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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第4章 婚姻
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出会い

ハサール・カン国の王を大汗(たいかん)としてきましたが、可汗(かがん)に改めます。

 アムゾン海を迂回してペルセポリスを目指すドルクのエフメト皇子は、3月に入ると軍を率いてハサール・カン国との国境の山岳地帯に入り、それをおよそ1月かけて踏破した。彼らがようやく麓に降りると、そこには数万のハサール騎兵が待ち構えていた。


 ハサール・カン国とドルク帝国はこれまで、特段仲が良かった訳でも敵対してきた訳でもない。


両国の間には長大な山岳地帯が横たわっており、山岳地帯を苦手とするハサールはわざわざ山を越えてドルク攻めこむことはなかったし、ドルクも掴みどころのない遊牧民族を敵に回すのは面倒だと思って敬遠してきた。ドルク人ももともとはハサールと同じ根を持つ遊牧民族であったのだが、征服・拡大の途中で農耕民族の文化に完全に染まり、今では完全に定住して巨大な都市を作っている。一方でハサールは先住のスラム民族を支配下において貢納させているものの、都市や農村は完全にスラム人の自治に任せ、自分たちは今でも遊牧生活を続けているのだ。そのためハサール国内の都市という都市は城壁を持たない。都市に住むのは被支配民族のスラム人であり、ハサール人にとっては彼等を支配する上で邪魔だからだ。ハサール人が征服した段階で城壁は壊され、それ以降城壁を作ることは禁じられていた。

 ドルクにしてみれば簡単に都市を制圧できそうではあるのだが、制圧しても安全な拠点にならないということでもある。身軽なハサール騎兵は国内のいかなる場所にも全戦力を即座に集結できるし、彼らは都市を守る必要を全く感じていないので、その動きを予想することも困難だった。更に彼らは「馬の毛を生やして生まれてくる」と揶揄されるほどの馬と生活を共にしており、遊牧地の移動の際には馬の背に跨ったまま寝起きすることすらしてのける。だから当然のように夜間に集団で騎兵突撃もすることもできるのだ。暗闇の中に轟く蹄の音、突然現れる騎兵の姿、四方から降り注ぐ短弓の矢。篝火の周りに群がって身を寄せ合う歩兵など、彼らにとっては案山子(かかし)と変わらなかった。


 ドルク軍は総勢50万という大軍ではあったがその隊列は細い山道で伸びきっており、もしハサール軍に襲われれば苦戦は必至だ。そのプレッシャーを与えておくことで、今後の主導権を握ろうというのがハサール側の思惑であった。エフメトは本隊を停止させるとわずか20騎だけを率いてハサール騎兵の中央へと進んで行った。数万はいると思われる騎兵の中にたったの20騎だ。同盟を結んだとはいえ未だ信頼関係など全くないのだから、彼らはそれなりに緊張していた。

 だが圧倒されていたのはハサール騎兵の方だった。彼らの前に現れた20騎はただの騎兵ではなかった。その太い足は一歩ごとに地面を揺らし、その背の高さは見上げるばかりだ。それは彼らが見たことも、聞いたことも、想像したことすらない、灰色の肌を持つ巨大な生き物だった。刀は輿の上の人間に届かず、槍の端をもってようやく先端が届くかどうか。人ではなく騎獣の方を狙ったとしても、その大きさを考えると殺すどころか傷つけることすら簡単ではなさそうだった。彼らが近づくだけで馬たちが怯え、人馬一体のハサール騎兵でさえ馬を宥めるに苦労した。

 エフメトが近づくとハサール軍の中から、兜を目深にかぶり頬当てをした若者が騎乗のまま進み出た。彼は構えてこそいないものの、左手には短弓を携えていた。

「ドルクノ方ト……オ見受けスル。我ラワ、可汗(かがん)の命令、受ケて、迎えスル者。案内スル」

その片言のドルク語に、エフメトは足を止めさせると、自らそれに応じた。

「高い所から失礼する。私はドルク帝国の皇子エフメト・オルスマン。(しゅうと)どののご配慮に感謝いたす」

その流暢なハサール語にハサール騎兵達がどよめいた。昨年からエフメトは(何せヒマだったので)スラム系の交易商人からみっちりとハサール語を勉強していた。ドルクとハサールは根っこは同じ遊牧民なので、実は言葉も割りと習得しやすい。行軍中も輿の上でハサール語講座を続けていたのだが、被支配民であるスラム人を優遇しているところはあまりハサール人に見せたくないので、今は後方に下がらせていた。

「皇子本人のご挨拶とは恐れ入る」

「私は嫉妬深いのだよ、ニルファル・アイ・キリチュ。婚約者が他の男と口を利くのは気に入らんのだ」

エフメトの言葉に若武者は押し黙った。

「……なぜ私だと分かった?」

「女であることを隠したいなら、その美しい双眸(そうぼう)を隠し、声も上げぬことだ。頬当てで声がくぐもろうと、あなたの声は美しすぎる」

本当は昨年使いに行かせたハシムから聞いていた、"切れ長のキツネ目に左の泣きぼくろ"という特徴から、ニルファル王女(正確には王ではないが)ではないかと見当をつけただけだった。それに彼女が男に混じって狩りや戦に出かけているという話は家庭教師のスラム商人から聞いてもいた。声の調子でなんとなく女だとは分かったので、それならニルファル姫である可能性は高いと思ったのだ。歯の浮くセリフは単なる彼なりのリップサービスである。

 若武者が頬当てを外し兜を脱ぐと、無造作に押し込められていた長い黒髪が露わになり、風にたなびいた。苦笑しているのか皮肉げに歪んだ唇は赤く、それなりに化粧はしているらしかった。だがドルクの宮殿で見られるような過剰な化粧ではなく、本当に最低限のナチュラルメイクで彼女の野性的な魅力を引き出していた。彼女は多少キツ目な印象があり、18という実年齢よりも少し大人びて見えた。

 エフメトは縄梯子を下ろすと同乗していた護衛達を全て下ろした。

「もしよろしければ、一緒にこれに乗って案内して下されぬか? あなたとはいろいろ話をしたい」

「……これは、何なのです?」

「これは南方に生息する象という生き物だ」

「象?」

「草を()む生き物だから、けしかけぬ限りは大人しいものだ」

珍しい生き物を見て怖がるだけの女なら、男のなりをしてこんなところまで出かけて来たりしない。ニルファル姫は馬を降りるとおっかなびっくりしながら縄梯子に足をかけた。エフメトは輿の天蓋の三方から垂れ下がっていた垂れ幕の1つをめくり上げると、彼女に片手を差し出した。彼女はその手を見て、一瞬躊躇した。

「姫、私はすでにあなたの婚約者なのだぞ?」

姫は目を丸く見開いてエフメトを見つめると、また唇を歪めて苦笑した。ハサールでは、馬上から手を差し伸べることは男女の間では特別な意味があるのだ。流暢なハサール語をあやつりハサールの風俗にも通じたこの皇子に、彼女は興味を抱かずにはいられなかった。だが彼女がその手を取ると、エフメトは彼女を強引に引っ張り上げて胸の中に掻き抱いた。顔を真赤にして慌てて離れようとする彼女を抱いたまま、エフメトは幕を下ろした。しかも今度は四方全部の幕を下ろしたのだ。

「な、何をする気です! 婚姻前に私を辱める気ですか!」

ハサールでは血縁にない男女が天幕で二人きりになる場合、入り口を閉めてはいけないことになっている。それをすれば、実際にどうだろうと二人は男女の関係であると看做(みな)されても仕方がない。

「まさか! そうしたいのはやまやまだが、あなたや姑殿の機嫌を損ねる気はない。だが私は嫉妬深いと言ったはずだ。あなたに心を寄せる男たちに、あなたが私のものだと見せつけてやったまでだ」


 彼女はハサールの若者達には絶大な人気があった。ハサール人社会では女も馬には乗るのだが、剣や弓を取って戦うものはさすがに少ない。可汗の娘でありながら兵士に混じって馬を走らせる彼女は、その美しい容貌も相まって彼らのアイドル的存在であった。

兵士たちと親しく交わる姫、という点ではイゾルテに近いかもしれないが、兵士としての技量という点ではイゾルテは彼女に遠く及ばなかい。ニルファルは膂力こそ劣るものの、乗馬も剣も単弓も、並の兵士より遥かに練達していたが、イゾルテは身が軽いだけでとことん非力だった。

 ニルファルに好意を抱く者の中には、他国の皇子が彼女を妻にすると聞いて心穏やかでない者も多く、この場で戦が始まることすら望む者も多かった。そうすれば合法的に婚約者を殺せるばかりでなく、ドルクの皇子を討ち取った褒美として宙に浮いてしまった彼女を妻に出来るかもしれなかったのだ。だが今彼らの目の前で彼女は皇子の手を取り、天幕(ではないけど)で二人きりになって入り(でもないけど)まで閉じてしまった。彼女が皇子を受け入れ、彼女に皇子の手がついたと宣言されたことになる。彼らは唇を噛み締めながらも、もはや彼女のことは諦めざるを得なかった。


「しかし、このようなことをされては私の純血が疑われてしまう!」

「そのようなこと、私が疑わなければ何の問題もあるまい」

「そんな訳あるか! 私の不名誉はハサールの不名誉だ!」

「あなたはその身一つで50万の味方を手に入れたのだ。それが不名誉だと言うのか?」

「何だその言い草は! 私は人身御供ではない!」

激昂する彼女に、エフメトは強く言った。

「いいや、人身御供になってもらう。さっきまでは結婚など二の次だったが、私に会いに来たのが運の尽きだ。もう同盟など二の次、もしあなたが私の物だと認めないないのなら、兵を()って奪うまでだ」

「……敵に回るというのか?」

彼女は声に怒りを滲ませたが、エフメトには素気なくはぐらかされた。

「いいや、諦めて私の物になれと言っているだけだ」

エフメトに脅され(すか)される内に、彼女は自分が何に怒っているのか分からなくなってきた。もともと政略結婚の相手なのだから彼女に自由などない。だがハサールの女として、彼女にも守るべき最低限の節度と名誉があった。

「だ、だが、華燭の典を挙げるまでは、体を許すわけには……」

「構わん。私の物だと認めさえすれば、今はそれ以上求めはしない」

そう言われてしまえば、彼女には拒む理由もなくなってしまう。だがあまりにも性急な彼に対して、彼女は戸惑っていた。

「し、しかし……」

「私は、お前に惚れたと言っているのだ! 私はもうお前のものだ! お前も私のものになれ!」


 ニルファルは強引に迫る男には慣れていたし、思い余って押し倒そうとする男をごくごく穏当に半殺しにしたこともあった。(公にすれば極刑になるところを半殺しで済ますのだから随分と穏当であろう)だが、こうもあけすけに好意を寄せられたことは初めてだった。それでいて手篭めにしようという訳でもない。しかも相手は自分と結婚することが決っている男である。黙っていてもすぐに結婚することになるのに、その前にわざわざ愛の言葉を求めて来たのだから可愛いではないか。

 象のこと、流暢にハサール語を話すこと、そして顔を隠した自分を見破ったこと、彼女はエフメトに驚かされてばかりで、そしてどれも不快ではなかった。彼女は抱きすくめられながらももはや抵抗はせず、俯いて恥ずかしげにその言葉を口にした。

「わ、分かった。その、なんだ。わ、わたしは、お前の、ものだ」



 その後ドルク軍はハサールの騎兵に先導される形で行軍を再開すると、夕方には天幕を張って野営の準備を始めた。体までは求めぬと誓った手前、エフメトとニルファルは別の天幕である。エフメトと二人きりになると、ハシムは苦言を呈した。

「エフメト様、すごくみっともなかったですよ!」

護衛と一緒に象を降ろされた彼は、二人の恥ずかしいやりとりを細大漏らさず聞かされていたのだ。二人の会話はハサール語でなされたので、ハサール側の護衛も目を白黒させていた。恐らく今頃は、可汗の元に仔細を知らせる伝令が走っていることだろう。

「仕方ないだろう、お前と違って女の口説き方なんか2通りしか知らんのだ」

「金と権力ですか?」

「……3通りしか知らんのだ」

「あれでもハサールの姫ですからね、金も権力も通じないのは分かります。でも、あれじゃあ本気で惚れたみたいじゃないですか」

「…………」

「あの、まさか、本気なんですか……?」

ハシムが恐る恐る聞くと、エフメトは握りこぶしを振り上げた。

「これで同盟はより強固なものになったぞ!」

「いやいや、勘弁して下さい! 強くなったのは一方だけですよ!? こっちが裏切れなくなっただけで、ハサール側が裏切らないとは限らないでしょう?」

「大丈夫だ。ファルとの仲が睦まじければ、姑殿も俺を信用するだろう」

ハシムは溜息を付いた。呼び捨てどころか、すでに渾名で呼んでいるとは。

「どこまで本気なんです?」

「良いではないか! もともと信用させるために本気のふりをするつもりだったんだ、本気になっても同じことだろう? どのみちペルセポリスを落としてドルクへの道を確保するまで、こちらからハサールを裏切ることはありえない。あるとすれば義兄弟たちの跡目争いが起こった場合だが、それだって誰かの味方にはなるだろう」

エフメトの言い分も一理あった。演技してボロを出すよりは本気の方が幾らかマシかもしれない。だがハサールは跡目争い以外にも火種を抱えていた。

「ハサールは宗教には寛容な国ですが、可汗のブラヌがウーダラ教に改宗したことで揉めてるそうですよ」

「そういえば、ファルも改宗させられたとかって、文句を言ってたな」

思い出すように言ったエフメトの言葉に、ハシムが深刻な顔をした。

「娘までが不満を公にしてるんですか? これは相当根深いですよ!」

「いや、経典を覚えるのが面倒だとか言ってただけだ。あとウーダラ教だと婚礼衣装が地味だから、せめてムスリカ風の結婚式を挙げたいらしい」

「……随分といい加減ですね」

エフメトはがっくりするハシムを宥めてやった。

「お前が言うとおり、ハサールは宗教には寛容なんだろ? そうじゃなきゃ、異教徒の俺に娘を嫁がせないだろう」

「そういえば、どうするんですか? ドルクに来てもウーダラ教徒のままでは外聞が悪いですよ」

「ん? ファルはまた改宗するつもりらしいぞ」

「……無茶苦茶いい加減ですね!」

ハシムは心配した自分がバカバカしくなった。

「だから宗教で揉めてると言っても、血を見るようなことは全然なさそうだぞ」

「まぁ、それならいいんですけどね」


 ふいにエフメトは目を瞑り手をあてて耳をそばだたせると、人差し指を立ててくるりと回した。ハシムは無言で頷くと静かに天幕を出て行き、すぐに戻って来た。

「大丈夫です、もういません」

「正直気に入らんが、まぁ、仕方ないだろう。あちらとしてもこちらの思惑が気になるのは当然だからな。俺もファルが今何を話しているのか気になってしょうがない。ちょっと聞きに行って来ようかな」

「ははは、もういいですよ、それは」

「ん? 何がいいんだ?」

「いや、だから惚れてる振りはもういいですって」

「俺は別にふりなんかしてないぞ」

「……本気ですか?」

「本気だ」

「じゃあ、魔女はもういいんですか?」

「それはそれ、これはこれだ」

ハシムはまた溜息を付いた。

――普通の女は苦手なくせに、変な女にはすぐに惚れちゃうんだから……。



 エフメトが男勝りなニルファルを象の上で口説いていた頃、もう一人の変な女も大勢の男たちを侍らせてペルセポリスの郊外にピクニックにやって来ていた。試作した巨大紙袋{天灯}の実験に来たのだが、今回は人手が必要なので軍から騎兵小隊と測量技師を借り出して来たのだ。ペルセポリスから20ミルムほど離れた小さな丘に登ると、彼女は人目がないことを確認して隊列を止めた。

「よし、実験を開始するぞ。アントニオ、風速を測ってくれ」

イゾルテに命じられたアントニオは、吹き流しを棒に結びつけると空に掲げた。

「西北西の風3mです」

彼女は天秤の片方に油を吸わせた一塊(ひとかたまり)綿(わた)を乗せると重さを測り、それを「1」と書かれた巨大紙袋{天灯}に取り付けて火を付けた。綿はメラメラと燃え上がり、やがて紙袋いっぱいに熱気が充満すると空に舞い上がった。

「おおぉ~」

脳天気な歓声を上げたイゾルテの後ろで、理由も聞かされずに連れて来られていた軍人たちは、舞い上がった紙袋を大口を開けてぽかんと見上げていた。彼女は振り向くと騎兵たちに命令を出した。

「あれが落ちる場所を確認してきてくれ」

「は、はい!」

我に返った騎兵たちが一斉に飛び出そうとしたのを、彼女は慌てて止めた。

「待て待て! 一人でいい、一人で! すぐに次の飛ばすから!」


 それから1時間の間にイゾルテは油の量を変えながら20個の巨大紙袋{天灯}を飛ばした。騎兵たちがそれを追って駆けて行き、測量技師たちは落下地点を計測して地図に書き込んでいた。本当は風向・風力だけでなく気温や大気圧も考慮する必要があるのだが、彼女の考えはさすがにそこまでは及んでいなかった。彼女がそれに気づくのはずっと後のことである。

 地図を見ると、着地地点は北東から南東方向に随分とばらけていた。

「うーん、やっぱりばらつくなぁ」

「仕方ないですよ。運任せ、風まかせですから」

「まあいい、本命は次だ」


 イゾルテはもう二回り大きい巨大紙袋{天灯}を取り出すと、あらかじめ用意してきた皮袋を(くくり)りつけた。

「さあ、また飛ばすぞ」

こちらも二回り大きい綿の塊に油を吸わせて火をつけると、勢い良く燃え上がった。見る見るうちに紙袋が膨らんで直径1mあまり高さ3mあまりの円筒状になると、それは浮かび上がろうとしだした。

「アントニオ、皮袋に水を入れろ。少しずつだぞ」

「はい」

彼がゆっくりゆっくりと皮袋に水を注ぎ込むと、次第に巨大紙袋{天灯}の浮き上がろうとする力が弱くなっていき、やがて釣り合った。

「待て、そこまでだ」

イゾルテがゆっくり手を離すと、浮き上がりも落下もせず宙にふわふわと漂った。

「よし、アントニオ、皮袋に入っている水の量を測ってくれ」

彼は皮袋の中の水を目盛りのついたガラス瓶に移し替えた。

「だいたい220mlです」

「そんなものか……」

思ったほどの量ではなくて彼女の声は少し沈んでいた。220gで吊り合ってしまうということは、重りはせいぜい150gくらいまでにしないとまともに浮き上がらないだろう。

「しかたないな、150mlだけ皮袋に戻してくれ」

彼が皮袋に再び水を注ぎ込むと、彼女はそっと手を離した。巨大紙袋{天灯}はゆっくりゆっくりと浮き上がり、風に流されていった。それを見ながら彼女は計算をめぐらした。積載量150gでは大したことは出来ないだろうが、大きさを7倍にすれば体積は7×7×7で……343倍、積載量は50kgを超えるではないか!

「7倍にすれば私も飛べそうだな!」

彼女がそう言った時、先ほど飛ばした巨大紙袋{天灯}が火の玉になってすごい勢いで地面に激突した。冷や汗をかく彼女の顔を、アントニオがもの問いいたげな表情で見つめていた。彼女は彼を安心させるために言い直した。

「7倍にすればアントニオも飛べそうだな!」

「飛びませんよ!」

即座に噛み付いてきた彼を諭すように、彼女は穏やかに話しかけた。

「アントニオ、お前はイカルスの伝説を知らないのか?」

「知ってますよ。蝋で固めた羽が融けて墜落死した人ですよね」

彼の言い方は身も蓋もなかったが、一つ重要なことが忘れられていた。

「……それでも伝説になったぞ?」

「そんな伝説要りません!」

情理を尽くした(?)言葉に耳を貸そうとしない頑なな態度に、彼女は呆れて肩をすくめた。

「はぁ、仕方ない、人間を飛ばすことは諦めるか。まったく、アントニオは我侭だなぁ」

彼は今度はもの言いたげにイゾルテを見つめたが、彼女はそれを無視して考え込んだ。

――もう二回り大きいのを作ってせめて1kgくらい持ち上げれるようにするか? いや、初回は数を増やしたほうがハッタリとしては有効か?

彼女はアントニオに向かって笑いかけた。

「まずは結婚式で使ってみよう。夜に何千個も浮かべれば、きっと壮観だぞ!」

イカルス=イカロスです。

蝋で固めた鳥の羽で空を飛べる脅威の細マッチョです。毎年夏休みに、琵琶湖畔で目撃情報が報告されます。

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