平安の都 その11
すみません、またまた遅くなりました。
せめて週2回くらいのペースには戻したいんだけど……
その朝爆音に叩き起こされたバールは、飛び起きて武装を整えると宮殿の中庭で馬にまたがり、三々五々に集まってくる兵と情報を待った。各門の守備隊から送られてきた伝令によると、モンゴーラ軍は4つの門を同時に攻撃したようだった。
北西の門は最初の2発の攻撃を受けた直後に反撃して敵を撤退に追い込み、南西の門は4発喰らった後に鉄格子を下ろして守りを固めると敵はそのまま撤退していった。南東の門に至っては、4発喰らった後にようやく反撃の矢を放とうとしたら、敵は投石機を置いてスタコラサッサと逃げ出した後だったそうだ。つまりこちらが何ら具体的な行動を取らないうちに、用は済んだとばかりにさっさと撤退してしまったのだ。
――揺動のための攻撃だったのか?
バールは考え込むように眉根を寄せたが、揺動作戦なら四方に攻撃を仕掛ける意味がないし、もうちょっと多くの兵を用意するものだ。敵の思惑は良く分からなかったが、バールはとりあえず鉄格子を下ろすように命令を出した。
どこも石材が少し欠けたとか門扉の金属板が剥がれたという程度の被害しか受けておらず、とりあえず致命的な問題は起こっていない。街中に響き渡った爆音の異常さに比べれば拍子抜けするような損害だった。しかし北東の門だけは様子が違った。
「北東の門も敵を撃退しました。負傷者もいません。ですが……鉄格子が下りなくなりました」
「……何だと?」
「最初の攻撃で壊された欠片が、鉄格子と石材の間に挟まってしまったのです。門扉の半分ほどが露出した状態です」
バールは再び眉根を寄せた。今すぐどうこうという程には深刻ではないものの想定外の事態である。何とも不気味だった。
――未知の兵器に想定外の事態……まさか、敵の狙いは初めから|これ≪◆◆≫だったのか!?
彼らは焙烙玉の正体に気付いていなかった。スエーズは貧乏かつ質実剛健なお国柄だったから、彼らにとって花火――つまり火薬は縁遠い存在だったのだ。況してそれを兵器に転用するなど容易に想像出来る事ではない。長城を利用した機動防御と攻勢防御を主体とする彼らに対して、ドルクは足の鈍い大砲を使ったこともなかったし、その必要性も感じていなかった。長城を破るだけなら投石機で十分だったのだ。破ってる間に反撃を食らって蹴散らされちゃうだけの話で。
「敵の攻撃はどんなものなのだったのだ?」
「分かりません。直径50cmくらいの球状のモノを投げ込んできたのですが、何で出来ているのか見当も付きません。燃える煉瓦{アスファルト製の日干しレンガ}で攻撃したら盛大に爆発して投石器ごと木っ端微塵になってしまいましたので」
「なっ、なにっ! 新型投石機まで破壊されてしまったのかっ!?」
伝令は慌ててパタパタと手を振った。
「いえいえ! その新型投石機で反撃していたら、敵の投石器が突然爆発してしまったのです!」
「「「…………」」」
何とも恐ろしい兵器だった。使う方も命がけである。
――うーむ、その兵器がどんな物か分からなければ対策の立てようがないな。イゾルテ殿に相談してこようか……?
非常識な物のことは非常識な人間に聞くのが一番である。しかし敵を一旦後退させたとはいえ、いつまた攻撃を仕掛けてくるのか分かったものではない。籠城戦で最も大切なものは兵の士気だ。動揺する兵士達を放って一人で尖塔に閉じこもることには抵抗があった。だがバールは、騒ぎを聞いて駆けつけてくる兵士たちの中に場違いな人影を見つけた。
「おお、ちょうど良い! あの二人の変人……ゴホン! 賢人をここへお連れせよ」
「はっ!」
非常識な味方は何もイゾルテだけではない。非常識な兵器に関しては、非常識な兵器を作った人間に聞くのが一番ではないか! ……たぶん。
「これはこれはバール陛下、いよいよ敵の攻撃が始まったのですか?」
「おう、俺の可愛い新型投石器(注1)の出番はまだなのか?」
小太りの中年の方はともかく、老人の方は随分と乱暴な口ぶりだった。もちろんコロテス男爵とギャザリン技師長である。ついでに言うと、いつの間にか勝手に新兵器に名前を付けてしまったようだ。まあ、そもそも誰の――というかどの国の所有物なのか曖昧なのだけど。バールの部下達がギャザリンの無礼を咎めようとしたが、バールが手を差しのべて彼らをなだめた。
「幸い撃退には成功したが、先ほどの轟音は敵の未知の兵器によるものだ。これくらいの小振りな球体を投石機で飛ばしてきたのだが、それが爆発したのだ」
「「爆発……」」
二人は顔を見合わせた。彼らは専門ではないとはいえ、それぞれ火薬を使った兵器の存在を知っていた。
「なるほどなぁ。球を飛ばす方じゃなくて、球の方に火薬をのっけやがったか!」
「うーん、火薬の方を飛ばすというのはイゾルテ陛下も試みられてたんですけど、飛ばす方が上手く行かなくて何故か発煙弾になっちゃったんですよね。投石機で飛ばすっていうのは盲点だったなぁ」
二人は感心しきりだったが、実のところ同じ火薬量で城壁を破壊するのなら大砲が一番効率が良いのだ。大砲は爆発のエネルギーを一方向に収束し、かつ城壁の一点に集中して叩きこむことが出来る。一方城壁の|側≪そば≫で爆発するだけの焙烙玉や(当初計画していた形の)ロケ・コット花火ではエネルギーの大半を空中に飛散させてしまうのだ。バブルンほどの頑強な城壁が相手だと、焙烙玉で破壊するのは難しいのだ。だがそれが分かっていてもイゾルテが大砲を作ろうとしなかったのは、彼女にはそもそも攻城戦をする気がなかったからだ。野戦で――あるいは籠城戦で城外の敵に対して使うのなら、エネルギーは収束しない方が広範囲の敵を薙ぎ払えて都合が良い。匈奴軍が焙烙玉を使うのも野戦で使うためなのだ。……と言いたいところだが、実のところ焙烙玉を作ったのはツーカ帝国であって彼らは横取りしたに過ぎない。とはいえ、野戦でも攻城戦でもそこそこ使える汎用性が彼らの戦術にマッチしていたことは否めないだろう。
「待たれよ! お二人はあれがどんな兵器なのかお分かりなのか!?」
「まあ、だいたい想像はつきますよ」
「要するにアレだろ? 大砲ごと投げつけて暴発させるようなもんだ。世界広しと雖も、大砲を暴発させることにかけちゃあウチのモグラどもの右に出る奴はいねえだろうな!」
バールにはギャザリンの言っている事もモグラというのが誰のことかも分からなかったが、それはとても頼もしく聞こえた。……コロテス男爵は「うわぁ」と嫌そうに顔を顰めたけど。
「そ、そのモグラというのは誰のことだ? 今すぐここに連れて来てくれ!」
バールが馬上から伸し掛かるように詰め寄ると、さすがのギャザリンも後ずさった。
「そ、そう言われてもなぁ。モグラってのは大砲作ってた連中だが、大砲と一緒にエフメト皇子に連れられてったきりだぞ。もう2年も前の話だ。穴蔵は残ってるはずだが、誰か残ってるのかは知らねえぞ?」
「そうか……」
ぬか喜びさせられたバールはがっくりと肩を落としたが、兵の前では拙いと気づいて体裁を整えた。
「ゴホンっ! とりあえずそちらには人を遣って探して来させよう。ギャザリン殿には城門の鉄格子を直す方で協力して頂きたい」
「ふん、巻き上げ機でも壊しやがったか? まあどのみち投石機の様子を見に行くつもりだったから、ついでに直してやるよ」
ひとまずバールたちは問題の北東の門へと向かった。
一方シロタクは、まんまと鉄格子を機能不全に追い込んだことに浮かれていた。頑丈な鉄格子を捻じ曲げるほどの威力を持つ焙烙玉ならば、門扉など簡単に破ることが出来ると楽観視していたのだ。
「焙烙玉の残りはいくつだ?」
「確か30と少しだったと思います」
「ふむ。ならば投石器は5つもあれば足りるか」
「材料はもっと切り出してありますが……」
「どうせ敵は動かないんだ。ちゃっちゃと作ってちゃっちゃと叩き込んでしまえ」
シロタクは戦いを目の前にして気が|急≪せ≫いていた。敵地にあるという不安や乏しい糧食に対する焦りもあったが、やはり巨大都市を陥落させるという名誉と略奪への期待が大きかった。ソッチのような小都市攻略に失敗してハサール遠征そのものを敗北に導いた彼にとっては、これは汚名返上の機会でもあったのだ。
「台吉、どうやら他の門は失敗したようです」
「そうか。なに、どのみち攻撃は一か所に集中せねばならんのだ。構わん、構わん!」
門さえ破れば怒涛の如く攻め込むだけだ。彼には勝利は約束されているかのように思えていた。だがその余裕はホラーサーン門を攻撃した部隊が帰って来るまでのことだった。
「大変です! 族長が深手を負われました!」
「何っ? ティムルが!?」
やがて兵士に担がれて運ばれてきたティムルは意識もなく、左肩と左足の付け根には真っ赤に染まった包帯が巻かれ、右肘から先は途中から無くなっていた。矢傷や刀傷は見慣れていたシロタクも、その凄惨な有様には息を呑んだ。何より恐ろしいのは、髪の毛までちりちりのくるくるになっていたことだ! まるで頭が爆発したみたいだった。
「こ、これはいったいどうしたことだ? いったい何があった!?」
「それが……敵の放った火炎弾が焙烙玉に当たって爆発いたしまして……」
「そ、それはまた、なんと不運な……」
シロタクは絶句した。弓矢ならいざしらず投石機の攻撃など狙って当たるものではない……と、ティムル自身が言っていたのだ。だからこそティムルは門の近くまで忍び寄っていたのではないか。
「それは……違います。偶然では……ありません」
「ティムル!? 大丈夫なのか?」
シロタクの叫びに応じてティムルは薄く目を開いた。
「……いいえ。ですからこそ、意識を失う前に、伝えるべきことが、あります」
血の気を失った彼の顔色は蒼を通り越して真っ白だったが、その声は小さいながらもはっきりしていた。
「無策のまま投石機を進めては、なりません。敵は必ず、焙烙玉を放つ前に、爆発させようと、するでしょう」
「しかし、そんなことは不可能だろう? お前はたまたま、もの凄~く、千年に一人くらいの割合で運が悪かっただけだ!」
ティムルは一瞬頷きかけた。確かに彼は運が悪いのかもしれない。なにしろあんなに非常識な敵を相手にしなければならなかったのだから。
「……違います。敵の射撃は、恐ろしく、正確です。一分足らずの間に、数十発の火の玉を放ちましたが、外れたのは……数発だけです」
「…………」
シロタクはゴクリと唾を飲み込んだ。弓の上手を選んでも一斉射撃をすれば不思議と1割は外すものだ。下手くそを集めても不思議と1割は当たるものだが。
「撃ち合いになれば……こちらが負けます」
「だ、だが! それではどうしろと言うのだ!?」
「敵の迎撃能力を超える数を、一斉に押し出すのです」
「……幾つ用意すればいいのだ」
「可能な限り。……50でも、100でも」
「いやいやいや、そもそも焙烙玉がそんなに無いだろう! 30個くらいしか無いと聞いたぞ?」
「敵はそれを、知りません。泥の玉でも……積んでおくのです」
「…………」
確かに敵は焙烙玉が何個あるのか知らないのだから、全部を本物だと思って攻撃してくることだろう。偽物が壊されている間に本物を撃ちこめば良いのだ。偽物は爆発しないから安全だし、一石二鳥である。
だがティムルの策はそれだけでは無かった。彼の声は力が尽きかけているかのように小さくなり、シロタクは耳を寄せた。
「……おと……す。最後は……手で」
ティムルの言葉を聞くなりシロタクは驚きに目を見開いた。
「……なるほど。お前の案を容れよう」
シロタクが頷くとティムルは引き攣った笑みを浮かべ、再び意識を失った。
――これほどの深手を負いながら、敵の裏をかく策まで考えていたのか。ただ気力だけで意識を繋ぎながら……
ティムルのモンゴーラに対する忠誠心の篤さにシロタクは胸を熱くした。本軍から離れ、客将にすぎないシロタクに従い、未知の土地で未知の敵と闘いながら、ティムルは文句の一つも言わなかったのだ。その上族長の身で陣頭指揮を執り、深手を負っても次の策を考え出した。なんと天晴な男だろうか! ティムルはシロタクの家臣ではないが、だからこそシロタクは彼に報いる必要があった。
「呪術医(注2)をここに呼べ! この天幕はティムルに譲る。決してティムルを死なせるな。俺のせいでモンゴーラ第一の功臣を失えば、プラグ叔父に顔向け出来ぬ!」
「はっ!」
伝令が出て行くとシロタクは幕下の者達に向き直った。
「アムリル部と俺の配下から50人ずつ決死隊を募れ!」
「100人くらいでしたら我らだけでも事足りますが……?」
「いや、我らだけでやれば手柄を独占したと言われるだろう。アムリル部だけにやらせれば危険を押し付けたと思われかねない」
族長のティムルが死の淵にいる今、シロタクとしてはアムリル部の兵達をこれ以上動揺させたくなかった。
「それと投石機だ。筏を解体してでも数を揃えさせろ。100でも200でも作れるだけだ。精度も気にする必要はない」
「しかし、車輪が足りません。車輪と車軸だけは簡単に用意できません」
「だったら車輪も無しだ。手で運んで現場で組み立てろ!
敵が鉄格子を下ろしてしまえばティムルの犠牲はムダになるのだ。何としても昼までに用意しろ! この際形だけ投石器っぽければ何でも良い。敵の攻撃を引き寄せられれば良いのだからな!」
「では決死隊にそれを運ばせるのですか? 100人では足りませんが……」
「その程度の危険で決死隊とは言わぬ。決死隊には、もっと重要で決定的な役目を果たして貰う」
シロタクは天幕を出ると、遠く北東の門を睨みつけた。
「あの門を破り、あの街を陥とすのは火薬でも投石機でもない。我ら勇猛なるモンゴーラ兵なのだ」
その北東の門では、ギャザリンが肩を竦めていた。
「こりゃあ俺の出番じゃなさそうだ。巻き上げ機は問題無いが、鉄格子自体が引っかかって動かねぇんだからよ。門を出てあの金具を無理やり引っ剥がすしかねーだろうな」
ギャザリンは職人であり学者でもあるが、別に力自慢でも何でもないのだ。むしろ職業軍人である奴隷軍人の出番である。だが守備隊の中隊長はギャザリンに取りすがった。
「しかし、現状では門を開けることすら叶いません。せいぜいロープで宙吊りにして作業させるくらいしか出来ないのです」
「あの鉄格子の重さを支えてるんだぞ? 人一人でどうにか出来るようなもんじゃねえだろ。どうにかなるとしても、俺の出番じゃねぇよ」
ギャザリンのそっけない態度に、中隊長は必死に考えた。
「で、では、巻き上げ機で鉄格子を引っ張り上げて、その間に引き抜いては? それなら金具にかかる重さは金具そのものの重さだけです!」
なるほど道理である。ギャザリンはニヤリと笑った。
「お前は阿呆か? 鉄格子の重量を上げ下げするための巻上機が、それ以上の重量に耐えられるように作られてると思ってんのか?
俺はお前さんをぎりぎり持ち上げることが出来るかもしれねえが、お前さんが槍で柱に縫い付けられていたらどう考えても無理だろ?
今鉄格子を引き上げようとしたら、あの金具の抵抗の分だけ巻き上げ機の負荷を超えんだよ。まあ、壊れても構わねぇってんならやるだけやってみるのもいいがな」
なるほどそれも道理である。下ろすのを邪魔する者はいても引き上げるのを邪魔したい者はいないのだから、鉄格子の重量以上の耐荷重が想定されているはずもない。もはや門外に足場を組んで大々的に修理するしかなさそうだったが、他の門からも外に出ることが出来ない現状ではどうしようもなさそうだった。
バールは彼らのやりとりを傍らで見守っていたが、そこに一人の士官が駆け寄ってきた。
「上様、例のモグラ殿の穴蔵に行ってまいりました」
「うむ、どうであった?」
「それが……いたのはこの少年一人きりでした。本人によれば弟子で留守番だそうです」
士官の後ろで小さくなっていたのはせいぜい14~15歳の少年だった。外国人の兵隊に囲まれて身が竦んでいるのだろう。
「うーむ、弟子か。しかしこの際仕方がないか」
バールはあっさり妥協した。確かに彼らより火薬に詳しいことは確かだろう。だが横で聞いていたギャザリンが口を挟んだ。
「おいおい、考えてもみな。やつらが出て行った時にはその子モグラはせいぜい12か13だったんだぞ? 火薬みたいな危険物をガキに触らせてたと思うか?」
ギャザリンの工房では未熟な者に危険な作業はさせない。危険な事は熟練者であるギャザリンにだけ許された行為なのだ。……弟子をハンマーで殴るとか。
「むむむ、確かにそうだな」
「これはダメですね」
「…………」
バール達は納得したが、コロテス男爵はその12か13歳くらいと思われるロケ・コット平研究員(元班長)が危険な火薬実験をして(させられて?)いることを知っていた。でもイゾルテとプレセンティナ帝国の名誉のために黙っていることにした。
「ぼ、僕は一人前です! 火薬の調合だって一人で出来るんですよ!」
「へぇ、じゃあ2年も火薬を調合して過ごしていたワケか。さぞや大量の火薬があるんだろうな?」
我慢できずに声を上げた少年だったが、ギャザリンの嫌味にあっさり意気消沈した。
「そ、それは……あんまり無いです……」
「ん? どうしてだ?」
「だって……だって……師匠たちが硝石を持ってっちゃったんだもん! 出発後に届いた分しか材料が無かったんだもん!」
今にも泣きそうな少年の顔に今度はギャザリンが気圧された。彼は口は悪いが意外と情け深いのだ。例えば弟子を殴る時も、相手の残りヒットポイントを見極めた上で死なない程度にしか殴らない。まさしく熟練の技である。
「そ、そうか……悪かったな、子モグラ」
バールは漫才のような一幕を脇で見ていたが、今は楽しむ余裕も無かった。
「いずれにせよ、火薬が足りないのでは武器にも出来ないだろうな」
「そうですね。今は反撃より鉄格子を下ろすことを優先させるべきでしょう」
「わざわざ悪かったな。キミも避難の準備をしなさい」
バール達は少年を帰そうとしたが、今度はギャザリンが引き止めた。
「いや、武器には出来なくてもあの金具を吹っ飛ばすくらいは出来るんじゃねーか? おい小モグラ、お前の火薬でアレを吹きとばせないか? あの鉄格子を下ろしたいんだが」
覗き窓から鉄格子に引っかかった金具を示すと、少年はそれを見て考えこんだ。泣いて慰められたせいか、彼は先程よりずっと落ち着きを取り戻していた。
「金具をどうにかするのは難しそうですね。でも、壊しても良いのなら……石材の方に穴を開けて火薬を流し込めば砕けると思います。そうすれば鉄格子は下ろせるんじゃないでしょうか」
「何で穴を開けるんだ? 貼り付けるだけでいいんじゃねーのか?」
「僕は師匠の下で重大な事を学んだんです。火薬をただ爆発させるより……大砲に詰めて暴発した方が被害が大きいって! (注3)」
「「「…………」」」
「爆発事故はしょっちゅうありましたけど、大砲の暴発事故は一際悲惨でした。あの事故で工房も焼けちゃって、穴蔵に引っ越しさせられました……。ぐすん」
キラリと光る少年の涙に、誰もがしばらく口を開けなかった。……呆れ果てて。
「と、とにかくそういうことなら早速穴を開けさせよう」
「手回しドリルなら俺の工房にあるぞ。穴を開けるのに使えるだろう」
「それはありがたい。さっそく持ってきてもらいたい」
「おう」
ギャザリンが出て行くとバールはほっと安堵の溜息を漏らした。
「ふう、これでなんとかイゾルテ殿が来られるまでは……」
保ちそうだ、と言いかけて彼は凍りついた。
――イゾルテ殿が到着してどうなるというのだ? 彼の手勢は水軍であって陸兵ではないし、数だって匈奴軍に遠く及ばない。武装の上でも兵の数でも、まだ我らムスリカ帝国軍の方がマシではないか!?
そもそもスエーズ軍は撤退する予定だったのだ。このまま籠城しても春には敵の増援が来てますます状況は悪くなる。この状況でイゾルテが到着すれば、きっと彼は城外脱出を支援するため匈奴軍に攻撃を仕掛けるだろう。自ら海賊の中に身を投じた彼のことだから、自分が囮になることすら辞さないかもしれない。
――今イゾルテ殿を失えば、プレセンティナ帝国はもちろんエフメト派との同盟も瓦解する。それはつまり、ムスリカ帝国の滅亡を意味する……
せっかくのスエーズ運河もプレセンティナ海軍の協力がなければただの堀に過ぎない。後方からの補給を断つことも出来ず、いずれ力任せに押し渡られるのは目に見えていた。ナイールは味方になってくれるだろうが、平和に慣れた彼らの兵がどれほど役に立つだろうか。
バールは王だ。それはつまり国の所有者ではなく、神と指導者に国の統治と防衛を任されたに過ぎない存在なのだ。ならば誰の生存を優先させるべきか、考えるまでもないことだった。
――囮にすべきはこの街そのもの。むしろこの門に敵の攻撃を集中させ、更には城内に引き込んで拘束した上で、反対側から撤退すべきだ。火薬を使うべきはむしろ……
「南西の門だ! ギャザリン殿にドリルを南西の門に届けるよう伝えよ!」
「は? ……はあ、南西の門ですか? 分かりました……」
伝令が不思議そうにしながらも駆け去って行くと、バールは少年に向き直りその両肩を掴んだ。
「子モグラ殿も南西の門に行って欲しいでござる。火薬を使って脱出路を抉じ開けて頂きたい」
「ええっ!? も、門を? 鉄格子も……ですよね?」
「そうでござる。普通に門を開けようとすれば鉄格子を引き上げるのに丸一日かかってしまうので、気づいた敵に回りこまれてしまうのでござる。だから門扉も鉄格子も一気に爆破して、速やかに市民を避難させる必要があるのでござる!」
「…………」
なるほどそんな破壊的な作業には火薬が持って来いだろう。準備に時間が掛かるとしても、爆破そのものは一瞬である。だが限られた火薬で果たして鉄格子まで粉砕することが出来るだろうか?
「頼りは小モグラ殿だけでござる。お頼み申す!」
バールは少年の肩を掴んだまま頭を下げた。一国の王が職人の弟子に過ぎない少年に頭を下げたのだ! 少年に否やは無かった。
「わわわわわ、分かり、分かりまし、たっ。や、やれるでけ、だけの、ことわっ」
「いいや、必ず成し遂げて下され!」
「は、はひっ!」
武装した筋骨隆々のおっさんに肩を掴まれ息がかかりそうなほど間近で凄まれたため、少年は漏らしそうだった。
「市民に避難準備の触れを出せ! 南西の門の周辺に集まらせよ!
兵たちにはこの北東の門の内側に三重の防衛戦を築かせよ。まだ残っている建物を軒並み壊してバリケードを作るのだ」
「「「はっ!」」」
覚悟を決めたバールは、むしろ心の底から溢れる喜びに身を震わせた。目前の戦いに死を賭すだけの意義を見出すことが出来ることは、武人としての最高の幸せである。
――そもそも門に敵を集めるために鉄格子を上げたのだ。敵がこの門に群れ集ってくれるのなら願ったり叶ったりではないか!
「来るなら来い、蛮族ども! 神の使徒たる我らムスリカ帝国の力、とくと思い知るが良い!」
注1 イフリートはコーランにも出てくる由緒正しい立派な悪魔です。炎の魔人としてゲームやファンタジー小説で引っ張りだこですね。ランプの魔人もイフリートなんだそうです。
彼らは精霊の一種で、もともとは神様に仕えてました。つまりは天使ですね。
しかしある時神様が「こいつは新人のアダムな。地上はこいつに任せることにしたわ」と言い出したので腹が立って辞めました。つまり堕天使(=悪魔)です。
政治家がド素人の息子に地盤を譲ろうとしたり創業社長がバカ息子を跡継ぎにしようとして、長年仕えた秘書や幹部社員が辞めちゃうようなものですね。
一応コーランでは神様の方が追い出したことになっています。辞職ではなく懲戒解雇です。酷い仕打ちです。
注2 伝統医療はシャーマニズムと切っても切れないものです。シャーマンと医者を兼ねる人は呪術医と呼ばれます。日本の(漢方以前の)伝統医療もシャーマニズムに関係していますし、神社や寺が販売する漢方薬をありがたがったりもしました。まあ、そういうのにプラシーボ効果があることは否定できませんが。
モンゴルの伝統医療はチベット系ですが、これはチベット仏教の浸透とともに広まったことだと思われます。妙なことですがチベット医を表す「アムチ」は、逆にモンゴル語の医者「エムチ」が語源になっています。
チベット仏教の浸透はクビライがチベット仏教に帰依したことが原因ですので、フレグは当然「アムチ」を連れていないと思われます。彼らはどっちかというとイスラム化しちゃいますしね。
しかしモンゴルがあっさりとチベット仏教とチベット医療を受け入れた背景は、緩い宗教観とともに医療を信仰の一部と捉えていたからではないでしょうか。
当然、モンゴルにも呪術医がいたんじゃないかと思います。(想像)
注3 爆薬を使って穴を掘ったり建築物を解体する方法を発破と言いますが、破壊対象に穴を穿って火薬を詰める方法を内部装薬、表面に貼り付ける方法を外部装薬と言うそうです。
当然ながら内部装薬の方がエネルギーの大部分を対象物に叩き込めるので効率が良く、トンネル掘りなんかではこちらが一般的です。本文で書いてる"大砲の方が効率が良い"という理屈と共通するものですね。
一方で兵器ではいちいち敵に穴を開けていられないので、対戦車ロケットなんかではすり鉢状の構造をした弾頭で爆発エネルギーを一点に集中させたりします。いわゆる成形炸薬弾というやつです。(参考:モンロー/ノイマン効果)
とはいえそれは20世紀に入ってからの話なので、それまではただ適当に貼り付けるだけがせいぜいだったと考えるべきでしょう。
まあそもそも、民生用(トンネル掘り、坑道掘り)に発破を使ったという記録は17世紀以降にしかないそうですけど。
そういえば前回のあとがきで書くのを忘れていましたが、実際にフレグは中東遠征の時に火薬玉を投石器で投げ込んだそうです。ただの石や金属球を火薬で飛ばした初期の大砲とは真逆の発想ですね。
振り子型の投石機は割りと現地調達しやすいので、大砲を持って行ったりその場で鋳造するよりは便利だったのかもしれません。まあそもそも、中国は大砲よりロケットなイメージが有りますが。
14世紀にはイタリアでも中国でもロケット兵器(伊:ロケッタ、中:飛火槍)が使われた(というか作ってみた)記録があるそうですが、フレグはそれ以前の人です。もし彼がロケット兵器を目にしていたら、騎馬ロケット部隊とか作ったかもしれませんね。
あるいはズスタスが目にしたら真の意味でのロケットパンチが実現するかも? 発射した方が大火傷を負う気がしますけど……




