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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第3章 太子擁立
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マッチポンプ

 10日ほど後、イゾルテはミランダの元を訪れた。

「ミラぁ、遊びに来たぞー」

「ルテ姉さま!」

いつものように突然現れたイゾルテに、ミランダはいつものように大喜びして抱きついた。だがその後ろにいる少年に気づくと、すぐに飛び退()いた。

「…………」

警戒するミランダに、イゾルテがとりなした。

「怖がらなくていい。これはアントニオだ。サル目ヒト科ヒト属に属し、タイトン語を話す生き物だ。最近分かったが、どうやらオスらしい」

「僕は動物ですか!?」

「よく仕込んであるから大丈夫だ。それに、万が一ミランダを傷つけるようなことをしたら殺すから。だから安心していいよ」

「僕が安心できません!」

イゾルテはアントニオに向き直り、頭を撫でながら優しく言った。

「安心しろ、アントニオ。お前だけじゃない、たとえそれが父上だったとしても殺すから」

「……余計に安心できません!」

いつの間にか、ミランダはくすくすと笑っていた。


「ミラ、これはアントニオだ。私の小姓をしてもらっている。さっき言ったのはだいたいホントだ」

「ひどい……。アントニオです。ミランダ様、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。ニオ君って呼んでもいいですか?」

こうしてミランダに新しい友だちが出来た。


 3人は連れ立って中庭にやってきた。イゾルテは靴を脱ぐと裾を捲って噴水の中に足を踏み入れた。そして、持ってきた水吸い上げ器|(排水ポンプ)の試作機を噴水に入れて、シュコシュコ……という音はもはやしなかったが、そのつもりで棒を引いたり押したりした。すると、試作水吸い上げ器|(排水ポンプ)から伸びる細い管がうねうねと動き出し、やがてその先端から水が飛び出した。

「きゃあ」

ミランダが慌てて飛び退(すさ)ると、アントニオが暴れる管を捕まえた。

「殿下、もっとゆっくりやって下さいよ」

「ごめん、ミラ。アントニオはどうでもいいけど」

「ひどい……」

「くすくす」


 一度は水を吸い上げる方向で作られた試作水吸い上げ器(排水ポンプ)だったが、吸い上げる側に動物の腸で作った細い管を使うと潰れてしまって役に立たなかった。水道で使うような鉛管や陶器の固い管を使えば問題ないので、船ではそちらを使うことになったのだが、折角の試作機を使えないのも勿体ない。そこで空気入れ器(ハンドポンプ)のように、水を送り出すように改造したのだ。そんな訳で試作水吸い上げ器|(排水ポンプ)は、もはや水を送り出す道具になっていた。


「アントニオ、管の先をちょっと潰して細くしてみろ」

「こうですか……? うわっ」

アントニオが管の先端を狭くすると、水の勢いが一層強まった。

「ふ、噴水、の、吹き、出し、口、と、同、じ、原、理、だッ!」

イゾルテにかかる負担も一層増していた。

「疲れた。交代だアントニオ。ミランダはこの管を持って、アントニオが熱中症にならないようにびしょ濡れにしてやってくれ」


 イゾルテは木陰に入ってしゃがみこむと、きゃあきゃあと元気に遊ぶ2人を眺めた。

「殿下、冷たい飲み物でもいかがですか?」

振り返ると叔母のリーヴィアがグラスを持って立っていた。

「叔母上、ありがとうございます」

イゾルテは慌てて立ち上がると、グラスを受け取った。それは、ワインのようでワインでない不思議な飲み物だった。

「これはワインなんですか? 酒精(アルコール)が入っていませんけど」

「ジャムを冷たいレモン水で薄めたものですわ」

「…………」


 葡萄ジャムは、何を隠そう軍の工廠で作られている。ワインを煮詰めて高濃度酒精(アルコール)を作ると、当然煮詰まったワインが残る。このワインには高い濃度の糖分が含まれているので、大鍋に移してさらに水を飛ばすとジャム(っぽいもの)が出来るのだ。そしてこの熱々のジャムは、熱湯殺菌された小瓶に密封され、長期保存可能な状態で出荷される。高濃度酒精(アルコール)の方は大半がそのまま備蓄に回されているのに対して、ジャムは全量が出荷される。そのため酒精濃縮工場(蒸留所)は俗に『ジャム工場』とも呼ばれている。

 かつて離宮で高濃度酒精を濃縮(蒸留)していた時も、ジャムが余って余って仕方がなかったものだが、イゾルテはまさかジャムを飲むことになるとは思っていなかった。

――カクテルといい、ジャムといい、折角濃縮したものを希釈するとは……。

美味しかったが、なんだか釈然としないイゾルテであった。ちなみに、ジャムを高濃度酒精(アルコール)で溶いた甘~いカクテルが女性に人気であることなどは、もちろんイゾルテの想像の及ぶところではなかった。


「そういえば、コルネリオが宜しくと言ってました」

「え? 子爵とは委員会で毎週会ってるんですけど……。子爵はこちらにもよく来られているのですか?」

「ええ、ずっと週に3度は来ています」

「その割に、今年の初めまでここで会ったことがありませんでしたよ?」

リーヴィアはミランダのようにくすくすと笑った。

「あの子はああ見えて恥ずかしがり屋なんです。殿下やテオドーラ様が見える時は、そそくさと帰って行ってましたから」

「猛将が聞いて呆れるなぁ」

イゾルテがそうつぶやくと、リーヴィアは今度は溜息をついた。

「猛将だなんて、あの子らしくないんですよ。子供の頃から優しい子でしたから。でも、あの人――私の夫が死んでから無理をしているんです。後事を託されたと言って。きっとこの離宮に頻繁にやってくるのも、あの人の代わりに私達を守ろうとしているんでしょうね」


 イゾルテはその言葉を聞いて、子爵と叔父の関係について何も知らないことに気付いた。

「私は叔父上のことをあまり覚えていないのですが、子爵は叔父上と親しかったのですか?」

「そうですね。私があの人と初めて会ったのも、あの人がコルネリオを訪ねて来た時の事なんですよ。コルネリオは、もともとあの人を敬愛していたようです」

「あれ? ひょっとして叔母上の結婚は、お祖父様(先代の皇帝。故人)が決めたものではなかったのですか?」

「あの人が頼み込んだそうですわ。そのころにはテオドーラ様もイゾルテ様も生まれておられましたから、次男は誰と結婚しても良いと思われたのでしょう。私も一応、子爵家の娘でしたし」


 イゾルテは溜息を付くと、ボソリと呟いた。

「恋愛結婚ですか。私には到底無理ですね……」

それは、不婚の誓いを立てた以上テオドーラが結婚を許さないだろうとか、そもそも男と恋愛ができないんじゃないかという意味での"到底無理"だった。だがリーヴィアは、(錆びついた)乙女の直感で、イゾルテが恋をしていると思い込んだ。そして、皇帝が決して許さない相手なのだろうと。(テオドーラのことを考えると、それはある意味正解かもしれなかった)

「私は皇族に嫁いだとはいえ、もとはただの貴族です。殿下が抱えておられる皇族の義務というものが、今ひとつ分かっていないのかもしれません。でも、あの人は結局私と結婚したのですし、殿下も絶対に無理だとは限らないのではないですか?」

「…………」

イゾルテは叔母が何か勘違いしているような気がしたが、それを指摘すると藪蛇になりそうだったので黙っていた。


「それよりも私はコルネリオの方が心配ですわ。私達のことよりそろそろ自分の身を固めて欲しいのですが、あの人に後事を託されたと言って聞かないんです。あの人が託したのは、私とミランダのことだったのかもしれませんし、単に戦いの指揮のことだったのかもしれません。でもコルネリオは生真面目だから、あの人の負っていた義務を全て肩代わりしなくてはいけないと思い込んでいるのですよ」


 イゾルテは叔父の人となりを、イゾルテやミランダに見せた優しい一面を僅かに覚えているだけだ。だがいつ帝位を継いでもおかしくない立場の者として、叔父の感じていた重圧の大きさは痛いほど分かった。

――それを肩代わりねぇ。はてさて、子爵はどの程度の覚悟で肩代わりしようなどと思ったのだか……。

イゾルテは内心呆れながらも、噴水で遊ぶ二人を眩しそうに見つめていた。

「それは律儀なことですね。ですが本当に肩代わりできるものなら、せめてミランダには自由に生きて欲しいですね」



 腕の限界まで水吸い上げ器(排水ポンプ)で遊んだ(遊ばされた)アントニオは、帰り道では心の限界が試されていた。イゾルテと2人、町中で量産型二輪荷車(自転車)に乗っているのだ。

悪目立ちする二人は人々の注目をやたらと集めまくり、アントニオは恥ずかしさで真っ赤になっていた。だがその道筋には彼ら以上に注目を集める者がいた。

「「「おおぉぉぉ」」」

どよめく観衆に囲まれたその男は、なんと、口から火を吹いていた。何かの比喩ではなく、神話のキメイラ(ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ怪物)のように炎の息吹を吐いていたのだ。

イゾルテは一瞬あっけにとられたが、群衆からおひねりが投げられるのを見てそれが大道芸だと分かった。

――なんつード派手な芸だ!

そのインパクトの強さにイゾルテは感心したが、調子に乗った男が観客に向かって火を吐いたのを見て声を上げた。

「こらー、危ないだろうが! せめて水辺でやれ。それか水桶を用意しておけ。火が移ったら洒落にならんぞ!」

肩を怒らせて男に歩み寄ったイゾルテは、ついでにおひねりを渡した。

「えっ、あっ、こりゃどうも。って、ひょっとしてイゾルテ殿下!?」

イゾルテは面覆い(シールド)から僅かに覗く口元に人差し指をあてた。

「忍びだ。内緒だぞ」

「はぁ」

忍びも何も、紫の丸兜(ヘルメット)でイゾルテだとバレバレだった。


「ところで、どうやっているのだ?」

「高濃度酒精(アルコール)を松明に向かって吐いてるんです。傷口に吹きかける感じで」

「おお、なるほど~。まさかこんな使い道があるとはなぁ」

感心したイゾルテは、「これで桶を買え」と言ってもう一枚銀貨を渡すとその場を後にした。


 帰り道、イゾルテは大道芸の男と同じことを、道具を使って出来ないかと考えていた。要するに、口に高濃度酒性を含んだ状態で息を吐けばいいのだ。空気入れ器(ハンドポンプ)や水吸い上げ器(排水ポンプ)のように空気で空気を押したり水で水を押すのではなく、空気で水を押すのだ。そうしたら空気が混じって燃え易くなるのではないだろうか。そこまで考えた時、カラフルシュコシュコ(仮名)が頭に浮かんだ。

――あれっ、ひょっとして!?

離宮に帰り着くと、イゾルテは作業室に飛び込んだ。


 小一時間して作業室から出てきたイゾルテは、アントニオを捕まえた。

「アントニオ、一緒に風呂に行くぞ!」

「そ、そんな、殿下、いけません。初めてはもっと優しく! ら、らめぇ~」

嫌がるアントニオを問答無用に風呂に連れ込むと、イゾルテはバッシャーンと勢い良く湯船に飛び込んだ。

広い浴室に思春期の男女が二人きり。

アントニオはすっかり興奮していた。

「で、殿下っ……!」

「ふふふ、どうしたのだアントニオ」

「何で服を着てるんですかっ!?」

うっかり期待してしまったアントニオは、騙された悔しさで激しく興奮――怒っていた。

「人前で服を脱ぐ趣味はないぞ?」

「じゃあ、なんで湯船に浸かってるんですっ!?」

「実験のためだ」

「実験?」

きょとんとしたアントニオにイゾルテは指示を出した。

「そこの燭台を湯船の近くに置いてくれ」

アントニオが言われたとおりにすると、イゾルテは体を深く湯船に沈めた。

「危ないから下がっていろ」

そういって水上に持ち上げたのは、カラフルシュコシュコ(仮名)だった。

「3、2、1――」

イゾルテは鼻まで湯船に沈めて、半月状の小さな黄色い部品(引き金)を引いた。

「――ゴボッ(ゼロ)」

するとカラフルシュコシュコ(仮名)の先端から透明な液体が飛び出し、空中でボワ~~~っと燃え上がったではないか! それはまさに、キメイラの炎の息吹のようであった。


 炎が消えた後、イゾルテは立ち上がって歓声を上げた。

「見たか、アントニオ! ビックリしたか? ビックリしただろう!?」

アントニオも内心驚いていたが、イゾルテの熱狂ぶりに圧倒されて返って驚き損ねてしまった。

「……今のはさっきの大道芸ですか?」

「ああ、あれと同じ原理だ。カラフルシュコシュコ(仮名)は火炎放射器(ポンプ式水鉄砲)だったのだ! この火炎放射器(ポンプ式水鉄砲)まで燃え上がるんじゃないかと心配したが、そういうことはないみたいだな!」

「これをどうする気ですか?」

イゾルテは火炎放射器(ポンプ式水鉄砲)の威力(?)に、すっかり興奮していた。

「どうするもなにも、明らかに武器だろう!? このいかにも軽薄な"贈り物"が、まさかこれほど恐ろしい武器だったとはな! それに武器を貰ったのは初めてだぞっ……!」

感動に打ち震えるイゾルテに対して、アントニオが疑問を口にした。

「贈り物? 貰った?」

失言に気付いたイゾルテはとっさに誤魔化した。

「あー、発掘隊から貰った、贈り物、ってことだヨ?」


 この火炎放射器(ポンプ式水鉄砲)は後に、陸軍の人力戦車『キメイラ』と海軍の艦載型大型火炎放射器『ケルベレス(地獄の番犬)』へと魔発展していくことになる。

『マッチポンプ』とは、本来は自作自演(マッチで放火してポンプ車で消す)のことですが、この話ではポンプの中にアルコールが入ってます。実際に放火してアルコールを注いだら、ただの放火犯にしかなりませんのでご注意下さい。

あと、ポンプ式水鉄砲だろうと、発射された水の中に空気が混じる訳ではありません。イゾルテがそう思っただけです。混じるとしたら、ノズルの先が詰まって霧吹き状になっているのでしょう。


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