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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第3章 太子擁立
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アムゾン海

 いよいよ暁の姉妹号の建造が始まり、アドラーもムスタファも忙しく働いていた。色々なアイデアを詰め込んだので、鍛冶職人や馬車職人など離宮の職人達の多くも造船所で仕事をするようになっていた。イゾルテも新神殿建立委員会の会合に出席したり、建造ドックを視察したりしているのだが、相対的にはやっぱり暇である。離宮で遊び相手がいないので、ミランダの所に遊びに行ったり、物思いに耽ることが多くなった。

 そこでふと、アントニオのことを思い出した。ローダス島沖の海戦で犠牲にした、第二分艦隊を率いていた故セルベッティ提督の息子である。マストの上から提督の死に様を看取りながら、マストの下で待っていた彼には何も言う事が出来なかった。今更どの面下げて、とも思うが、やはり妻子にはイゾルテから話をすべきだと思った。


 一度そう考えると居ても立っても居られなくなり、海軍に出向いて住所を問い合わせ、そのままセルベッティ家へと向かった。先導する護衛の騎兵に連れられて、イゾルテがやって来たのは4階建ての集合住宅だった。この街の市民のごく一般的な住居である。

 この突然の訪問に、セルベッティ親子は驚いた。

「突然の訪問、申し訳ない。お二人に伝えたいことがあって訪ねさせていただきました」

「わざわざのお越し、痛み入ります」

夫人は恐縮して頭を下げた。


「御夫君は私の命に従い、戦死されました。私はその壮烈な最期をこの目でしかと見届けました。彼らは敵艦隊を罠にはめ、艦隊旗艦を占領し、別働隊を拘束し続けました。あの戦いに勝てたのは、ひとえに御夫君と彼の部下のおかげでした。

 彼らを犠牲にした私を許して欲しいとは言いません。ただ、私が感謝していることだけはお伝えしたかったのです」

「お言葉、有難うございます。主人も誇りに思っていることでしょう」

軍人の家庭らしい、いい意味での堅苦しさがイゾルテには心地良く感じられた。


イゾルテは傍らに立つ少年の頭を優しくなでた。

「アントニオ。君が届けてくれた物のおかげで、最後の戦いに勝つことが出来た。ありがとう」

すると少年は、満面の笑みを浮かべた。

「本当ですか!? お役に立てて光栄です!」

「君は今でも海軍に奉職するつもりか?」

「はい、もちろんです。父の名を汚さぬよう、頑張ります!」

 イゾルテは「頑張れ」とは言えなかった。それは死へと近づく行為だからだ。だから彼女はこう言うことにした。

「そうか、ありがとう」


 アントニオの素直さは、擦れた大人ばかり相手にしているイゾルテには眩しかった。それはミランダに対する愛情に近いものだったかもしれない。イゾルテは気まぐれを起こした。

「その前に私に仕える気はないか? 軍に出入りするのに侍女を連れて行く訳にもいかず、いろいろと不便があったのだ。小姓のようなことをしてくれる少年を探している。将来海軍士官になる上でも良い経験になると思うが、どうだろう?」

「勿論です! いえ、よろしいでしょうか、母上」

「不出来な子ではありますが、殿下の良いようにお使いください」

こうしてアントニオ・セルベッティ少年は、イゾルテの小姓になった。




 ヒシャームがプレセンティナに書状を送ってから、3ヶ月が過ぎようとしていた。エフメトの元を訪れたヒシャームは、ぼそりと言った。

「未だに返答がありません。戦うことになりそうです」

それはいつまでも動く気配のないエフメトへの催促だった。そろそろ準備しなくては、今年中にペルセポリスを包囲することも出来ない。

「渡河が第一の難関です」

「そうだな。9年前は艦隊を出して敵を牽制できた。大型船でアムゾン海やメダストラ海を通ることも出来た。だが今は海上ではプレセンティナに歯がたたない。敵の目を盗んで、夜間に無数の小舟で海峡を渡るぐらいしか手がない」

「兵士はそれでもいいでしょう。50万が40万に減っても大した問題ではありません。ですが殿下の身に万が一のことがあれば、全ては潰えます」


 難しい問題だったが、エフメトは落ち着いていた。

「それについては、考えがある」

「どうなさるのです」

「渡らぬ」

「……どういうことです?」

「サメと戦って勝つことは、この場合実に簡単だ。陸の上で戦えばいい」

一瞬、ヒシャームはエフメトの真意を測りかねた。

「まさか……アムゾン海を迂回する気ですか?」


 アムゾン海は、ペルセパネ海峡の北に広がる広大な内海である。その西岸にはタイトン諸国、北岸から東岸には遊牧民のハサール・カン国がある。南岸のドルク国内も含めると、一周は5,000ミルムほどもある。


 訝しむヒシャームに、エフメトはニヤリと笑って自信を見せた。

「既に可汗(ハサールの王)とは話を付けた。ハサールの軍とともに、アムゾン海の北からタイトンに攻め入る。その同盟の証に、俺は可汗の娘と結婚する」

その言葉にさすがのヒシャームも驚いた。

「今まではその交渉をされていたのですか!? しかし、ハサールの娘を娶るのは……蛮族ですぞ?」

エフメトは肩をすくめた。

「イゾルテ姫にはフラレてしまったのだ。別の姫を探さねばなるまい? 安心しろ、使いに行ったハシムの話では美しいそうだ」

エフメトの視線を受けて、後ろに控えていたハシムが溜息をついた。

「肖像画にしたら、と申し上げたはずです。確かに見た目は魅力的でしたが、その振る舞いは市井の娘よりも酷いものでした」

「俺は奔放なのは嫌いじゃないぞ。特に(ねや)ではな」

「……きっと、『魔女』の方がまだマシですよ。プレセンティナの姫ですから、行儀作法はしっかり仕込まれているでしょう。『魔女』がどんなに醜かろうと、アレに比べれば絶世の美女に思えますよ」

エフメトは意外そうに片眉を上げた。

「なんだ、お前にはまだ見せたことがなかったか? 実際に『魔女』は絶世の美女だぞ?」

「えぇ!? そうなんですか?」

「ようやく新しい肖像画が届いてな。まだ美女と呼ぶには女らしさが足りないが、もう少し胸が大きくなれば言うことはない。ふふふ、ペルセポリスを落としたら『魔女』も必ず俺のものにするぞ。おっと、今のセリフは"妻"には内緒だ」


 脱線する2人を尻目に、ヒシャームは感慨深げにボソリと呟いた。

「わずか2ミルムの海峡を越えるために、遥々5000ミルムを征く訳ですか……」

「ああ、だがその価値はある。プレセンティナだけでなく、アムゾン海沿岸を全て征服するのだ。だいたい、国内で1500ミルム、ハサールで2000ミルム、タイトンで1500ミルムを移動することになる。

 問題は補給だ。仲間にする以上、ハサールでは略奪が出来ん。タイトンでは略奪もできるが、そうするためには時期を選ばなくてはならん。麦の収穫される6月より前に穀倉地帯を押さえないと、収穫を抱えて籠城されてしまう」

「ならば、ハサールで冬営することになるでしょうな」

「ついでに婚礼もな。だが今から動くのでは、とても準備ができない。今年と来年の収穫でもって、進路上の各地に備蓄しておくしかあるまい」


 エフメトの説明にヒシャームは頷いた。『魔女』を娶ると言い出した時のように、エフメトの突拍子もない発想の裏には、冷徹な計算が含まれている。ヒシャームは運命共同体となったエフメトの能力に、次第に信頼を寄せつつあった。

「その手のことには、適任者がいます。ローダス攻めの際の部下で、微妙な立場にいる者です。命を助けてやれば、必至に働くことでしょう」

「よし、父上に言って貰い受けよう」


 こうして大筋の作戦が決まったものの、ヒシャームは微妙な立場のまま来年を待つことに居心地の悪さを感じていた。

「しかし、時間がかかりますなぁ」

ヒシャームのボソリとしたつぶやきは答えを求めてのものではなかった。だがエフメトはしばらく考えこむと、ヒシャームに問いかけた。

「ひとまず小当りして、プレセンティナにはこの件は終わったと思わせてはどうだろう?」

「どういうことです?」

「5万、いや10万の兵で渡河を試みる。そして、痛手を受けた所で撤退するのだ。そうすれば奴らは、「もう終わった」「海さえ守れば大丈夫」と思うだろう。そうやって安心している所に、ハサールから攻め寄せる」


 それはヒシャームには無駄な一手に思えた。だがこれほど壮大な計画なのだ、少でも助けになるのなら陽動でも欺瞞工作でもしておいて損はないだろう。

「その一手は、今年の冬あたりで如何でしょう。退いた兵をそのまま北に連れて行けます」

「そうだな。ではそれまで、せいぜい交渉を長引かせてくれ」

しかし、返事がない以上交渉も何もない。ヒシャームは少し迷い、こう答えた。

「では、改めてまた同じものを送りつけておきましょう」

こうして新たな書状が送られ、再びルキウスの手によってくしゃくしゃに丸められることとなった。

ハサール・カン国=ハザール・カン国

名前だけモデルにしました。

国の中身は遊牧民の国だってことしか知りません。

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