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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第4章 婚姻
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お椀

 テオドーラ達の結婚式の前倒しは早々に諸外国に伝えられ各国にそれなりの迷惑をかけていたのだが、恐らく最も迷惑を蒙ったのはこの人だっただろう。

「なにぃ? 結婚式が前倒しになっただとぉ!?」

知らせを聞いて慌てたのはドルクの第一皇子ベルケルである。プレセンティナがわざわざドルクに伝える義理などないので、ドルクには北アフルーク経由の半公式ルートか陸上交易路を経由する非公式ルートで伝わるしかないのだが、"皇太子と皇女の結婚式がある"というニュースはそれなりにニュースバリューがあったものの、"1月早まった"というニュースは重要視されなかった。なぜならドルクからは誰も呼ばれていないからだ。そのため、もともとそういった政治情報に疎い彼のもとには、4月半ばまで伝わって来なかったのだ。

 だがこの情報は、彼にとっては死活問題だった。彼はその結婚式の当事者である皇太子を挑発して野戦に持ち込み、彼を討ち取ることを戦略目標としていたのだ。結婚式の時には外交使節も来ているだろうし、市民たちも皇太子に注目しているだろう。だから結婚式の最中に攻撃をしかけると「前みたいに皇太子殿下が撃退してくれるに違いない」という期待になり、それが彼を追い詰め、戦場に駆り出すことになるのだ。そう思って6月上旬に海峡に到着するように出兵を計画していたのに、いきなり1月早まってしまった。その原因が子供ができちゃったからだと知ったら、彼は怒り狂ったことだろう。だがそんな裏情報までは伝わらなかったので、彼はすぐに冷静さを取り戻して大急ぎで出兵の準備を始めた。それでも結婚式の行われる5月10日までに到着するためには、いろいろと回り道をしてイエニチェリ軍団を見せびらかすだけの時間的余裕はなくなってしまった。

「まあ良い。皇太子を討ち取って凱旋する時に、俺の雄姿を国中に見せつけてやろう」

彼はイエニチェリ軍団2万を含む総勢5万の兵を率い、帝都バブルンを旅立った。



 イゾルテのもとに焦点距離がマイナスの凹面鏡(但し研磨していない)が完成したという知らせがあった。幾何学者は結局、焦点をマイナス5cmに設定していた。あまり深くすると釣鐘形になってしまい「私のは垂れてないぞ!」と逆に怒られかねないと思ったからだ。出来上がった凹面鏡はなかなかに見事なお椀型で、理想的(?)な形だった。完成した凹面鏡を受け取った彼女は、家具職人に聞いた。

「で、これは私のどこに似ているのだ?」

家具職人は苦しそうに唸りながら、しぶしぶ答えた。

「……胸です」

「んん? 聞こえんなぁ」

「む・ね・で・す!」

イゾルテはない胸を張って満足気に頷いた。

「いやー、やっぱりそう思うか? でもまだこんなに大きくないぞ。まぁ、すぐにこれくらいまで成長するけどな! (たぶん)」

最後の一言は口の中で言っただけで、誰の耳にも届かなかった。上機嫌なイゾルテに対して、心にもないことを言わされた家具職人は若干やけになっていた。

「ついでに、中央に突起でも付けますか?」

隣で聞いていた幾何学者は凍りついた。彼女に対するのセクハラは命に関わるのだ。かつて彼女に飛びかかって頬ずりをしたという博物学者は、精神に異常を来した挙句に行く方知れずになった――と噂されていた。だがイゾルテは気にした素振りもなく、彼に新たな命令を下した。

「いや、突起はこっちで用意している。お前は中央に穴を開けてくれ」

意外な言葉に、家具職人は首を傾げた。

「穴、ですか?」

「ああ、これが通るくらいのな」

そう言って彼女が示したのは、遠くと話す箱{無線機}の棒状突起{ホイップアンテナ}だった。



 家具職人の手で凹面鏡に穴が開けられると、彼女はそれを持ってアドラーたちと共に馬車に乗りこんだ。アドラーたちも新型ガレー船の2番艦・3番艦の建造で忙しいのだが、道すがら彼らからその報告を聞くためと、重要な改善案について相談するためだった。

「建造は順調です。連絡通路の防水化は、逆三角形にして波の力を受け流すことで実現しました。でもかなり狭くなりましたから、台車に寝そべって移動することになりますよ」

「天気が良ければクロスデッキを歩けば良いんだ。多少の不便は我慢出来るだろう」

「あと、女風呂は無理です。そもそも軍船なんだから、女なんて姫しか乗りませんよ?」

「それはそうけど……せめて一人用の風呂のついた個室は用意できないのか?」

「それなら、今まで通りたらいでいいでしょ?」

「い・や・だ! あれは部屋が湿気るんだぞ。それに肩まで浸かれる風呂桶が欲しい。洗い場も欲しい。船外に繋がる排水路も用意しろぉー!」

「釜は?」

釜も欲しい――ところだが、船の中で火の元を増やすのは危険だ。船にとって火事は大敵である。その上女手が無いのだから、湯を沸かすのも男になるだろう。「で、殿下、湯加減はどうですか? ハァハァ」とか言われたらゆったりと風呂に入れないではないか。(釜をふうふうして息が切れてるだけかもしれないが)

「……仕方ない、お湯は台所で沸かしてもらおう」

「それなら、物置みたいなヤツを作れないでもないですが……」

「本当か!? なら作れ、必ず作れ、今すぐ作れ!」

「でも忙しいんですよ。それとも姫が乗る予定でもあるんですか?」

「いや、ないけど……。でもでも、いざという時に備えるのが軍艦だろう!?」

「そんなことに備える謂れはありません!」

「淑女になれと言ったじゃないか!」

「淑女は軍艦に乗りません!」

睨み合うイゾルテとアドラーに、黙って聞いていたムスタファが口を挟んだ。

「そもそも、殿下が乗るとしたらどの船なんですか?」

痛いところを突かれた彼女は舌鋒を鈍らせた。

「それは……暁の姉妹号だな」

『暁の姉妹』という名は、二つで一つ、いつも一緒と語り合って、テオドーラと一緒に付けた名前だった。(正確には名付けたのはルキウスだったが)名前を貰ってしまった以上、他の船への浮気はテオドーラに対する裏切りにもなる。イゾルテは暁の姉妹号以外に乗ることは許されないのだ。ということは、彼女は風呂にも入れないし、雨の日は毎日連絡通路でずぶ濡れになるということだ。彼女はがっくりとうなだれた。

「アドラーみたいな風呂嫌いが風呂に入れて、何で私だけ風呂に入れないんだ……」

「ワシは湯船が嫌いなだけで、サウナは大好きです」

「ここはスノミじゃないんだ、いい加減タイトン式の風呂にも慣れろ」

「サウナなら男女一緒に入れますよ」

「水兵たちと一緒にか? さすがに身の危険を感じるぞ」

彼女は眉を顰めたが、アドラーは笑い飛ばした。

「はっはっは、姫なら大丈夫です。ホント、そんな心配、全然、全く、欠片も要りませんって」

彼にとっては、彼女はいつまでも小さな子どもなのだ。

 だがアドラーの言葉を聞いて、イゾルテとムスタファは顔を真っ赤にしていた。ムスタファが赤いのは半裸で汗だくなイゾルテを想像しちゃったからであるが、彼女が赤いのは怒りのためだった。額に血管を浮かび上がらせながら彼女はアドラーを怒鳴りつけた。

「ならお前専用のサウナを作ることを許してやる! 思う存分サウナを堪能できるように、外から鍵をかけてやるぞ! お前はどの船で死にたい!?」

烈火の如き彼女の怒りに、アドラーは失言を取り繕った。

「い、いや、大丈夫というのは、ワシらが一緒に入るからってことですヨ? なあ、ムスタファ」

だがムスタファは、ますます顔を赤くした。

――毎日毎日イゾルテ殿下とサウナに……? 

きっと彼女の白い肌は、紅潮したら綺麗な桃色に染まることだろう。しっとりと濡れた金髪が肌に貼り付き、その肌には玉の汗が浮かぶ。荒い息に合わせてタオルが張り付いた胸……はあんまり動かないんだけど、その代わりに肩が揺れる。だがアドラーは他の人が先に上がるのを決して許さない。(そのせいでムスタファ達はいつも苦しめられている) だから熱い息を吐きながらも、彼女は悲鳴混じりに懇願するのだ。「あぁぁあぁ。ねぇ、出して! お願いだからもう出して! もう、我慢できない……!」むき出しの太ももから垂れるその雫は、はたして汗なのだろうか。それとも……


 真っ赤になって息を荒げるムスタファを不審に思い、彼女は声をかけた。

「ムスタファ?」

彼ははっと我に返ると慌てて答えた。

「も、もちろん、他の男には指一本触れさせません!」

「他の?」

「あ、アドラーさんの他には」

「アドラーも触れるな」

「別に必要がなきゃ触ったりしませんよ」

「じゃあ、お、俺が代わりに!」

「触れるな! というか誰も一緒に入るな! サウナだって混浴禁止だ、スノミと一緒にするな!」

彼女はひとしきり怒ると、本題からズレていることに気付いて話題を戻した。

「そもそも私は、船長室も艦隊司令官室も使わないで、ごくごく普通の個室で我慢してるんだぞ。少しくらい融通しろ」

船長室と艦隊司令官室は第一甲板の上に作られた(比較的に)広い部屋だ。だが窓の外が甲板なので外から覗き放題である。お風呂どころかおちおち着替えもできないので、イゾルテは我慢して普通の個室を使っているのだ。根負けしたアドラーは、しぶしぶイゾルテの要求を飲んだ。

「分かりました、前回姫が使われた部屋に風呂を追加しますよ。かなり狭くなるので覚悟してくださいよ」

「さすがアドラーだ! 相談してよかった!」

彼女は感激してアドラーに抱きついたが、押し切られた彼は憮然としていた。その横でムスタファは、羨ましそうに彼らを見ていた。


 しばらくすると小窓が開いて、御者が話しかけてきた。

「殿下、そろそろ指定された地点です」

「よし、障害物のないところで、窓から尖塔が見えるように止めてくれ」

馬車が止まると、彼女は鞄から小型の遠くと話す道具{トランシーバー}を取り出した。そしてアドラー達に特注凹面鏡を尖塔に向けて持たせると、その裏から遠くと話す道具{トランシーバー}の棒状突起{ホイップアンテナ}を突き入れた。

 彼女は、明らかに怪しい棒状突起{ホイップアンテナ}から得体のしれない何かが出ていると推察し、それが光や音のように凹面鏡で反射するのではないかと考えたのだ。棒状突起{ホイップアンテナ}は点ではなく線なのでいまいち焦点が合わないのだが、それでも本当に反射するのなら何も使わないよりは幾らか指向性が増し、通信距離が延びる可能性は高かった。

「アントニオ、聞こえるか? おーい」

『…………聞こえます』

「何だ? 妙に間があったな」

『すいません、大型望遠鏡を見せてもらってました』

アントニオは別行動で、『アテヌイの目』と呼ばれる大型望遠鏡の設置された尖塔に登らされていた。もちろん、小型の遠くと話す道具{トランシーバー}の片割れを携えてのことである。

「今居るのは2ミルム地点だが、まったく途切れないな」

「そうですね、綺麗に聞こえてます」

「2.2ミルム地点に移動したら、また連絡する」

『はい、お待ちしてます』

交信が終わると、イゾルテは小窓を開いて御者に命じた。

「2.2ミルム地点に行って、同じように止めてくれ」

「畏まりました」


 小窓を閉じると、彼女はムスタファが目を剥いていることに気付いた。

「ムスタファ、どうした?」

「な、ななな、なんなんですか、それは!?」

ムスタファが遠くと話す道具{トランシーバー}を指さしたので、彼女は今更になって機密情報を漏洩しちゃったことに気付いた。

「あ、あれ? ムスタファってこれ知らないんだっけ? こっちも?」

彼女が鞄から一回り大きい箱{無線機}を取り出すと、ムスタファはぶんぶんと首を振った。

「じゃあひょっとして……」

彼女が更に鞄を漁り出すのを見て、アドラーが止めた。

「姫様、どんどん漏洩してますよ」

ピタリと動きを止めた彼女は、顔から一切の表情を消してムスタファを見つめた。

「ムスタファ、たった今お前は重要な軍事機密を知ってしまった。機密を守るため、今後お前の行動は制限される」

「ええぇっ!?」

彼にしてみればひどいとばっちりである。

「勝手に国外に出ることも出来ないし、書簡も制限される。またお前から機密が漏れた場合、最悪死刑もありうる。軽くても奴隷に落とされるだろう」

「あのぅ……もともと奴隷なんですけど……?」

その言葉に彼女は、今度はアドラーを見つめた。

「まだ開放していなかったのか?」

「そう言われても、所有者は姫ですよ。ワシは預かってるだけです」

彼女は今度は頭を抱えた。

「ああ、すっかり忘れていた! 帰ったら手続きしておくから、明日からお前は一般市民だ。あ、でもさっき言った制限は付くからな」

思いもかけない成り行きに、ムスタファの方が戸惑った。

「良いんですか? 機密を漏らさないようにするためにも、奴隷のままの方が良いのでは?」

「馬鹿を言うな。私はお前を信頼しているからこそ、うっかり機密を漏らしちゃったんだぞ? 信頼を示すことの方が何より大切だ」

「…………!」

 ムスタファは彼女の言葉に胸を打たれた。彼は自分がこき使っていた舟漕ぎ奴隷達を彼女がどのように遇したのか聞いてた。それが美談として語られる度に肩身の狭い思いをし、自分自身が奴隷として彼女に買われた時には報復と懲罰を恐れて絶望すらした。だが彼女は彼を責めることもなく、過酷にも扱わなかった。(アドラーには何度もどつかれたが、他の弟子たちもどつかれていたので身分のせいだとは思わなかった) 彼女は彼を離宮にも招待してくれたし、今は同じ馬車に乗って重要機密まで教えてくれたのだ。

――元海賊で、今は殿下の奴隷で、さっきは卑猥な想像をしてしまったというのに、こんなに信頼してくれるなんて……!

感激のあまり流れだした彼の涙は、いつまでも止まらなかった。彼がエロい想像をしていたことを知っていたら彼女は決して開放しなかっただろうが、それはお互いに知らぬが仏である。こうしてムスタファは彼女に心服し、彼女は自分が漏洩した事については見事にごまかした。


 御者が再び馬車を止めて小窓を開けると、車内では大の男がわんわんと泣いていて一種異様な様相だった。彼は遠慮がちに声をかけた。

「あのぅ、殿下、2.2ミルム地点ですよ」

「ありがとう、ちょっと待っててくれ」

彼女はこれ以上機密が漏洩しないように、即座に小窓を閉めた。

「ムスタファ、仕事だ。手伝ってくれるか?」

「勿論です! 殿下のためなら何でもしますよ!」

彼は彼女の信頼に応えようと張り切っていた。

「そうか、でも今はこれを持ってるだけでいいから」

彼はがっかりしながらも、大人しく凹面鏡を持ち上げた。


 結局この日の実験では、3.8ミルム地点まで小型の遠くと話す道具{トランシーバー}で通話できた。今まで2ミルムくらいが限界だったのだから、およそ倍まで距離が伸びたことになる。(注1) 4.0ミルム地点で通話できなかった後、3.8ミルム地点に戻って実験の終了をアントニオに伝えると、イゾルテ達は離宮に向かった。

「実験は成功だ。やはり凹面鏡は有効だったな。もう一方にも付ければ、更に倍になるだろう。また今度実験しないとな」

彼女は満足気だったが、アドラーは疑問を口にした。

「大きい方の遠くと話す箱{無線機}では試さないんですか?」

「あれを試すためには最大で400ミルムくらい移動しなくてはいかんからな。誰か船に乗せて実験してきてもらおう」

「俺にやらせてください! 殿下のためならどこへでも行きますよ!」

彼女の言葉に(たいした仕事ができなくて)欲求不満なムスタファが張り切って立候補したが、彼女は素気(すげ)なく却下した。

「お前は船を作れよ」

「じゃ、じゃあ、試験航海の時に!」

「随分先じゃないのか? いつの予定だ?」

アドラーは懐から工程表を取り出した。

「4月下旬の予定です。今のところ遅延はありませんよ」

彼女は少し考えこむと、ムスタファに答えた。

「良かろう。それまでにこちらも準備しておく。頼んだぞ、ムスタファ」

「ありがとうございます! 頑張ります!」

大げさに喜ぶムスタファを見ていると、彼女もなんだか嬉しくなってきて満面の笑みを浮かべた。

――ムスタファなら空にも行ってくれそうだな! アントニオより随分と重そうだけど。

(注1)通信距離は利得の平方根に比例するので、アンテナの利得は3.6倍程度であると考えられます。(地平線を越えればまた別の理屈が必要になってきますけど)ですが、焦点がピッタリ合ってないのにそんなに指向性があるかどうか疑問ですし、波長を無視しているのもアレですが、あんまり突っ込まないでください。だって八木アンテナとか返って発明できないですし、贈っても「何だこれ? 物干し?」といって下着でも干されちゃいそうですから。

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