた
――まぁ、4時間眠れれば何とかならんこともないが、戦でもないのにそんなのを毎日……はっ、アエミリウスは4時間以内としか言っていない。1時間かもしれんではないか! しかもさらっと食事時間も省いた! くそっ、またまた巧妙に騙しおって!
イゾルテはプルプルと震えながら、低い声を絞り出した。
「アエミリウス議員! このうら若くか弱い私が、何が悲しくてそんな会議に――」
激昂しかけた彼女に、彼は静かに言い聞かせた。
「殿下、プレセンティナのためですよ」
「…………」
そう言われてしまえば彼女に否やはなく、後は力なく項垂れるしかなかった。
「……分かった」
「それで使節の人数は?」
「3カ国から正副予備の3人ずつです」
「予備? うちにも予備はいるのか?」
「そうですなぁ。正、副、予備でどうでしょう?」
そう言いながら彼の指は、イゾルテ、自分、そして彼女の後ろに控えていたアントニオをさした。
「ええぇぇえっ、ボクですか!?」
突然の指名に、アントニオが思わず叫んでいた。
「アエミリウス、『相手が信用するだけの力がなければ交渉にならない』と言ったのはお前だぞ。アントニオを連れて行ってなんの役に立つのだ」
本人の前で随分な言い草だが、実際問題何の役にも立たないだろう。
「大丈夫です、予備というのは要するに雑用係です。会談の場に普通の使用人は出入りさせられませんから、一応使節の一人という肩書で名前を貰っているだけです。あとは、正副共に前後不覚に陥った時にどちらかが復活するまで時間を稼ぐ役割もあります」
「ふーん、そうか。ならいいや」
彼女はあっさり折れた。
「ちょっ、ちょっと待って下さい」
慌てるアントニオをイゾルテが優しく宥めた。
「良いじゃないか。お前は既に幾つも秘密を抱えているだろう? あとは我々が寝ている間に9人のむくつけき男たちに迫られるだけだ」
「ボクに秘密があるんじゃなくて、殿下が口止めしてるだけでしょう!? あと、気持ち悪い言い方をしないで下さい!」
彼は嫌がったが、彼女は何かを思い出したかのように突然ぽんっと手を打った。
「そんなに嫌なら別の役もあるぞ。この前はベルケルの影武者にはまんまと一杯食わされたから、私も試してみようと思っていたんだ。私が眠い時にはお前がかつらとドレスを……」
「謹んで予備をやらせていただきます!」
アントニオが直角に腰を折ると、彼女は残念そうに舌打ちをした。
「ちぇっ、仕方ない。じゃあお前たち2人と相手方の9人で、11人が泊まりこむ訳だな。数が足りないから、お前たちのゲストルームはランクが落ちるぞ」
「それは構いませんが、彼等とは別に事務スタッフと使用人が18人居るそうです」
「……合計で29人? 使用人とかは他所の宿屋じゃダメなのか?」
「またまたご冗談を。それでは使用人を使用できないではないですか。ふむ、不使用人とでも言いますかな?」
はっはっは、とオヤジギャグで楽しそうに笑うアエミリウスに対して、イゾルテも、はっはっは、と乾燥しきった笑いを返した。だがそれは、ギャグがつまらなかったから(だけ)ではなかった。
――まずいぞ、そんなに部屋がない!
本来こういう場合のために別棟があるのだが、イゾルテの離宮では研究棟にしちゃっているので客などとても泊められないのだ。機密漏洩の危険もあるし、カオスな内情を見られるとイゾルテ(ひいてはプレセンティナ帝国)が侮られるし、ボロボロの学者たちを見たら「イゾルテ殿下は人を人と思わないサディストだ!」と誤解されるかもしれない。それは彼女にとっては心外なことだ。彼らがボロボロになのは彼ら自身と彼らの持つアカデミックな情熱のせいであって、彼女のせいではないのだ。……基本的には。
――こうなったら、使用人達の部屋を空けさせるしかないぞ。
だが、ただでさえ30人近い人間を受け入れなければいけない上に、昼夜の別なく会議が行われれば食事もお茶も昼夜の別なく申し付けられるだろう。使用人達の負担はただでさえ大きい。その上個室も取り上げたらどうなることか……。そこまで想像して、彼女はプルプルと震えだした。
――反乱だ……反乱が起こる! きっと使用人たちが反乱を起こすぞ!
食事が辛くなり、お茶が薄くなり、シーツがゴワゴワになって、軍服はシワシワになるだろう。風呂に入ったら石鹸が無かったり、脱衣所に下着が用意されていないかもしれない。イゾルテは寝室までもじもじしながら帰ることになるだろう。そしてメイドは呼んでもなかなか来ないくせに、説教は今までよりも長くなるのだ!
「タルタルス(地獄)だ……この離宮はタルタルスと化すだろう。タイトンの再統一どころか、私にはこの離宮一つもまともに治められないのか……!」
まともに治めていないのは今に始まったことではないが、彼女に対して遠慮のない使用人達は、確かに何らかの報復を謀りそうではあった。
突然ガクブルしながら訳の分からない事を喚き始めた彼女を、「副」と「予備」の二人が心配そうに見つめた。殿下の頭は大丈夫なんだろうか、という失礼な心配ではない。こんな人に「正」を任せて大丈夫なんだろうかという憂国の思いである。やっぱり失礼ではあったが。
――ダメだ、何とかしてどこか別の場所を用意しなくては! かと言って他の使われていない離宮なんて碌に掃除もされていないはずだし、皇宮内でやったら非公式じゃなくなってしまう!
彼女は、ストレスのあまり胃がキリキリと痛んだ。このままではいつぞやのルキウスみたいに血を吐く事になってしまうだろう。
――ああ、こういう時こそ、姉上に抱きしめられるか、ミランダを抱きしめたい。ミランダも後宮に移ったばかりで心細いだろうし……って、そうか!
「エウレカー!(ひらめいたー!)
アエミリウス議員、場所の変更だ! 叔母上の、じゃなくて、義母上が叔母上だったころに使っていた離宮を使うぞ!」
ルキウスの正妃となったリーヴィアは、ミランダを連れて後宮に居を移したばかりだった。お気に入りの家具くらいは持っていったかもしれないが、基本的に調度品は残っているはずだし、後片付けやら何やらで使用人達もまだ残っているはずだった。
イゾルテはアントニオを離宮に走らせるとともに、自らは後宮のリーヴィアを訪ねた。
「叔母上、離宮と離宮の使用人をしばらく貸して頂けませんか?」
リーヴィアは微笑みを浮かべながら快く――断った。
「ダメ」
イゾルテはリーヴィアの袖にすがりついた。
「そんな! お願いです、叔母上! ね、いいでしょう、叔母上ぇ!」
「絶対、ダメ」
「ねぇー、おーばーうーえぇー」
「だぁーめぇー」
リーヴィアの袖をぶんぶんしながら駄々をこねるイゾルテを見かね、ルキウスが諌めた。
「こらイゾルテ、義母上が困っているだろう?」
「…………」
イゾルテは無言で立ち上がると、そのまま部屋を出て行ってしまった。そしてすぐに戻ってきた。
「義母上、離宮と離宮の使用人をしばらく貸して頂けませんか?」
リーヴィアは微笑みを浮かべながら快く――承諾した。
「勿論よ、イゾルテ。可愛い娘の願いを、どうして断ることができましょう!」
両手を広げるリーヴィアの胸に、イゾルテは両膝をついて抱きついた。
「ありがとう! ありがとうございます、義母上ぇ!」
芝居がかったやりとりにルキウスは些か呆れたが、まぁ、これはこれで息があっていて仲が良いといえるのかもしれない。イゾルテがこんなに隙を見せてリーヴィアに甘えるのも、彼は父として夫としてとても嬉しかった。そして実際にイゾルテはリーヴィアに母性を感じていた。彼女はイゾルテ(150cm弱)に比べても頭半分ほど低く、弟のコルネリオ(約190cm)と並ぶと栗鼠と熊のようである。だがそれにも関わらず――
――姉上ほどではないが……この低身長にこのサイズ、侮れない。母とは斯くも偉大なものか……!
そう思うことは彼女にとって、母親でない自分のサイズを正当化することにもなった。
「でも、殿……イゾルテは何に使うつもりなの? お見合いパーティ?」
「ゴホッ、ゴホゴホッ!」
「いえ、違います。まぁ集まってくるのは男ばかりだと思いますが、今のところ年齢不詳です。ああ、でも正副は妻子持ちでも、予備は独身かも知れませんね。スタッフというのも若いかも」
「待て待て、何の話だ」
「ホールイ3国からの使節が来るんです。例の事前交渉に」
「ああ、その話か」
「それが、手違いで宿泊場所を用意していませんでしたので、義母上の離宮を借りようと思ったんです」
「ということは人手も足りんだろう、料理人と使用人を送ってやろう。あと御殿医……いや、軍医の方がいいな。強烈な気付け薬を持って行かせよう」
「……ありがとうございます」
そう言いながらも、最後のはあんまり嬉しくなかった。
「何だかよく分からないけど、殿下も頑張って下さいね。っていけない殿下って呼んじゃったわこれじゃあコルネリオを笑えないわねでもイゾルテもイゾルテよ私のことを叔母上だなんてそんな他人行儀なことを言われたら私は後宮で暮らしていく自信がなくなってしまうわやっぱり義理の母子なんて気持ちが通じないものなのかしらテオドーラのことも娘というより弟の嫁だと思ってしまうのやっぱりコルネリオの立場が微妙なのよ姉としてスキピアの家から送り出したつもりだったのに今はテオドーラの義母として受け入れる立場なんですものコルネリオも未だに義母上って呼んでくれないのよ酷いでしょう?私のことをははと呼んでくれるのはミランダだけよああでもミランダを後宮に呼んだのは失敗だったかしらただでさえお友達が少ないのに後宮にはあまり人を呼べないもの誰だったかしらあの子がニオ君って呼んでた男の子あの子も後宮には入れないだろうしやっぱり私のお茶飲み友達の仲間に入れたほうが良いのかしらねえイゾルテあなたはどう思う?」
「……へ? あぁ、えーと、どうなんでしょうね、あはははは。そのお話はまた今度にしましょう。……事前協議が終わったら」
仲良くなっても、イゾルテはやっぱりリーヴィアのマシンガントークは苦手なままだった。
――お説教じゃないだけマシだけど……。
リーヴィアの使用人達とルキウスから派遣されてきた助っ人によってどうにかこうにか体裁を整えると、イゾルテ達はホールイ3国からの使節を迎えた。晩餐会は食堂ではなく、会議室――と呼ぶことにした談話室――で行われた。食堂の長テーブルだとホスト席のイゾルテから客が遠いので顔が覚えられないので、どうせなら会議中に座る席で顔を合わせようということにしたのだ。会議室には長机が四角く配置されていて、しかも半直角(45°)ずらすことで上座と下座の区別がつかないようにされていた。(本当は円卓が良かったのだが時間がなくて用意できなかった)各国はそれぞれの辺に国ごとに座り、全員の顔が見やすいようになっていた。
「お初にお目にかかります。私はイゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴス、ここプレセンティナ帝国の第二皇女です。この度はここにいるアエミリウス十人委員会委員と共に皆様との交渉に参加させていただくことになりました。何分初めてのことですので、色々と不調法なところもあると思いますが、どうぞよろしくお願いします」
化粧をして髪を結い上げ胸甲入りドレスに身を包んだイゾルテは、楚々とした面持ちで使節団を歓迎した。ドレスだと軍服姿より一回り細く見えるので、彼女を見慣れているはずのアントニオの目にもなんだか華奢で儚げに見えた。きっと3国の使節達は「本当にこの娘で大丈夫なんかいな?」と思っていることだろう。もっとも、彼等もローダスの講話や元老院総会の話も聞き知っているはずだから、「いやいや、騙されるな。侮れば痛い目にあうぞ」と思っているかもしれない。
「明日からはゆっくり食事を取ることも出来ないようですし、せめて今日だけは――いえ、全てがまとまったら、またこの場で晩餐を楽しみたいものですわ」
そう言って微笑む彼女はとても可愛らしく、本性を知るアントニオですらその横顔にドキドキとしてしまった。油断を誘うためにやっているのだと分かっているのに。
ちなみにその頃、3国の事務スタッフと使用人達は大食堂で饗応を受けていた。本来イゾルテ達が使うはずの豪華な食堂に通された彼等は、何かの間違いなんじゃなかろうかと不安になりつつも、皇宮から派遣されてきた料理人の作った宮廷料理に舌鼓を打っていた。それはイゾルテの優しい心遣いである――ことも間違いではないのだが、彼等に帝国の豊かさと寛大な姿勢を見せつけようという作戦でもある。彼等は交渉に参加はしないものの使節の相談相手にはなるはずであり、今のうちに彼等の心と胃袋を掴んでおくことは後々(使節達が精神的に追い詰められた時に)効いてくる可能性があったのだ。




