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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第4章 婚姻
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ドレスと車輪

 新年の祝賀会シーズンが終わった1月下旬、イゾルテのもとに新たな贈り物が届いた。それはレースをふんだんに使った純白のドレスであった。これまで服飾系の贈り物というと、切れないチョッキ{防刃ベスト}のように無骨で実用的な物か、やたらスカートの短い破廉恥な白黒の服{セーラー服}とか、とても美しい絹の服――だと思うのだけど、どうやって身につけるのかさっぱりわからない布{振袖}などだった。それらに比べればこの純白のドレス{ウェディングドレス}は、裾が長すぎてちょっと大仰(おおぎょう)な気もするが、わりと普通に綺麗なドレスだった。

「姉上の婚礼にはこれを着て行こう!」

イゾルテはメイドを呼ぶと、ネグリジェを脱ぎ捨てて早速そのドレスに袖を通した。

「ひ、姫様、た、たいへんお似合いです。殿方の視線が釘付けですわ。ぷぷぷっ」

イゾルテが俯くと、ぶかぶかの胸元から桜色の何かが見えた。彼女の視線も釘付けになった。

「こんなの着れるか!」

憮然としたイゾルテは、純白のドレス{ウェディングドレス}をテオドーラにプレゼントすることにした。


 テオドーラとコルネリオの結婚式は6月の予定で準備が進められていた。タイトンではなぜか、6月に結婚すると縁起がいいと伝えられているのだ。どうもゼーオスの妻で結婚を司る女神のヘーレに由来するらしいのだが、浮気されっぱなしのヘーレにあやかって大丈夫なのだろうか? イゾルテは少し心配であった。もしコルネリオが浮気したら、彼の息の根を止めて別の男を探さなくてはいけないではないか。だが出来ればそれは避けたかった。もしそんなことになったら――

――ミランダが悲しむかもしれないじゃないか。

彼女の中では、テオドーラを裏切るような男には人権など微塵も認められていなかった。

 ちなみにルキウスとリーヴィアは、テオドーラ達の結婚式が終わった後でひっそりと(国内だけで)やるつもりである。皇太子と皇太子妃より、皇帝と皇后の方が重要ではあるのだが、両方とも再婚でコブ付きだし縁戚関係も大して変わらないので、政治的には知名度の低い皇太子夫妻に注目を集めたいのだ。だがその計画に待ったをかけたのは他ならぬリーヴィアとルキウスだった。テオドーラのもとにドレスを持って行こうとしていたら、イゾルテは二人の元に呼び出され、深刻な悩みの相談を受けた。


「イゾルテ、今更なんだが……弟と妹と、どっちが欲しい?」

「は? それはもちろん聞くまでもなく100%確実に妹に決まりきっていますが、それを言うなら甥と姪じゃないんですか?」

「……いや、弟か妹だ」

「まさか……」

イゾルテがリーヴィアのお腹を見ると、彼女は恥ずかしそうにお腹を撫でた。

「そう簡単には出来ないって……言ってませんでしたっけ!?」

「まぁ、あれだ。下手な弓矢も数射りゃ当たると言うやつだな」

「その矢はいったい何本射たんですか!?」

イゾルテが思わずそう叫ぶと、リーヴィアが指折り数えだしたので慌てて止めた。

「いや、いいです、具体的には教えないで!」

「概算で言うと……」

「抽象的にも教えないで!」

「まぁ、そんな訳で6月まで待ってるとお腹が目立ってしまうのだ。医者の話だと、4月以前だとまだ安定しないから5月上旬が一番良いらしい」

「……良いんじゃないですか? 姉上たちより先になりますけど」

「だがそうすると、コルネリオの付き添いが誰もいないのだよ」

「うーん、でも実姉が義母になるだけで、身内は身内だし、叔母上で良いのでは?」

「いや、どのみち身重だからリーヴィアを立たせておきたくない。お前がやってくれるか?」

「私は姉上に付き添いたいので絶対にイヤです。副委員長つながりでド・ヴィルパン卿にでも任せましょう。外交的な宣伝にもなりますよ」

「ふむ、それもありか。じゃあ、テオドーラ達にはお前から伝えて欲しい」

「本題はそっちですか? 言いにくかったんですね」

「子供を催促しているように思われては困るからな」

「逆にお二人には自粛して欲しいところです」

ルキウスとリーヴィアは揃って目を逸らした。


 イゾルテはその足でテオドーラの宮殿を訪ね、二人にリーヴィアの妊娠を告げた。

「――という訳で、順番が入れ替わりました。父上達が先に5月に結婚式を挙げることになります。姉上達の式にも多少影響がありますが、大きくは変わらないはずです」

「「…………」」

コルネリオとテオドーラは互いに見つめ合って、恋人同士にしか分からない無言の会話を始めた。それは無言のまま言い争いになり、懇願になり、お互いにぶんぶんと首を振り合って、最後にはジャンケンをし、負けたテオドーラがおずおずと口に出した。

「私達も5月にできないかしら……?」

「ま、まさか……」

イゾルテが頬をひくつかせながらテオドーラのお腹を見ると、コルネリオが口を挟んだ。

「まあ、あれです。習うより慣れろ、下手な鍛冶屋も一度は名剣と言うやつです」

「何本ですか!? その剣はいったい何本鍛えたんですか!?」

イゾルテが思わずそう叫ぶと、テオドーラが指折り数えだしたので慌てて止めた。

「いや、いいです、具体的には教えないで!」

「えーと、だいたい……」

「抽象的にも教えないで!」

「医者の話だと、5月が一番良いらしいわ」

「……わかりました。では丸一ヶ月前倒しということで調整します」

イゾルテはがっくりと項垂れて深い溜息を付いた。

――どちらの家系も血は争えないということか……。あ、あれ? それじゃあもしかして……!?

彼女は一つの危険な可能性に気づいてしまった。

――ミランダも将来こうなっちゃうの!?

自分のことはどこまでも棚の上であった。


 彼女は頭を振って嫌な想像を振り払うと、気を取り直して本題に入った。

「ところで、姉上にプレゼントがあります」

そう言ってイゾルテは純白のドレス{ウェディングドレス}を差し出した。

「まあ、イゾルテが作らせたの?」

「えーと、まぁ、そうです」

デザイナーを聞かれると厄介だったので、彼女は仕方なくそう答えた。

「早速袖を通してみていいかしら?」

「お手伝いします」

テオドーラは早速服を脱ぎだしたが、イゾルテは慌てて止めた。

「義兄上、いつまでここに居る気ですか?」

 コルネリオを追い出してメイドたちを呼びこむと、テオドーラを裸に剥いた。そしてドレスに着替えさせる間、イゾルテの視線は何故か何度もついついいつの間にか、テオドーラの肌に引き寄せられていた。イゾルテと違って微かに褐色がかった彼女の肌は温かみを感じさせ、特にそのふくよかな双丘には何者をも包み込んでしまうような母性が感じられた。服の上から何度も感じたその柔らかさも、直に触ればさぞ柔らかいことだろうと想像させ、イゾルテの手は無意識のうちに何度も彼女の胸元に向かっていた。この体を好き放題に蹂躙し、数えきれぬほど剣を鍛えたというコルネリオに対し、嫉妬のあまり殺意が芽生えかけた。

「いかん、いかん!」

激しく頭を振ったイゾルテに、テオドーラとメイドたちの視線が集まった。

「身につけ方が間違っていたかしら?」

「い、いえ、えーと、靴を用意するのを忘れちゃったなーと思いまして」

「あら、靴も用意してくれるの? うれしいわ!」

「は、ははは、何とかします……」

イゾルテは内心で頭を抱えた。軍服とトーガくらいしか着ない彼女には、デザイナーの知り合いなんか一人もいないのだ。

 着替え終えてみると、そのドレスはテオドーラにぴったりだった。というか、胸元はどちらかというとぴっちりしていた。

「ありがとう、イゾルテ! このドレスとっても素敵だわ!」

全体としては純白の清純なイメージなのだが、凶悪なまでに強調された胸の谷間がイゾルテの目を捉えて離さなかった。

――やはり血は争えないということか……!

イザベラとゲルトルートの肖像画を――正確にはその胸元を――思い出した彼女は、独り黄昏れた。

「とってもよくお似合いです……」

そう言いながらもイゾルテは、敗北感に打ちひしがれていた。



 イゾルテが世の不条理(胸の大きさの違い)に打ち(ひし)がれながらも、世の無常(胸の成長)を信じて離宮に帰ってくると、博物学者チームの車輪男がイゾルテに面会を求めてきた。イゾルテの前に現れた車輪男は、車輪を肩に担いでいた。車輪漬けだとは聞いていたが、本当に車輪と寝食を共にしているようだ。研究室から出ると車輪がなくて寂しいから、常に持ち歩いているのだろう。哀れな男だった。

「お恥ずかしい限りですが、柔らかい車輪{タイヤ}の再現の目処が立ちません」

車輪中毒のくせに、言動が妙に落ち着いていていてまともであった。二輪荷車{自転車}が壊れた時のような(そう)状態ではなく、(うつ)状態にあるのかもしれない。

――精神的なケアのできる人物も連れてきた方が良いかもしれないな。

といっても、この時代にカウンセラーなどという職業はない。だがイゾルテは思い出した。「男なんて、胸が大きくて美しい女性に優しく話を聞いてもらえば、それだけで立ち直っちまうもんだ」と、ド・ヴィルパン卿が酔っ払って言っていたのだ。

――なんだ、私が優しくしてやればいいだけか。

イゾルテには勿論(貧乳という)自覚があったが、ベルトランの言葉の一部(胸が大きくて)だけを意図的に無視していた。

「気にするな、お前はよくやっている」

そう言ってイゾルテは車輪男の手を取った。

「水吸い上げ器{排水ポンプ}や火炎放射器{ポンプ式水鉄砲}も、お前の手柄ではないか」

水吸い上げ器{排水ポンプ}はともかく火炎放射器{ポンプ式水鉄砲}は微妙なところだが、艦載型大型火炎放射器ケルベレスの設計には彼も携わっていた。安全弁を考案したのも彼だった。

「うう、殿下、あなたはなんとお優しいのでしょう!」

彼は感激して涙を流すと、その場に膝をついてイゾルテの手に頬ずりをした。抱きついて来ていたら逃げたところだが、彼女はなんとか我慢した。躁鬱を繰り返すのは精神が不安定な証拠だ。彼女は手に鼻水を付けられないか警戒しながらも、病人相手だと必至に自分に言い聞かせていた。

「不本意ではありますが、既存の材料と現行の技術で多少はマシな車輪を作ってみました。ご笑覧ください」

そういって彼は担いでいた車輪を差し出した。だがその車輪は、普通に木の車輪に革が釘止めされているだけだった。イゾルテは本気で車輪男に同情した。世の不条理(イゾルテの命令)が彼をここまで追い込んだのだ。だが彼女は、彼女の命に従って死んだ男たちにも謝罪しないと決めていた。その罪は彼女が一生背負い続けるべきなのだ。それは精神的な致命傷を負ってしまった車輪男に対しても同様だった。彼女は車輪を受け取ると、謝罪の代わりに感謝した。

「これはお前にしか作り上げることは出来なかっただろう。長年の労苦に感謝する、ありがとう」

長年と言っても1年ちょっとだけど、彼には精神に異常を来すほどに長く感じられたことだろう。だが車輪男はイゾルテの言葉を聞くと、目を剥いて驚いた。

「さ、さすがはイゾルテ様です! 見ただけでこの中に砕いたコルクが入った細長い袋が入っていることを見抜くとは!」

「へ?」

「そうです、柔らかい車輪{タイヤ}の構造を参考にして、黒い管{チューブ}の代わりに細い布袋を作ったのです。かと言って布袋では空気が抜けてしまうので、砕いたコルクを入れたのです! ただコルクを巻いただけの車輪では、あっというまにコルクが砕けてしまいましたが、あらかじめ砕いておけば問題ありません!」

なんか、それなりに工夫はしたようである。彼女が車輪を触ってみると確かに微妙に柔らかかった。その柔らかさはフェルト程ではないが、確かに砕いたコルクならフェルトよりは随分と長持ちしそうである。彼女はその工夫に感心したが、車輪男はその百倍ほども彼女に感激していた。

「あなたのような方にお仕えできて、私は幸せです! この際師匠と呼ばせて下さい!」

とんでもない買いかぶりに、彼女は慌ててはぐらかした。

「い、いやいや、とんでもない。博物学の師匠とは、この世界そのものだろう?」

「…………!」

彼女のとっさの言葉は彼を驚愕させ、彼は呆然としたままその場に座り込んだ。

「……殿下のお言葉に(もう)(ひら)けました。博物学の師は世界そのものだというお言葉、まさしく至言です。書物や伝聞だけで知った気になっていましたが、やはり自分の目で見て自分の手で触れねば、真の博物学者とは言えませんね! こうしていられません、失礼します!」

「…………」

もはや何を言っても誤解されそうだったので、彼女は飛び出していく車輪男を黙って見送った。


「殿下、良かったんですか? 何か誤解しているみたいでしたよ?」

彼女の後ろに控えていたアントニオが心配して声をかけると、彼女は窓に寄って遠くを眺めた。

「アントニオ、覚えておけ。人と人とは、決して理解できないものなのだ。人は他人の中に自らの影を見る。彼は私の中に自分の影を見たのだよ」

「……要するに、自分の責任じゃないと言いたいんですね」

「……うん」

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