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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第1章 ゲルトルート号
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4 原因と理由

 古代ヘメタルの歴史を受け継ぐプレセンティナ帝国にも奴隷制度は存在したが、何度も籠城戦を繰り返していたイゾルテの時代には奴隷を含めた全ての住民の連帯意識が強く、奴隷に対しても相当な法的保護が行われていたようである。

 奴隷制自体を否定しなかった事で一部人権活動家から非難されることのある彼女だが、彼女の治世を経て奴隷の地位が著しく向上したことも無視できない事実である。


 サム・モス『権利と平等』


――――――――――――――――――――――――――――――――


 その日イゾルテは、掃除の終わった漕手部屋で身綺麗になった解放奴隷たちと夕食を取った。夕食といってもテーブルがないのでパンとスープだけだ。彼女だけでなく水夫たちから見ても質素な食事だったが、普段漕ぎ手たちが食べていたものよりは遥かに良いものだった。まあ、そもそもまともな港に帰港できない海賊船では、海賊自身もあんまりまともな食事をしていなかったのだが……。


 食事の間は終始笑顔を保っていたイゾルテだが、ゲルトルート号に戻って船長室でムルクスと二人きりなると突然怒鳴り散らした。

「ムルクス! なんだあれは! ガレー船とはあんなに酷いものなのか!?」

「いえ、タイトンのガレー船では水兵が櫂を漕ぎます。重労働ではありますが、待遇は水夫と変わりませんよ」

「……ドルクだけなのか?」

「北アフルークの諸王国でも奴隷を使いますな」

「赦せん! 人を獣のように扱うとは! いや、私の馬のほうがよっぽど良い扱いだぞ!」


 彼女の素直で優しい心根はムルクスにとっても好ましく思えた。怒りを兵や士官達から隠した配慮も、皇女という立場に相応しいだろう。だが彼は、イゾルテにはもう一歩先まで進んで欲しいと思っていた。彼は彼女を教え導く傅役(もりやく)なのだ。

「人道的でないとお考えですか?」

「当然だろう! タイトンに出来ることならドルクにだって出来るだろうに!」

「いや、出来ませんな」

「何?」


 ムルスクは壁に掛かった地図を指さした。そこにはメダストラ海を中心にウロパ、アルーア、アフルークの3大陸が描かれていた。

「姫、アルーアもアフルークも失ったタイトンが、なぜ未だにメダストラ海を支配しているとお思いですか?」

「それは……航海術に()けているからではないのか?」

「そうです。ですがそれだけではありません。我が国でもドルクとの間で幾度も海戦がありましたが、その(ことごと)くに勝利しています。タイトン諸国のガレー船は、兵が櫂を漕ぎます。白兵戦となれば彼らも剣を取って戦いますが、ドルクの場合は奴隷に剣を渡す訳にはいきません。ですから白兵戦では、タイトンが圧倒的に有利なのです」

「……ならば、ドルクも真似れば良いではないか」

「もちろん、ドルクも真似たいと思っていますよ。でも、それだけの水兵がいないのです。国力のあるドルクは船だけはたくさん作れますが、水兵を用意できないのです。普段からメダストラ海中を航海しているタイトンだからこそ、それだけの水兵を用意できるのです。陸の兵を乗せても船上ではモノの役には立ちませんし、それどころか、無理強いすれば反乱を起こしかねません。船という閉じた空間は、時に反乱を誘発するのです。だから少ない船乗りで船を操るために、仕方なく奴隷を使っているのですよ」


 ムルクスの話は筋が通っていたが、イゾルテは納得できなかった。ペルセポリスの宮中や町中にも奴隷はいたが、彼らは普通の市民とそれほど変わらなかったのだ。

 そもそも古ヘメタルでも過酷な奴隷労働は(主に所有者の見栄の問題で)都市部では行われていなかったし、有能な者は奴隷身分のまま平民を遥かに上回る財産を得た者もいた。(注1) もちろん中には奴隷を過酷に扱う者もいたのだが、プレセンティナでは籠城戦のさなかに幾度か奴隷による反乱が起こったため、今では奴隷の保護を目的とした法律も定められていた。待遇と最低賃金が保証されたそれは、言うなれば年季奉公(注2)の延長であった。地道に働けば必ず解放されるという保証があったのだ。所有者の方も、いずれ対等な市民になる者に恨まれるようなことが出来るだろうか?

 そういった歴史的経緯はイゾルテも学んでいたのだが、それはあくまで知識でしかなかった。実際に過酷に扱われる奴隷たちを見たのは初めてで、それ故に彼女は感情的になっていた。

「だとしても、好んで過酷に扱う必要はあるまい!」

「もちろんです。ですが奴隷を使うかどうかという問題と、奴隷をどう使うかという問題は別です。例えば鉱山奴隷の扱いについては、ドルクもタイトンも大差はないでしょう。ついでに鉱山主達にも怒りますか?」

「だから彼らに対するドルクの扱いを認めろと言うのか!?」

「いいえ、彼らの扱いに義憤を感じられるのは結構です。ですが、その怒りによって目を曇らせないで頂きたいのです。

 先ほどお話したとおり、タイトンでは兵が櫂を漕ぎますが、ドルクでは奴隷を使うため別に兵を乗せる必要があります。むろんそれほど多くの兵を用意できる訳ではありませんが、それでも漕手のための船室を持つ余裕など無くなります。それが彼らの扱いを過酷にしている一因でもあるのです」

「…………」

「要するに、何事にもそれなりの原因と理由があるのです。それを無視してムスタファを罰したところで、何も変わりません。彼らには、罪なき者が罰せられる不公正な裁定と映るでしょう。ただあなたが満足出来るだけです」


 もちろん海賊行為に対して厳罰を加えるのは正当なことである。しかしイゾルテは既にその罪は裁いているのだ。今問題になっているのは、あくまでドルク船での奴隷に対する扱いだった。イゾルテはどうしてもそれを認められなかったが、かつてはタイトンでも同じことが行われていたことも彼女は知っていた。そして、それが止むを得ない事態もあり得るのだとも理解していた。

――もし将来、倍するドルク海軍にペルセパネ海峡が襲われるようなことがあったら……

それは考えたくない想定であったが、それ故に彼女が考えなくてはいけない事態でもあった。

――私は奴隷を酷使してでも戦うだろうな……


 イゾルテは俯いたまま、力なく壁を叩いた。

「いつもながら爺の言うことは難しいな。でも言いたいことは分かった。何事かを変えたいなら、その原因と理由を理解した上で、それを覆すような原因と理由を用意しろということか。

 ならば私は、まだ満足してはいけないな。既に処遇も決定してしまったことだし、ムスタファは罰しないでおこう」

「ええ、それが宜しいでしょう」

 ムルクスは満足だった。何やら彼の思惑を超えた境地にまで悟りを開いちゃった気もしたが、「そこまで言ってない」とは今更言わなかった。しかしイゾルテはニヤリと笑ってこう付け加えた。

「そうだ。もしムスタファの身代金が払われなかったら、私が買うことにしよう。

 いざという時に奴隷を虐められるよう、私もムスタファで慣れておかないとな」

注1 古代ローマではギリシャ文明に対する憧れがありました。日本が中国の文物に憧れたようなものでしょう。

上流階級はこぞってギリシャ人を家庭教師にしましたが、その中には大勢の奴隷もいました。(パエダゴーグス)

でも当然ながら、無体なことはしません。そこらの市民よりも遥かに良い給料をもらい、生徒の成長の暁には解放されて独立した教師になったり、生徒が出世したらブレーンになったりしました。

ちなみに、過酷な奴隷としては鉱山奴隷や舟漕ぎ奴隷が有名です。

剣闘士も過酷といえば過酷ですが、トップ選手は裕福でした。

プロボクサーみたいなものですね。


注2 年季奉公というと『おしん』みたいな近代以前の日本の制度を思い出しますが、似たような制度は世界中にありました。

ただし日本では、丁稚→手代→番頭→独立(暖簾分け)といったように出世の道がありました。つまり事実上は徒弟制度に近かったんですね。

西洋の年季奉公は、どちらかと言うと人身売買的な意味合いが強く、「年季奴隷制」とか「年季強制労働」とも訳されます。

実際アメリカでは、奴隷制が廃止された後に抜け穴として利用されていたそうです。

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