キメイラ(試作車)
少女小説『トリスちゃんとイゾルテウス』は、イゾルテの発禁処置にも関わらず5000部を売り上げるベストセラーになってしまった。なぜ出版を取りやめられなかったのかというと、(当たり前すぎるが)見本が届いている段階で既に印刷が終わっていたからだ。「出荷前にイゾルテの判断を仰ぐ」という手順にしていなかったので、彼女の発禁命令が届いた時には全量出荷されてしまっていた。印刷した紙が手元を離れてしまったら、どこかで製本され、どこかで販売され、どこかで読まれるのを止めるすべはなかったのだ。彼女の発禁命令は増刷を食い止める事しかできなかった。
一文字版画により本の価格が相場より異常に安かったという事情はあるにせよ、この時代に5000部というのは異常な数字である。100万人しか居ない国で5000部売れるということは、200人に1冊売れたということである。プレセンティナは都市人口率100%な上に交易国家なので他国に比べて識字率が異常に高いのだが、それでも成人男性の40%にも満たない。全人口で考えれば10%台だろうから、実質的には30人に1冊くらいだ。というか、少女小説なのだから購買層は少女のはずなのだが、文字に不自由しない少女はおそらく5000人も居ないのではなかろうか。一体どんな層の人間が買ったのかイゾルテには不思議だった。
確かに、必死に抵抗するイゾルテウスが様々な男たちに無理やり組み伏せられるシーンは読んでいて興奮した。さらに最後にトリスちゃんとイゾルテウスが手を取り絡ませ合うシーンでは、女同士でどうやればいいのか大変参考になった。
「なるほど、胸が大きいと腕相撲の時邪魔になるのか。私も注意しないとな!」
それは彼女には大変参考になった。そういうことにしておいた。その上で発禁処分にしたのだ。
そして今回、同じ作家の第二弾の原稿が届けられた。前回の反省を活かし、今回は印刷前に彼女の判断を仰いだのである。今回のタイトルは『黄昏姉妹』、舞台はウロパ大陸の西の端にある架空の王国コレエで、その国の二人の王女テオローラとイロルテの愛の物語である。コレエは地上に居る時の女神ペルセパネの別名だし、王女たちの名前は露骨すぎる。恐らくはタイトルも暁の姉妹号を捩ったのだろう。イゾルテは「発禁」と書いた糊の付いた紙{付箋紙}を手にとりながらも、中身をちょっと読んでみた。
テオローラの指先がイロルテに触れると、彼女の体がぴくりと震えた。
『ふふふ、無駄よ、イロルテ。あなたはもう私の手の中から逃げられないわ』
イロルテは喘ぎ声を漏らしながらも、テオローラから逃れようと激しく抵抗した。
『だ、ダメです、お姉さま、ヤメて! もう我慢できないの……!』
「まったく、今度は指相撲か……」
指相撲をしているだけなのに、なんか官能小説みたいである。(喘ぎ声は指を極められて痛いから上げているらしい) 彼女は糊の付いた紙{付箋紙}を貼ろうとしてはたと気づいた。
――なんで発禁なのかと聞かれたら、どう答えればいいんだ?
卑猥だからと答えれば、「指相撲のどこが卑猥なんですか? 卑猥だと思うあなたが卑猥なんじゃないですか?」と言われそうだ。
――これは罠だ! 発禁にしたら負けだ!
やむなく彼女は「検閲済み」と書いた付箋紙を貼り付けた。だがその代わりに但し書きを付けた。「但し100部に限る。重版禁止」
後にこの『黄昏姉妹』は稀覯本として返って有名になり、一文字版画屋に客を取られて困っていた普通の印刷屋が挙って海賊版を発行した。版元が複数になるので正確な数は分からないが、業界の噂では合計2万部は刷られ、タイトン各国に輸出されたらしい。だが著作権制度なんてないので、作家に入ったのは100冊の(プレミアが付く前の)価格の取り分だけである。イゾルテと作家の痛み分けであった。(というか共倒れ)
4月になってキメイラの試作一号機が完成すると、それに合わせて陸軍内に試験運用部隊が創設された。隊員はわずか20人で、その内10人は乗組員、5人は整備員だ。残りの5人は歩兵で、車外から連携したり屋上に乗り込んだりして様々な運用パターンを研究する予定だった。車長とは別に隊の指揮官としてクイントゥス将軍も引き抜いており、彼は部隊とは別に数人の幕僚を連れてきていた。彼らはキメイラに乗り込まず、小隊、中隊、大隊規模での戦術・運用の研究をしてもらうことになっていた。新しい兵種の研究を老人に任せるというのは不適切にも思えるが、イゾルテとしては若く野心的な将軍に任せて突出されるのが不安なのだ。クィントゥスから聞く所によると、陸軍内では野戦論・野戦主義と呼ばれる考えがますます勢力を拡大しているらしい。コルネリオ達の結婚式が近づいてきて、羨ましさがますます募っているのかもしれない。
郊外に仮設されたキメイラの運用試験のための兵舎に彼らを集めると、イゾルテは整列する彼らの前で演説をぶった。
「諸君には私の指揮下でキメイラの運用試験を行って貰う。このキメイラとその運用部隊は、プレセンティナは言うに及ばず、タイトンにもドルクにもアフルークにも類を見ない、全く新しい兵器であり兵種だ。一言で言えば装甲馬車とでも言うべき物だが、これには様々な仕掛けが施されている。それは野を駆け、矢を防ぎ、投石器を連射する仕掛けであり、敵を倒し、お前たちを守る仕掛けだ。すべての機能を十全に使いこなすことが出来れば、10倍の敵すら圧倒することが出来るだろう。それは昨年の防衛戦で見せた暁の姉妹号の働きにより証明されている。そう、これは新型ガレー船を陸に上げたものだと思ってくれていい。
これまで陸上における大型兵器といえば、攻城櫓や攻城槌、それに大型投石機といった機動力に乏しい物だった。だがキメイラは、戦車(二輪荷車)よりもはるかに大きく、攻城槌よりはるかに速く、さらには長距離行軍も視野に入れて設計されてもいる。それに主武装として火炎放射器と連射式の投石機を備え、前面には厚い装甲もある。歩兵でも弓兵でも、騎兵や戦車(二輪馬車)でさえも、正面からキメイラを倒すことは到底出来ない。
だが過信するな。戦車(二輪馬車)に比べて遥かに重いキメイラは、推進力はそれほど大きくないのだ。1人2人ならともかく、10人20人という敵が押し返せば足を止められてしまうだろう。そして衝力を失ったキメイラは、悠々と側面や後ろに回り込まれて、じわじわとやられてしまう。それを防ぐためには、5台の小隊で互いに助けあう必要があり、25台の中隊で弱点を補い合う必要があり、100台の大隊で敵を圧倒する必要がある。キメイラは集まれば集まるほど強くなる。10台で100倍、100台で10000倍だ。1台では箱に過ぎないが、100台並べば城壁になる。『動く城壁』こそがキメイラの本質であり、目指すべき姿である。
城壁はどこか一箇所でも穴が開けば用をなさない。それはプレセンティナ陸軍の一員なら知っているはずだ。穴が開かないように互いに支援し、万が一穴が開けば即座に塞ぐ必要がある。だから決して手柄を焦るな! 例え目前に敵将がいようとも、決して足並みを崩してはならん。その焦りが全軍を危険に晒すことになる。今はまだ1台しかないが、すぐに小隊、中隊、大隊へと規模を拡大するだろう。後に続く者達の鑑となるように、今からそれを肝に銘じておけ!」
職人たちからキメイラの構造の説明を受けると、早速彼らは馬を繋いで試験を始めた。行軍形態での牽引走行、戦闘形態での推進走行(馬を後ろに繋いで押す走行方法)、人力走行、推進+人力のハイブリット走行、推進走行+投石機の連射、さらには燃料樽に水を入れた火炎放射機{ポンプ式水鉄砲}に空気を送り込み、盛大に水しぶきを上げた。
一通り機能を試すと今度は整備員たちが中心となってメンテナンスを始めた。最前輪を車軸ごと外して分解、格納し、もう一度取り出して装着すると、今度は側面装甲を取り外して1つずつ車輪を取り外してから、また取り付け直した。クイントゥスは一度目の整備の時は何も言わなかったが、一通り終わると即座に二回目の整備を命じ、砂時計をひっくり返しながら大声で叱咤していた。
「動け動け動け! そこ、手を休めるな! 手の空いている者は車体の底から予備の車輪を取り外しておけ!」
常に素早い判断が求められる騎兵将校らしい、きびきびした指揮ぶりだった。
彼らが整備訓練に精を出すのは、イゾルテが予めクィントゥスに指示をしていたからだ。試験運用中には始終故障するだろうから試験を遅延させないためには即座に修理できないといけないし、戦場で数を揃えるためには生産するだけでなく稼働率を上げなくてはいけない。だから船が壊れた時には乗組員自身が修理するように、キメイラも乗員の手で応急修理出来る必要があるのだ。
日が沈むまで延々と働かされた隊員たちは、くたくたになって兵舎に戻って来た。兵舎にはエプロンを付けたイゾルテが料理を用意して彼らを待っていた。彼女が手ずから配膳すると、彼らは感激し、涙を流して喜んだ。ちなみに、彼女は用意しただけで別に調理をした訳ではないのだが、それは彼らの知らないことである。彼女の手料理でないのは双方にとって幸せなことでもあった。
「今日の訓練で気付いたことはあるか?」
イゾルテがそう言うと、彼らは互いに顔を見合わせた。
「遠慮するな。今のうちに問題を洗い出す事が、お前たちの第一の仕事だぞ」
隊員の1人がおずおずと手を上げた。
「そのうち慣れるのかもしれませんが……怖いです」
「ん? 何が怖いんだ?」
「車輪が車内から手の触れられる所でガラガラと回るんです。悪路ではフレームごと跳ね上がるので、見ていて怖いです。車体が揺れた時にうっかり触ってしまわないか不安です」
彼女も動作確認の時に乗り込んだのだが、その時は悪路ではなかったし速度も出さなかったので怖いという印象はなかった。だが今日の訓練では、外から見てるだけでも結構車輪が出たり引っ込んだりしていた気がする。目の前で車輪があれだけ上下移動していたら、確かに怖い気がする。それに車輪に触るのもあぶないが、フレームと車体の間に挟まれでもしたら大惨事になることは間違いなさそうだ。
イゾルテはいささか大げさにポンと手を打ち、大きく頷いた。
「なるほど。事故防止のためにも一枚板を入れたほうがいいな。気付かなかったよ、ありがとう」
自分の作った物や考えた物にケチをつけられるとついつい反感を感じてしまうのが人情だが、彼女は本気で感謝しているように見えた。それは改良してより良い物を作ろうという合理的精神の表れであり、また遠慮無く問題を提起できる雰囲気を作り上げようという意図を持った演技でもあった。すると彼女の期待通り、隊員たちは次々に意見を口にした。
「後ろに突き出した柱は、使わない時に引っ込められた方が良いですね」
「そうだな。牽引してる時は邪魔だもんな。次の試作機で改良できないか検討しておこう」
「馬を守るための盾も装着できた方が良いと思います」
「なるほど。馬の目隠しにもなって一石二鳥かも知れないな。早速準備させよう」
「予備の車輪が車体の底にあると底を擦って壊れそうですし、壊れていても気づきにくいです。後部扉の外側に付けてはどうでしょう?」
「確かに一理あるな。よし、金具を用意させよう」
「後進もできるようにはなりませんか? 正面を敵に向けながらゆっくり下がるんです」
「あっ、そうか! そういえば、今の構造じゃ前にしか進めないな。次の試作機では改良しておこう」
「暗いし、狭いし、風通しが悪いです。今はまだ涼しい時期ですが、夏にペダルを漕いだら汗だくになって蒸し暑いと思います」
「そうだな。次の試作機では側面と天井に窓を増やしておこう。だが狭いのはどうしようもないんだ。あまり大きくなると細い街道を通れなくなるからな」
イゾルテと隊員たちはその日、夜が更けるまで大いに話し合った。




