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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第4章 婚姻
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天馬

 リーヴィアとルキウスの結婚式は、テオドーラたちの結婚式の7日後の5月17日に予定通り行われた。イゾルテは戦の後始末でてんてこ舞いだったが、リーヴィアの(というか胎児の)体調のことがあって無理やり予定通り挙式したのだ。リーヴィアにはテオドーラが、ルキウスにはコルネリオが付き添い、観衆に先日の結婚式を思い出させた。組み合わせが逆じゃないのかという意見もあったが、今となっては既に誰もが身内であり、不自然という程でもない。こうしてパレオロゴス家とスキピア家は完全に一体となったのである。ただし、イゾルテを除いては。

 2つの家の血を継ぐ(今のところ)唯一の存在であるミランダも、「お母様の付き添いは私がやりたいです」と言ったのだが、彼女の体力が心配だったので3神殿の内の最初のペルセパネ神殿の儀式だけ彼女が付き添い、さらに彼女にイゾルテが付き添った。その後はずっとイゾルテが、ついに義妹(いもうと)になったミランダを膝の上に乗せて独占していた。この一年の間、ミランダは数回寝込んだだけで長患いもせず、これまでに比べて遥かに健やかに過ごすことが出来た。イゾルテやアントニオと一緒に体を動かして遊んだおかげだろうか。そのため彼女は身長も伸び、お肉も付いて、肌もしっとりモチモチしていた。イゾルテは膝のしびれを感じながらも決して彼女を離さず、その腕やほっぺたをむにむにもみもみして感触を楽しんでいた。

 そのイゾルテはいつものようにトーガ姿で式に臨んでいた。せっかくテオドーラから貰った胸甲(彼女は決して偽乳とは認めなかった)入りドレスに穴を開け、煤で汚してしまったためだ。実は彼女もあのドレスを気に入っていて、密かに量産しようと画策していたのだが、さすがにこの日には間に合わなかった。彼女は既に2度も胸に弓矢を喰らっているので、今後もイザという時に備えて胸甲入りの服を用意し、常に着用しなくてはいけない。そう、あくまで胸甲、あくまで安全のためである。だが、ミランダを膝の上に乗せる時には胸甲は邪魔かもしれない。イゾルテはミランダを膝の上で弄くり回しながら、そんなどうでも良いことで悩んでいた。


 この日諸外国の使節は招待されておらず、本来彼らは帰国しているはずだったのだが、結局そのほとんどがペルセポリスに残っていた。ドルクの攻撃とその撃退にまつわる情報を放って帰国することなど彼らには出来なかったのだ。ベルケル皇子がイェニチェリ軍団を率いていたと言う情報も、ベルケル皇子が生死不明だという情報も、今後のドルクの情勢を占う上で余りにも重要であった。そして皇太子コルネリオがそのベルケルとイェニチェリを破ったというのも、今後のプレセンティナ帝国の興隆を予感させる情報であった。そして、その決戦の夜空を彩った無数の炎についての情報も欲していた。だが、その巨大紙袋{天灯}の情報については(関係者が多すぎて)あっさりと漏れだし、その実に単純な仕組みに彼等は返って驚かされていた。やがてこの情報は回り回ってドルクにも伝わり、自分たちが騙された事を知って大いに悔しがらせることになる。



 一方、そのドルクからも離れて北の大地を旅する2人がいた。というか60万人くらいいるんだけど、その2人は2人だけの世界にどっぷりと浸かっていた。象の背に揺られること1月と半ば、最初は肩がぶつかる度に真っ赤になっていたニルファルも、今ではエフメトに肩を預けっぱなしになっていた。彼は彼女の肩に手をまわすようになり、上腕を経由して今では腰に手をまわしていた。そしてその手は今でも日々機会を捉えては下降を続けていた。だがそれでも彼女は武装を解かず、ずっと革鎧をまとい続けているので、見た目ではあんまりイチャイチャしているようには見えなかった。



 最初こそ利害で結びついた同盟関係だったが、その利害が一致するタイトンへの侵略を始める遥か以前に、もはや完全に二人の関係に依存し切っていた。可汗が「やっぱりニルファルはやらん」とか言い出したり、エフメトがそこらのスラム人娘に色目を使った瞬間、両者は決裂して血みどろの死闘が始まりかねなかった。そう思えばハシムもハサール側の護衛たちも、二人がいちゃいちゃしてるのを我慢するしかなかった。だから彼らは二人に当てられながらも文句を言わずに行軍していた。

 その状況が突然動いたのは5月20日の事であった。行軍を続けていたエフメトたちの前にハサール騎兵の大軍が現れたのだ。斥候の報告を聞いたニルファルは声を荒げた。

「どういう事だ!? 何も聞いていないぞ!」

一方エフメトは、深刻な顔で悲壮な決意を固めていた。

「お前を奪いにきたというのなら、俺の手勢だけで対処せねばならんな」

「馬鹿を言うな! お前の主力はずっと後方だぞ。集結するだけで何週間もかかる」

さすがに50万の軍勢を一緒に行動させる事も出来ないので、山越えで隊列が伸びきったドルク軍はそのまま10の小集団(といっても平均で5万だが)に分かれて北上を続けていた。先頭を行くエフメトが即座に使える兵力は5万あまりに過ぎなかった。

「私も戦う」

「だが、そいつは俺に挑戦しているのだ。お前の力を借りては筋が立たん」

「何を言う! 私にお前の物だと言わせたのはお前だろう!? お前が死ぬ時が、私の死ぬ時だ!」

「ファル……」

「エフメト……」

見つめ合う二人の前で斥候がなにか言いたそうに口をパクパクさせていたので、ハシムが助け舟を出した。

「あの、まだ続きがあるようですよ」

斥候は彼に軽く頭を下げると続きを言った。

「前方にいるのは、恐らくは可汗(カガン)の手勢です」

「何、父上だと? いったい何の用だ?」

「そこまでは分かりかねます」

「姑殿のお出迎えかな? 使者を……いや、俺が自ら伺うべきだな」

「しかし、軍を率いてきた意図が分からぬ。危険だぞ」

「おいおい、お前の父親だろう。お前はどっちの味方なんだ?」

「何を言う、私にお前の物だと言わせたのはお前だろう? お前の敵なら、それが誰であろうと私の敵だ」

「ファル……」

「エフメト……」

結局盛り上がる二人に呆れながら、ハシムが前方を指さした。

「どちらにせよ、もう遅いみたいですよ」

その先には、こちらに向かって来る100騎ほどの集団が見えた。

「あの馬印は父上だ」

「何にせよ戦ではないようだな」


 二人は象を降りて威儀を正した。同盟相手としては騎乗したまま挨拶した方が良いのだが、馬と象では目線が全然違うから上から見下ろすことになってしまう。さすがにそれは婿としてまずいと思ったのだが、馬の用意が整う前に可汗(カガン)は目前に迫っていた。

 一団が近づくと一際体格の良い馬に乗った小柄な男が進み出た。60は越えていそうだが日に焼けた精悍な男だった。

「そなたが婿殿か? ワシはブラヌ・ガリプ・キリチュ。ニルファルの父親だ」

「お初に御意を得ます。私はエフメト・オルスマン。ニルファル姫とは大変親しくさせて頂いております」

「父上、いったいどうしたのです? 冬営はずっと北でするはずだったではないですか」

自分を警戒しながらエフメトに寄り添う末娘を見て、ブラヌは一抹の寂しさを感じた。だがそれは喜ばしいことでもある。わざわざ出向いてきた甲斐があるというものだ。

「そのつもりだったが、婿殿が気の毒になってな。早い内に婚礼だけでも済ませようと思って下ってきたのだ」

「気の毒、ですか?」

「淫蕩なドルク人にしては、律儀な男だと聞いている。婚礼するまでは娘を抱かぬと言ったそうだな」

ドルク人を侮辱する言葉にハシムをはじめとしたドルク人達は内心反感を覚え、それを察したハサール人達が緊張した。

「お言葉ですが、抱かぬのは律儀だからではありません。ファルが嫌がることをしたくないだけです」

エフメトは反論したが、論点は見事にズレていた。

「エフメト……」

「ファル……」

結局盛り上がる二人に皆呆れてしまい、反感も緊張も霧散してしまった。

「わははは、すっかり仲が良くなったようだな。これでまだ抱いていないとは信じられぬ。ワシならニルファルほどの女を前にして、とても我慢できん」

「父上!」

「婿殿の我慢も限界だろう。十日の内に婚礼の席を整えよう」

「助かります。これで眠れぬ夜を過ごすこともなくなるでしょう」

「何を言う! 婚儀が済めばますます眠れなくなるぞ?」

「ち、父上!」

真っ赤になって抗議する娘を無視して、ブラヌは二人の傍らに立つ巨大な生き物に目を向けた。

「しかしこれが象という生き物か。想像以上に大きいな。ニルファルにとってもありがたい」

「は? ファルは充分に乗馬も上手いと思いますが……?」

「いや、婚儀を終えてしばらくは、馬に跨るのが辛いだろうからな」

「な、何てこと言うんですか!」

「これなら、途中で身重になっても大丈夫そうだ。安心して孕ませてくれ」

「父上! 準備があるならさっさと行って下さい!」

「ああ、恨むぞ婿殿。婿殿のせいで娘が冷たい」

「全部父上のせいです!」

ニルファルはついに我慢できなくなり、小石を拾って父に投げつけた。ブラヌは笑いながらひょいと避け、馬を返して去って行った。皆がぽかんとして見送る中、ニルファルだけは怒りと恥ずかしさで真っ赤になり、その場で地団駄を踏んでいた。



 翌日ブラヌの用意した宿営地に辿り着くと、愛しあう二人は引き裂かれた。

「エフメト、待っていてくれ! 必ず私は戻ってくる! 私は必ず、戻ってくるからぁ!」

おば様軍団がニルファルを待ち構えていたのだ。

「ささ、姫様、こちらへ。婚礼の前に覚えなくてはいけないことが山ほどありますよ。皇子様、お床入りの作法もちゃーんと教えておきますからね」

「お、お、お、お床入り……!?」

「殿方の悦ばせ方ですわ」

「よ、よ、よろこ……」

「それには及ばぬ。それは私が手ずから教える」

「て、て、てずから……」

「分かりました。では始めの作法だけ教えておきます。その後は殿下のお好きな様に」

「お、おすきな……!?」

「分かった。ファルは私の好きにさせてもらおう」

「…………」

「ファル、案ずるな。俺はファルの悦ぶ顔が見たいのだ。ちゃんと悦ばせてやる」

「よ、よ、よろ……」

「忘れられない夜になるぞ」

「…………!」

のぼせ上がって真っ赤になったニルファルはもう何も言えず、おば様軍団にずるずると引きずられて行った。一部始終を見ていたハシムがぽつりと感想を漏らした。

「男勝りなのに、ずいぶんとおぼこいもんですね」

「ああ、ギャップがたまらん。羨ましがってもやらんからな」

「要りませんよ。それより、浮気とかしたら殺されかねませんよ」

「大丈夫だ、上手くやる」

「……することはするんですね」



 二人の婚礼は次第に盛大なものになりつつあった。宿営地に着いた時には「こんな原っぱでどうするんだ?」とエフメトは思ったのだが、あちこちからハサールの有力者が続々と集まって来て、それに合わせて豪華な天幕がボコボコと湧いて出て、あれよあれよという間に都市が出来上がってしまった。そして彼らは列をなしてエフメトの元に挨拶に訪れた。彼はドルク風の派手で金ピカな衣装を身につけながらも、流暢なハサール語で挨拶し、それが彼らに好意を持って受け取られていた。


「あなたがエフメト皇子ですな、はじめまして」

「こちらこそ、はじめまして。エフメト・オルスマンです。えーと、あなたは?」

「バイラムと申します。先代の可汗の12番めの息子の8番目の娘の婿です。ニルファル姫の従姉妹の夫ですな」

「は、はあ」

「ちなみに、先々代の可汗の6番目の娘の3番目の息子の5番目の息子でもあります。つまり又従兄弟ですな」

「……よろしく」


血縁を重視する部族社会で、しかも被支配民族との混血を嫌っているため、ハサールの上流階級の血縁関係は大変ややこしい事になっていた。


「しかし、お聞きしたとおり流暢なハサール語ですな」

「今ではドルクとハサールに分かれていますが、我らの祖先も同じ遊牧の民でした。言葉もかなり似ているんですよ」

「ほう、そうなんですか」

「例えば"バイラム"というお名前は"勇敢"という意味でしょう? ドルクでは人名に用いることこそ希ですが、同じ意味で通じますよ。

 アムゾン海が我らのものになればドルクとハサールは海を通じてより近くなるでしょう。そうしたらドルクにも遊びに来て下さい。国を挙げて歓迎します」

「それは楽しみですな。お誘い(◆◆◆)があれば、一族(◆◆)を連れて遊びに行かせて貰いましょう」


こんな感じで、彼は婚礼の当日までひたすら挨拶だか謀議だかに忙殺されていた。



 ようやく二人が再会できたのは結婚式の最中だった。エフメトの隣に座らされたニルファルはずっと俯いてもじもじしていたが、儀礼と挨拶が途切れた隙に彼に囁いた。

「へ、変じゃないか……?」

意を決して問うた彼女に、エフメトは冷たく言った。

「変だな」

「そうか……」

彼女は悄然としたが、実際に彼女の格好はかなり変だった。シーツを頭からかぶって顔の部分だけ穴を開けたような奇妙な服装だったのだ。参列者の大半は分厚いながらも綺羅びやかな生地の民族衣装を着ており、それに比べると花嫁なのに無茶苦茶地味で、かなり変である。ずっと男の(なり)をして武装も解かなかった彼女の、初めて見る女らしい服装(しかも花嫁衣装)に期待していただけに、彼にはものすごくショックだった。

「まったく野暮ったい服だ。ウーダラ式の婚儀が増えたら、悲劇が巻き起こるぞ。お前のせいだ」

「……なぜ私のせいなのだ。改宗を進めているのは父上だぞ?」

「女は婚礼衣装に憧れるものなのだろう? その衣装は着ているのがお前だから美しく見えるだけだ、そこらの女では案山子にもならん。お前の姿に憧れて、そんな服で結婚式をする娘たちが哀れだ」

「……私は、美しいのか?」

「だから言っているだろう、お前以外が着ても野暮ったいだけだと」

「そんなことは聞いていない!」

突然大声を出したニルファルに、驚いた参列者達の視線が集まった。だが彼女はそれに気づかずエフメトに詰め寄った。

「私が美しいかどうかを聞いているのだ!」

エフメトは彼女に向き直ると、皆に聞こえるようにはっきりと言った。

「お前は美しい。お前を妻にできて私は幸せだ」

その言葉を聞いてニルファルの顔がほころぶ前に、突然大歓声が巻き起こった。酔っ払って気分の良くなった参列者たちが二人を囃し立てたのだ。ブラヌは二人の前に進み出ると彼等の肩を叩いた。

「エフメト殿は三国一の婿殿だ。ニルファルがこんなに女らしい事を言うとは信じられん!」

ブラヌはそう言いながらエフメトに酌をした。

「なあ、婿殿。いっそ、ワシの後を継いで可汗(カガン)にならんか?」

その瞬間ピタリと場が静まった。だがエフメトは気にした素振りを一切見せず、一気に酒を飲み干すと盃を逆さに振った。

「ファルを手放したくない気持ちは分かりますが、私はドルクを継がねばなりません。申し訳ないが、ファルはドルクに連れて帰りますよ」

あっけにとられたブラヌにエフメトが酒盃を渡すと、ブラヌは大笑いした。

「仕方ない、ニルファルの事は諦めよう」

ブラヌが肩をすくめてそう言うと場にざわめきと笑い声が戻った。エフメトの返答で、ブラヌの爆弾発言は冗談として受け取られたのだ。ブラヌは声をひそめてエフメトに声をかけた。

「だが、この子が肩身の狭い思いはさせたくない。ワシに出来る事があったら何でも言って下され」

エフメトはブラヌに酌をしながら囁いた。

「何でも、ですか?」

ブラヌも一気に飲み干して盃を振った。

「ああ、何でも、だ」

二人の視線が交錯し、彼らは同時に唇を歪ませた。ニルファルはこの時初めて、エフメトの中に父と同じ何かを見た。



 婚礼が終わるとついに初夜である。エフメトとニルファルは二人はいそいそと同じベットに入った。

「ファル」

エフメトが声をかけると、ニルファルがビクリ大きく震えた。

「な、なななんだ?」

「何だはこちらのセリフだ。この状況は何だ?」

二人のいるベットの周りには、覆面をした正体不明の人々――服装からみて多分おばさん軍団――がズラリと並んでいた。

「この……ご婦人方は何をしているんだ?」

彼は"おばはん"と言おうとしたが、多分血縁にある人々だろうと思って言葉を選んだ。するとニルファルは不思議そうに言った。

「見届け人に決まっているだろう?」

「見届け人?」

「姉上、説明して下さい」

彼女は覆面の一人に声をかけたが、その人物は口の前で2本の指を斜めに交差させた。どうやら喋ってはいけないらしい。しかたなくニルファルは自分で説明した。

「つまり、ちゃんと種付けが行われたかどうかを確認する役だ」

「…………!」

エフメトは愕然とした。彼女の言った内容も衝撃的だが、そんな事を平然と言ってのけた彼女の変わり様により大きな衝撃を受けていた。ちょっと性的な事を言う度にいちいち恥ずかしがる、あの純情可憐なニルファルはどこへ行ってしまったのだろうか? おばさん軍団による性教育は、彼女をどんな耳年増に変えてしまったのだろうか? 彼が忙しい合間を縫ってわざわざハサーム語の専門用語を覚えてきたというのに、これでは――

――これでは、恥ずかしい言葉を言わせても楽しくないではないか! 恥ずかしがる中年男(スラム系商人)から淫語を聞き出した苦労は、一体何のためだったのだ!?

 愕然とした彼の顔を見たニルファルは、更に不思議そうな顔をした。

「ドルクではしないのか? 他所(よそ)の群れの種を入れる時には、普通立ち会うものだろう?」

彼はその言葉を聞いてはっと気付き、納得した。

――なるほど、家畜の交尾は見慣れているのか。その延長で納得させられたのだな。

だが彼はどうやって彼女が丸め込まれたのかは納得したものの、見届け人に見届けさせることまでを納得した訳ではなかった。彼には(今のところ)見られて悦ぶ趣味はないのだ。確かにドルクでも昔はそういう風習があったらしいが、今となっては時代錯誤だ。(彼は別に民俗史に詳しい訳ではないが、その手の話は酒の肴に聞かされることがあった)


「なるほどな。だが俺は種付けに来たのではなく、牝馬(ひんば)を買いに来たのだぞ。買い取った牝馬に種をつけるかどうかは、前の持ち主には関係のないことだろう?

 もっとも、俺がハサームに残って可汗の跡を継ぐというのなら、お前に俺の種が付くことを確認せねばなるまいがな」

その言葉は形の上ではニルファルに向けたものだったが、エフメトの目線は見届け人たちに向けられていた。つまりそれは、彼が可汗の跡を継ぐのなら見届ける事も必要だが、ドルクに戻るなら必要ないはずだ、という事だ。そしてニルファルと血縁にあるらしい見届け人達は、可汗の後継者候補の縁者でもあるはずだ。彼女たちが見届けてしまえば、夫や息子たちのライバルが増えることになる。それでいいのか? と、エフメトは脅してみせたのである。彼は見届け人たちの瞳に迷いの色を見ると、妥協案を提示して見せた。

「ドルクでは翌朝シーツを確認するという慣習もあるが、ひょっとしたら元々は見届け人だったのかもしれないな。お前もドルクに来るのだから、少しずつドルクの風習に慣れてはどうだろう?」

彼の提案を聞いて、見届け人達は天幕の端に集まってヒソヒソと協議を始めた。数分して一人が外にでていき、真っ白な布を持ってきた。どうやらシーツにしろということらしい。彼はそれを受け取るとベットに敷き、それを確認した見届け人達は天幕を出て行った。

――天幕の外で聞き耳を立てて居る奴は残るだろうが、ニルファルが気付かないならそれでいいさ。言葉責めはまた今度だな。


「エフメトは凄いな。姉上たちがすんなり引き下がるとは……」

「俺が舅殿の跡を継ぐという話を、もう一度蹴ったのだ。見届け人を下がらせたことで、俺は完全にハサールの継承権を失った。お前が俺たちの子供に可汗の地位を望んでいたのなら、済まないことをしたな」

「私はいい。だがエフメトはそれでいいのか? 父上とも気が合っていたようだし、お前ならあるいは……」

「いや、もともと舅殿のあの言葉は、後継者候補たちへの牽制だろう。本気で言っていた訳ではないさ」

――そして恐らくは、俺のハサールに対する野心を計ったのだろう。だがどう考えても、俺にハサールを治めることは無理だろうな。

異民族のエフメトがどう頑張った所でハサールは治まらないだろう。無理に後を継いで反乱に手を焼くくらいなら、同盟者として遇した方が彼にとっては遥かに有利だった。

「それに、俺はお前だけで十分だ」

真意を隠しつつそう言った彼の言葉は、それもやはり嘘偽らざる本心でもあった。彼が新妻の頬を優しく撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細めてその手を握った。

「……私はそれに釣り合う牝馬だろうか」

「お前がいれば天まで登れるさ。お前は天馬だよ」


翌朝見届け人達がシーツを確認し、二人の婚姻が正式に認められた。

第4章「婚姻」完結です。

最初と最後がエフメトで、しかも彼は章を通して女とイチャイチャしていただけという、何とも締まらない締めでした。どうかご容赦下さい。次こそは彼が主役……ではないですが、準主役……も怪しいですが、暗躍はします。戦いもします。きっと、どこかで、だれかとは。


4章では贈り物~発明ネタが複数同時進行したので、何がどこまで進んでいるのか分かりにくかったかもしれません。基本的に時系列順に並べたのですが、ネタごとに並べたほうが良かったのかも、という気もちょっとします。それはそれで今度は時系列が分かり難いのですが。

このあたり、ご意見とか感想とか頂けると嬉しいです。


さて、第5章 名探偵編――ではなく「同盟(仮)」がまだ書き上がっていないので、またちょっと間が開きそうです。どうも投稿している間はその見直しばかりしてしまって、話が進まないんです。すみません。

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