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太陽の姫と黄金の魔女  作者: 桶屋惣八
第3章 太子擁立
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ニ輪荷車

 イゾルテは悩んでいた。感情が昂っていたとはいえ、まさかテオドーラとキスをしてしまうとは。(二度目だけど) しかも、ただ唇を合わせただけではない。舌が絡みあい、お互いを求めて激しく吸いあったのだ。あの時の息苦しくも蕩けるような心地を思い出すと……

「いかん、いかん!」

イゾルテは激しく(かぶり)を振った。


 あの時は、イゾルテは冷静ではなかったのだ。死ぬこと以外で皇族の義務から開放される可能性は、これまで考えたことすらなかった。国のために死ぬことは彼女にとっては救いでもあり、叔父たちの死に密かに憧れてもいた。だが、皇女ではなくなった自分がそれでも生きていることを考えた時、彼女は言い知れぬ不安にとらわれていた。

――私に残されるのは何だ……? ドルクの人々に忌み嫌われる『魔女』だけなのではないか? 許されぬ罪だけを背負いながら、何の義務も負わず、人々に憎まれながら、それでも生きなければいけないのか……?

依って立つ大地が揺らぐような不安の中で、彼女は衝動的に父の元に押しかけ、衝動的に皇女として死ぬことを望み、衝動的に姉にキスしてしまったのだ。そしてその衝動的で情熱的な熱いキスの味は……

「いかん、いかん!」


――まさか私は女が好きなのか? いやいや、私はノーマルだ! ノンケだ! 異性愛者だ! その証拠に、周りは男ばかりではないか!

 イゾルテは身の回りの男のことを考えてみた。一番身近なのはムルクスとアドラーだろう。だが年寄りだ。

 ムスタファも、若く見えるがおっさんである。スキピア子爵も、年はムスタファと大してかわらない。彼らは話は合うものの、男同士の友人という感じだ。


 おっさんといえば、第2分艦隊司令だった故セルベッティ提督には惚れたかもしれない。

――うん、私も最期は()くの如くありたいな。

男惚れだった。


 その息子のアントニオ少年はどうだろう。ほとんど話した事はないが、知り合いでは一番年が近いだろう。12歳か13歳といったところだろうか。

――意外と良いかもしれないな……。

素直な年下の少年を可愛がるというのは、背徳的な何かがある。イゾルテは少し想像してみた。

「ふふふ、お姉さんが教えてあげよう」

「ど、どんな事をですか?」

想像は終わった。イゾルテは何も知らなかった。


 水夫や水兵たちは、不潔なのでキスする気になれそうにない。

――陸の上ではちゃんと風呂に入っているのだろうか?

離宮に出入りする職人たちも、親方ばかりなので皆んなおっさん、いや、おやっさんだ。

――一度、弟子たちにも会ってみようかな。

学者の中には若いのもいる。

――でも、恋愛に興味がなさそうだしなぁ。

イゾルテは自分を棚に上げていた。


 その他といえば、ムルス騎士団はどうだろう。だが、団長はおっさんだったので駄目だ。

――そういえば、つきそいに若いのがいたな。ベル……ベルテルン……だっけ? 顔つきは悪くなかったな。

でもなぜか、テオドーラとしたように愛を囁いたり、唇を交わす情景は想像できなかった。ましてや、あの蕩けるような甘く激しいキスは……

「いかん、いかん!」

イゾルテは激しく(かぶり)を振った。


「まぁいい。一生独身でいると誓ったんだし」

イゾルテは悩みを棚上げにした。



 かつて学者と職人たちが離宮に出入りするようになった時、古代の遺物(と説明されているが本当は神様からの贈り物)を整理するにあたって、まずその分類から始めた。その分類基準はいろいろあった。

・その機能が判明しているかどうか

 用途不明なものがたくさんある。遠くと話す箱(無線機)や黒い板(ソーラーパネル)もかつては用途が不明だった。


・その機能が役に立つかどうか

 使い方が分かっても愚にもつかない物もある。例えば、叩くと「へぇー」とか「ガッテン」とかしゃべる何か。何の役に立つのか全く分からない。もっとも、実は叩く度に100ミルム先で竜巻が起こっている可能性だって否定はできないのだが。


・大きさや重さ

 乾いた筆(鉛筆)やインク入りの筆(油性ペン)のように小さなものから、白鳥(スワンボート。新型ガレー船の雛形)のような巨大で邪魔なものまである。


・再現可能かどうか

 遠くと話す箱(無線機)のように原理からして全く理解できないものもある一方で、羅針盤や濃縮器(蒸留器)のように現代の技術でも再現できるものもある。糊の付いた紙(付箋紙)のように、完全には再現できなくても似たようなものなら作れる場合もある。そして、出来そうでできないとっても悩ましいものもある。その筆頭が二輪の荷車(自転車)だった。


 二輪の荷車(自転車)の再現は、その類似性から馬車職人チームが主管していた。

「殿下、試作機が完成しました!」

「うむ、今までとはどう違う?」

「1號機では導力鎖(チェーン)の再現ができず、失敗に終わりました。そこで2號機ではシャフトを用いた訳ですが、強度が足りずに走行中に折れました」

「あれは痛そうだったな」

試験走行では折れたシャフトが地面に突き刺さり、つんのめった運転手が凄い勢いで地面に頭突きをかましていた。木製の兜(ヘルメットのレプリカ)をかぶっていなかったら、脳震盪とむち打ちだけでは済まなかっただろう。

「それで3號機は?」

「今回は導力鎖(チェーン)もシャフトも使っておりません。御覧ください」

ガバっと覆いを跳ね除けると、そこから現れたのは珍妙なものだった。

「なんだか……随分と違うな」


 3號機は原型となった二輪荷車(自転車)と比べて、前輪が二回り大きくなっている一方で、後輪が劇的に小さくなっていた。

「今回は思いっきり妥協しました。まず厄介な変速機構を省くことにしまして、だったら直接車輪を回してはどうかということになりました。

 そうすると運転姿勢に無理があるので、後輪ではなく前輪を回すことになり、同じく運転姿勢の関係で後輪が小さくなりました」

「レバーがついていないが、どうやって止まるんだ?」

「前輪を直接回すので、足を止めれば回転も止まります」

「なるほど。ちょっと乗ってみて良いか?」

「どうぞどうぞ。

 あ、でも兜(ヘルメット)はかぶってください」


 イゾルテがペダルに片足を乗せ、ゆっくり踏み込みながら跨ると、試作3號機はゆっくりと進み始めた。

「おおぅ、これは結構難しいぞ!」

重心が異常に高い上に、足が地面から遠く離れている。その上オリジナルと違って常にペダルを回さないといけないので、横転に備えて足を構えることもできない。だが、オリジナルに乗り慣れていたおかげか、それともマストに登り慣れて高さの感覚が馬鹿になっているおかげだろうか、イゾルテは次第にコツを掴んできた。

「これはこれで、違った面白さがあるな!」

イゾルテは職人たちの見守る中で、中庭をぐるぐると何周もした。最後にはわざと急に回転を止め、つんのめるのを利用して前方に飛び降り、振り返ってハンドルを掴んだ。

「おおー!」

イゾルテの軽業に一同が拍手と歓声を送った。


「これは中々良いと思う。だが、初心者には難しいぞ。この高さでは、頭を打って死ぬものまで出るかもしれない」

「馬よりは低いですよ」

「だが馬よりも遥かにコケ易いだろう。何か安定する工夫はないだろうか」

「うーん。いっそ、馬車みたいに4輪にしますか?」

「4輪? 同じものを2つ繋いで、"白鳥"(スワンボート)みたいに2人で漕ぐのか?」

イゾルテはそう言いながら、自分の言葉に引っ掛かりを覚えた。

――同じものを2つ繋ぐ? どこかで見たような……


「いや、さすがにそれは操縦が難しいでしょう。やはり前輪は1つ……ああっ!」

「どうした?」

「後輪を3つにしてはどうでしょう?」

「何?」

「現在の後輪の左右に、横転防止のための車輪を付けるのです!」

「おお、それは確かに安定するな! ……でも、取り回しも悪くなるぞ?」

「慣れたら外せば良いのですよ」

こうして量産型ニ輪荷車(自転車)の方向性が決まった。(もはやニ輪じゃないけど……)


「では4號機は、後輪3つのを作ってくれ。後は柔らかい車輪が欲しいところなんだがなぁ」

黒くて柔らかい車輪(ゴムタイヤ)の再現は、博物学者チームが材料探しをしているのだが、未だに再現の目処は立っていない。

「とりあえず、車輪と皮の間にフェルトを入れていますが、すぐに潰れて硬くなってしまうでしょうね」

「前輪をもう一回り大きくしよう。そうすれば多少はマシになるだろう」

「分かりました」

後日完成する試作4號機は、イゾルテの承認を得て量産が開始されることになる。


「それと、導力鎖(チェーン)と変速機の研究も続けて欲しい。2輪荷車(自転車)には使えなくても、他で使い道があるからな」

「そのあたりは鍛冶職人チームがやっています。大きな試作機は動くのですが、2輪荷車(自転車)のサイズまで小型化するのが大変なのだそうです」

「なんだ、そうだったのか? ならば条件は全て揃ったな!」

「何の話です?」

イゾルテは面覆い(シールド)からわずかに覗く口元をニヤリと歪めた。

「ふっふっふ。世界で最も小さな乗り物の次は、世界で最も大きな乗り物だ」

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