キメイラ(模型)
第3章で名前だけ出てきた人力戦車キメイラがついに登場します。ただし模型ですが。
イゾルテは家具職人チームを招集して新型戦闘車両の構想を打ち明けた。すると構想を聞いた職人の一人が深く頷いた。
「なるほど。つまり、でかい戦車を作るんですね」
「うん、全然違うけど、ニュアンスだけは合ってるぞ」
咬み合わない二人に呆れながら、別の職人が手を挙げた。
「どちらかというと、馬車職人の出番じゃないんですか?」
「言葉で説明する自信がないんだ。だからまずは模型を作りたい。協力してくれ」
翌日イゾルテはクィントゥス将軍を離宮に呼びつけた。騎兵でありながら野戦論に批判的な初老の将軍だ。委員会では毎回顔を合わせているのだが、一対一で話すのは初めてだった。応接室に彼女が入ると、彼は騎兵将校らしく即座に切り出した。
「殿下、御用向きは新神殿のことでしょうか?」
「いや、将軍を呼んだのは別件だ。まずあなたに聞きたいのだが、以前あなたは野戦論に反対していたな? 騎兵科の将軍としては珍しいと思ったのだが、何故だ?」
「危険だからです」
「…………え、それだけ?」
「それ以上の理由は不要と考えます」
騎兵科の将校らしく、要点しか語らないようだ。
「いや、そうなんだけど、なんで危険だと思うのかを教えてはくれないか?」
彼女がそう言うと、彼はしぶしぶながらも語りだした。
「……戦いとは有利に行うものです。訓練、武装、地形、陣形、少しでも有利な条件で兵士たちを戦わせるために我々士官がおると考えております。然るに、ドルク軍の最大の利点は数であり、我々の最大の利点は城壁です。こちらから攻めるのなら仕方ありませんが、相手がこちらの土俵で戦ってくれるというのに、こちらがわざわざ相手の土俵で戦ってやるいわれはありません」
「ふむ。では、騎兵は何のためにいる?」
「我々は……便利屋です」
「ほう」
「前回殿下が指示されたように、我々に出来るのは残兵や盗賊の掃討が関の山です」
イゾルテは卑下する彼に、今度は意地悪な質問をしてみた。
「追撃は?」
「……およそ30年前、先々代の陛下の御代のことです。海峡を渡って撤退するドルク軍のうち、最後に残った歩兵を襲い……負けました。完膚なきまでに」
「…………」
「当時騎兵は1500程もおりましたが、籠城の間に500頭あまりの馬を間引いてしまいました。幸いワシの率いていた小隊は残されましたが、同じ騎兵として愛馬を処分する悔しさは分かりました。それでも残りは1000騎、今の倍です。相手は2000程でしたから、騎兵で打ち破れない数ではありません。我らは鬱憤を晴らすかのように勢い込んで突撃しました。
ですが彼らは巧妙に我らの足を止めました。打ち捨てられていたように見えた木材は、その陰に掘られた浅い濠と合わせて馬の足を阻み、さらに彼らはその陰から槍を突き出し弓を射かけてきました。混乱する我らは思うように馬を動かせず、なんとか撤退しようと馬の向きを変えた時には、退路にある木材が炎を上げておりました。さらに弓兵を乗せた筏が戻って来て、海の上から無数の矢が降り注ぎました。
ワシは怯える馬の尻を切りつけて無理やり炎を越えさせ、なんとか死地を脱しましたが、気付けば部下の大半を失っておりました。全体でも、人馬ともに生き残ったのは200騎ほどに過ぎませんでした」
彼はしみじみと語ったが、彼女はまだ反論を試みた。
「しかし、羹に懲りて膾を吹くとも言うぞ」
「喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言います。ですが、ワシは未だにあの炎の熱さを忘れられんのです。それに、膾を吹いても火傷はしません」
「…………」
彼女が不満げに黙り込むのを見ると、彼は頭を下げた。
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
だが再び頭を上げた彼が見たのは、満足気に微笑むイゾルテだった。
「期待通りだ、将軍。30年前の記録も読んだよ」
「……試したのですか。殿下は野戦論に否定的でしたから、おかしいとは思いましたが」
「野戦論自体を否定するつもりはない。ただ、城壁に勝るとは思えないだけだ」
彼は話が見えず、内心で首を傾げた。
「私を呼んだのは、ただ30年前の話を聞くためだったのですか?」
「いや、将軍を見込んで頼みたいことがあるんだ」
「私にできることなら」
「将軍でないと安心して頼めないんだ、頼みたいのは野戦論の研究だからな」
訝しむ彼を見て、イゾルテは楽しそうに笑い声を上げた。
更に翌日、イゾルテは馬車職人・鍛冶職人を中心に、新型ガレー船の機械仕掛けの製作に関わった職人たちを一同に集めた。
「これが今構想を練っている戦闘車両の模型だ」
そう言って彼女が披露した模型は、1/10スケールにも関わらず異様な禍々しさを醸し出していた。一見カクカクとした直線的な立体で、海に浮かぶ船を喫水線に添って切り取り、全てを直線に直したような形である。前面は船の舳先のように斜めに切り立っていて、波に乗り上げるように敵兵を押しつぶそうという意図が現れていた。そしてその表面には黒光りする鉄板(に見立てた黒い板)が貼り付けられていた。だが馬車職人には別のことが気になった。
「あのぅ、前に付いてる車輪はなんなんですか? |地面についていませんよ?」
箱からは、側面から後ろに飛び出している2本と、舳先の下に突き出している1本の合計3本の柱が飛び出していた。そのうち舳先の下の柱からは左右に車軸が伸びていて、端には小ぶりな車輪が付いていたのだ。
「それは、こうするのだ」
彼女は後部の扉を観音開きにすると内部に手を突っ込み、ガチャリとレバーを操作した。すると飛び出していた柱が下を向いて車輪が接地し、代わりに箱の先頭が少し浮いた。
「これが行軍時の形態だ。この最前輪は軸を左右に振ることができるので、スムーズな旋回が可能だ。この柱に馬を繋いで牽引することが出来る」
「最前輪?」
聞きなれない言葉に馬車職人が聞き直した。彼女は側面に貼り付けられていた黒い板を取り外し、2つの車輪を露わにした。
「箱の中には4つの車輪が隠されている。行軍形態では中輪は宙に浮き、最前輪と最後輪の4輪で走行する」
彼女が箱の中に手を突っ込んでレバーを操作すると、再び柱が上がって最前輪が宙に浮き、代わりに中輪が接地した。
「戦闘形態では中輪が前輪となるが、中輪と最後輪の軸は左右には固定されている。旋回は左右個別にブレーキをかけることで無理やり行う」
ブレーキで旋回するというのは、旧型ガレー船からの発想である。左右を独立した動力と見なしてその比率を調整することで強引に旋回しようというのだ。
「つまり……6輪ってことですか?」
「ああ、アントニオの発案だ。私が見込んだだけはあるな」
彼女は自慢気に頷いたが、本当はそういう点を見込んだことなど一度もなかった。
「行軍時には華奢だが効率のいい最前輪を使い、戦闘時には頑丈なだけが取り柄の中輪を使うというわけだ」
「戦闘時に最前輪が邪魔になりませんか?」
「ああ、邪魔だ。戦闘に入るまでに時間があれば、事前に取り外しておく。間に合わなければ壊すつもりで戦うまでだ。戦闘形態の間は最前輪など壊れても問題はないからな」
「やたらと車高が低いですが、車軸は邪魔になりませんか?」
「よく聞いてくれた。中輪と最後輪に車軸はないのだ」
彼女はよっこらしょと模型の向きを変えて、後部から中を覗けるようにした。確かに中には車軸はなく、それぞれの車輪は二輪荷車のように2本のフレームに挟まれていた。
「それにこの4つの車輪には個別にバネが付いている。今はバネを押さえつけて車高を低くしているが、不整地では開放して車高を高くする」
彼女が車輪を挟むフレームを順番に弄ると、次々に車輪が下に飛び出して箱が浮き上がった。彼女が箱を上から二三回押さえつけると、バネが効いてクッションのように弾んだ。
「こうすることで、多少の荒れ地ではガタガタ揺れることはないし、丸太くらいなら乗り越えられる」
オリジナルの二輪荷車{自転車}を見たことのある職人たちには、それが後輪のバネ{サスペンション}の仕組みだと分かった。馬車で不整地を走るなど自殺(というか自壊)行為だが、4輪全てが独立してバネが付いているとなれば話は大きく変わってくる。振動と衝撃の大半は車台にすら伝わらないだろうから、シンプルな普通の馬車よりも耐久性はかなり高そうであった。
「車体自体は丈夫そうですが、そうなれば馬を攻撃されませんか? 馬を止められればただの箱ですよ」
「戦闘中は馬に牽かせたりしない。馬は後ろにつなげるんだ」
彼女は側面から後ろに飛び出していた2本の柱に棒をつなぐと、その棒と箱の間に馬の模型を置いた。馬は車両と2本の柱と棒に囲まれ、棒を引っ張ることで車両を押すことになる。
「それに動力は馬だけではない。新型ガレー船と同じことをこの中でも行うんだ」
「まさか、人力ですか?」
「ああ。でも漕ぎ手はせいぜい6~8人だから、推進力には極力馬を使うつもりだ。人力はなるだけ戦闘に使う」
「戦闘に、ということは、投石機も積むのですか?」
「ああ、屋上に載せるつもりだ。それに火炎放射器{ポンプ式水鉄砲}も載せる」
イゾルテは投石機の模型を箱の上に2つ乗せると、箱に手を突っ込んで、舳先の左右に伸びるスリット状の穴から細い棒を2本突き出した。それは火炎放射器{ポンプ式水鉄砲}の吹き出し口のつもりだった。
「概要はこんなところだ。何か質問や意見はあるか?」
「随分重そうですけど、馬で動きますか……?」
「前面以外の鉄板は主に延焼防止のための物だ。側面はペラペラでいいし、屋根と底は銅板でも石膏でも焼き物でもいい。それでも並みの馬車の5倍くらいにはなるかもしれんが、バネとコルク製の柔軟車輪で負荷は減るはずだ。3頭か4頭立てでなんとかなると思う。上り坂では人間にも頑張ってもらおう」
「屋上の投石機の射手だけ危険じゃないですか? 他が守られている分、返ってそこだけ狙われそうです」
「ふーむ、確かにそうだな。腰から下を車内に隠して、上半身は半球状の盾を付けて守ろう」
「投石機は火炎壺を投げるんですよね? 進路上が燃えていたらどうするんですか?」
「人力のみの場合はそのまま乗り越えることが出来るんだが、馬がいる場合は避けるしかないだろうな」
イゾルテはふとクィントゥスの話を思い出した。
――そういえば、罠から脱出する際に炎を飛び越えたと言っていたな。
「……いや、前方が目隠しされるから、意外と気付かずに走り抜けてくれるかもしれないか。一度試して、出来そうなら馬も訓練してみよう」
「それで、これを何台作るんですか?」
「まずは1台、改良して5台、さらに改良して25台、そしてようやく量産だ。これは船と違って必ず集団で使うものだから、単独で使ってもたいして役に立たない。単独の能力と集団としての運用方法を段階的にテストしていく必要がある」
もちろん軍船も艦隊を組んで行動することも多いのだが、それでも船は1隻で行動することを前提にして設計するものだ。実際に単独で行動することも多いし、艦隊で行動していても水の上では船同士で協力出来る事は限られるからだ。
しかし彼女は、この戦闘車両については単独行動させることは全く考えていなかった。新型ガレー船と違って馬という弱点を隠しきれていないし、1台では攻撃力も限定されているから、敵に囲まれればどうにもならない。これは10台、100台と並べて相互に援護させることで初めて安定した戦力となりうるのだ。そのためには部隊としての高度な指揮・運用能力が欠かせないが、そういう面では、士官の層が厚いプレセンティナ陸軍に向いた装備であると言えるかもしれない。
だがプレセンティナ陸軍は、野戦の経験と訓練が決定的に足りていない。それでいて妙な自信だけがついてしまい、野戦論などという思想が持て囃されている。そこにこんな戦闘車両を与えようと言うのだから、彼女としても不安にならざるを得なかった。だがこれはチャンスでもあるのだ。テストと部隊編成にかこつけて鉄の規律を叩き込み、野戦能力と遠征能力を持ちながらも堅実な戦いをモットーとする新しい軍団を組織することができるのだ。そのために選んだ指揮官がクィントゥス将軍であり、そのための運用方法を彼に研究をさせるのである。
ペルセパネ海峡の防衛線とメダストラ海の覇権を確立した今、彼女の望みは極大化していた。次に目指すのは、歴代皇帝が渇望しつつも決して叶わないと諦めてきた2つの夢である。その困難さは想像に難くなく、彼女もそれに手を付けることをためらっていた。だが東に向かうにしても、西に向かうにしても、彼女には足が必要となる。そしてこの新たな軍団こそが、彼女の足になり得るものだった。
「ところで、名前は決っているんですか」
「ああ、キメイラと名付けようと思う」
「キメイラ……」
それはライオンの頭と山羊の胴体と毒蛇の尻尾を持ち、炎の息吹を吐くという神話の怪物の名前であった。
3章の『マッチポンプ』で適当に名前を出してしまった人力戦車キメイラですが、やはり人力だけではエネルギー収支(?)があまりにも厳しく、装甲がぺらっぺらの幌付き馬車になりそうだったので、最近の流行りに乗ってハイブリットにしました。アリバイ作りのために一応人力だけでも動くという設定になっていますが、人力だけで動かすのは無茶苦茶大変そうです。縦列駐車する時には便利だと思いますけど。




