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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第4章 婚姻
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仕掛け

 夕日を背にしてイゾルテがガルータ地区に上陸した時、守備兵達は勝鬨を上げてキメイラを迎え入れていた。だが何度も勝鬨を聞いてきた彼女には、それが心からのものでないことが明らかだった。勝鬨は相手を恐れさせる一方で、自分たちを鼓舞させるために行うものだ。兵たちは皆、敵ではなく味方に聞かせるために声を上げていた。

――とはいえ、思ったよりはマシだな。とっくに士気が崩壊しているのではないかと恐れていたのだが。

 彼女は軍服を用意させていたが、着替えの時間も惜しんで小舟に乗り込み、(船室もないので)着替えることも出来ずに海峡を渡って来ていた。おかげで結婚式に参列していた時のまま、髪を結い上げ、淡桃色のドレス姿をまとっていた。そしてまだ結婚式が続いているかのように(ほの)かな笑みをたたえ、兵士たちに手を振りながら本営の天幕に入った。その途端彼女は表情を消し、怒りも押し殺して低く命じた。

「フルウィウスとクィントゥスを呼べ、今すぐにだ」

「お二人とも……戦死なされました」

おそらくはフルウィウスの部下と思われる将校が答えると、彼女は彼を睨みつけた。

「クィントゥスもか」

「……キメイラ小隊の撤退を支援するために、自ら囮となって残られました。最後は自ら火を放ち、キメイラごと業火に包まれました」


 彼女は体ごと振り返って彼から顔を隠すと、目を閉じて顔をくしゃりと歪めた。

――人選を誤ったか……! クィントゥスめ、これではお前を責められないではないか!

クィントゥスを失ったことも、例え1台とはいえキメイラを倒されたことも、キメイラ軍団の構想にとって余りにも大きな痛手だった。だが今はガルータの防衛と、プレセンティナの威光の方が問題だった。

 彼女は一つ溜息を付くと、再び表情を消してもう一度振り向いた。

「では、今指揮を執っているのはおまえか?」

「いえ、ダングヴァルト将軍です」

彼女は訝しげに眉をひそめた。

「ダングヴァルト? 奴には何の任務も与えていないぞ? 何で奴がここにいるんだ」

「フルウィウス将軍の幕僚という扱いで、将軍を補佐しておられました。フルウィウス将軍が出撃する際に、ダングヴァルト将軍に指揮権を預けられました」

「……その指揮権の正当性については疑問が残るが、今は問うまい。ダングヴァルトを呼べ。その間の指揮はフルウィウスの主席幕僚に任せる」


 彼が外に出て行くと、彼女に付き従っていたアントニオが話しかけた。

「今のうちに軍服に着替えますか?」

「そうだな……いや、髪を結い上げたまま軍服を着るのは格好がつかん。それに――」

彼女はアントニオの耳に口を寄せた。

「――下着を忘れた」

アントニオは見る見るうちに真っ赤になり、彼女は声を殺して笑った。

「さすがに裸の上に軍服はまずいだろう? 見た目は変わらんが、あちこち擦れて痛そうだよなぁ?」

そう追い打ちを掛けて彼の目を覗きこむと、彼の視線は彼女の目から逃げるように泳ぎまわった。

 この一年で身長が伸び声変わりも始まった彼は、最初に会った頃の素直で可愛い少年ではなくなってしまっていた。事あるごとにイゾルテにツッコミを入れ、彼女のありがたい御言葉(はぐらかし、言い訳)を聞いても、呆れたり鼻で笑うほどに心が穢れて(?)しまったのだ。だがそんな、彼もセクハラには未だに弱かった。彼女がからかうと、彼はただ赤くなってオロオロするばかりなのだ。

 だが逃げまわっていた彼の視線が、ふとある一点で動きを止めた。そして彼は訝しげに眉を(ひそ)めた。それに気付いた彼女は先んじて釘を差した。

「言うな、何も言ってはならん。言えば不幸が待っているぞ」

彼女にそう言われて、アントニオは口まで出かかった言葉を押し留めた。

――明らかに偽物ですよね、その……

彼は思うだけに止めたのに、皆まで思う前に彼女は機嫌を悪くした。わざとらしく頬を膨らませた彼女にアントニオが思わず噴き出すと、彼女も顔をほころばせた。

「ありがとう、アントニオ。お前のお陰で気が紛れた」

そう囁いた時には既に彼女は表情を消し、近づいてくる足音に備えていた。



 ダングヴァルトが現れると、イゾルテはまず宣言した。

「私は陛下から一時的な指揮権を預かって来ている。だが責任の追求も処罰も後回しだ。まずは現状を聞きたい」

「ドルク軍主力はまだキメイラの近くにいます。火が消えるのを待っているのだと思います」

悄然として陽気さが抜け落ちたダングヴァルトは、軽薄さまでもが弱々しさに変わってしまっていた。だがそのおかげか、口調は丁寧になっていた。

「最初に逃げ散った者達も陣営に戻りつつあるようです。ですが武装の多くは城外に打ち捨てられていますので、こちらは数ほどの戦力にはならないでしょう」

魂が抜け落ちたように精気のない様子だったが、彼の観察力と現状認識は確かなようだった。彼がイゾルテの胸を訝しげに見つめていることも、それを裏付けていた。彼女は自然に腕を組んで胸を隠したが、腕の位置が自然じゃなくて落ち着かなかったのですぐにやめた。だがダングヴァルトの視線を逸らすことには成功し、彼は俯いて視線を剥き出しの地面にまで下げていた。


「分かった、すぐさま襲ってくるということはなさそうだな。では何が起こったのか聞かせてくれ」

「ペルセポリスの鐘が鳴った頃、ドルク軍は多数の攻城兵器と共に丘を降りてガルータ地区に攻撃を仕掛けてきました」

「数は?」

「歩兵は3万から4万、攻城櫓30と攻城槌20です。歩兵の多くは使い捨ての大盾を持ち、梯子や弓を携えている者も大勢いました」

「ふむ、それで?」

「彼らは攻城兵器と歩兵を並べて近づいてきましたが、こちらが投石機でイゾルテ・カクテルを……火炎壺を投擲すると同時に一斉に突撃してきました。こちらが攻城兵器を狙い撃っている間に歩兵が城壁近くまで――」

イゾルテは眉を顰めて彼の言葉を遮った。

「待て、狙い撃ちとはどういうことだ」

「ですから、より脅威度の高い攻城櫓から順番に――」

「大型投石器で? 移動目標を? 城壁越しに?」

「……城壁の小型投石器です。大型投石機は使いませんでした」

「何故だ。わざわざ用意させたのに、なぜ使わなかった?」

彼女は苛立ちが表に出ないよう平静を装うのに必死だった。

「決定的な瞬間に相手を突き崩すため、温存していました」

「火炎壺は十分にあったはずだ。温存というのは、物理的な意味ではなく心理的な意味か?」

ダングヴァルトは視線を上げ、驚いた顔で彼女を見つめた。

「……ええ、そうです」

彼女は視線を逸らせた。彼に全てを話させるためには、今は怒りを露わにする訳にはいかなかったからだ。

――最初から追撃するつもりだったのか! バカどもが!

「それで、歩兵がどうした?」

「城壁から20mあまり離れた所で隊列を整えると、盾を構えてその陰から矢を放ってきました。しばらく矢軍(やいくさ)をした後、一斉に火炎壺を投げつけました。すると敵が乱れて隊列を崩し、その一部が城壁に梯子をかけて登ろうとしたので、一斉に火炎壺を落としました。ドルク軍はそれを契機に撤退を開始しました」

「……20mも離れている敵に火炎壺を投げたのか? どうやって?」

それはこの状況下で突っ込むような事ではなかった。彼女としてもそれが些細な事だとは分かっていたのだが、普段から技術的・戦術的な工夫を考えているせいで、どうしても気になってしまったのだ。その気持が声に滲んだのか、ダングヴァルトの声色も変わった。

「ああそれは、火炎壺から油を抜いて軽くしたんですよ。それとスリング……って、分かります? 簡単に言えばタオルのような布なんですけど、それに包んでぐるぐる回して勢いをつけたんですよ! ……です」

工夫したことを説明するのが嬉しかったのか、彼は一時(いっとき)陽気で軽薄な地を出したが、すぐに立場と状況を思い出して再び俯いた。その軍人らしからぬ様子にイゾルテは興味深げに片眉を上げた。彼女はそこに離宮の学者や職人たちと同じ、一種幼稚で純粋な気質を見ていた――が、その後ろから見ていたアントニオには、彼女こそ同類に思えた。ひょっとしたら全ての感染源は彼女なのではないだろうか。


「なるほどな。まあ、そこまではだいたい想定通りだ。そこから大型投石機を使って敵を追い落とす一方で、フルウィウスが歩兵を連れて打って出た訳だな」

「……はい」

「そこまでは分かる。だが、なんでキメイラが出撃することになったんだ?」

「我々も最初は偽装敗走ではないかと疑いました。ですが敵の多くは盾や兜はおろか槍や弓までを放り出して逃げて行きました。そして、ベルケル皇子と思われた綺羅びやかな甲冑を纏った武将と少数の護衛だけが逃げずに残っていました」

「思われた?」

「……偽物でした」

彼の言葉にイゾルテはぎくりとした。そして再び腕を組んだ。

「影武者というやつです。それに気づかずベルケルを討つ好機と見て、フルウィウスは突撃したのです」

「罠だった訳か」

イゾルテが呆れたように溜息を付くと、彼は悔しそうに言葉を絞り出した。

「私が気づくのが、遅れたばかりに……!」

彼の言葉を聞き流しながらも、彼女はベルケルについて考えていた。

――漏れ聞く話の印象では正面からの戦いを好むタイプだと思っていたが、意外と小知恵も回るようだな。それでいて兵の過半を囮にするとは、随分と思い切りも良い。

「ベルケルを追って丘の上の本営近くまで行きましたが、その後丘の向こうからイェニチェリ軍団が現れ、撤退に移りました。しかし丘を降りきった所で――」

意識の半ばを考察に向けていた彼女は、聞き捨てならない単語に意識を引き戻された。

「待て、待て待てっ! イェニチェリだと!? 大将はベルケルじゃなかったのか?」

イェニチェリ軍団といえば、戦場における近衛のようなものだ。皇帝の周りを固める存在である。

「分かりません。そもそもベルケルですら偽物でしたから。しかしベルケルの影武者が出てきたということは、皇帝の親征ということはないでしょう」

「そうだな、もしそうなら皇帝の影武者を出すだろうし、騒ぎはこれくらいでは済まないだろう。本当にイェニチェリだったのか?」

「全員がタイトン人だったそうです。肌の色も髪の色も、おそらくは瞳の色も」


 ドルク国内に残りながらも改宗を拒むタイトン人たちは返って異民族との混血も少なく、ゲルム人と混血しまくってしまった本場のタイトン人よりも、血統的にははるかに純粋だった。どう見てもゲルム人にしか見えない外見にコンプレックスを持つイゾルテとしては、敵の精鋭中の精鋭であり今まさに自分たちに立ちふさがった者達が、全員自分より遥かにタイトン人らしいというのは何だか無性に不愉快であった。でもそれは個人的なことなので、彼女はなんとか我慢した。


「それで、数は? 本当に強いのか?」

「数はおよそ2万、練度は高いようです。キメイラの攻撃を受けても完全には崩れませんでした。全て歩兵なのが救いです」

彼女は今度こそ露骨に顔をしかめた。

――まずいな。最初にキメイラは抗い得ない物だという印象を植え付けたかった。大隊規模のキメイラで圧倒的な力を見せて蹂躙すれば、その後の戦いで敵味方に大きな心理的な効果を与えられたはずだったのに、それを最初から(つまず)いてしまうとは!

「キメイラは何故出撃したのだ?」

そう言いながらも、彼女には分かっていた。クィントゥスは30年前の炎を消しに向かったのだ。血気に逸って罠に飛び込み、炎の彼方に置き去りにした仲間たちを、30年の時を超えて助け出しに行ったのだろう。

――まったく、老人というのは本当に度し難い。ムルクスといいクィントゥスといい、勝手なことばかりしおってからに。しかもいつも私が責められないような事ばかりするんだ……!

 イゾルテであれば追撃隊を見殺しにしただろう。もちろん彼女ならおいそれと城外に兵を出したりしないが、仮に彼女の命令で敵を追い、彼女のせいで絶体絶命の危機に追い詰められたのだとしても、彼女はそれを助けなかっただろう。心は揺れ、体も震えたかもしれないが、毅然とした風を装って彼らを見捨てたはずだ。かつてローダスの沖で部下に死ねと命じた時から、彼女は自分にそうあることを課していた。


「私がクィントゥス将軍に頼みました。指揮権がないことも、クィントゥスのじい……将軍が出撃を禁じられていることも承知していましたが、窮地に陥ったフルウィウスを助けてくれるよう、私が無理に頼んだのです。将軍から殿下に伝言を預かっています。『ご期待に添えず申し訳ありません。せっかく生まれ変わる機会を頂いたというのに、ワシはどこまでも騎兵であったようです』と」


 クィントゥスは最初から言っていたのだ、30年前のあの炎の熱さを忘れられないと。だから彼女は彼にキメイラを預け、だから彼は出撃したのだ。ダングヴァルトの言葉はきっかけにこそなったかもしれないが、クィントゥスを動かしたのは結局のところ彼自身だったのだろう。クィントゥスを責められないと思うのであれば、その責めは彼を選んだ彼女こそが負うべきだった。


「だが、クィントゥスがキメイラで助けに行った時には、フルウィウスは既に死んでいたと言うことか……」

彼女の言葉にダングヴァルトはビクリと震えた。彼女が訝しげに彼を見ると、彼は苦しげな声を漏らした。

「……クィントゥス将軍のキメイラに乗り込んだそうです」

――そして、囮として死んだのか。

彼としては、親友が自ら死を選んだことがショックだったようだ。だが彼女としては、ここまでの結果をもたらした以上、死んだからといって許してやるつもりは毛頭なかった。

「そうか、自ら死を選んだか。単なる自決ではなく、囮として働いたことだけは評価してやろう」

彼女の冷淡とも言える言葉にダングヴァルトは愕然とした表情を見せた。だが彼女としては、罵って当然のところを我慢してやっているのだ。

「何だ? 私の言葉が気に食わんか? 奴は自らガルータ防衛の任を買って出て、しかも私の出した条件を飲んだのだぞ? それにも関わらず勝手に外に出て、多くの兵が殺され、クィントゥスも死に、キメイラも最大の武器を永遠に失ったのだ! おまけにそれを諸国の使節に見られたのだぞ!」

皮肉げに話し始めた彼女の言葉は、最後には激昂に変わっていた。そして彼女の激情は、ダングヴァルトにも激情をもたらした。

「それでも! フルウィウスは殿下を愛していたんですよ!?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような、という例えはまさにこの時のイゾルテの様子を表す言葉だった。彼女には生死を分かつ戦場において愛だの恋だのという言葉は場違いに思えたし、一度しか会ったことのないフルウィウスが自分を愛していたと言われても実感がなかった。その上自分を愛していることが、どうして自分を裏切ることに繋がるのか全く分からなかった。ぽかんと開いた口を閉じると、彼女は眉間を揉みながら言った。

「あー、つまり、私のせいだと言いたいのか? だが私はフルウィウスとは一度しか会ったことはないし、奴に色目を使った覚えもないぞ? まあ、他の男にも使ったことなど一度もないのだが」

後で聞いていたアントニオは文句を言いたくなったが、さっきのは彼女にとってはあくまでただのセクハラであった。


 彼女が戸惑いを見せたことで、ダングヴァルトも言い過ぎたと後悔していた。彼の言い分は完全に八つ当たりであって彼女には知ったことじゃないし、そもそも彼女にその想いを伝えることをフルウィウスが望んでいたのかどうかも、今となっては分からなかった。だが、言ってしまった以上ははっきりと伝えておくべきだろうと彼は思い直した。

「あなたのせいだとは言いません。でも、フルウィウスは真剣にあなたを愛していたんです。だからこそ、あなたと結ばれるためにと功を焦ったのです」

「…………」

一転して真摯な態度を見せた彼に対して、彼女も何か言わなくてはいけないと思った。しかし彼女は、フルウィウスのことを何とも思っていないばかりか、顔すら碌に覚えていなかった。しかも彼女は、(テオドーラ以外には)こういった種類の愛情を寄せられたことが無かったのだ。彼女は慌て、焦り、紅潮して、しどろもどろになってしまった。

「だが、私は、その、正直、フルウィウスの事は……あまり、覚えていないんだ」

再び愕然とするダングヴァルトを見て、彼女自身も自分の言葉があまりにも非情だと思い、とっさにフォローした。

「フルウィウスの名を聞いて最初に思い浮かんだのは、お前のことだ! フルウィウスと一緒に、お前に会った時のことはしっかり覚えているぞ!」

お前たちと会った時のことはちゃんと覚えているんだぞ、と彼女はフォローしたつもりだった。だが、死んだ親友の愛を代弁した直後、赤い顔をして自分のことが思い浮かんだと叫ばれては、彼がこう思うのは仕方がなかった。

――殿下は、たった一度会っただけの、二言三言話しただけの俺のことを、ずっと好きだったというのか……!?

その衝撃の事実(?)に、彼は自分の罪深さを呪った。横恋慕(?)する親友を応援する行為は、さぞイゾルテを傷つけたことであろう。彼がフルウィウス、フルウィウスと親友の名を口にする度に、彼女は傷付いたに違いないのだ。折角会えたのに、なぜ自分の名を呼ばないのかと。そう思えば、彼女がフルウィウスに冷たいのも当然のことであった。その上彼は、フルウィウスと彼女を結婚させるために、実に汚い(というかせこい)策謀を巡らせていたのだ。それは親友のための善意の行動のつもりだったが、彼女の気持ちを知った今では、己の罪深さに愕然とせざるを得なかった。

 そして彼は、フルウィウスの部下から伝えられた彼の遺言も思い出していた。『イゾルテ殿下と共に生きろ』と、彼は言い遺したというのだ。それは自分の代わりに殿下の力になってくれ、という意味だと思っていた。だがイゾルテの気持ちを知った今、その言葉は完全に意味を変えていた。恐らくフルウィウスは、イゾルテの気持ちを知っていたのだ。そしてそれについて口をつぐんだままダングヴァルトに協力させていたのだ。彼は罪悪感に苛まれつつ戦い、夢破れて自ら命を断ったのだ。

――なんということだ! 俺は鈍感なあまり、二重の罪を犯していたのか!

 だが彼は、罪の意識に苛まれる一方で、己の中に別の感情が芽生えたことも悟っていた。実家が金持ちな上に若くして将軍となった彼は、その軽薄そうな見た目と言動もあって(?)、蓮っ葉な夜の女達には人気があった。深入りしないようにと次々と女を乗り換えてきた彼は人並み以上に経験を積んできたつもりであった。だが今、誰よりも美しく誰よりも清らかで、誰よりも高貴な少女にその想いを打ち明けられ、遠い少年の日の純情が蘇りかけていた。そのうえ彼女は、彼がこれまで女に期待したことのない、卓越した知性をも備えているのだ。


「と、とにかく! 今はそんなことを言っている場合ではない!」

自分の言葉がダングヴァルトにどんな影響をもたらしたのか自覚のないまま、イゾルテは強引に話題を本筋に戻した。

「このままでは、諸国の使節に我軍が負けたと思われてしまう可能性がある」

冷静に分析を語りだしたイゾルテに、ダングヴァルトも気持ちを切り替えた。彼女の想いに応えるためにも、彼はまず自分の罪を精算することから始めなくてはならなかった。

「それにこのまま放置すれば、ドルク軍がキメイラに対して脅威を感じなくなってしまうだろう」

「ああ、先ほど仰られた『キメイラの最大の武器』っていうのは、キメイラに対する苦手意識ということだったんですね」

「そうだ。あんなゴツイものが正面から迫ってきたら、普通は怖いからな。アレが倒し得るものだと知らなければ、誰も立ち向かおうとしなかっただろう。それこそ神話のキメイラのように、天馬に乗ったベレルポーンでもなければな(注1)」


 いつの間にか二人の口調は普段通りに戻っていた。お互いにコイバナでテンパった後だけに、気恥ずかしくてその前の深刻な態度に戻れないでいたのだ。それにどうやらフルウィウスが突出したのは彼自身の意思のようだ。ダングヴァルトについては、この事態にどう関わっているのか尋問して、その上で処断せねばならないだろう。だがそれは、先ほど宣言したように後回しだ。それに少し馴れ馴れしいダングヴァルトの話し口は、イゾルテにとっては離宮の学者や職人たちのようで気楽に話しをしやすかった。


「はぁ、そこまでは考えつきませんでした、すみません。1台とはいえキメイラを破壊されたのは、取り返しがつかない失態ですね……」

「やむを得ん、今さら悔やんでも詮無きことだ。次善の策は何だ?」

「それは勿論、キメイラで敵を蹂躙することです。今からでも陛下の結婚式に各国の使節を招待できませんか? そうして彼らを国内に留めておく間にキメイラを量産するんです。家を建てる大工や船大工まで動員すれば、50台や100台くらい作れないこともないでしょう」

 彼女はダングヴァルトの意見に目を見張った。大工を動員しても肝心のギミックは動力鎖(チェーン)を含めておいそれとコピー出来るものではないのだが、彼はキメイラの中身を知らないのだから仕方がない。それよりも、その時間を稼ぐためにルキウスの結婚式を使おうというアイデアに感心したのだ。そういうことがさらっと出てくるあたり、コルネリオが知恵者と評するだけのことはあった。

「面白い案だが、無理だな。車体そのものはともかく、機械仕掛けの方が間に合わない。ウチの職人達が四苦八苦して作っているのだ、余所の鍛冶師がおいそれと複製できるものではない」

彼は『ウチの職人』という言葉が引っかかったが、訳の分からない物を次々に作っている彼女には、懇意にしている職人がいても不思議はなかった。


「では、どうされますか?」

「今宵、夜討ちをかける」

突然の宣言にぽかんとしたダングヴァルトの前で、彼女は天を指さした。

「今日は三日月だ。10時前には月が沈む。敵はそれまでに打ち捨てた武具を回収に来るだろう。日のあるうちは投石機が怖いだろうし、月が沈めば足元すら覚束ず、思うように武器を集められない」

「……そろそろ日が沈みますが、しばらくは明るいでしょう。動くのは8時以降でしょうね」

「ああ。その後の2時間の間に彼らはすぐそこまでやってくるだろう。我らに暗闇を見通す<アテヌイの目>があることも知らずにな」

「なるほど、それを待ち受けてキメイラで襲うんですね」

「ああ、まずはな」

「まずは……? まさか、敵本隊も襲うんですか!? 無茶ですよ! それくらいならせめて、月が沈むのを待ってから直接本隊を奇襲しましょうよ。わざわざ雑兵を襲って本隊を警戒させる必要なんかありませんって!」

彼の言葉に彼女も同意し、深く頷いた。

「確かに寡兵で以って()く敵を混乱させるには、奇襲が一番だ。まして闇に姿を隠して敵を襲うというのに、わざわざこちらの存在を教えてやるのは愚の骨頂だな」

彼はイゾルテが思い留まってくれたのだと思って安堵した。だがその言葉は前置きでしかなかった。

「だが私は、敵を混乱させたい訳ではないのだ。恐怖させたいのだよ。闇の中に我々が居ることを教えてやるのだ。その上で少し仕掛け(◆◆◆)を見せてやれば、いかにイエニチェリと言えども……いや、徹底的に信仰を叩きこまれたイエニチェリであればこそ、恐怖に打ち震えることだろう」

彼はイゾルテの自信を訝しく思いながらも、この人ならばもしやと期待せずにはいられなかった。

「……それほどの仕掛けって、何なんです?」

「彼らは世界で初めて、空飛ぶ敵と対峙することになるだろう」

ニヤリと口を歪めたイゾルテの中には、ドルクが恐れる黄金の魔女の片鱗が見えた。

「そろそろ義兄上が到着するはずだ。お前には仕掛けの方を手伝ってもらうぞ」


 薄闇の中海峡を渡ってきたのは、皇太子になってルキウスから贈られた綺羅びやかな白銀の鎧……は目立つので飾ったままにして、着古した訓練用の皮鎧を着たコルネリオと、急遽かき集めてきた常備兵約1000名だった。

「殿下、お待たせしました」

晴れて二重の意味でイゾルテの義兄となったコルネリオだったが、テオドーラの事は「ドーラ」と呼ぶくせに、イゾルテに対する言葉遣いは未だに目上に対するものだった。

「ご足労おかけします。後始末は私がしますので、用が済んだら急いで姉上の元に戻って下さいね」

「ドーラは疲れているようでしたので、先に寝るように言って来ました。初夜の見届け人(注2)も、お腹に耳をあてて心音を聞いたら、黙って見逃してくれましたよ」

「えっ! もう聞こえてたんですか!? あー、もう、なんで教えてくれなかったんだろう? ずっと姉上と一緒にいたのにぃ!」

地団駄を踏むイゾルテの後ろで、図らずも身内の会話を、しかもロイヤルファミリーの生々しい会話を聞いてしまったアントニオとダングヴァルトは、困惑して互いに目を合わせた。なんとなく想像はついていたものの、コルネリオがとっくにテオドーラに手を付けていて、あまつさえ妊娠までさせていたことが判明し、かつてテオドーラに想いを寄せていた親友のことを思ってダングヴァルトは少しばかりムカついていた。アントニオはアントニオで、『初夜』だの『見届け人』だのという言葉を聞いて真っ赤になっていた。しかもその言葉を聞かされてもイゾルテが平然としているのを見て、なぜか二人の心中を複雑な思いが(よぎ)っていた。


「あっ、それに寝ちゃったら勿体無い。折角だから姉上にも見物して欲しかったのに」

「戦をですか? 火の手くらいは見えるでしょうが、皇宮からは遠すぎますし、ドーラが喜ぶとは思えませんよ?」

「いえいえ、仕掛けの方です。今夜は風がないので、火事の心配もないでしょう。ほんとに平和なモノですよ」

「仕掛け? 良く分かりませんが、ドーラ以外には教えなくていいんですか?」

「大丈夫です、もともと危険はないと触れ回る手はずになっていましたから」


イゾルテは自信を見せると、首を捻る彼等に作戦を説明した。

注1 ギリシャ神話では、アテナがベレロポーンに黄金の手綱を授けてペガサスを捕らえさせ、彼は鉛の塊を付けた槍をキマイラの口に放り込んで窒息死させたそうです。この世界にも似たような神話があるのでしょう。きっと。


注2 新婦が処女だってことと、新郎がEDじゃないってことを確認する人です。そして新婦が処女じゃなくなったことも確認します。その変化の過程を観察することによって。


ベレルポーン=ベレロポーンです。

ローゼンクランツとギルデンスターンみたいに、とばっちりで死刑執行依頼書を自分で運ばされた可哀想な人です。

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