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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第8章 ムスリカ編
300/354

サナポリ3

 翌朝セルカンはティムルに会うため、たった一人でモンゴーラ軍の陣へと向かっていた。彼に味方はいなかった。確かにプレセンティナも無駄な戦いは望んでいなかったが、戦いになっても勝つ自信を持っていたからだ。この後にプラグの本隊が来ることを考えれば、むしろ今のうちに各個撃破を試みるのが定石である。目前の戦いを回避しようとティムルを説得するのは、極論すればセルカン個人のワガママに過ぎないのだ。

――だが逆に、ティムルと利害が一致する点もある。そこを突けば、戦いを回避する以上の成果を出せるかもしれない。

 決死の覚悟を決めていた彼は、堂々と真正面からモンゴーラ軍の陣営に近づいていった。当然ながらすぐさま彼は発見され、白刃を煌めかせるモンゴーラ兵たちに取り囲まれた。

「%&$#!?」

モンゴーラ語で発せられた叫びを彼は理解できなかったが、それが誰何(すいか)であることは想像がついた。刀を突き付けられ弓を引き絞られた切迫した状態だったが、むしろ彼は安堵していた。ぶっちゃけ一番ありそうだったのは、何一つ話さないうちに問答無用で射殺されちゃうことだったのだ。

――交渉にさえ持ち込めれば、成功の見込みは十分にある!

彼は余裕の笑みを浮かべると、モンゴーラ兵に何一つ脅えることもなく堂々と答えた。

「おほほほ、私はセルピナと申しますわ! ティムル様とは以前お目にかかったことがございますの。セルピナが参ったとお伝えして頂けます?」

流ちょうなカンザスフタン語でそう答えると、彼は堂々とウィンクし、堂々と腰をくねらせて堂々と(しな)を作った。彼の堂々たる胸の膨らみ(◆◆◆)に視線を奪われながら、兵士達はただコクンと頷いた。



 そのころティムルは、昨晩のうちに射ち込まれた(けど朝まで誰も気づかなかった)矢文を読んでいた。そこには幾分ぎこちなく、しかし確かなカンザスフタン語で短い文章が書かれていた。


 ならば往かん、我と共に

 悍馬よ、汝の家族は我の家族


「……何だこれ?」

 昨晩兵達に歌わせたのは、子供達が馬を追いながら歌う牧歌である。ありふれた歌だがなぜかサビーナの母がよく歌っていたので、それを聞かせることで彼らが同族であることをサビーナに知らせ、その反応を引き出そうとしたのだ。もっともその内容は、「馬は意外に寂しがり屋で神経質で面倒くさい生き物だから気をつけろよー」というだけだ。続きも無い。だがこの矢文に「悍馬」が出てくる以上、これは昨夜の歌に対する反応だとしか考えられなかった。

――そういえば姉上は替え歌が好きだったな。というか、歌詞を忘れていても適当に歌っちゃう人だった。たまに他の歌と混じってることもあったし……

ひょっとすると彼女は、勝手に歌詞を追加して歌っていたのかもしれない。親兄弟と離ればなれになって暮らす彼女自身を「悍馬」に例えていたのだろうか? だとすれば「我」は夫であるプラグということになる。だがプラグがこんなことを言うだろうか? そもそもカンザスフタン語も話せないのに。

――まさか……間男? う、浮気相手が考えたんじゃないよな? そして姉上がその男を思い浮かべながら歌ってるのを、サビーナが覚えちゃったんじゃないよなっ!?

恐ろしい想像である。ビルジごときを裏切るのとプラグ本人を裏切るのでは訳が違う。でもプラグの妻なんて掃いて捨てるほどいるし、プラグが遠征に出かけていることも多い。女だって性欲があるんだから、ついつい手近な男とそういうことになっちゃったりしても不思議はないのかもしれなくも無かったりするのかも……

「ない! いや、そうかもしれなくもないんじゃなくて、そんなことは絶対ない! そう、我々こそが悍馬なんだ! 我々と一緒に故郷に帰りたいということなのだぁーっ!」

彼はそう思うことにした。そうであって欲しいと願った。そうじゃなかったらサビーナがどうこうという以前に致命的だから。見張りの兵が困惑顔でやって来たのはそんな時だった。

「族長、セルピナと名乗る女がやって参りました」

ティムルは思わず耳を疑った。

「セルピナ? ……あのセルピナなのか!?」

「いえ、"あの"って言われても困るんですが……」

 ティムルがセルピナと会ったのは、シロタクに連れられてビルジに挨拶に行った時のことだ。部族の者は誰も同行していなかったから、顔を見知っているのはティムル本人だけである。

「とりあえずお通ししろ。本人なら賓客としてもてなさなくてはならん」

「はっ」

 彼の認識するセルピナは女海賊でビルジの愛人というものだったが、それは一定の力を持っているという肯定的な意味でとらえられていた。そもそも彼らには海賊が悪い者だという認識が無かったし、有力者には妻が無数にいたって不思議じゃない。それに彼女が死んだ(と思われていた)サビーナに同情的な素振りを見せていたことで、多少なりとも親近感を感じてもいたのだ。彼女が補給に失敗したことで戦略上の不利益は被ったが、それだって直接生命に関わるような問題ではなかった。

――てっきり死んだと思っていたのだが、何でこんなところにいるんだ? ……いや、そんなことより、彼女がいたら情報がビルジに筒抜けではないか!

ティムルは頭を抱えた。せっかくドルクの士官を置き去りにしてきたのに、これではその意味がパーである。彼は何のために強行軍をしてきたのだろうか?

――いや、ものは考えようか。ビルジの愛人なのだからビルジの部下が護送すべきだ。そういうことにして士官を追い払えば更に時間が稼げるぞ!

一石二鳥の見事な案だ。だからこそ彼は満面の笑みを浮かべて彼女を迎えた。

「セルピナ殿、生きておられたか! 心配しておりましたぞ!」

笑顔で愛想を振りまくティムルを見て、天幕に入ってきたセルピナは笑顔のまま凍り付いた。彼はセルピナを死んだものだと思っていた訳だが、セルカンの方も彼が五体無事だと思っていたのだ。

「そ、その腕と足は……?」

「バブルンの戦いで傷を負いましてな。地獄の淵から戻ってきたものの、腕と足は置いてきてしまいましたわい」

かっかっかと笑うティムルにセルピナは乾いた笑いを返した。

――マズい、実はサビーナのことじゃなくて、傷の恨みでスエーズ軍を追ってきただけじゃないのか!?

追いかけてくるのが遅れたのも、傷を治療していたからだと考えれば納得できる。というか、普通は年単位で寝込んでそうなレベルの重傷なんだけど。セルカンは必至に挽回策を考えながらも、とりあえず当たり障りのない応えを返した。

「お、お互いに、命冥加なことですわねぇー」

「まことに、まことに。セルピナ殿もさぞや苦労なされたことだろう。いったいどういった運命の気まぐれで、こんなところにおられるのですか?」

いきなり核心に切り込まれてしまったセルカンは冷や汗を垂らした。だが変に誤魔化すことも出来そうになく、反って腹を据えることが出来た。

――ええーい、こうなったら虚実織り交ぜて一気に丸め込むしかない!

彼は胸元から扇を取り出すと、おほほと笑いながら口元を隠した。

「それは簡単なことですわ。私がサビーナなんですもの」

その場に漂っていた和やかな空気が、一瞬にして凍り付いた。

「今……何と言われた?」

「ですから、私がサビーナのフリをしてきたのですわ。ほら、私はカンザスフタン語を話せますから」

「…………!」

面と向かって嘘を告白されたティムルは、怒りのあまり右手を刀の柄に伸ばした。彼にはそれを押し止めんとする理性もあったが、残念ながらその理性に従って右手を止めるための左手が無かった。馬上でも片手で抜きやすいように作られた曲刀はすんなりと引き抜かれ、その禍々しい凶刃を露わにした! ……が、右手で刀を握っているせいで杖が持てず、片足の彼には立ち上がることも出来なかった。

「い、いったいどういうことだ! なぜ敵に協力したのだっ!?」

ティムルは座ったままブンブンと刀を振り回したが、セルピナは距離をとっていたので涼しい顔のままだった。……扇で隠されていない部分は。

「い、嫌ですわ! 命令されたからじゃないですの! 私から頭目の座を奪った妹も、さすがに姉を殺すのは忍びなかったのでしょうねぇ(棒)」

「……な、なるほど」

確かにセルピナはドルク語とカンザスフタン語が出来るのだから、サビーナのフリをさせるには適任である。ティムルとビルジにサビーナを追う理由があることを知っているのだから、ペルージャ湾から遠ざけるために囮を使うのも合理的である。

「……む? だとしたら、なぜ今自由の身になっているのだ?」

「え? そ、それは……」

ティムルの怒りは既に解け、刀を鞘に戻そうとしていたが、セルカンは言葉に詰まって冷や汗を垂らした。

――だめだ、もっと衝撃的な爆弾発言をして主導権を取らなければ……!

彼はゴクリと唾を飲み込むと、静かにこう告げた。

「それは……本当は私だからですわ」

「何が?」

「もちろん……サビーナの駆け落ち相手ですわっ!」

「……っ!?」

片手で刀を鞘に戻そうと四苦八苦していたティムルは、目が点になって思わず刀を取り落とした。

「な、何を、言っている? お、おまえは……お前は、女ではないか!」

腹を据えたセルピナは彼の叫びにも動じなかった。

「ふふふっ、だからこそお互いを理解し合えるのですわっ!」

「…………!」

ティムルは再び衝撃を受けた。だが言われてみれば確かにその通りだ。同じように男にしか分かり合えない話だっていっぱいあるではないか! 酒宴の席で女房たちの話が出ると男達は決まって言うではないか、「女には分からない!」と。

「……おや? つまりは単なる友人ってことか?」

確かに男にしか分からない話はいっぱいあるが、男同士で愛し合ったりするやつなどどこにもいない。……たぶん。

「なんだ、駆け落ちなんて言うからてっきり臥所(ふしど)を共にしたのかと思ったではないか」

「しましたわよ?」

彼は再び凍り付いた……が、今度はすぐに自己解凍した。

「いやいや、一緒に睡眠を取るといういう意味ではなくてだな。つまりその……」

「ですから、サビーナの●●●●を私が◆◆◆◆したり、逆にサビーナが私の■■■を……」

赤裸々な性描写にティムルは一瞬そのシーンを想像してしまい、真っ赤になった。

「わ、分かった! 分かったから!」

「本当に分かってるんですの? 私とサビーナは▲▲▲を★★★したり、◎◎◎を……」

「もういい! それ以上具体的な話をしてくれるなっ!」

自分自身の娘ではないとはいえ、サビーナは歴とした近親者なのだ。そういう赤裸々な話は聞きたくなかった。今度会った時に真っ直ぐ顔を見れないではないか!

――まさか、まさか女同士でそんなことまで……!

草原にも同性愛の概念くらいはあったが、それはもちろん禁忌(タブー)としてだ。だがそれもあくまで男同士の話であって、女同士で●●●●したり■■■したりするなんて、そもそも想像すらしたことが無かった。つまり禁忌(タブー)ですらない。「人間は空を飛んではならない」なんて掟が無いのと同様である。だが想像しちゃったその光景は意外にも嫌悪感を掻き立てるようなものではなかった。それどころかむしろ……

――いやいやいや! セルピナはともかくサビーナは姉上の娘ではないか! そんな姿を想像してはいかん!

ティムルはぶんぶんと頭を振ると、居心地悪げに椅子の上で腰をもぞもぞと動かした。だが気持ちと腰の座りとナニの据わりが落ち着くと、彼ははたと気づいた。子供が出来る可能性も無く、厳密な意味では操を奪われた訳でもない。自分の娘達がそういう関係だったとしても、遠くの家に嫁にやるくらいで済ますだろう。……息子だったら問答無用に殺すけど。この場合もサビーナはあんまり怒られないかもしれない。ビルジは大恥をかくけど、それはむしろいい気味だ。

「男と逃げるよりは全然いいな」

「もちろんですわ。サビーナは私に抱かれながら、『イイ! そこがイイのー!』って絶叫しますもの」

「だからそういうことではなくて!」

ティムルはまた真っ赤になった。セルピナはなんでこうエロ話に持って行こうとするのだろうか。それはもちろん、ティムルを動揺させて会話の主導権を握るためである。……たぶん。その証拠に、ティムルの慌て様を見たセルピナは更に一歩踏み込んだ。

「そうですの? でもビルジみたいに毎晩サビーナに乱暴を働いたり、火事を偽装して暗殺を企てるよりはイイ(◆◆)でしょう?」

「だから、そういう……」

叫びかけた言葉を、ティムルははっと飲み込んだ。

「……そういうこと、だったのか?」

コクンと頷いたセルピナの瞳はこれまで見たこともないほどに真剣だった。まあ、会うのは2回目なんだけど。

「ビルジはドルクの皇帝ですが、人心は離れ兵力もエフメト皇子に遠く及ばず、その実績においても何ら誇るものがありませんでしたわ。だからビルジはエフメト皇子の妻がハサール人だということを衝きましたの。エフメト皇子が支配者になれば、野蛮なハサール人に乗っ取られるぞ、と不安を煽ったのですわ。

 でもビルジ自身がモンゴーラ人の妻を迎え、モンゴーラ軍をドルクへと引き入れました。彼自身の言葉が、今度は彼自身を責めていたんですの。いずれモンゴーラからドルクを取り戻すつもりだったビルジにとって、サビーナは邪魔でしかなかったのですわ」

「…………」

ティムルはその話に半ば納得しつつも、同じ草原の民であるハサール人を野蛮人扱いされたことに眉をしかめた。まあ、彼の一世代前のアムリル部もモンゴーラ人を野蛮人扱いしてたからあんまり他人(ひと)のことを言えないんだけど。

「邪魔なら放っておけば良いものですが、可愛いサビーナを前にしてビルジは手を出さずにはいられませんでした。私も我慢できませんでしたし!」

「いや、お前は我慢しろ」

ティムルが冷静なツッコミを入れたが、無情にもセルピナは無視した。

「でも平然と人を裏切るあの男が、初めから捨てるつもりで抱いたのです。あの男は毎晩のようにサビーナを乱暴に犯し続け、更にはその様子を他人に見せつけて悦に入っていたのです!」

「そ、そんなことまで……!」

ティムルは絶句したが、かつてセルピナがビルジに対してそういうプレイが好きだと告白していたことも思い出した。つまりビルジがそういう性癖を持っていることを知っていたからこそ、あんな破廉恥なことを言って歓心を買おうとしていたのだ。セルピナは実は言葉ほど変態ではないのかもしれないと彼は思った。


「やがてサビーナに懐妊の兆候が現れると、ビルジはそれが公になる前に暗殺しようと試みましたの」

「サビーナに、子供が?」

「いいえ、ただの生理不順でしたの。あんな環境にいれば当然ですわ。でも懐妊が公になれば面倒になりますから、不確かな内に手を打とうとしたのですわ」

孫が出来たと知ればプラグが人を送ってきたりして介入を強めるだろうし、腹に子を抱えたまま死ぬことになれば「どうして妊婦を守らなかった」と責められることにもなるだろう。

「なるほど」

「宮殿から一歩も出ないサビーナを事故に見せかけて暗殺するには、火事を装うのがうってつけですわ。ビルジの企みを知ったとき、私は……我慢できなくなりましたの!」

「そうか……」

ティムルは俯いて唇を噛みしめた。放っておいてもサビーナが死ぬだけで、セルピナは何一つ困らなかったはずだ。同じようにアムリル部も何一つ困らなかったかもしれない。だがその安寧の代償として、自分の姪が虫けらのように扱われ、殺されてしまったとしても、果たして我慢できるだろうか?

――おのれビルジ……! サビーナにそんな不埒な振る舞いをしておきながら、まるでサビーナにだけ罪があるかのように脅迫していたのか……!

盗っ人猛々しいとはこのことである。ティムルは一つしか無い拳を強く握りしめると、のどからも絞り出すように低い声を出した。

「確かに、我慢できないな……!」

彼の瞳には怒りの炎が宿っていた。セルピナもその時の感情を蘇らせたかのように興奮した面持ちで頷いた。

「ええ。我慢できなくなった私はサビーナをベッドに押し倒すと、彼女の服を1枚また1枚と優しく脱がしたんですの! そして、そして私は……!」

「だから、そういうのは我慢しろ!」

「まあ! あのままビルジに暗殺されてれば良かったと言うんですの!?」

「そうじゃなくて! なんで押し倒して裸に剥く必要があるんだ!?」

「うふふふっ、身を隠すために使用人の服に着替えさせたからですわっ!」

胸を張るセルピナのドヤ顔に、ティムルは思わず歯ぎしりした。

――絶対わざと言ってる! やっぱりこの女は変態だ!

彼はセルピナにビシッと指を突き付けた。

「お前の話は分かった。確かに筋は通る。だがお前がビルジを探っていたということは、つまるところ最初から敵だったということではないか!」

核心を突くティムルの指摘にも、セルピナは実に堂々と応えた。

「ええ、その通りですわっ!」

普段のティムルなら一刀のもとに斬り捨てていたところだろうが、今の彼の胸中にはいろんな感情が渦巻いていてとても即断できるような状態ではなかった。まあ、刀も足下に転がったままだったんだけど。

「……では、どうしてワシがお前の言葉を信じねばならんのだ?」

「そうですわねぇー、誠意の証としてこの街の機密情報を教えて差し上げますわ」

「ほう?」

 ティムルに力攻めをする気は無かったが、機密とやらにはもちろん興味があった。プラグの到着後に献策するなりなんなり、幾らでも使い道はあるだろう。

「このサナポリの城壁、罠ですわよ?」

「罠? はっ、何を愚かな! 敵兵が待ち受けていることなど先刻承知しておるわ」

ティムルが呆れると、何が楽しいのかセルピナが笑い出した。

「うふふふふっ、そう思われるでしょう? でも兵士達が今か今かと待ち受けているのは、後退の合図ですのよ?」

「……なに?」

「適当に戦った後、さっさと()の城壁まで下がることになっていますの」

「次の城壁?」

「そうですわ。そしてしばらくしたらまた次の城壁へ。そうやって12重の防御線の奥へ奥へと引き込む作戦ですの」

「じゅっ、じゅうにぃ~っ!? そんな馬鹿なっ!」

街は拡大と共に城壁を増築するものだが、大抵は邪魔になった城壁をぶち壊すものだ。残してもせいぜい3重くらいであり、12重の城壁を残している街など聞いたこともなかった。だがセルピナは不審げなティムルに向かって、人差し指を立てるとちっちっちっと左右に振った。

「200万以上の難民が流れ込んだことで、都市を急拡大する必要があったのですわ。難民達自身を働かせ、本来の城壁の外に100以上の区画を作り出したんですの。自らの盾として、ね?」

むちゃくちゃな話だったが、これほど巨大な都市の城壁がそこらの農村レベルに見窄らしい理由がこれで納得できた。きっと適当に作った日干し煉瓦を積んだだけなのだろう。本質的には土塁と大差なかった。

「……だとしても、あの粗末な城壁を12枚破れば良いだけだ。我らにはそれを成す術がある」

「バブルンの城門をこじ開けた火薬玉ですわね? 確かに12枚の城壁を越えれば中心部に入ることが出来ますわ。でもその前に、左右の区画から回り込んだ兵士達がせっかく開けた城壁の穴を塞いでしまうかもしれませんわよ? そうなれば城壁の中で籠城するのはあなた方のほうですわね♪」

からかうようなセルピナの声に、ティムルは苦虫を噛んだ。

「そうか、100区画とはそういうことか……!」

同心円状に12重の壁があるだけなら11箇所穴を開けるだけで11/12を制圧できる。しかし100区画に細分化されていたら11/100しか掌握できないのだ。むしろ奥へ進めば進むほど、逃げ場もなく四方から攻撃されることになるだろう。その上退路を断たれれば万事休すだ。

 一方セルカンの方も、本来こんな重要機密を勝手に漏らしたら裏切りと受け取られ兼ねないところだ。だが「どうせビルジの密偵が報告するんだろ」と見切りを付けて自分から漏らしたのである。既に密偵から報告を受けていたとしても、それならそれでセルカンが真実を語っているという裏付けになる。廃品の再利用といったところだ。それにこの情報を聞いて攻め(あぐ)ねてくれれば、それはそれで十分な時間を稼げることだろう。

 ティムルは唇を噛みながらも覚悟を決めたように小さく頷いた。ビルジがモンゴーラに叛意を抱いているのであれば、これを誅することは反って忠義である。そう思うことにして、なんとか自分を納得させたのである。

「分かった。お前達の、その、なんだ、駆け落ち? を認めるかどうかはともかく、ビルジの元から逃げ出したことには納得した。駆け落ちを認めるかはどうかはともかくとして、ワシにどうしろというのだ? 駆け落ちを認めるかどうかはともかくとして!」

知恵を絞ったティムルだったが、やっぱり女同士の駆け落ちを正当化することは出来なかったようである。

「まずは駆け落ちを認めてくださいな。その上でティムル様には、ビルジを誘き寄せて頂きたいのですわ。まずは駆け落ちを認めて頂いた上で!」

「しかし駆け落ちを認めるかどうかはともかくとして、どうやって誘き寄せるのだ?」

「駆け落ちを認めて頂いた上で、サビーナがここにいると教えてやれば良いでしょう?」

「駆け落ちを認めるかどうかはともかくとして、ワシがどうやって知ったことにするのだ?」

「駆け落ちを認めて頂いた上で、私が教えたのだと正直に仰れば良いではありませんこと? いえ、はっきり言ってしまえばよいのですわ、私がサビーナと駆け落ちしたのだと!」

二人は引き攣った笑みを浮かべながら睨み合った。どちらも一歩も引かない覚悟である。二人の意見は平行線のように未来永劫交わることが無いのかもしれなかったが、ビルジを罠に填めるという些末な点については妥協に至ったようだ。

「なるほど、分かった。駆け落ちは認めないが、それならビルジも海賊討伐も切り上げるかもしれんな」

「へ? かいぞくとうばつ?」

今度はセルカンの目が点になった。

「ん? 知らんのか? ビルジはペルージャ湾の海賊――つまりはお前の妹を討伐に行っているのだ」

「…………」

セルピナの顔がサーっと青くなった。イゾルテが海路でスエーズに向かっていることは知っていたから、サビーナも同行しているのだとなんとなく思っていたが、よく考えれば具体的なことは何一つ聞いていなかった。ひょっとするとまだ海賊に預けているのかもしれなかった。

「どうかしたのか?」

「……サビーナは、その、ペルージャ湾に、いる……かも?」

彼女が引き攣った笑顔でこくりと首を傾げると、ティムルの顔からもさーっと血の気が引いた。

「お、おまえ! 全然囮になっていないではないか!」

「囮になってますわ! ティムル様は引っかかったではないですのっ!?」

「ワシだけ引っかけてどうする!? ビルジを引っかけろ!」

「そんなの知りませんわ! そもそもなんでビルジは私を追って来なかったんですの!?」

「それはワシが! ……黙ってたから」

「ああっ! ……なるほど」

お互いにそれ以上責めることは出来ず、二人は気まずげに黙り込んだ。もっと早くから協力していればこんなことにはならなかっただろうに。

「と、とにかくビルジを誘き寄せる件は分かった。だがその後どうするのだ? お前が閨に忍び込んで暗殺するのか?」

「え?」

元々の計画ではイゾルテが何とかしてビルジを倒すことになっていた。しかし彼のセルピナへの入れ込みようを鑑みるに、暗殺それ自体は至極簡単であろう。前回は下手にビルジを殺しちゃうと反ってプラグ本人が動き出すんじゃないかと懸念して暗殺を手控えた訳だが、今となっては構わないだろう。イゾルテが殺すか、セルカンが殺すかという違いしかない。

「本当は戦って叩きのめす予定だったんですけど……出来ますわね、暗殺」

その答えを聞くなりティムルは膝を打った。

「よし! 暗殺実行犯としてお前の首は塩漬けにしてプラグ様の所に送られることになるが、これで四方丸く収まるな! 我が部族も安泰だし、駆け落ちも認めなくて済むし!」

ティムルが同意したのはビルジを殺すことについてであって、別にモンゴーラを裏切るつもりはないのだ。プラグから暗殺犯の始末を求められるのは当然であり、それに応えるのもまた当然だった。

「や、やっぱり無理ですわー! エッチするところを他の男に見せつける約束をしちゃいましたし、きっとごつい護衛達がガン見してる前ですることになりますものっ! だいたい裸では武器も持ち込めませんわっ!」

「だが女の密偵なら、こう、ぎゅぎゅっと締め付けて殺すとかできるだろう?」

「無理ですっ! どう頑張っても去勢くらいが関の山ですわっ!」

「去勢?」

ティムルは驚いたように片眉を上げた。

「……首を絞めることで去勢出来るのか? ふーむ、馬にも応用できれば役に立ちそうな技だな……」(注1)

「あ、いえ、今のは忘れてくださいな」

セルピナは視線をそらし、何をどうやって絞めたら去勢できるのか明らかにしなかった。

「と、とにかく、ビルジは戦場で倒しますわっ!」

セルピナは胸を張ったが、どうやって倒すのかは何も知らなかった。

「しかし、必然的に我らも戦うことになるんだが……」

「あっ……」

セルカンは二度にわたるペルセパネ海峡での戦いを思い出した。どちらもイゾルテが容赦のない勝ち方をした戦いである。特にエフメトを破った方はドルク兵の死体で海峡が埋め尽くされるかと思ったほどだ。あんな戦いに参加させられるくらいなら、むしろサナポリを攻めて逆包囲されてた方がマシだったかもしれない。これでは本末転倒だった。

「おい、どうするんだ? まさか戦場でビルジを裏切れとか言うんじゃないだろうな? それだけは断るぞ!」

セルピナはだらだらと汗を流しながら必死に知恵を絞った。

「え、えーっと……そうですわ! アムリル部の軍勢は北に行って貰いますわ」

「ワシは副将であるシロタク様の指揮下にあるのだ。理由も無くそんなことは出来ぬ」

「だからこそですわ! シロタク様に因縁のある方に動いて頂きます。ティムル様はシロタク様に従って北に向かってくださいな」

「因縁? 誰のことだ?」

「エフメト皇子の妃にしてハサールの公主でもあられるニルファル殿下ですわ」

二人の因縁を知らないティムルは眉根を寄せた。

「どんな因縁があるんだ?」

「なんでも先の戦いでニルファル様がシロタク様の捕虜になり、散々に弄ばれたそうですわ。その時の屈辱、よもや忘れてはいないでしょう」

ティムルはますます眉根を寄せた。ニルファルがシロタクを恨んでいるのならよく分かるが、なんでシロタクの方がニルファルに執着してると思うのだろうか? ひょっとしてシロタクもビルジのような変態趣味があり、その時の興奮が忘れられないのだろうか?

「何でシロタク様がニルファルを追いかけると思うんだ? むしろ逆ではないのか?」

「いえ、ですから、人質になったニルファル様が、人質にしたシロタク様を弄んだのですわ」

「はあ?」

ティムルはますます混乱してしまった。

「もしお疑いでしたら、ろうそくを持った兵士をシロタク様の背後に立たせてみてください。詳しいことは分からなくても、何か事情があることだけは理解できますわ」

セルピナの意味ありげなほほえみに、やっぱりティムルはますます混乱してしまった。二人の間に何があったのか全く想像も付かなかったが、腑に落ちないのはそのことだけではなかった。彼は疑いの目をセルピナに向けた。

「何だか良く分からんが、主君の妃だぞ? そんな大事をお前の一存で決められるのか?」


セルピナは姿勢を正すと表情を改めた。

「私の育ての父はエフメト皇子の宰相ベルカント・コルクト、そして同腹の弟は皇子から全50万の兵権を託されたハシム・コルクト将軍(パシャ)ですの」

「なにっ!?」

思わぬ大物の名にティムルは目を剥いた。まさかこんな変態尻軽女がドルクを二分する一方を実質的に支配する一族の者だったとは驚きである。まあ、もう一方はビルジなんだから、どっちも変態でお似合いかもしれないが。

「ですから多少は顔が利きますのよ。安心してサビーナを任せて下さいね♪」

ついさっきサビーナの身を案じて真っ青になっていたのに口の減らない女である。ティムルは口をへの字に曲げながら精一杯の皮肉を口にした。

「なるほど、ビルジと同じ腐ったドルク貴族の血が流れている訳か。それなら納得だな!」

だがセルピナは穏やかに微笑みながら、しかし実に誇らしげに答えた。

「私の母はスラム人、生みの父(注2)はハサール人ですの。この体にはサビーナと同じ草原の血が流れていますのよ?」

ティムルはふんっと鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わずただ左手を差し出した。彼が小さく舌打ちしたのは、握り返したセルピナの手の平が自分と違って全く汗を掻いていなかったせいであった。(注3)

注1 モンゴルでは雄馬が雌馬を巡って決闘したり仲違いするのを防ぐため、リーダーの一頭を除いた他の雄馬を去勢します。

多くのキャバ嬢達を侍らせ、オカマたちにもモテモテな新宿の夜の帝王(?)みたいな感じでしょうか。

雌馬は子供を生んだり育てるのに必要なので大切にされ、結局働かされるのは去勢馬です。世界を席巻したモンゴル騎馬軍団のほぼ全員がオカマの馬に乗っいたということでしょうか?

ちょっと不思議な感じがしますね。


注2 生母という意味の「生みの母」はよく聞きますが、「生みの父」はあんまり聞きません。そもそも父親は産みませんからねぇ。

不安になって調べてみましたが、辞書に『生父せいふ → 生みの父。実父。』と書かれていたので問題ないようです。


注3 手の平からは主に精神的な原因で汗をかきます。テンパると寒くてもダラダラ溢れ出しますが、暑くっても手の平からはあんまり汗を掻きません。

ただし、訓練によって発汗を減らすことは出来るようです。

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