大皿
今回、ちと短いです
ある日イゾルテが書斎で新神殿建立に関する支出明細をチェックしていると、窓の外から言い争う声が聞こえてきた。
「な、なんだこれ? 私が渡したのは、直径20cmの中型凹面鏡の設計図だぞ? これ、どうみても2mあるじゃないか!」
「ええっ!? だってほらここに200cmって書いてあるじゃないですかっ!」
「そんな馬鹿なっ! 見せてみろ!」
「ほら、ここ!」
「20cmって書いてあるじゃないか!」
「なっ!? どうみても200cmでしょ!」
「これは単にペンを置いて出来たインク染みだ! "0"じゃなくて"."だろ!」
「知るか! あんたの字が汚いから紛らわしいんだよ!」
イライラしたイゾルテは、窓を開け放つと大きな声で怒鳴った。
「うるさいぞ! 人の部屋の前で何を言い争っている!?」
しかし、窓の外には誰も居なかった。というか3階なのでそれは当然なのだが、地面を見てもいなかった。だがそれでもまだ、声が聞こえてきた。
「殿下!? どこに居るんです?」
「……書斎だが?」
「我々は研究棟に居るんですけど……」
彼女が研究棟の方を見てみると、巨大な木皿みたいな物が壁に立てかけられていて、その前に男が2人立っていた。彼女が手を振ると、彼らも手を振り返してきた。だが彼女からの距離は50m以上はあるだろう。
「……何で声が聴こえるんだ? 私は今怒鳴っていないぞ?」
「我々も今は普通に喋ってます」
「その皿が原因なのか? ちょっと皿の前からどいてみてくれ」
「皿、皿って、皿じゃな……」
家具職人がぼやきながら皿の前からどくと、彼の声は途切れた。
「皿がどうかしたか? 声が途切れたぞ?」
皿の前に残った幾何学者が手を振りながら言った。
「殿下、私の声は聞こえますか?」
「ああ、聞こえる。そっちの職人はまだ何か言っているのか? 私には何も聞こえないが」
「はい、殿下の悪口を言ってます」
「何っ!?」
慌てた家具職人が幾何学者に掴みかかった。
「……ゃないだろ! 殿下にそっくりな美しい曲線だと言っただけだ!」
「……ほう、その、へこんだ、皿みたいのが、私の、どこに、そっくり、なのだ?」
「あ、あれっ? 殿下、聞こえてます? もちろん、その……美しい……えくぼですヨ?」
「……そっちに行くから待ってろ!」
イゾルテは研究棟の外に立てかけられた、巨大な木のお皿の前までやって来た。彼女はじっと木の皿を観察しながら両手で自分の胸の形を確かめた。
「…………」
家具職人は慌ててとりなした。
「いや、殿下。ほんと、その……そう、ほっぺたです」
彼もさすがにえくぼでは無理がありすぎると思ったのだろう。だが彼女は彼を白い目で見ながら、ボソリと呟いた。
「……どれくらいある?」
「72のAくらいですか?」
「さ、ら、の、は、な、し、だ!!」
「直径2mです! 4分割して作ったのですが、中で組み立てると外に出せないかもと思って、ここで組み立ててみたんです!」
兵士みたいに直立してだらだらと冷や汗を垂らす家具職人に、彼女は呆れた。
「作る前におかしいと思えよ。大き過ぎて塔に入らないぞ?」
「で、ですが……おかしいと思わない仕事なんて、ここには1つもありませんよ?」
彼の言葉には説得力があった。
「……そうだな」
彼女は今度は幾何学者に聞いた。
「ところで、焦点距離はどれくらいにしたんだ?」
「50cm……じゃなくて5mです(注1)。本当は1m……じゃなくて10mくらい離したかったのですが、マストの上まで担いでいくことを考えて短くしました。今となっては、マストどころか船に乗せるのも大変な大きさになっちゃいましたけどね」
「となると、やはりお前たちが立っていたあたりが焦点だったのだな」
彼女の言葉に、幾何学者はポンと手を打った。
「そうか、光と同じように、音も焦点に集まってくる訳ですね!」
「うむ。それにその逆も可能と言うことだな」
「逆?」
「ここにいたお前たちの声が、書斎に居た私に聞こえただろう?」
「ああ、なるほど」
彼はふと思い出した。灯台も少しでも光度を上げるために炎の後ろに金属板を置いていたはずである。
「そういえば灯台でも似たようなことしてますね。篝火の後ろに金属板を置いて光を反射させています」
「そうなのか? だが灯台はこいつほど反射した光の行き先を絞ってはいないはずだぞ。海上の広い範囲から見えなくては困るからな」
「敢えて範囲を絞り込んだら……これの前に篝火を置いたら、ものすごく遠くを照らすことが出来ないでしょうか?」
イゾルテは首をひねった。確かに物理的に出来そうではあるが、一体何の意味があるのだろうか?
「出来そうだけど、何に使うんだ?」
「照らしてる所を別の望遠鏡で見たり、『今照らしてる所に注目しろ』って指示を出したり、使い道はいろいろあると思います」
彼女は目からうろこが落ちる思いであった。ハッタリ兵器としてすごく有効かもしれない。彼女は少し想像してみた。
暗がりに忍び寄る敵の陰をアテヌイの目{大型ニュートン式反射望遠鏡}が捉えた。敵に向けて差し込む一条の光。照らしだされた指揮官は慌てて光を避けるが、光はどこまでも追って来た。
「ええーい、光など気にするな! とにかく突撃だ!」
男は立ち止まって気勢を上げたが、その瞬間、彼めがけて無数の矢が降り注ぎ、一瞬にして彼をハリネズミに変えた。その姿はすぐ側の暗闇に身を隠す兵たちを恐怖させるには十分だった。彼等は暗闇の中を算を乱して逃げて出した。彼等を嘲笑うように、あるいは愉しく踊るように、その光は次の獲物を探して動き回っていた……。
――怖っ! 敵の注目を集めて公開処刑するとは、なんて凶悪な発想なんだ! しかしその実一人しか殺さないというのは、人道的な配慮すら感じられるぞ。
「……なかなかセンスがあるな。アテヌイの目と組み合わせれば、かなり強力な兵器になるだろう」
「え? 兵器?」
「お前のような真性サディストが敵でなくて良かった」
「ええぇぇえ? 何か誤解してませんか?」
「韜晦するな。ああ、そうか。サディストだとバレると生きにくいのか。本性を隠して生きるしか無いのだな、不憫なやつだ」
「…………」
不満気な学者の顔を見て、彼女は慰めた。
「安心しろ、こいつが出来上がったらお前にも使わせてやるから。罪なき旅人を心底ビビらせて悦に入るが良い。でも殺すなよ?」
「殺しません! っていうか、そんな趣味はありませんよ! そもそも、こんなのどこに置くんですか!?」
「あ゛っ……。やっぱり、これはこのままお蔵入りだな」
彼女はこの巨大木皿自体は諦めたものの、凹面鏡を望遠鏡以外にも使おうというアイデアには大きな可能性を感じていた。光と音の他にも何か反射できないだろうか?
――視覚、聴覚と来たから、次は嗅覚と触覚や味覚か。
だが、どれも反射しないからダメだった。
――じゃあ、第六感とか?
遠く離れていても、テオドーラやミランダと気持ちが通じ合うような、そんな素敵な力が強化されたリしないだろうかと想像してみた。
――そんなの遠くと話す箱{無線機}で用は足りるか……って、遠くと話す箱{無線機}!?
遠くと話す箱{無線機}の仕組みは全く分かっていないのだが、高いところに登ると通じやすいこととか、天気が荒れていると通じにくいことは分かっていた。それはまるで視覚のようである。もちろん、水平線の向こうと話せる点は違うし、闇夜でも使えるので光とは関係ないはずだが、鏡で反射しないとは限らないではないか。
――試してみる価値は十分にあるな!
彼女は幾何学者に注文を出した。
「焦点距離0cm(注2)で直径50cmくらいのを作ってくれないか?」
「焦点距離が0cm?」
「本当はマイナスの方が良いのだが」
「ま、マイナス、ですか? ずいぶんと深い形になりますよ?」
「ああ、それをこいつに作らせてくれ」
彼女は直立不動のままだった家具職人を指さした。
「その後で、もう一度私のどこに似ているのか聞いてやろう」
そう言うと、彼女は高笑いしながら去って行った。
「焦点距離がマイナスの鏡って、どんな形になるんですか?」
「たぶん、テオドーラ様以上に豊満な形になると思うぞ。お前、イゾルテ様のどこに似ていると答えるつもりだ?」
「……胸」
「……賢い選択だな」
注1 集音については特に問題無いと思いますが、発信(発音?)については焦点距離が5mだとちょっと大きく聞こえるぐらいでしょう。音声が無指向性だったとしても、焦点距離を0にしてようやく全体の半分しか拾えません。焦点距離が直径の2.5倍も離れていれば、全体のほんの一部しか拾えないはずです。イゾルテの耳がいいのか、彼等の声が大きいのか、皿に向かって喋っていたのだということにしておいて下さい。
注2 焦点距離がマイナス、と書きましたが、そもそも焦点距離ってどこからの距離なんでしょう? 凹面鏡のへこんだ部分(つまり中心)からの距離ならマイナスにはなりようがないので、この作品中では縁の面からの距離ってことにします。させてください。
すご~く昔、何かの万博かどこかの科学館で、50mくらい離れた向い合うパラボラ反射板を使って会話をする展示がありました。
電気を一切使わずに遠くと話ができるぞ、というのがウリだったと思いますがイマイチ使いドコロの分からないものです。
糸電話でいいじゃん、とか的確なツッコミを入れてはいけません。
そう言えばおもちゃの集音マイク(スパイグッズ?)にもパラボラ反射板を使ったものがあります。




