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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第4章 婚姻
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遺言

 エフメトは荘厳な大理石の廊下を歩いていた。玉座へと続くこの道を歩く時はいつも少なからず緊張するものだが、今回は訳が違った。彼は緊張と恐怖のあまり足が竦みそうだった。

――ローダスから逃げ帰った時のヒシャームも、こんな気持ちだったのだろうか……?

故人のことが頭をよぎったが、彼は今まさにそのヒシャームのせいで処断されかねない状況に追い込まれていた。彼はペルセポリスを、しかも飛び地のガルータ地区すら落とすことが出来ず、わずかな敵に敗走させられ、その上討ち取られてしまったのだ。これはローダス以上の屈辱でありヒシャームの晩節を汚す大失態であった。しかも最初から負けるつもりだったのだから笑うしかない。最初から逃げるつもりで、逃げ損ねてしまったのだ。

 だがエフメトには彼を責めることは出来なかった。彼自身、海岸で信じ難いものを見せつけられたのだ。火を吐き海を燃やす巨大な怪船の姿は、今も彼の(まぶた)に焼き付いて離れなかった。それにガルータ地区の隙の無さも彼の思惑を遥かに超えていた。ガルータでさえあれ程の堅固さを見せるというのなら、ペルセポリス本市ではどれほどの抵抗があるか想像も出来ない。まして僅かな手勢で城外に打って出てくるとは、プレセンティナ陸軍を甘く見すぎていた。あれほどのことをしてのけるクソ度胸と、夜の(とばり)の中でも戦機を見逃さない優れた洞察力を備えた名将がいるとは、ヒシャームだけでなく彼にも想像すら出来なかったのだ。

――もし俺がガルータ攻めの指揮を取っていたら、俺が死んでいただろうな……

彼が今生きているのは、本営を離れて海岸にいたからに過ぎなかった。


 彼が今こうして帝都バブルンに戻って来たのは、負け戦の顛末を報告するためである。負けるのは予定通りだと強弁して都に戻らないことも出来た。彼自身ではなく、腹心のハキムを使者に立ててそう言わせることも出来ただろう。だがどちらの場合も二人の兄が讒言(ざんげん)を加えるのが目に見えていた。それに反論するためには、やはり彼自身が皇帝である父ウラトに対して釈明せねばならなかったのだ。


 彼は謁見の間に通されると、先に来ていた二人の兄の横に並んで(ひざまず)き、俯いたまま玉座に座る父に向かって負け戦を報告した。報告の間父からの(いら)えはなく、空虚な手応えに彼の不安はどんどん不安が高まったが、隣に跪く兄たちの嘲笑するような気配は返って彼の戦意を鼓舞してくれた。彼はゴクリと唾を飲み込むと報告の最後をこう締めくくった。

「ヒシャームが我が身を盾として私を逃してくれました。おめおめと逃げ帰ったのも、彼の遺志を継ぎペルセポリスを攻め落として、彼の無念を晴らすためでございます」

 ドルクでは謙譲など美徳とはされない。特に神に等しい皇帝の座を狙う者ものは無謬(むびゅう)でなければならなかった。それでも敢えてエフメトは死んだヒシャームを立てて見せたのだ。それは彼にとって危険な賭けだった。

 皇帝ウラトと次兄ビルジはエフメトを責めなかった。だが彼らがエフメトの言葉を訝しんでいると、残ったベルケルがここぞとばかりに彼を責め立てた。

「お前の見通しが甘いからこんな事になるのだ! 10分の1にも満たない敵にしてやられるとは何事だ! しかもただ負けるだけでなく、逃げ切れないとは!」

 彼の言葉は道理にかなったものだったが、それは彼の意図に反してエフメトを責める事にはならなかった。ウラトは独自のルートからヒシャームの死の原因がヒシャーム自身にあることを既に承知していたのだ。少なくとも責任の主体がエフメトにある訳ではない。だというのにエフメトはヒシャームを庇ってみせた。全てを承知しているウラトからみれば、ベルケルの叱責は死んだヒシャームをむち打つようにしか聞こえなかったのだ。行き場を失っていたウラトの苛立ちはベルケルに向かった。

「もうよい! 黙れ!」

ウラトの怒声の陰で、エフメトは人知れず安堵のため息をついた。これでもう彼が責められることは無いだろう。彼は危険な賭けに勝ったのだ。


「ヒシャームの遺体が返還されたそうだ。側周(そばまわ)りの者に伴われてこちらに向かっておる途中だが、すでに報告だけは届いておる。

 ヒシャームがガルータ、お前が渡河を仕切っていたそうだな。ヒシャームの名誉を思ってのことだろうが、ワシにまで嘘をつく必要はない」

皇帝の寛大な言葉を受けても、エフメトはあくまでヒシャームを立てた。

「いえ、私が渡河を指揮したいと言ったのです。私がガルータの抑えに残っていれば、私が死んでいたことでしょう。ヒシャームが私の身代わりになったことは本当のことです」

故人を前面に押し立てて、功も罪も全てヒシャームに被ってもらおうというのがエフメトの腹だった。

「あいつは幾つも欠点があったが、逃げ足だけは天下一品だった。ワシ自身、あいつの逃げ足には何度も助けられたものだ。まさかあいつが逃げ切れないとはな……」

「私もまさか、敵が打って出てくるとは思いもよりませんでした。あるいは海峡にいた私を置いて逃げることが出来なかったのかもしれません」

味を占めたようにエフメトは再びヒシャームをヨイショした。だがそれは、彼が想像もできなかった意外な言葉をウラトから引き出すこととなった。

「……あいつらしくもないな。だが、確かに判断は鈍ったのかもしれん。あいつはお前を気に入っていたからな」

「「「…………!」」」

 ウラトの漏らした一言は、3人の皇子に衝撃をもたらした。のっそりとしたしゃべり口で真意を明らかにしないヒシャームは、公の場でエフメトを支持したことは一度もなかったのだ。エフメトと協力関係にあったとはいえ、それは状況(というかエフメトの策謀)がそうさせたというだけだと思われていた。当のエフメトですら! 

 もともとプレセンティナ攻略の任を負ったことで後継者争いの台風の目(ダークホース)となったエフメトだったが、今回ヒシャームの死の責任を負って、もはや死に体となったはずだった。だがヒシャームがエフメトを推していて、しかもエフメトを庇って死んだのだとなれば、その死の意味は180度変わってくる。ベルケルはそこまで考えが及んでいないようだったが、ビルジは深刻な状況に蒼白になっていた。

――これではエフメトの責任が問われるどころか、ヒシャームがエフメトに殉じたことになってしまう。そのうえエフメトを推していたことが彼の遺言になってしまうではないか!

 単純で武断主義的なベルケルが帝位についても、ビルジは大人しくしている限り殺されないかもしれない。あるいは重臣として内政を取り仕切ることすら出来るかもしれなかった。彼は武力的な裏付けを持たないビルジを脅威だとは考えていないからだ。だが、エフメトが帝位につけば必ずビルジを殺すだろう。何故ならビルジ自身が帝位につけば、必ずエフメトを殺すからだ。もちろんいずれベルケルも始末するだろうが、ベルケルの武力がエフメトの頭脳と結びつく前に、まずは処断しやすいエフメトを殺さなくてはならない。そして恐らくエフメトも同じことを考えているだろう。

――早々に身を引くしかないのか……? いや、だめだ。俺がエフメトの立場だとしても、必ず俺を殺すだろう。ベルケルなら兵権を放棄すれば無害になるが、俺やエフメトはそうではない。身一つでもどのような陰謀を企てるか分からないからな! ここは尋常の手段では生き残れない。エフメトのように思い切った手を打たねば……!

 今回このまま兵を退いたとしても、エフメトはことあるごとにヒシャームの遺志としてプレセンティナを攻撃することを主張するだろう。それはエフメトが兵権を握る大義名分となり、皇帝の座へと登り詰めるための武器となる。この事態を引っかき回すためには、プレセンティナへの攻撃はこのまま続けてもらわねばならなかった。

「ヒシャームの仇は必ず討たねばなりません。またプレセンティナを勢いにのせれば、盟主としてタイトン諸国を糾合しかねません。プレセンティナの周辺諸国はもともとプレセンティナの庇護下に入りたがっていましたが、彼らを守るだけの戦力のないプレセンティナがそれを受け入れて来なかった背景があります。しかし今回渡河自体を防いだことで、プレセンティナは彼らをも守ったことになります。あるいはプレセンティナも自信を深め、自ら彼らを傘下に組み入れようとするかもしれません。ローダスに返しきれない恩を売った今となっては、その流れがタイトン全域に広まるかもしれません」

突然ビルジが展開し始めた主戦論にエフメトは内心で眉をひそめた。ビルジ自身が出陣するというのは考えにくかったが、かといってエフメトを応援する気があるとも思えなかった。だがビルジの本題は次の一言だった。

「兄上にも出陣して頂いてはどうでしょう?」

ビルジの提案を聞いてエフメトは納得した。

――ベルケル兄に恩を売って、協力関係を築くつもりか? 確かにベルケル兄なら裏から操れるかもしれない。少なくとも、自信過剰なビルジ兄ならそう考えても不思議じゃないな。

だがエフメトにはベルケルとて油断していい相手だとは思えなかった。ベルケル本人はともかく、彼の配下の全てを手球に取れるなどと思うのは危険だ。ビルジがそう思うように、ベルケルを手玉に取ろうとする策士が配下にいないとも限らないではないか。エフメト自身、もし皇子として生まれなかったなら、ベルケルを旗頭に担いで裏から操ろうとしたことだろうから。

 だがベルケルはビルジの提案に難色を示した。

「エフメトに同道しろというのか?」

それはエフメトも困るので、ビルジの真意を警戒しつつ反論した。

「ハサールと結ぶ以上、私が主将でなければいけません。ベルケル兄は私の副将で納得して頂けますか?」

「冗談ではない!」

エフメトの思った通り、ベルケルは彼の下につくことを拒んだ。

 だがビルジの考えは、エフメトの想像よりも更に際どいものだった。ともかく他の二人を都から遠ざけている間に、自分の地歩を固めようというのだ。最悪の場合、二人のいない間に皇帝の遺言(◆◆)を手に入れてしまえばなんとでも出来る、と。

「では、エフメトとは別に一軍を起こしてもらいましょう」

だがそれでも、ベルケルは難色を示した。

「しかし、エフメトは50万もの大軍をハサールに連れて行くのだろう? 俺にも同じだけ用意できるのか?」

エフメトの率いる兵よりも数が少なければ、彼がエフメトより下だと満天下に知らしめる結果になる。それぐらいなら出兵しない方がマシだと思ったのだ。確かにそれは1つの真理ではあったが、ベルケルがそう言い出すことはビルジにも分かっていた。

「さすがにそれだけの数を揃えるのは無理です。ですから、数の代わりに質で我慢して下さい。陛下、兄上にイェニチェリ軍団をお貸し頂けませんか?」

「イェニチェリを……!?」


 イェニチェリ軍団は、幼い頃から帝国と皇帝に対する忠誠心が叩きこまれた精鋭中の精鋭だ。儀仗兵的な役割をも担う近衛とは別の組織なのだが、謂わば武装親衛隊というべき部隊だった。皇帝親征の折には都の留守番を任される近衛に代わり、皇帝の本陣を固める存在である。イェニチェリを従えるということは、皇帝に代わる人物であるという印象を持たれることになる。政治宣伝としてこれほど効果の大きなものは他になかなかないだろう。

 政治向きには疎いベルケルにしても、イェニチェリ軍団の存在が軍全体の士気に与える影響は充分に理解していた。彼らを従える自分の姿を見れば、兵たちが自分をどれほど心強く思うことか、そしてそれが将来の内乱においてどれだけ自分の味方となるか。彼はそれの分からぬビルジを内心で(あざけ)っていた。

「イェニチェリ軍団をお預け頂けるなら10万、いえ5万で十分です。是非私にお貸し下さい」

ウラトは意外にあっさりとそれを認めた。

「良かろう。だが、ハサール方面はエフメトに任せるしかないぞ。お前はどうするつもりだ」

「無論、海峡を目指します。エフメトの言葉を借りれば、アルーア大陸との交易路を遮断することはプレセンティナにとって痛手となるはず。ハサールが味方に付いている以上、かつてのようにハサールへと迂回する交易ルートも防げます。こちらの数が少ないと見て打って出て来れば、これを討ちます」

「ヒシャームを討ったスキピアとか申す男は、此度(こたび)の戦功で一躍皇太子になったそうだ。出てくるとしたらそ奴かもしれんな」


 その情報は戦いそのものよりも大きなニュースとして駅伝網を通して既に伝えられていたのだが、それはベルケルですら知っていたにもかかわらず、当事者であるエフメトには初耳だった。

「皇太子? 皇族にそんな男がいたのですか?」

「皇女を嫁にして、皇帝の義理の息子になったそうだ」

――魔女の夫? そうか、もともと魔女の情夫だったのか。魔女を俺によこせと言われて、さぞ(はらわた)が煮えくり返っていたことだろう。寡兵で打って出たクソ度胸は怒りによるものか? あるいは打って出たのも魔女の指図だったのかもしれないな。

エフメトの勘違いは数日後には晴れるのだが、彼の想像は真実の一面を突いていた。


「腕がなります。ヒシャームの仇は私が討ってみせましょう!」

ベルケルは、エフメトに先んじてその皇太子を討ち取ることで逆転することを狙っていた。戦功によって出世した男であれば、政治的な敵も多く、市民の期待も大きだろう。面子を潰さないためにも、挑発すれば出て来ざるを得ないはずだ。

 一方ビルジは、確かにイエニチェリ軍団という存在の重さを理解していなかったかもしれない。だが、事を起こす際にイエニチェリ軍団が邪魔になるという予測をしていたのだ。そして彼が皇帝としての体裁を整えてしまえば、イエニチェリ軍団も誰につくか分からなくなる。ベルケルにとっては獅子身中の虫となりかねなかった。いや、威を借りた虎に、後ろから襲われかねないというべきか。


――ビルジ兄は事を起こすつもりだな

エフメトはビルジの思惑を半ば以上察していた。だが宮中の人脈において、年齢と実績に勝るビルジにはとてもかなわない。国を離れる以上、エフメトには陰から皇帝を守ることなどとても出来なかった。だからその代わり、ウラト自身に身を固めさせる必要があった。

「陛下におかれましては、くれぐれもご身辺にお気を付けください。魔女(◆◆)がいかなる策謀を巡らすか分かりません」

ビルジもエフメトが自分を警戒していることを察したが、何も言わなかった。

――魔女と言うのは良い言い訳だ。全てを魔女のせいにしてしまえば良い。

だがエフメトにしても、ビルジが魔女を口実にすることは予測できていた。

――ビルジ兄を魔女の手先として葬れば良い。手元に軍勢さえあれば、ビルジ兄はなんとでもなる。

そしてベルケルはベルケルで、イェニチェリを使って自分の武威を高めるつもりだった。

――皇太子さえ討てば、全ての功績は俺のモノだ。


 だが彼らの前に座るウラトには、息子たちの思惑が透けて見えていた。彼もかつては玉座の前に跪く身だったのだ。

――余から帝位を譲られようとしないのは良い傾向だ。ドルクの帝位は奪うものだ、競い合うがいい。そうすればより強い皇帝が生まれるだろう。

そう思いながらも、ウラトとてむざむざと殺されてやる気などさらさらなかった。

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